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ノア・クヴァルム

 飛び出したジークが握る刀を水平に振るう。そこに、立て続けに三発弾を放り込む。そのまま切り裂かれた残骸が、ジークの頬を掠めていく。たったの一合。それだけのはずのこの一瞬にも、帝国最高峰の業が閃めく。詰められた間合いを埋め合わせるように、ノアは後退。その間も牽制を欠かさず、ジークはをそれを当然のように斬り捨てる。


「――っ!」


 そのまま踏み込み、一気に距離を詰めたジークはそのまま刀を振り抜く。身体を倒して直撃を免れたノア。首筋スレスレに刃が走り、その残滓だけで淡く血が迸る。


「……弱い。これが、本当にあの『烏』か?」


 首に滴る紅色を拭いながら、ノアは知ったことかと首を振る。彼が何を言おうと、今ここに居るのはノア・クヴァルムで、かつて『烏』であった人間だ。


「君にとっては好都合なんじゃないのか?」


 打倒を夢見た絶対的な壁、その弱体化。ならば、今のうちに踏み越えていけばいいだけの話。ノアにはジークの不満が解らなかった。

 だが、それすらもジークには憤慨に値する。その文句も、態度も、今の戦い方も。その全てが、かつての『烏』らしくない。


「俺の目指した『烏』は、こんな無様でなかった」

「……随分、言ってくれる」


 攻撃と口撃の応酬に、距離をとったノアはため息を吐く。本当に、彼の、ジークのノアに対する執念は、いっそのこと尊敬すら覚える。何が彼をここまで駆り立てるのか、ノアは不思議でならなかった。


「……『烏』、本気を出せ」


 その玩具を捨てろ。言外にノアの全てを否定する。それは、『鷲』ガメットにも追求されたことだった。本気でやれ、お前はその程度ではない。自分の知っている『烏』は、ここまで脆くなかったと。


「……どうして、そこまで僕に固執する」

「――っ! お前は、いつもそうやって……!」


 刀身を振るわせながら、それでも切先をノアに向ける。それが、彼の意思表示であると言うように。


 ただ、一切の攻撃も許さずに、一瞬で全てを奪っていった『烏』。それをジークは許せない。彼を超えなければ、ジークは一生、己を認めることができない。全ては、あの『烏』を打倒するため、そのためだけにこの身を剣に捧げてきた。だと言うのに、


「お前は、俺をどこまで馬鹿にする? どれほど否定すれば気が済む?」

「何を言って――」

「――黙れ、お前に、俺のことはわからない!」


 支離滅裂。もはやノアは会話を諦める。しかしそれでも、ジークにとって対話は終わっていない。姿勢を低く、そして地面を蹴り付ける。それだけの動作で、身体は亜速を手に入れる。


 それに呼応して懐には入れさせまいと、刀を盾に牽制。その側面に弾丸を放る。甲高い音を立てて弾かれた刃を視界の端に、ノアは回し蹴りを叩き込む――


「鈍い――!」


 その刹那、機械鞘から飛び出した二振り目の刃が、鉄カップ入りのブーツを打ち上げた。


「なっ――」

「俺が、お前の戦い方を忘れると思うか?」


 弾かれた足を取り戻すように、身体を引き込んで体勢を立て直し、続く連撃を回避する。橋の果てに突き刺さった刀を一瞥したジーク。そのままため息を吐き口を開く。


「お前がもはや兵士足りえないことは分かった」


 飛び退いて、着地に少々手間取る。先ほどの一撃が重く骨の芯まで響いている。速く、重い。以前の『鷹』ではありえなかった斬撃。辛くも軌道を逸らすことに成功したものの、その衝撃はノアの歯車を狂わせる。


「なら、何故ここにいる。何故皇帝に背く?」

「皇帝を、止めるため。インネを、取り返すためだ」

「何が気に食わない? 皇帝の計画は、世界を救うものだろう」

「――っ知っているのか⁉︎」


 まさかとは思っていたが、既にジークは「永劫の楽園」計画を知っている。その上で、ジークはインネを攫ったのか。


「ああ。上位三位までに伝えられた事実だ。……二位は空席だがな」

「……なら、どうして!」

「姫一人の犠牲で平和が成り立つのなら、お前も本望だろう?」

「なっ――」


 当然だ、と。そう告げる。その口で、その顔で、その佇まいで、一切の疑念がないと。それが、『鷹』のジークという男だった。自分の戦い以外、興味はない。逆にそれが、彼を強者へと導いた所以。


「必要な犠牲だと言うのか……?」

「帝国民は皇帝(アレス)に傅く。何もおかしくはない。それとも違うと?」

「……インネ一人の犠牲で、平和になる? そんなもの、平和と呼ばない!」


「永劫の楽園」計画。無垢の少女の犠牲の上、人々の記憶を改竄し、争いの根本を断ち切る計画。それが成されれば、確かに世界は平和になるかもしれない。だがそれは、偽りの平穏に過ぎない。


「なら、お前は何故銃を握っている? アンタレスでもなかったお前が」

「どういうことだ……?」


 刀を手先で弄びながら、鼻を鳴らして睥睨する。わからいと眉を顰めるノアを見て、愉しむように口角を上げる。


「聞いたぞ、お前が軍を抜けた理由」

「……それが?」


 特段、ノアに害はない。進んで人に話しはしないが、人に聞かれたとて、どうも思わない。あの時のことがこの腕を震わせるのだとしても、それは誰にも関係はない。


「今お前が銃を握っているのは、子供を殺したことから耳を塞いで逃げ出したからなんじゃないのか?」

「っ…な…にを……?」

「必要犠牲だと切り捨てた、だからお前はここにいる。違うのか?」

「……違う……僕は……」

「――何が違う?」

「……ぁ」


 喉から零れ出たのは、声ともつかないか細い息だった。無意識に、その場に頽れる。



「師匠!」

「黙れ、これは俺と『烏』の戦いだ。口出しはさせない」

「――っ!」


 それまで静観の姿勢を崩さなかったアテナが、たまらず声を上げる。しかし、鋭く吠えたジークにより、その囀りは勢いを失う。


「お前のそれが必要な犠牲だったのなら、あの姫も変わりはしない。同じだ」

「……ちが」

「――何がだ?」

「――っ」


 違う、同じではない。違う、どちらも同じだ。違う、あれは犠牲じゃない。違う、逃げてなどいない。違う、インネは、違う、違う、違う、違う――


「――ノアッッ‼」


 絶望に、思考の渦に飲み込まれたノア。その名を、乱暴に、ただ一度、呼ぶ声があった。


「確かに、お前は子供をやっちまったかもしれねえ。けどな、それだけじゃねえ!」

「……黙れ、これは俺と――」

「――るせぇ!」

「な……」

「聞けノア‼」


 ただ、乱暴に、張り上げるだけの大声で、過去に足を絡めとられたノアを呼ぶ。


「お前は、お前が戦うだけで、何万の帝国民を救ったんだ。何百の兵が戦わなくてすんだ。死ななくてすんだ。……お前の罪が全くなくなるとか、そういうことじゃねえ」

「……っ」

「けどなぁ! お前が救った人間のことを、忘れんじゃねえ!」

「隊長……」


 ただ、側で彼を見てきた。誰よりも戦場を駆け、自陣の損害をなるべく低く、自分が戦うことで、穴を埋める。そんな、不器用な少年を、側で見てきた者だからこそ、ただ背負うだけでは許さない。


「私も、私も師匠に救われました! あの時、師匠が孤児院に来てくれたから、今の私があります!」


 ノアが戦ったのは、任務だ。だが、その任務が、国防であったことに間違いはない。民も、兵も、そして、一番身近な存在も、守ったことに、変わりはない。


「お前は。ヴィルヘルミーナに何を約束した!」

「――っ!」


『姫様を救え』


 そう、約束した。もう、二度と、同じ過ちは繰り返さないと。何があろうと、インネを取り戻すと。そう約束した。


『ノアは、化け物でも悪魔でもないよ』


 彼女に、そう言われた。仲間に、叱咤された。弟子に、涙を流させた。


 もう、十分だ。


 もう、逃げない。見ないフリをしない。


 ノアが銃を握るのは、インネを助ける為。同じ過ちを繰り返さない為。


「こんな……こと……してる場合じゃない……!」


 ゆっくりと、立ち上がる。ただ、目の前の敵を、討つ為に。


「やっと、認めたか? 『烏』」

「……気づいただけだ。僕は、一人にはしてもらえないことに」

「戯言で何を思ったか知らないが……っ⁉」


 弄ぶ刀に視線を落としていたジークは、立ち上がったノアの双眸に気が付かなかった。それまで、迷うようにどこか弱気な視線だったそれが、今は、確固たる意志の下、真っ直ぐにジークを見ている。


「本気になったか……!」

「さあね。でも、もう、僕は逃げない」


 二度目、頽れ、立ち上がるのは。それでいい。最後に立つのならば、立ち上がるのならば、誰も文句は言うまい。


 ノア・クヴァルムはそういう人間なのだから。


 刀を構え直したジーク。その切っ先も、双眸も、ただ一直線にノアを捉えている。ノアもまた、マガジンを抜き捨てると、新しく腰から引き抜いたソレを押し込む。ギーという回転音が、戦場に響き渡る。


「お前を超える、ノア」

「君を倒すよ、ジーク」


 例え、二度と相手が起きなくなろうとも、ノアは狼狽えない。これは、軍人同士の決闘で、ただ、抗えざる決別だ。


「――ッ!」

「……っ!」


 そうして同時に、二人は地面を穿った。

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