強者
「インネッッッッ‼︎‼︎」
姿を消した旧国の姫。守ると決めた、初めての決意を、砕かれた。
取り落とした片手の銃が、ガツンと責め立てるように音を鳴らす。ノアの残響と入り混じった怪音が、トンネルの果てまで突き抜けていく。
「……師匠」
ただ、俯き続ける師を見兼ねて、アテナは彼の肩に手を伸ばす。が、それは宙空で静止させられ、そのまま乱暴に振り下ろされる。
「ヴィルヘルミーナ……」
静かに彼女を呼んだアテナ。しかし続ける言葉が見当たらず、そのまま口をつぐんでしまう。そうして、彼女が師を責める暴挙を許してしまう。
「……」
黙りこくるノアの側で足を止め、膝をつく彼を見下ろす。こちらからではその視線は伺えず、ヴィルヘが何をするつもりなのかは測れない。じっと、ただ少年を見つめた女兵士は、しかし次に口を開く。
「頽れるな、ノア・クヴァルム。帝国二位がこの様か……女一人守れずに、そうやって腐る。……私の焦がれた『烏』は、その程度だったのか?」
「……?」
「貴様にとって姫様はその程度だったか。――なら、ここで朽ち果てろ帝国二位」
瞬間、その額に銃口が突きつけられる。ひやりと冷たい死刑宣告が、項垂れたノアを襲う。誰も、動けなかった。それは、記憶にないほど心砕かれた『烏』を目にしたからでも、ヴィルヘの暴挙によるものでもない。
それは、彼女の静かな怒りに、誰一人、返す言葉がなかったからだ。
ただひたすらに冷たい視線を浴びせるヴィルヘ。突きつけた拳銃を微動だにせず、その喉を震わせる。
「『烏』、お前は何だ、なんのつもりだ?」
「……っ」
「スパイか? それとも気が変わったか? この醜態は茶番か? ――答えろ、帝国二位」
皇帝に認められ、その座を恣にしながら、それを捨て去った男。ノア・クヴァルムを知らなければ、ただそれだけの、極めて異質な存在。それが、驕り、敗北し、地に伏した。それを得られなかった人間を、馬鹿にしている。
ヴィルヘルミーナ・ゼーテは、怒っていた。
敗北にではない。頂点たる人間が、簡単に膝を屈したことに。
ヴィルヘルミーナ・ゼーテは、恨んでいた。
夫を見殺しにした『七核』を。
ヴィルヘルミーナ・ゼーテは、焦がれていた。
それでも尚、彼を連れ帰り、頭を垂れた少年に。
ヴィルヘルミーナ・ゼーテは、怒っていた。
ただ殺すだけの機械に、成り下がらなかったことに。
「お前が……お前に何があったのかは知らない。だが、守ると決めた女は、守りきれ。――例え何を殺しても、だ」
「お前ッ!」
突然の暴論に、傍のクロノスがヴィルヘの肩を掴む。が、それをひらりと躱したヴィルヘは、そのまま首を振った。
「立て、ノア。――私はまだ、諦めていない」
「っ――!」
ただ、戦えと。立ち上がれと、ヴィルヘは言う。果てにその身を置き、全てを睥睨する『七核』に、まだ屈するのは早いと。
ヴィルヘルミーナの夫は、戦場で死んでいる。『七核』、『烏』の指揮の下、臨時組織された隊の副隊長を務めていた。そして、敵の凶弾に散る。その亡骸を彼女の下に連れ帰ったのは、『烏』のノア本人だった。
彼が死んだのは、ノアの所為ではない。あの男の間の悪さは十分知っていた、だが、だからこそ、ヴィルヘには感情のぶつけ先が存在しなかった。
それが今、溢れ出た。
「……ガイア・ゼーテ」
「っな――!」
「そう、か。貴女だったのか」
震わせた銃口、撃つつもりはなく、ただ脅すだけのそれが、ゆっくりと下ろされていく。
「……僕の悪い癖だ、敵も味方も、人はあまり覚えてない。けど……思い出した」
そうしてノアは納得がいく。今までの彼女の辛辣な態度が、どこから来ていたのかに。
「忘れなかったか……」
「……だから――僕は諦めない」
そう、ヴィルヘの握る拳銃をやんわりと奪い取ると、そのまま彼女のホルスターに押し込む。そうして耳元でささやく。
「復讐が必要なら、全部終わった後に。僕は逃げない」
「っ――! ノア……。いや、必要ない、お前が立つなら、一つ約束しろ」
「何?」
「――姫様を救え」
「――わかってる」
たったそれだけ。そうして、二つの絶望を彼女に落とした『烏』は、それを上書きするほどの希望を与える。それは、強者の意思。頂点の意思。
そして、覚悟を決めた、『烏』の意志。
「もう、僕はためらわない」




