出合い
波の音が響く海辺、太陽を照り返す白い砂浜。誰も居ないはずの崖下の海岸。
そこに、一人の少年が立っていた。
両足を軽く開き、何かを握り込んだ両手は胸の前に突き出されてる。
標準的な構え、主に正面を、上半身を砲台のように動かして狙う。銃口の先には、粗雑な出来栄えの人型標的。粗切りの板に、赤いペンキで急所を印しただけの代物。
少年は、その頭部に拳銃の照準を合わせて、硬直していた。
「……っ!!」
眉を顰めて、少年は一層強くグリップを握り込む。トリガーに指先を乗せて、それを抱き込もうとする――しかし、それ以上指が動くことは無かった。
それでも無理やりに指先に力を籠める。それ以上にグリップを握る腕に力が入り、銃口がブレにブレる。
(……だめか)
やがて、諦めた少年は、セーフティをかけて銃をホルスターにしまった。
「あれから一か月か」
少年――ノア・クヴァルムが帝国軍を抜けてから、実に一か月が経とうとしていた。報酬として与えられた、帝国の辺境、城壁間近にある、海辺の町クスタで何不自由なく暮らしていた。元々ある程度の家事はできたし、軍に所属していた時とたいして変わらない。
挙げるとすれば、軍人として必要な訓練がないことぐらいだ。
今日、彼が銃を持ち出した理由は、特にはない。ただ、撃てるかどうか確かめたかっただけだ。
要が済んだノアは、それ以上何かを想わない内に、引き上げる。
「……?」
崖に削り出された階段に向かうはずだった足が、そこで止まる。視界の端に違和感を覚え、ちらりと何気なく見やる。
――ずぶ濡れの少女が、波打ち際に横たわっていた。
「なっ!?」
思わず駆け寄ったノアは声を掛ける。しかし返事がない。次に、胸元を見て、呼吸の有無を確認する――彼の性格上、いきなり名も知らぬ少女に顔を近づけるのには抵抗があった――ゆっくりと上下するそれを確認して、胸を撫でおろしたノアは、少女を抱き上げる。想定以上の軽さに驚きつつ、ノアは階段を上った。
◇◇◇
「……んぅ」
慣れない感触を背中に感じて、少女は深い暗闇から意識を引き戻した。
ゆっくりと瞼を開けると、木材と金属の入り混じった、アンバランスな天井が。何を目的としているのか理解に苦しむような、そんな建築。
身体を起こして、目元をこする。少しぼやけていた視界がクリアになる。
「起きた?」
「……っ!?」
突然の声に肩を跳ね上げて、とっさに身構える。しかし見やれば、向かいの椅子に腰かけて心配そうにこちらを伺う無害そうな少年だった。艶やかな黒髪に一瞬、少年なのか迷ったが、首元を見れば簡単だった。
「誰……?」
無意識に問うていた、とはいえ、彼女からすれば仕方のないこと。見慣れぬ天井、見慣れぬ部屋、そして謎の少年だ。例え誰であろうと問いの一つや二つ、投げてもおかしくはない。
「僕は……僕はノア・クヴァルム。元軍人の、今は暇人だよ」
「軍人……っ!?」
その響きに、身体は反応した。咄嗟に、自身が横たわっていたソファから立ち上がる。理由は、わからなかった。ただ、逃げなければならない、そんな気がした。
「……大丈夫、僕はもう違う。て言っても、わからないかもだけど」
「………」
「君、名前は? どこ出身?」
焦った少女が睨みつけても、少年――ノアは変わらず優しい目で少女を見つめていた。そして無意識に質問の答えを考える。が
「……うっ!? ああっ!!」
記憶を探った瞬間、頭に強烈な痛みが迸った。
「どうした!? 何が……!?」
「うぅ……」
たった一瞬、それだけだったはずなのに、後を引いて脳を蹂躙する痛覚。それが一体何なのか、果たして少女にもわからなかった。
「……だい……じょうぶ……」
だがどうやら、ノアにとっては、これは行幸だった。
ここまで自身を心配してくれて、そして今何か害されたわけでもない。少女の警戒は解けて、相手を安心させる言葉を紡いだ。
「……ならいいけど」
持ち上げた腰を再度椅子に落としたノアは、しかし眉を顰めて少女を見ていた
何か言いたげだが、構わず少女は口を開いた。たった一つ、先刻の痛みと引き換えに手に入れたモノを。
「インネ……たしか、そう」
「インネ……もしかして、記憶がない?」
「ええ……わからない」
「……そう。仕方ないよ、君は海岸で倒れていたんだ。ずぶ濡れだったから、たぶん流されてきたんじゃないかな?」
「私が……海から?」
「さあ……悪いけど、僕にもわからない」
「ごめん」と口にしながら、ノアはインネにかけてあった毛布を回収する。見れば、インネが腰かけているソファもずぶ濡れだった。
「あ……!?」
「気にしなくていいよ。その……流石に勝手に服を脱がすわけにはいかなかったから。そうだ、お風呂沸かしてたんだった。そのままじゃ風邪ひくから、入ってきなよ」
「でも……」
警戒を解いた、とはいえ、インネからすればノアは未だ得体のしれない人物。話を聞くに、インネを助けてくれたらしいが、それが本当と言う証拠はない。いや、インネがずぶ濡れで、なおかつ髪やら手足やらがベタつくのが、その証拠か。
正直インネも、このままでは気持ちが悪い。自身が着ている色素の薄いシャツが、肢体に纏わりついている。
「ちゃんと鍵もかかるし、扉は二重だから」
そういう問題ではない、とは流石に言えず、結局インネは立ち上がった。
「これ、僕の服だけど、いい?」
着替え用にと手渡される。夜のような濃紺のそれは、どう見ても軍服だった。優し気にこちらを見るノアもまた、よく見れば軍用のシャツに身を包んでいる。
「ごめん、これしかないんだ。丁度乾いてるのがそれだったから……」
「ありがとう」
「そこの奥だから、」
「……ええ」




