切先を見つめて
閑散とした修練場に、たった一つ、空を斬る音が響き渡る。
一つ、風よりも速く、一つ、音よりも速く、一つ、光よりも速く。
一つ、『烏』よりも雷速く。
全てを差し置いて踏み台にする。その為に彼は刃を振るう。
元々、地位には無頓着だった。軍に志願したのは、単純にそれしか生きる術を持たなかっただけ。たまたま戦果を上げて、たまたま出世ができた。それから実力をあげて、『七核』へと上り詰めた。両親はすでに戦場で散っている、誰も称賛する者はいない。ただ、ひたすらに刃を振るう。それだけだった。
あの日、刀を抜くことすら許されず、刹那の突風で決着が付いた瞬間までは。
あの時、自身の全てを否定されたような気がした。敵を一振りで捌ける刃も、積み上げた死体の山も、全てが崩れ去った。
たった一人の少年に、たった一度の勝負で全てを掻っ攫われた。
当時『七核』二位の座についていた『鷹』。それが、今では降格し三位となっている。
以降、何度昇位試験を挑んでも、その刃が彼に届くことはなかった。何者も寄せ付けない目つき、全てを打ち砕く実力。何を以ても届かない。『鷹』にとって、彼はあの『英雄』以上の存在だった。
そんな彼が、軍を抜けた。最初、聞き間違いだとすら思った。今まで、絶大な存在感を放っていた帝国第二位が、突然の退軍。
驚愕、以上に許せなかった。軽々自身を踏み越え、『英雄』の次という最高の地位につきながら、その座を手放したのだから。どんな大層な理由があれば、帝国最強の一人という座を、帝国二位という地位を手放せるのだろうか。
任務に忠実であり、それ以外に何ら興味を示さなかったはずだ。いくら『鷹』が勝負を挑めど、彼は何も言わなかった。諦めろとも、精進しろとも。ただ、事務的に試験官を務め、『鷹』を叩きのめした。
そして、どんな理由を述べあげれば、あの賢帝が最高の駒を手放すのだろうか。
『鷹』の、ただ一つの目標。それは――
『烏』ノア・クヴァルムの打倒。
それを果たすためだけに、『鷹』は己の腕を動かす。それを成す為だけに、『鷹』はその瞳を光らせる。そんな彼の元に、彼の皇帝からの命が降ったのは、僥倖だった。
それは、ある種彼にとっての決闘の機会だった。
「ジーク・ホウデン殿、配置に」
「わかっている」
切り伏せた人形目標を尻目に、『七核』第三位ジーク・ホウデンは修練場を後にした。
◇◇◇
「と、そろそろ休憩すっか」
地下トンネルの半ば、通路の脇に腰掛けたクロノスは、背負っていた狙撃銃を傍に置く。日の届かないこの場所で、時間を確認する方法は一つ。
「腹ごしらえだ」
腕時計の一つでもしていればよかったのだが、生憎誰もしていない。主な理由として、戦闘中に煩わしいというのが挙げられる。むしろそれ以外に大した理由はない。戦場で時間を確認することなどほとんどない。無論、作戦遂行の為に必要な場合ももちろんあるが、それは部隊の一人に任せるのが通例。本来ならばあり得ないが、『七核』という特殊な立場故、許される我儘と言ったところだ。
「今日はこのままここで野宿ですかね、屋根はあるし、外より幾分快適だ」
「今回はそうですね、仕方ありません。ヴィルヘもそれで?」
姫から一才離れない、頼もしい女兵士に問いかける。本人に、というより、彼女の信条に問う形にはなるが。
「今更とやかくは言わん。が、上着くらいは貸せ、姫様をそのまま寝かせるわけにもいかない」
彼女の纏う純白のワンピースをチラと見ながら、ノアやアテナの戦闘衣を顎で示す。当の彼女は薄着スタイルで、インネに捧げられるようなものはない。
「私は大丈夫です、迷惑はかけません」
と、心配性の従者代りのヴィルヘをよそに、気丈なインネは首を振る。が、少し考えるように首を捻ると
「……でも、ノアのなら、ちょっと……」
ごにょごにょと口内で転がし始める。すかさずアテナは口を挟む。
「師匠の上着は汚れていますし、『祈憶姫』に着せるのは不相応かと⁉︎ 必要なら私が貸します!」
持ってきた物資を広げて、休息の準備を始めたノア達は、とうに会話など耳には入っていなかった。杞憂に終わったアテナは、虚空に吸い込まれた発言を振り払ってポカンとしたインネに向き直る。
「アテナさんが貸してくれるんですか?」
案外嬉しそうに顔を綻ばせるインネに調子が狂う。
「アテナ、拗らせるのは構わないが、あまり姫様を困らせるなよ」
いつの間にか露見していたアテナの想いを指摘され、顔を赤くするほかなかった。




