幕間
以降の記録は、『アンタレス』滞在中に起きた主な出来事の記録である。
ファイル1 鳴ける『鶯』
「完璧だわ」
「最高ですね」
女子フロアの一室で、アテナは少女達に囲まれていた。自信満々に腕を組む仕立て師は、満足げに頷いている。
「そう、か? 背中と胸元が心許ないんだが」
「いえいえ! ザ大人! せくしーですよ!」
「このスリットもか……?」
「もちろんです!」
赤を基調としたドレス。ところどころに散りばめられた花びらの刺繍が美しい。背中は大胆に開けられて、胸元も谷間が丸見えだ。右側に施されたスリットから、傷だらけの汚い足がチラと覗く。
ここまで布地に安心感がないのも久しぶりだ。戦場で吹き飛んだ際ぐらいしか経験がない。それより、上の下着がないのが一番の違和感だ。
「本当に、これを師匠に……?」
「もちろんです! ……他の男性陣は獣になり兼ねませんし」
「女に飢えた男は怖いわ」
(お前達も十分男に飢えているだろうに)
突っ込んでおきながら、アテナも内心浮かれていた。もしかしたら、「似合っているよ」くらいは引き出せるかもしれない。戦闘関係でなら褒められた経験はあるが、容姿のことは殆どないに等しい。そもそも彼にはそういう概念が存在しないのではないかという気さえしている。
「じゃあ、後はお任せしますね!」
「な……ひ、一人で行くのか?」
「あたし達が行ってどうするんですか。それに、もしかしたら、堪らずオトナな展開に……ふぐっ⁉︎」
「すみませんアテナ様、このマセガキはシバいておきますので、どうぞごゆっくり」
顔を赤らめて息を荒くしたサラをアリエが引っ叩いて、そのまま連れて出て行った。一人残されたアテナは、側に置かれた鏡を見て、ため息を吐く。
「師匠に、見せに行くか……」
◇◇◇
「師匠、失礼します」
あれからアテナは五分を決意に要した後、ノアの部屋へと向かった。軽くノックをすると、すぐに返事がある。
「アテナ? 入っていいよ」
鍵がかかっていないことに不用心さを感じながらも、そのまま部屋に入る。後ろ手にドアを閉めたアテナは、早速ノアの視界を奪うべく、強引に割り込む。
「師匠! どうですか、この衣装は!!……わ⁉︎」
ベッドに腰掛けていたノアに、両手を広げて見せびらかす。が、銃の手入れをしていたらしいノアは一泊遅れて顔をを上げる。
あげたその先に、アテナの胸部があると知らずに。
「ぶ……」
突然の暗闇に声を漏らしたノアが、思わず漏らす。
「あ……し、ししし、師匠⁉︎」
慌てたアテナが顔を真っ赤にしながら飛び退く。窒息しかけたノアが呼吸をととのえながらこちらを見る。と、数秒硬直した。
「……師匠?」
先ほどから自身の発言が単純化していることを自覚しながらも、彼の反応に不安で仕方ないアテナは顔色を伺う。握っていた銃を腰元に置いてふるふると首を振る。
「アテナか。一瞬誰かと……」
「……そんなにお粗末ですかねっ⁉︎」
「……?」
大変失礼なセリフだった気がするが、ノアなので一旦スルーしておく。そんなことより、自身の格好に対しての感想が欲しい。今の所無駄な恥しかかいていない。このままではただの損だ。
「綺麗だよ、すごく」
「へ……ぅ」
損なはずだった。訂正、十分な成果だった。思いもよらぬ褒め言葉に、表情が緩むのを必死で抑える。内心、転げ回りたいほど嬉しかった。
「……そう、ですか。良かったです……」
「今日は何かの日? 珍しいねアテナがドレスなんて」
小首を傾げてこちらを見つめる。途端、自分の行いがとてつもなく意味を持たなかったことを自覚する。言い訳など用意していない、そもそもこのアンタレスになぜドレスの類が必要になるのかも意味が不明だ。アリエが仕立ててくれたが、よくやっているような口ぶりだった。組織内で式典でもあるのだろうか。
「サラ達に言われて……」
「なるほど……?」
微妙な沈黙。思えば、作戦関連以外で面と向かって会話をするのは、もう何年振りかというほどだ。淑女として成長した姿を披露したかったが、生憎身体と技術以外は大して成長していなかった。
それでもインネに負ける気はない。昔、共に風呂にも入った中だ。ぽっと出の姫なんぞに取られてたまるか。
「そうだ、アテナ」
「はい……?」
思いついたように立ち上がると、置いていた銃をホルスターに戻してノアは言う。
「これから、僕らは本格的に帝国と戦う」
「承知しています」
「無論、君の実力を疑うわけじゃない。でも、相手には『英雄』が居る」
「……はい」
『英雄』それは、帝国最強の男にして、二つの称号を冠する者。
『七核』第一位、『隼』。
彼の功績は帝国民で知らぬものはいない。十年前、現在も続いている聖王国との戦争。それが、最も過激だった頃。中立国としてどちらにも属さなかったはずのニクス共和国が、矛を帝国に向けた。挟み撃ちとなった中、想定外の事態を迎えた帝国は対応が遅れ、聖王国とは逆の北側から攻め込まれ、危ない状況にあった。
そんな中、当時『七核』一位の座にいた『隼』が、単騎で占領下にあった地域を解放。次々と戦況を覆した。単騎かつ短期間での完全制圧。それが、今もなお一位の座に席を置き『英雄』として畏れ崇められている理由。
現状の帝国で革命が困難と言われている大きな理由の一つでもある。帝国の最高戦力を敵に回す。それが、今のアンタレスの立場。
「元二位の僕でも、わからない。彼に勝てるかどうかは、正直、よくて健闘ぐらいだと思う」
「師匠……」
「それでも、僕に、アンタレスに着きたいと思う?」
真剣に、真っ直ぐにアテナを見つめる双眸。幾度となく憧れたその瞳が、望んだ形でなくとも、アテナを見ている。
「愚問です。師匠にどう説得されようと、私は師匠についていきます」
「……今なら、君をスパイだという話にもできる」
「私は……私がここにいるのは、大師匠と師匠のおかげです。私は、ついていきます」
これが、最後の質問だろう。これを持ってアテナの道は決まる。どの道、今の帝国に、インネの話を聞いて、信頼はない。皇帝が誤ろうとしているのなら、道を違えようとしているのなら、アテナはアテナの正義を実行する。
「そうか。うん、ならいい。正直今の僕じゃ、一人で戦うのは厳しそうだしね」
肩をすくめてそう嘆く。何をいうかと否定しかけて、今のノアは最善ではないことを今更のように思い出す。
「頼りにしてるよ、アテナ」
「……! もちろんです!」
思いがけず、また心臓が跳ねる。
◇◇◇
ファイル2 姫の決意
「ヴィルヘさん」
「……? 姫様⁉︎ 何か?」
某日、アテナが自身のドレスにヤキモキしている頃。とある少女は、アンタレス副代表の元へ訪れていた。
どこかガラスのように華奢な腕、精巧な人形のように整った顔貌。流れる青銀髪は、連日の健康的な食事により元の艶を取り戻している。
痩せ細っていた肢体も、今ではいくらかマシになっている。
「ヴィルヘさんは、銃を撃てますか?」
「ヴィルヘと、そうお呼びください。……銃、ですか?」
ノア一行のアンタレス到着時、辛辣な態度を見せていたヴィルヘ。しかしどうやら、インネの前だけでは、その雰囲気は霧散してしまうようだった。
彼女の、インネ、特に姫ということに対する態度の違いようは顕著だ。アンタレスの女性陣にでさえ、辛くはなくも、厳しい態度をとっている。
インネに何か害があるわけではないので、特に進言するつもりはない。
「私が、お姫様なのは、まだよくわかりません。でも、守られているだけなのは……その……」
「……姫様。しかし、姫様が銃を取る必要はありません、我々にお任せください」
「……えと、そうなんですけど、そうじゃなくて」
「……というと?」
彼女の居室ということもあり、少し広めに取られている間取りの部屋。小さめのソファに腰掛けている彼女は、背筋を伸ばしながら眉を顰める。
「……ノアの、力になりたくて」
「……ノア・クヴァルムですか」
「ヴィルヘさ……ヴィルヘは、ノアのことは嫌いなんですか?」
「な……いえ、決してそういうわけでは」
ノアと口にすると怪訝そうに目線を逸らした彼女に一歩インネは踏み込んでみる。
「……彼らは、帝国兵です。その実力に文句はありません。ですが、特にアテナという少女は……」
「アテナさんも、ノアも、私を助けてくれました。」
「……私も、元は帝国兵です。ハーツの末裔ではございますが……故に、貴女に進言する資格などない。ですが……いえ、出過ぎた事でした」
「ヴィルヘ……」
「ですが、銃の扱いはお教えできません」
「どうして?」
彼女の腰元にも下がる拳銃。それを見つめて、インネは首を傾げる。『アンタレス』の面々は、医療班を除けば、女性でも銃を持っている。戦場に出るものの標準装備なのだろう。少なからず、インネも戦場に向かうことになる。いつまでもここにいるわけにもいかない。
「姫様、貴女様は、これから平和の象徴となるべきお方です。帝国の独裁的なやり方を否定し、平和を掲げ、民を導く。そんな方は、銃を持ってはなりません。その代わり、我々が、私が……或いはノアが、貴女の剣にも銃にもなりましょう」
「私が、皆んなを……?」
「我々が武器を取り、例え傷つき心折れたとしても、姫様が笑顔でその手を差し伸べて下されば、我々は幾度でも立ち上がれるでしょう」
果ての場所へと視線を向けたヴィルヘは、それからインネを見つめて頷いた。
それは、ハーツの末裔としての矜持であり、それは仕える兵としての覚悟だった。
「そういう、ものですか?」
「ええ、指導者の一言で、我々は奮い立つ。単純かもしれませんが、それでいい」
「なら、一つ、お願いがあります」
ぎゅっと胸元の石を握ると上目遣いにヴィルヘを見た。
「ノアを、お願いします」
「……姫様のご命令とあらば。ですが、それは貴女様が覚悟をなさるということです」
重く、しかしどこかやわらさを帯びた声が、インネの鼓膜を優しく叩く。年端も行かない少女。記憶を持たない欠如者。そんな状態の彼女に、王となれとやんわりと詰める。決して強制ではない。望むなら、無関係を決め込むことだってできるはずだ。
それでも、なお、自分の為にそれを望むというのならば、相応の覚悟は、やはり必要だ。
「……何も思い出せない私が、それでも何かできるなら、私は決めます」
「……姫の覚悟を、ですか」
誇らしげに、それでいてどこか儚げにそう息をついたヴィルヘを真っ直ぐに見つめて、一人の少女は首肯する。
「インネルナ・ヘルシャ。それが、私の名前です」




