楽園破壊計画
「……んぅ」
女子用の浴場にて、アテナは湯船に浸かりながら唸っていた。幸い、インネは先に済ませてしまったらしく、聞かれる心配はない。
結局どちらが上なのかハッキリしないまま、食事は終わってしまった。今頃ノアは男性陣に囲まれて質問攻めになっていることだろう。
何せ元『七核』だ。聞きたいことは山ほどあるだろう。
「鈍感師匠……」
ぶくぶくと顔を沈める。全く、本当にその気一つしない彼には骨が折れる。これまでも女は寄ってきただろうが、一体どうやってかわしてきたのやら。今日も今日とて、『アンタレス』の女性陣はノアばかり見ていた。ヴィルヘが嗜めていたが、効果は期待できなさそうだ。彼女だけはまだ好感が持てる、ノアに嫌味を放ったのはいただけないが、それ以上に彼女には軍人としての気質が強いのだろう。不器用なところは、共感できる。
「あ……! アテナ様!」
「……?」
思案に耽っていると、浴場の扉がうるさく開けられた。ぞろぞろと人が入っていた。内心でしまったと呟くと、アテナは早々に浴場から立ち去ろうとする。
「アテナ様、お待ちください!」
すると、女子組の一人が慌てたようにアテナを引き止める。編み込みツインがよくにあうその少女は、医療班のサラといったはずだ。
「サラ・オールポート、用があるなら出たら聞く」
「いやぁ、用ってほどじゃ……ねえ?」
照れくさそうに頭を掻くと、裸体を晒したまま背後の仲間を見やる。瞳を輝かせた少女達は、一斉に頷いてアテナを見つめた。
「……何?」
「……その、ノア様とはどういうご関係か……女子トーク、しません?」
「……師匠との、関係?」
「はい。やっぱり、あの『七核』同士ですし……芽生えちゃったり……?」
「……私は浸かり直すだけだ、お前たちに付き合う気はない」
結局、まんざらでもなかった。
◇◇◇
「え〜! それは惚れちゃいますって〜!」
「やばい、好きになりそう」
「……敵を増やす気はない」
「冗談ですって! ていうか、それでノア様何もないんです?」
アテナとノア出会いから、話はノアの武勇伝にへと移っていた。ソラリス第二次制圧作戦の彼の功績は、軍部で知らないものはいない。
自慢げに語るアテナを、少女たちは目を輝かせて聞いていた。
「……師匠は、私には到底追いつけない人だ。銃の腕も、何もかも」
「まあ、そう思うのは自由ですけれど、私はアテナ様もすごいと思います!」
これだけ入っていてなぜのぼせないのか心配になるのだが、それでも顔色一つ変えないサラに少々驚きながら、先刻の言葉を疑う。
「『鶯』ですよ⁉︎ あたしと同い年なのに、『七核』なんて、あたしには無理ですよ」
「それでも一番下だ。七位に変わりはない」
「……アテナ様って、オシャレすればもっとモテますよ」
「……は?」
卑屈になったところにぶち込まれた爆弾発言。脈絡のないそれに耳を疑っていると、他の女子までもが異口同音に頷く。
「そうね? せっかく綺麗なお顔なんですし、お胸もあります。ドレスなんていかがでしょう?」
「かつての弟子が、大人ドレスで師匠を悩殺……いい」
「ちょ、待って、何を……?」
「アリエ! 仕立てられそう?」
「触診が必要ね、2日でできるわ」
飛び交う意見に困惑しているアテナを差し置いて、少女たちは話を進めてしまう。
つまりなんだ? ドレスを着るのか? アテナが、ここで?
しかし、これはまたとない機会なのではないか? 今揺らぎ始めているノアの隣という地位、何もしていないインネと差をつけられるチャンスなのではないだろうか。
そもそも、軍人だったノアやアテナに、オシャレは愚か、私服という概念がない。
普段見せないアテナの姿を見れば、ノアもアテナを女として意識してくれるのではないか?
「……本当に似合うのか?」
「保証しますわ、これほどの素材も久しぶりです」
「……アリエ、サラ、任せた」
◇◇◇
「で、どうよ? 『烏』殿、どっちが好みで?」
「おいドルフ、くだらねえこと聞くんじゃねえよ」
「クロノス殿だって気になるでさあ? 息子の相手がどっちになるのか」
「あのなぁ……」
クロノスの部屋に集まった一同は、アテナの予想通り質問攻めにあっていた。彼の戦い方、戦績、噂の実態等々、ノアは正直うんざりだった。
「どっちもいい女だからな、『鶯』の嬢ちゃんなんか――痛ぇ! 何すんすか!」
「馬鹿言え、少なくともお前にアテナはやらねえよ。奥方にど突かれるぞ」
「へいへい、冗談だってのに」
軍にいた時も、よく部下がそんな話をしていた。ノアは一切参加しなかったが。若い兵が多かった気がするが、こんな中年でもそんな話をするのだろうか。それと、妹分を視姦され、単純に不愉快だ。
「僕の話はもういいです。それより、皆さんのことを……『アンタレス』を教えてください」
ノアで笑いをとったオヤジ達が和む中、ノアは眼光を鋭くする。今は、今だけは、『烏』のノアとしてこの場に君臨する。
「「「「「――—っ」」」」」
息を呑んだ一同が、その視線を一挙に集める。そこにいるのは、口下手で温厚な雰囲気の少年ではない。
帝国最強が七人の一人『七核』に名を連ねたノア・クヴァルム。
「ドルフ、始めるぞ」
「はい」
それまで酒やらつまみやらを広げていたテーブルを片付けると、クロノスが引っ張り出してきた地図をその上に広げる。
それぞれの班の代表がテーブルを囲み、その上座にはノアが。
階級を重んじるつもりは毛頭ないが、話をスムーズ進めるには必要だ。この場にいるのは、帝国の革命を目論む元軍人や市民。ややこしい話は必要ない。
「ノア坊、まず儂が『アンタレス』の起源について話そう」
「ドニ爺。お願い」
ゆっくりと首肯したドニは、周囲の仲間達を見渡して、その両腕を広げる。
「儂らは、ただ革命のために集ったわけではない。儂らは皆、姫様の事情について知る者。ハーツ王族に支えていた者の末裔じゃ」
「……ドニ爺も、隊長も?」
「おうさ、お前に伝える機会ねえと思ってたんだが、わからねえもんだな」
すまねえと頭を下げたクロノスに首を振りながら、ノアは続きを促す。
「そう、そしてクロ坊、クロ坊は、『姫守』の一族の末裔じゃ」
「『姫守』?」
「嬢ちゃん……姫さんを守る一族のことだ。ハーツが滅亡した後、役目を失ってたけどな」
肩を落とすクロノスをドニが嗜めて、一区切りつく。その間、ノアは話の整理を始める。
旧ハーツ王国。機軍帝国ブレインの全身たる王国であり、滅亡した存在。その王家の血を引く、言うなれば純血のインネ。確か、正統な王位継承者と言っていたはずだ。現皇帝、ジェローム・ヘルシャ・ブレン十三世は正統ではないというようにも聞こえるが。
「現皇帝とインネの関係は……親戚関係なんですか?」
「……現皇帝のジェロームは、ハーツ最後の王、ノーツ・ヘルシャ十七世の弟の末裔だ。嬢ちゃんはノーツ王の子孫だな」
「その際に、王族は分たれたんじゃよ。亡命した姫君は、当時の従者を連れて、細々と隠れ暮らした。それを、皇帝が発見、襲撃させた」
言い終わると、そのまま視線を落とすドニを見て、言葉の先を理解する。おそらく、インネの母親は、既にこの世を去っているのだろう。
まさか、帝国の事情がここまで複雑だとは、ノアも思っていなかった。ノアが物心ついた頃には、あるいはクロノスが、ドニが生まれた時から、この国は帝国を名乗っていた。無論、殆どの帝国民は、旧ハーツのことを知りはしない。抹消された歴史とも言える。
「昔話はこれぐらいにして、我々の作戦の話をしますかぁ」
重い空気に水を差したのは、先ほどノアにダル絡みしてきたドルフと呼ばれた男だ。少し腹の出た肉付きのいい身体。中年兵によくある出立だ。これだけでは実力は測れない。
いや、その評価は少し訂正するべきかもしれない。なぜなら――
「――我々『アンタレス』の目的、『楽園破壊計画』の話を」
なぜなら、顔を引き締めたドルフが、これまでにない程に鋭く、そう口にしたからだ。
疑問符を浮かべるノアに頷いて、地図を指差し手語りだす。
「ジェローム・ヘルシャ・ブレン十三世、――以降皇帝と呼称します――皇帝は、『永劫の楽園』という計画を進めています。情報は、帝国内部に潜入している同胞から、現在連絡は取れておりません。詳細は不明ですが、『祈憶姫』の力を利用して、世界支配を目論んでいるようです。何か、装置を開発している可能性があるとも聞いています」
淡々と情報を告げていくドルフ、内心ノアは関心していた。普段のヘラヘラとした態度とは一変、選び抜かれた言葉の端々に、その有能さが見て取れる。おそらくは軍で士官をしていたのだろう。名前を聞いたことがないのが惜しいが、何か事情があるのかもしれない。
「『祈憶姫』の力には、ギアハーツ、姫君がお持ちになられている石が必要であると伝えられています。旧ハーツには、現在の我々では理解できない技術が存在しています。ギアハーツも、その類かと」
なんとなく、昔率いていたことのある臨時の遊撃隊の副隊長を思い出す。彼はあまり軍人には向いていなかったが、指示の腕は確かだった。
いや、今はそれよりも
「古代技術……昔隊長から聞きました」
「そうだな、今の帝国にも、その端くれみたいなもんは結構ある。特にお前の銃とかな」
「儂も応用程度にしか扱えんが、なかなかの傑作じゃぞ? そいつは」
そう指を差すのはノアの腰元。確かに、ノアの銃、クラレントは、単純な銃の構造とはまるで違う。内部がどうなっているのかわからないが、ノアもこれがただの工夫でないとは思っていた。まさか、そんな技術が使われているとは思わなかったが。
「話を戻します。『楽園破壊計画』の実行には、主に三つの壁があります。まず第一に、姫君を保護すること。これは、現在は達成しています。二つ目は『七核』です。帝国を敵に回すのであれば、避けては通
れません」
「まあ、今はアテナ嬢とお前が抜けてるから、まだマシな方だ」
「ですが、英雄を始め、粒揃いなことは間違いありません。そして最後が」
そこで一泊貯めると、苦虫を噛み潰したような顔をしながら、ドルフは告げる。
「皇帝の存在です。彼を止めなければ、全ては終わりません」
結局、全てはそこに収束する。皇帝を倒し、革命を起こす。
繰り返すが、この帝国で革命は至難の技。不満のある民は多いだろう。だが、それでも現代の皇帝は、賢帝と呼ばれ評価されている。先代のたるんだ政治をたった一代で取り戻した彼への信頼は厚い。貴族階級ともなればもはや彼に逆らう得はない。
「『七核』も皇帝も、僕が倒す。それがインネの為になるなら、躊躇いはしない」
「……ノア、ここまで来てなんなんだが、お前が俺達に協力する必要はねえ、アテナ嬢と一緒に、逃げちまってもいい。――それでもいいのか?」
「……僕は、借りは返す主義ですから」
「そうか……誰に似たんだか」
肩を竦めるクロノスに、ノアは引き抜いた銃を見せつけた。




