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秩序者達

「よくぞおいでくださいました、『烏』殿」


 大勢の中心で、気に入らないコードネームで名を呼ばれる。

 尊敬の、畏怖の眼差しが向けられる中、一人頭痛を抱えたノアはため息をつく。


「おいアルフ、やり過ぎだ。んなことしろって言ってねえだろが」

「いえいえ、クロノス殿のお子ともなれば尚更です」

「義理だ義理。……まあ、ともかく、これが『アンタレス』だ。割と飛んでる奴らばかりだが、そこのヴィルヘが一番まともだ」


 一斉に向けられた視線。見れば、壁に背中を預けて胸を抱く筋肉質な女性が鼻を鳴らしていた。


「クロノス、お前にだけは言われたくないねえ。『七核』二人も掻っ攫ってきておいてよくもまあ」

「……うるせえ。」

「ヴィルヘルミーナ・ゼーテだ。好きに呼べ、『七核』殿」


 少し、含みのある言い方をして、ヴィルヘルミーナは視線を逸らす。当然と言えば当然だ。クロノス・ウォーリが連れてきた。とはいえ、ノア、それにアテナは『アンタレス』からしてみれば最大の敵である『七核』の人間。警戒するのも仕方ない。


「元『七核』『烏』ノア・クヴァルム。僕は軍をやめた、それだけです」

「同じく『鶯』アテナ・ロール。逃亡中、という扱いが妥当かと」


 意趣返しのように、あえて称号を名乗ったノア、続いたアテナも意思を汲み取って続ける。

 顔を顰めたヴィルヘルミーナ――ヴィルヘは、そのままフイと顔を逸らす。


「ヴィルヘ、そう警戒すんな。コイツが最初に嬢ちゃん……姫さんを助けてくれたんだ」

「……お前よりマシなことぐらい、見ればわかるさ。ただ、まだその坊やに命を預けるかは別さ」


 ぶっきらぼうに吐き捨てると、『アンタレス』の面々を掻き分けて一人の目の前で姿勢を正す。


「インネルナ・ヘルシャ様。此度、このような場所に足を運んでいただき、感謝を申し上げます」


 いつぞやのドニのような佇まい。ノアに向けていた視線などなかったかのような変貌ぶりに、思わず目を見開く。いかにも女軍人、といった風貌でしかし最低どころか最高の礼儀を払う。或いは、その相手が『記憶姫』だからだろうか。


「インネです。……よろしくお願いします」

「……っ!? クロノス、彼女は!?」


 よそよそしいインネの反応に違和感を覚えたように、即座にクロノスを振り返るヴィルヘ。驚愕に見開かれた瞳は、何があったと訴えている。


「見ての通りだ。姫さんは……嬢ちゃんってことだ。何も覚えてない、だからあんまり恭しくしてやるな、困るだろう」


 ふるふると首を振ったクロノスは、押し黙ってしまったヴィルヘに肩を竦める。その一言に、歓迎ムードだった『アンタレス』の団員も黙り込んでしまった。相当にショックだったのだろう。

 いや、大袈裟でもないのか。一国の姫とも言える存在、その彼女の記憶喪失。これが実際に帝国を統治していたのなら尚更想像に難くない。当然と言うより必然。以前のインネを知らないノアだからこそ言えただけだ。


「これも、帝国の仕業か……」

「いや、それは違え。皇帝サマも、嬢ちゃんが色々覚えてた方が都合がいい」

「……それもそうか。では姫君の力は?」

「さあ、正直俺も詳しくは知らないしな、そこは嬢ちゃんに聞いてみねえと……」


 一同の視線がインネに集中し、その言葉の先を求める。するとはっとしたように顔を跳ね上げたインネが、恐る恐る口を開く。


「……ノアの、記憶を見ました」

「健在なのか!?」

 唯一の希望を見た、そんな光を瞳に宿して、ヴィルヘはインネにずいと顔を寄せる。直後視線を落としたインネは、それが正しい表現ではないと首を振る。


「健在かどうかは……ただ、見えただけです」

「……そう、ですか。ですが、それだけでも強大な力です。決して、決して無為に行使することは避けてください」


 記憶を見る。それは、禁忌でもあり、思い出の冒涜でもある。当人の秘めたそれを、強制的に、無意識に、引き出すことができる。過てば、人を貶める力と成り果てる。それを、こんな少女が、有している。


「……はい」

「まあ、こればっかりは今話しても仕方ねえさ。真面目な話はここまでにして、そろそろ腹が減った。シーズ婆の飯が食いたい」

「……そうだな。姫様、ご無礼をお許しください、このヴィルヘルミーナ、全てを貴女に尽くす所存」


 そう言い残すと、他の面々に指示を出すと、その場を後にした。

 ぞろぞろと出ていくそれら全てが、インネに一礼して去っていく。改めて、インネが姫だということを実感させられる。本人に実感はなさそうだが、それでも周囲は態度が軟化することはないだろう。

 記憶を無くした悲劇の姫、そう捉えてもいい。これが帝国の仕業であったとしたら、この集団は何をしでかすのやら。


「ほら、ノア達もこっちだ。あ、嬢ちゃんとアテナ嬢は調理場に行ってくれ、婆も人手が欲しいだろうからな」

「「……?」」


 ◇◇◇


「あんたらが手伝ってくれんのかい?」


 ふくよかな身体を包むのは、シミだらけの割烹着。帝国軍に用意されている食堂でも同じようなものを見た。最も、中年の女性が着ていた記憶はないが。


「あんだい、これでも漢共の胃袋はあたしが掴んでんだよ。ここの小娘共はどれも使えないね。……嬢ちゃん、特に姫さんには期待しとくよ」


 値踏みするように二人の少女を上から下までじっくり眺めると、中年の女性はパンと手を叩いた。


「ほら、動いた動いた」

「シーズさん、お言葉ですが、私は一体何を?」

「パンでも焼いとくれ、他の料理よか簡単さ」

「……軍用の堅焼きでも?」

「バカ言うんじゃないよ、んなもん皆食べ飽きてるさ」


 そう吐き捨てると、シーズはスタスタとい厨房の奥へと消えてしまう。入り口に残された二人は、顔を見合わせて困惑するしかなかった。


 ◇◇◇


「あの、シーズさん、これはどうすれば?」

「ったく、いくら姫さんだからって花嫁修行の一つもこなしてないとはね」

「私は! 料理以外ならば全てこなしてみせます」

「坊やへの愛が強いのはいいことけどね、それ焦げるよ」

「なっ……!」


 手取り足取り指導が入っているインネと違い、軍である程度の料理の心得があるアテナは、説明を聞いた後、その通りに生地を作り、焼いた。が、結果はひどいものだ。


「……なぜ」

「加減が甘いね、言った通りに混ぜなかったろう? 軍のちゃっちい窯じゃないんだ」


「論外だね」と冷ややかな視線をアテナに送ると、自分は他の料理に手をつけ始めた。

 一体何がダメだったのか。正直、料理はアテナの苦手とするところだ。これまで軍用食しか口にしてこなかったことが大きな原因だろうが。しかし、シーズの意見は正しい。ノアやクロノスのような軍人を夫にもつのなら、疲弊して帰ってきた夫を癒すために手料理の一つでもできなければ。特に、ノアは料理ができる方ではない。


「花嫁修行か……」


 むず痒い響きを帯びたそれに、思わず口元が緩む。ノアと、それが必要になる関係になれたらと、何度思ったことか。しかし考えてみれば、軍を抜けてしまった今――逃亡という形ではあるが――何も遠慮することはないではないか。キズモノであることは自覚しているが、スタイルは、少なくともインネには負けていない。ヴィルヘのような豊満かつ頑強な女を欲されれば勝ち目がないが、これでも軍ではモテた方だ。あの気違いドS女はさておき。


「どうしたアテナ、手がとまって……気色悪い顔してないで手伝わんかい」

「なっ……は……きしょく……?」


 思わず頬に手を当てる。そんな顔をしていたか、不覚だ。


「ノアのこと考えてたんですか?」

「ほ……!?」


 横からニョキと顔を出したインネが、いたずらっぽくそう囁く。今までの彼女からは想像もつかない茶目っ気と、あまりにも図星すぎる言葉に素っ頓狂な声が出る。


「な、何を……!」

「あんだい、坊やのことかい?」


 騒がしい小娘二人にため息をついたシーズ、せっせと動かしていた手を止めると、腕を組んでもう一度ため息を吐く。


「そんなに坊やのことを想うんなら、その焦げついたのと生焼けのパンをどうにかして欲しいもんさね、『烏』の坊やに食わせるんだろう?」

「「……!」」

「美味い方に気が行くのは必然さ、男はまず、胃袋を掴め」


 この一言の後、少女二人が、必死にパンを焼きまくったのは言うまでもない。


 ◇◇◇


「……おう、豪勢だな、ノア」

「……本気で言ってます? ソレ」


 食堂に集まった一同。その視線は、とある一点に釘付けになっていた。

 というのも、当然と言えば当然。山のように積み上がったパン、それら全てがノアの分として配膳されたのだから。しかも、二皿。


「師匠、どちらが美味しいか、忖度なくお願いいたします」

「口に合わなかったら、ごめんなさい」


 ノアの両脇に座った少女が、ふんすと鼻を鳴らして意気込む。インネの方が少し距離が近いのは気のせいだろうか。


「なんだぁ、『烏』殿、妬けますなぁ」


 ガハハとどこかの隊長と似たような笑いかたをして、中年の団員が膝を叩く。それに釣られて他の男性陣も笑うものだから、ノアはバツが悪かった。一体、自分が何をしたと言うのか。


「ほら坊や、ハッキリしてやんな、その小娘達はあんたの為にせっせこ焼いたんだよ」

「な……ちょ……! シーズさん! それは言わないはずでは……!」

「なんだい面倒だね、若いんだからもっとグイグイやりなって」

「わ、私は! いいです!」

「……?」


 騒がしい、キャイキャイと黄色い声が飛び交って、むさ苦しいはずの食堂が賑やかになる。他の女性陣は固まってこちらを見て何やらニヤついている。

 これが、本当に革命を目論む『アンタレス』なのだろうか。


「で、師匠、お味は?」


 ずいと顔を近づけるアテナ、彼女の髪の匂いがふわりと舞う。どちらも食べたが、正直大差はなかった。美味しいとは思った。


「うん、美味しいよ」

「ノア、私のは……?」

「美味しいよ」

「「〜〜〜〜」」

「……?」


 一体なんだと言うのだ、わなわなと身体を震わせている二人を見て、ノアは首を傾げる他ない。この茶番はそこまで大事なのだろうか?


「ま、鈍感坊やはさておいて、親睦会も兼ねてんだよ? 食った食った!」


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