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祈憶

「――情けない話だよ」


 ノアが自身の過去を語る間、インネは静かに耳を傾けていた。

 彼女にあまり戦場の話をするべきではなかったかと、話終えてから気づくが、インネに怯えた様子はなかった。


「……ノアは悪くない、と思う」

「……ありがとう」


 見え見えの貼り付けた笑みに、インネは首を振る。


「ノアは、私を助けてくれた。その子のことは……わからないけど」


 胸元に下がるペンダントをぎゅっと握りしめて、インネは優しく慰める。

 その言葉を避けるように顔を背けたノアは、荒野の彼方に光る星を見つめる。

 そこに何を見ているのか、自分にもわからなくて。


 何故、自分はこんなことをインネに話したのだろうか。アテナにすら話さなかったことを、今更彼女に吐露する意味は……。

 罪悪感と嫌悪感に同時に襲われて、ノアは抱いた両肩に爪を立てる。

 そんな痛々しい様子を見て、耐え難くなったのか、インネがそっとノアの腕に手を乗せる。


「ノア……っ⁉︎」


 刹那、インネが息を呑んだ。ノアの腕を握って、一点を見つめる。

 直後、はっとした様子でノアを見つめた。


「……インネ?」


 ――その頬には、涙が伝っていた。


 ◇◇◇


『俺と来るか……?』『お前はそうだな……ノアだ』『ノア! そこだ!』『僕は戦うだけです』『僕と来るかい? 来るなら君は……アテナだ』『この化け物共がぁぁあ!』『貴様は『烏』だ。余に尽くせ』『師匠! 次はどうすば?』『――帝国の悪魔め‼︎』『『烏』だ……終わりだ……もう、死ぬしか……』『よくも仲間を……っ! 貴様も道連れに‼︎』『あれが……『烏』……⁉︎』『ガキがぁぁぁ!』『僕は、もう、撃てない』『隊長……僕は……』『……軍を、離れてみるか?』『……あ……あぁ』


『僕は……何を……』


 ◇◇◇


 突如押し寄せた何かに、インネは蹂躙された思考をかき集める。訳のわからない現象に、知らない誰かの記憶の断片。


(これは、ノアの……記憶?)


 知らないはずの誰かと、知っている面々と、期待、焦燥、嘱望、嫉妬、怨嗟、怒号、罵声、憂慮。

 彼の中に押し込められていたはず様々なモノが、濁流のようにインネに流れ込んできた。その中に最後に見たのは、彼の深い絶望。

 何が起きたのかは、全く理解が追いつかない。けれど、何を見たのかは明らかだった。


(こんな、ことを……)


 こんなことを、経験してきたのか。驚愕と同時に、一つ納得する。彼の頼もしさがどこからきたのか、大いに納得できる。

 しかしそれでも、拭いきれない過去が、じくじくと傷口のようにインネに主張する。

 壮絶とも、凄惨とも言える。彼自身がどう感じているかはわからない。それでも深層心理では何かを訴えたかった。そんな気がする。

 記憶、何故そんなものがインネに見えたのか、ふわふわとした空間で疑問符を浮かべる。


 そして、一つ、思い至る。


 インネこそ、過去に何があったかわからない程に異質で、『祈憶姫』なる存在ではないかと。

『祈憶姫』なる力の存在が、今の景色をインネに観せたのなら、少しだけ、ほんの少しだけ、その力に感謝したいと思った。


 ◇◇◇


「……っあ」

「インネ⁉︎ 一体何が……」


 ピクッと肩を跳ねさせたインネがそれまで見つめていたはずのどこかから視線を外し、じっとノアを見つめてきた。それが何を意味するのかわからなくて、とりあえず彼女の頬に伝う雫を袖で拭う。


「ノア……」

「……?」


 慈しむような、そんな視線。自分が一体なぜインネにそんなものを向けられるのかまるで理解が追いつかないノアは眉を顰めてインネに問う。


「インネ……? ――っな」


 すっと、伸ばされた右手がノアの頭に乗って、そのまま左右に滑り始める。しばらくしてから、やっと自分はインネに撫でられているのだと理解する。


「あの……インネ?」

「ノアは化け物でも悪魔でもないよ。私はそう思ってる」

「え……?」


 なぜ、それを知っている。そんなことは話していない。インネに話したのは、ノアの愚かな過ちのこと。そこまで詳細に語ってはいない。それなのに、なぜ?


「見えたの、ノアの記憶が」

「……見えた? ――っ! 『祈憶姫』の……⁉︎ 僕の記憶を見たのか⁉︎」


 思わずインネの手を振り払う。無視意識に立ち上がったノアは、危うくインネを突き飛ばしそうになる。


 ――記憶を見た。ノアの過去を。


 誰にも知られるべきではない、ただ殺し続けるだけの存在の記憶を。


 そんな狂った過去を知って、なおインネはノアを見つめ続ける。


「……何も、思わないの?」


 気持ち悪いと、化け物だと。軍の中ですらそう評価するものは多かった。『七核』といえど、所詮は常人の理解が及ばない超越集団。ノアがその域であるとは微塵も思っていないが、それでも他の『七核』にはある程度の法則と目的がある。


 ノアには何もない、ただ戦うだけだった。

 だからこそ、余計に気味悪がられる。そのはずだ。


「……ノアは、必死だっただけでしょう? 私は、それを責めたりしない」


 再び伸ばされたインネの白い腕。その手はそっとノアの左手を優しく握り込んでいる。

 拍子抜けしたノアは、思わずその場にへたり込んだ。


「君は……」

「あなたに助けられただけの、何も覚えていないダメな『姫』」


 ふっと微笑んだインネ。今まで怯える表情が多く目についた彼女。初めて会った時以来の彼女の笑顔は、ノアにはやけに輝いて見えた。


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