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『烏』のノア

「ん……」


 肌寒さに身体を震わせた少女は、自身にかかっていたはずの毛布が足元で丸まっていることに気づいた。肌触りの悪いそれは、いかにも使い古されたという感じがする。とはいえ、ないよりマシなのが荒野の夜というものだった。

 不思議な感じがしてならない。いつもなら、目覚めた後深い絶望が待っていたはず、そんな気するというのに、それが今は、冷たい装甲車の中。それでも、すうすうと寝息の聞こえる空間が、とても暖かく感じる。


 床の上ではクロノスとドニが足を向け合って寝袋に収まっていた。壁付きベンチにはアテナが幸せそうに涎を垂らしている。見れば、アテナがかけている毛布に、ぽっかりと一人分の抜け穴が生じている。そういえばノアはどうしたものかと戦術窓の外を見る。


「あ……」


 そこには焚き火の影に揺られながら、銃を磨いているノアの姿が。夕食以降は決していたはずの炎。煌々と暖かな色で揺らめくそれに、インネは夏の虫のように引き寄せられた。


「……インネ?」


 外に出ると手元の銃から視線を外したノアが優しげにインネを見つめる。視線に何か熱のようなものを胸に感じながら、インネはノアが座っている岩場に近寄る。


「眠れないの?」

「……インネも?」


 ぽんぽんと自身の隣をたたいてインネに着席を促す。隣に腰掛けてゆっくりと頷く。


「何だか、不思議な感じがして」

「何か、思い出せた?」

「何も。でも、こんなに暖かいのは久しぶりな気がするの」


 パチパチと炎が弾けて、流れる時間を歪めていく。ゆらゆらと踊る柔らかい炎の色が、いつしか眺めるものの心をも温めていく。


「ノア、どうして貴方は、私を助けてくれるの?」


 今まで色々なことが起こりすぎて、聞けていなかったこと。クロノスやドニはインネが『記憶姫』だという事実からその身を保護しようとしている。それ自体はありがたいけれど、インネには『祈憶姫』や『ハーツ』の血筋だという自覚がまるでない。

 それなのに、打ち上げられていたインネを、助けようとしてくれる。

 乗り掛かった船だ、なんて言われてしまえば、それまでのような気もするし、それで納得もしてしまえる。それでもインネは、ノアがそれだけの理由で助けれくれているとは、あまり感じなかった。


「……言い訳なのかもしれない」

「言い訳?」

「言い訳の言い訳。僕が戦えない言い訳のそのまた言い訳」


 銃を磨いていた手を止めたノアは、その銃を見せびらかしながら、遠い目をして口を開いた。


「僕が『七核』……軍人なのは知ってるね」

「ええ、ノアから聞いた」

「僕が銃を撃てなくなったのは――」


 ◇◇◇


 ――そこは、ノアにとっては毎度のことのように、変わり映えのしない戦場だった。


 銃弾が飛び交い、怒号と悲鳴が響き渡る。

 臨時的にノアが任されていた小隊は、練度の高く、信頼の厚い一団だった。

 戦場には既に『烏』が現れることが知れ渡っており、自慢ではなく、味方は勝ちを確信していた。順調に戦況を進めていった帝国軍は、敵の主力部隊を無力化し、散らばった残兵を始末する段階に移行していた。


 聖王国の辺境都市という場所、敵軍も健闘はしたが一歩足りえなかった。当然民間人も多く残っていた。帝国は基本的に無力な民間人を殺しはしない。

 いずれ植民地にする土地の生産力を落とすことは憚られると同時に、現代の肯定がそれを望まなかったからだ。無論、血の気の多い陸軍には好んで殺人陵辱をする士官もいたらしいが、彼のその後はあまり聞かない。


 ノアも例にもれず、任務通りに敵を排除する。それだけのはずだった。

 辺境にも関わらず、商業都市として栄えていた戦場は、ビルも多く入り組んでおりどこに敵が潜んでいてもおかしくはないような場所だった。

 戦況は有利でも戦場は楽ではない。ましてや小隊を率いていたノアは、ある種の極限状態と言っても過言ではなかった。


『七核』敵国から見れば悪魔の群れとも思える最強の名を冠する集団。逆をいえば、帝国兵からは絶対の実力を誇る英雄達だ。真に『英雄』と称される『隼』でなくとも、『烏』の名に寄せられるのは畏怖だけではなく期待と憧れも少なからずある。


 そんな重積を双肩に乗せて、ノアは戦わなければならなかった。

 元々集団戦闘が苦手なノアには、他の『七核』よりも余計な重荷が追加されていた。

 それを言い訳だというのならば、同じもの味わってみろと同じ『七核』ならば口にしただろう、しかし同時に、『七核』だからこそ、そんな弱音は吐かないかもしれないが。


「『烏』殿、周囲に敵影無し、後衛部隊も時期に合流します」

「……残りの敵は?」

「正確な数ではありませんが、およそ五十前後かと」

「随分散ったね」

「申し訳ありません」


 爆撃で崩壊したビルの残骸、その陰に隠れて戦況を確認する。絶えず続く破裂音はどこかで味方が奮闘している証拠だ。

「少し面倒だ」と目線を部下から外したノアは、近くの死体をながめる。小銃で蜂の巣にされたのが一目でわかる傷の量。おそらく即死、接敵への驚愕に瞳孔を見開いたまま、腹部から尋常でないほどの血を流している。


「別に、君たちが悪いわけじゃない。――全軍に通達、細心の注意を払い敵軍を完全制圧する」


 伝令兵に指示を出すと、即座に無線機を構えて指示を飛ばす。


『『烏』より全軍に通達、細心の注意の下、敵軍を制圧。繰り返す、完全制圧の指示あり』

「出ますか?」


 副隊長が腰を上げる。周囲の兵が小銃を構え直し戦闘体勢に移行。少しばかり瞼を閉じていたノアが、握る拳銃のマガジンを入れ替える。


「西に六、東に四、計十。制圧する」


 気配で敵影を捉えたノアが部隊を分割し指示。威勢よく敬礼をした部隊が弾かれたように飛び出す。

 直後、奇襲による殲滅音が響き、それを成功の合図と理解したノアは自身も残った副隊長と共に飛び出す。


 途端、どこからか向けられた銃口が、一気にノアを捉えそのまま弾丸を吐き出し始める。

 帝国軍の進撃の中、ここまで生き残った精兵部隊だろう。相当の手練れであることは明白。連携も申し分ない。だがそれでも、帝国の『烏』には届かない。


「化け物め……」


 数秒で敵を無力化する。最後に残った隊長らしき兵はノアを呪って絶命した。それまでの努力や意志を真っ向から否定し、粉々に打ち砕く『七核』に、ぶつけられる罵声。それを恨みはしないし、至極当然の事。ノアとて同じ立場なら口にしていただろう。


「『烏』殿……」


 隣で援護をしていた副隊長が声を落として呟く。彼が気にすることではないというのに、お人好しな副隊長にノアは告げる。


「気にしてない。僕らはそういう人種だ」

「しかし……納得できかねます。先に侵略を仕掛け、民を虐殺したのは聖王国です」

「……それは彼らの責任じゃない。――それに、敵は敵だ」

「……わかりました。ただ、『七核』であるとしても、あなたは一人の人間だと信じております」

「……ありがとう。でも、誰が何を言おうと、僕は『烏』だ」


 それ以上何か言い出す前に、ノアは副隊長の眼前に銃を突き出す。

 そのまま発砲、殺しの機会を伺っていた敵兵を、正確に弾丸が貫く。


「っ……!」

「僕に気を使う前に、自分の心配をした方がいい。死にたくないなら」


 転がる薬莢の音を聞きながら、ノアはそのまま前に進む。瓦礫を超えた先にも住宅やビルが立ち並んでいる。そのどれかに、未だ敵が潜んでいる可能性がある。

 余裕があるのはいいが、油断は禁物だ。


「『烏』殿、その先には逃げ遅れた民間が多いはずです」

「――先行部隊が保護しているはずだ。この辺は前線を突破してきた敵兵ぐらいだ」


 副隊長の言葉を尻目にノアは路地裏から大通りの様子を伺う。敵らしき気配もない、特に異常はなさそうだと、一歩踏み出す。


 今思えば、その判断が甘かった。


「後方、異常ありません」


 背後を警戒しながらノアを追従する副隊長の報告。左手で了解とジェスチャーをし、そのまま大通りへ繰

 り出す。

 吹き飛んだ一般車両や瓦礫まみれの道路を、拳銃と共に首を回らせて警戒。


「異常無――っ!?」


 完全なクリアリングが完了したと副隊長を呼び寄せた刹那、今までなかったはずの、ぼんやりとした気配がノアを止める。

 そのまま銃を向ける。

 ひっくり返った輸送車の陰から飛び出した敵影に照準。脳が何者かと処理するより早く、引き金を引く。


「なっ――!?」


 引き金を、引く。


 アイアンサイトに捉えたそれが、小さな子供だったと理解するコンマ数秒前、既に引いてしまっていた。

 銃声が轟いて、鮮血が噴き上がる。小口径のその弾丸でも、小さな子供の身体を壊すには、十分すぎる程の威力だった。


「『烏』殿? 何が……なっ」


 銃声の直後に一才行動を起こさないノアを訝しんで、副隊長が視線を向ける。

 絶句、その後に硬直するノアに対して、慰めるように進言する。


「『烏』殿、致し方ありません。ここは戦場、飛び出す方が悪手。誤射はつきものです」

「ガイア……僕は……」


 銃を握る両腕を震わせながら、ノアは転がる死体を凝視することしかできない。

 その片手に、破いた衣類でできた有り合わせの白旗が握られていることに、今更ながら気づく。おそらく、現れた帝国兵に降伏の意志を伝えるために飛び出した。

 助かりたい一心だったのだろう。迷いのない表情で横たわる姿が、ノアの心を深く抉る。


「――ティリス!?」


 鼓膜を破らんばかりの悲痛な叫びが空気を揺らし、直後駆けてくる女性に向けて副隊長が小銃を構える。それを意に返さないというように、女性は死体に抱きつく。


「ティリス! ティリス……! どうして……」


 母親か。逃げ遅れた民間人、直前までどこかに身を潜めていたのか、それで保護の漏れが生じたのだろう。

 状況的に見れば、仕方なかった。これでノアが軍に何か咎められることはない。それどころか、たいていの帝国兵は気にも留めないだろう。

 だが――


「……帝国の悪魔め……! そんなにこの土地が欲しいか!? 子供を……子供を殺してまで‼︎」


 激情の限りを尽くした罵声が、皮肉が、伝う雫と共に溢れ出す。二度と還ることのない我が子を抱いて、母親は目の前の絶対悪を最大限呪う。

 食いしばった歯が、ギチギチと音を立てている。


「ここは戦場だ、王国民ならわかっているだろう。……貴女を保護する、後方部隊に連絡を……」

「――殺せ! 帝国の犬になるくらいならここで殺せ! ……ティリスを返して」


 支離滅裂、ぐちゃぐちゃになった感情をそのまま吐き出して、女はキッとノアを睨む。


「…………」

「『烏』殿……?」

「……あ……あぁぁ」


 気づいた時には、銃を取り落としていた。


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