束の間
食事を終えてしばらくして、凛々しい声が夜の冷たい空気を震わせた。
「師匠! これからはああいう言動は控えてください」
「……ごめん」
一体なぜ自分が叱られているのかわからないが、顔を真っ赤にしたアテナに詰め寄られ、そろそろ就寝といった時間だというのにそれを指摘すらできない。
「……わかればいいです。まさか、誰彼構わずあんなことを囁いているんじゃないですよね?」
「うん、君ぐらいじゃないかな? そもそも僕の部下に女性はいなかったし」
少しの間小隊を率いていたこともあったが、その際にも女性兵は所属していなかった。皇帝がノアにつける部隊には女性を入れないでほしいと予め進言してあった身体。女性不信などというわけではなく、あまり耐性がないため接し方に困るというのが主な理由だ。
「なっまた、そういう!」
額に片手を当てて、やれやれと首を振る。正直話の筋が全く見えず、ノアは意味がわからない。
「まあいいです。とにかく、他の女性には言わないでくださいね」
「……うん」
それだけ言うとやっと満足したようにため息をついた。かと思えば、今度は両手を後ろでに組み、やや言いづらそうに顔を俯ける。
「それで師匠、今夜はどうしますか?」
「どうって?」
「その、どうおやすみになられます?」
場所の話をしているのだろうか。今晩ノアは警戒のため、外で徹夜でもしようと思っていたのだが、そういう話をすると「師匠もしっかりとお休みになってください」と睨まれそうな気もする。
だが、事実として警戒にはノアぐらいしか適任はいないだろう。平然としているが、あれでアテナも相当の傷を負っている。ノアもノアであまり無視できるものではないが、この程度ならかすり傷と変わらない。
ドニとクロノスには今夜ゆっくりしてもらいたい。インネに関しては愚問だ。
「見張り役でもなされるおつもりですか?」
「……ダメかい?」
「図星ですか。気持ちは分かりますがしっかり休んでください。少なくとも、我々ごとどうにかはされないでしょう。……師匠が仰ったことですよ」
正論を突きつけられて、ノアは口ごもる。警戒はしておくに越したことはないが、それで戦闘に支障をきたすのだとしたら本末転倒転倒。そう言いたいのだろう。
正直賢い選択肢ではないが、一ヶ月のブランクがある自分を信じきれないのもまた事実。何より、こうなってはアテナが許さないだろう。
「わかったよ」
「当然です。それで……誰とおやすみに?」
「……?」
誰、と言われても詰んであった寝袋は二つ、簡単な毛布が二つ。何とも微妙な品揃えだが、元々一人暮らしのドニの店でこれだけ揃えられたのだからむしろ幸運なくらいだ。
「一人余ります。毛布を分け合えば、師匠が見張りをする必要もなくなります」
「……君には何でもお見通しか」
「師匠がお優しいのは知っていますから」
あっさりと真の目論見を看破され、夜に予定していた訛り解消のトレーニングが白紙になる。
「ですから、私と寝ましょう、師匠。どうせなら抱き枕にしていただいても構いま――」
「まあ、それがいいかな。寝袋は師匠とドニ爺だろうし、インネは嫌だろうし」
「え……あ……はい」
「……どうした?」
やはり、様子がおかしい気がする。先ほどもそうだが、何か違和感がある。どう表現すればいいのかわからないが、どこかぎこちないがその上妙に距離が近い。
妹というのは皆こういうものなのだろうか。
「そう……ですね。私が……言い出しましたから…………っ」
何かモジモジしているが、一体どうしたのやら。そのままぶつぶつと何か言い始めたので仕方なくノアは寝床の準備に取り掛かった。
準備といえど既にインネは毛布をかけて寝てしまっているし、クロノスは車体のメンテ、ドニはメンテが終わって弾薬の整備に移行している。
先の戦闘で構わず撃ちまくったノアとアテナ。ドニが内心半泣きなのは理解しているところではあるが、そこは頑張ってもらう他ない。ノアに至っては専用の弾を作ってもらっている手前、他人事と言い切れないから心が痛い。
「それにしても妙な一日だったな」
軍は引退したはずだった。それが、どういうわけかノアはまた銃を握っている。
ノアは特段軍に固執しているわけでもなかった。クロノスに拾われ、彼が軍人だったことで、軍人としての生き方を知った。それしか知らなかったから、軍に入った。
努力して『七核』までの登り詰めた。などと騙れば、他の兵に失礼に値するほどに、一切の執着がなかった。
ただ、生きるために戦っていた。そこに意義も使命もなかった。それができなくなったからやめた。それだけの話だった。
それが、非殺傷弾を使ってでも銃を撃つことを選ぶとは思いもしなかった。ノアは『七核』も『烏』も大した意味に感じていない。ただ今は、仲間を守れるのなら、それでいい。
一人夜空を見上げたノアは、珍しく感慨深げにその瞳を揺らめかせた。




