囀れば
「暑い……」
「申し訳ありません姫様。敵の目を避ける為とはいえ……」
「いいの。ドニさんのせいじゃないから」
確かに暑い。ここでライフルでも連射しようものならすぐに銃身が沸騰するだろう。そう言う意味でも、ここは戦闘に向かない絶好の逃げ場ではある。
などという理屈を抜きにして、全員が汗を流して圧倒的な遠回りをしていることには訳がある。
『アンタレス』皇帝の目論見を阻止し、真の王を据える為に集った者達の拠点。
それが、貧民街の奥地にあるという。しかしながら、馬鹿正直に帝国城壁の中から接触すれば情報漏洩につながってしまう為、一度城壁の外に出て帝国領の荒野から向かうということになった。
が、流石防御性能抜群の装甲車。戦闘以外の性能をほとんど削ぎ落としている為、空調性能は皆無。このまま荒野に居続ければ鉄の棺桶と同義になってしまう。
そうそうに抜け出す為、真剣な顔をしながら 梶を握っているのが
「隊長、問題は?」
「ねえよ。くそ暑ちいこと以外は」
「これは……湯浴みがしたくなりますね」
首筋に滴る水滴を戦闘衣の袖で拭いながら、ため息をつくアテナ。
垂れた雫が彼女の太ももに落下して弾ける。この中で比較的涼しい服装をしているのが、ホットパンツのアテナに、純白のワンピースを纏っているインネといったところだろう。
壁に体を預けているインネは、暑さに慣れていないらしくぐったりとしている。
胸元のリボンが彼女の大人しい雰囲気に一抹の可憐さを付随させている。
「……な」
一瞬、見間違いかと思った。が、二度見をしたのが間違いだった。少なからず彼女も汗をかいている為、薄い白ワンピースがもたらす結果は容易に想像できたはず。
「……師匠? どうしまし――」
体ごと硬直しているノアを訝しんアテナが、ノアの視線の先を辿る。
辿って、どちらの意味でかは不明だが、顔を真っ赤にしたアテナが叫んだ。
「――師匠‼︎」
「んぇ?」
一人、可愛らしい疑問を漏らしたインネが、その後赤面するのは分かりきった結果だった。
◇◇◇
「師匠」
「……うん」
「次は彼女に気づかれないよう私に知らせてください」
「……わかった」
先ほど鬼神の如き戦闘を見せた人物と同一視できないほどに萎縮し、しょんぼりと項垂れている己が師匠を見て、アテナはため息をつく。
年頃の男児、凝視してしまうのは致し方ないとして、この場にアテナも居ることを考慮して欲しい。なんの為に肌を晒しているのか、なんの為に同じ弾を使っていたのか考えて欲しい。
現在ノアの銃はグレイゴーグからクラレントへと乗り換えた為、同じ弾は使用できない。口径から性能までまるで違う為、共用は不可能だ。
敵を殺さない為の弾。随分と甘くなったものだ。だが、アテナはそれすらも受け入れるつもりでいる。問題はそこではない。
「あまり女性をジロジロ見ないでください。軍人としての癖が抜けていません。……私ならいいですが」
「……今なんて?」
「とにかく! 彼女は一応『姫』ですから、謹んでください!」
軍人として、相手の体格からその実力を計ることはよくある話だ。かくいうアテナも大抵の敵はそれで察しがつく。が、それを無垢なる少女にすら向けるのでは変態と言われても差し支えない。
なまじ人に慣れていない彼女には酷なものだ。
――何より不快だ。
今までロクにアテナを見てこなかったクセに、ポッとでの『祈憶姫』などに先を越されるなど、腹立だしい。そんなに、無垢な乙女がいいか、結局軍の男どもは口をそろえて言う。傷物の女軍人など視界にすら入らないのか。
脳内でかなりのヒステリックに陥っていると、頭を掻いたノアが耳打ちする。
「ごめん、なんとなく君といた頃の癖で。女の子なんて殆ど見ないから……」
「……っな!? あぅ……」
――また、そうやって。
そうやってアテナを振り回す。しかし確かに、彼の周りに女性は少ない。『七核』にもアテナを含めて二人。それも年増の下品な女だ、彼の好みではない。……ないはずだ。
故に、彼の言い分はもっともで、だからこそアテナは悶えるしかないのだ。
「そう、ですか。……ドニ殿! 替えの服は!?」
「着替えてもらったよ。姫様、乾くまではこれでご勘弁を」
申し訳なさそうに車内にある小さな個室に声を掛ける。しばらくすると、ひょっこりと不安そうに眉を顰めたインネが顔を出した。
「ノア……どう?」
武器鍛冶さまさまと言ったところか、それともそんなことまでと言うべきか、程よく調整された軍服に身を包んだインネ。ちなみに服はアテナのスペアだ。アテナ専用のマガジンホルスターを取り付ける為、ベルトの一に少々細工が施されている。ドニが拵えてくれたそれはオリジナル品の為彼にスペアの保管を頼んでいた。それを持ち出してきたのが幸いした。というべきか、災難だったのか。複雑な気持ちでをそれを差しだしたわけだが、インネに着替えるよう指示した手前、今更後には引けなかった。
そんなことより、
「似合ってる、と思うよ」
「……っ! ありがとう」
そんなことより、なんだ、それは。
顔を赤らめたインネが、モジモジしながらノアに感想を問う。ノアもノアで、少々つかえながら褒める。
いや、別にインネを褒めたことに嫉妬しているわけではない。違う、嫉妬はしていないはずだ。断じて。
だが、それはアテナの服だ。丈を調整したといえど、元はアテナの為に作られたもの。褒めるのなら、先に着ていたアテナを誉めなければ、おかしいではないか。
最近、一気に敵が増えた気がしてならない。『鳰』といい、インネといい。
ノアが大変魅力的なことは仕方ない、事実だ。しかしそれとこれとは話が違う。
『七核』時代は下級兵や軍医などが黄色い声あげている場面を度々見てはいたが、『七核』のアテナに勝てるはずはないと思っていた。現に彼に女性の気配がしたことは一度たりともない。
ノアを最初に想い始めたのは他でもない自分だ。それだけは揺るがない自信がある。
だというのに。
「師匠、そう誰にでも適当に褒めるべきではありません。勘違いします」
「……え、適当だったかな」
敵意混じりにインネに牽制していしまう。シュンとしているノアを見ると心が痛むが、それで取られてしまっては本末転倒。
「……?」
しかし、牽制を受けた当の本人は不思議そうに小首を傾げるだけだった。
余計に腹が立つが、馬鹿馬鹿しくもなってきた。
「百合と薔薇ってか。アテナ嬢、そのへんにしといてやれよ」
「――っ! 大師匠……わかり、ました」
操縦中のはずのクロノスが目ざとく、この場合は耳ざとくアテナを嗜める。
この場で唯一、アテナの気持ちを理解しているの彼なのが、少しばかりの救いだった。
クロノス・ウォーリは、ノアとアテナにとって父親のような存在だった。
アテナは元々孤児院の出だ。七歳の頃にノアに拾われ、軍に入った。
話だけ聞けば物騒かもしれないが、アテナにとって差し伸べられたノアの手は、神の救いにも等しかった。
孤児院とは名ばかりの、身寄りのない子供を詰め込んだだけの豚箱で野垂れ死ぬより、軍で戦う方が何倍も幸福だった。何よりノアと共に過ごせたのが嬉しかった。
ノアも孤児だったらしく、クロノスに拾われて軍に入った。
子供の頃は同じ宿舎の同じ部屋に住んでいた。故にクロノスが父親代わりだった。
その割によそよそしい呼び方ではあるが、十歳にもなる頃には二人とも独立していたし、それからは殆ど任務で会う以外の機会もなかった。
今では立場も逆転してしまった為、クロノスも接し方に難儀しているのだろう。
或いは、アテナの呼び方に問題があるのだろうか。
師匠の師匠という意味で、敬うつもりで呼んでいるが、特にこだわりはない。
正直、彼が何も言及しない為気にしていないあろうが。
アテナの気持ちがクロノスに知れている理由はわからないが、昔はよくチャンスを作ってくれていた。アテナのアタックも虚しく今に至るわけだが。
「もう暗いな。ドニ爺、用意は?」
「大体は揃っとる。少ないが携帯食以外もあるぞ。姫様はそちらを、アテナは好みをな」
「師匠はどちらに?」
「残った方でいいよ」
「……どちらに?」
「……携帯食で」
「では私も」
「君まであれにする必要はない」
優しいことは承知だ。しかし、こういうときははっきり答えて欲しい。最高齢のドニと、弟子であるアテナに遠慮したのだろうが、それでなんのために聞いたのかわからない。それぐらい察して欲しい。察されても困るが。
「と、ここら辺でいいだろ、ノア、飯の支度だ」
「はい。ドニ爺はインネとアテナを」
「儂もそれぐらいするさ」
「ドニ爺は先に武器のメンテを。頼みます」
「……それもそうじゃな」
流れるように仕事が割り振られ、置いてけぼりを喰らうアテナ、ついでにインネ。
さっさと装甲車から荒野に降り立って、夕食の準備を始めてしまう男性陣。
ドニはドニで個室にこもって預かった武器の手入れを始める。
「……アテナさん、私たちは……?」
「私は師匠の手伝いをする。貴女は休憩でもしていたら?」
静かに問うてきたインネをアテナは冷たく突き返す。
別に嫌っているわけではない。つい、こうなってしまうだけだ。決して、嫉妬しているわけではない。
アテナも装甲車からおり、携帯用のキャンプセットを広げ始めているノアの元へ。
この装甲車は意外にも装備が充実しており、一週間程度なら余裕で生き延びることができそうだ。内部には操縦席、待機用の壁付きベンチ、他に、二つの小さな個室と簡易トイレが備え付けられている。
旧式にしては十分すぎる装備だが、主に特務用のこの装甲車は単独でも行動できるよう設計されている。逆を言えば、この鉄の塊の中、何日も籠り続けることが強いられる任務があるということだ。実際に、この車が鉄の棺桶となった事例も存在する。
とはいえ、帝国領土の、貧民街を目指すだけの移動手段としては十分すぎるほどに充実している。
寝床がないのは玉に瑕だが、アテナも軍人、どこでも睡眠は可能だ。心配なのはインネぐらいだが、個室にでも入ってもらえばいいだろう。
噂では研究施設に隔離されていたと聞いている。『七核』といえど最下位であるアテナには重要機密を知り得るほどの権限はない。フォリエラが嘆いていたのを聞いただけだ。
別に、アテナといえど一介の少女を放置しておく気はない。ただ、想い人を取られるかも知れないと警戒しているだけ。
「師匠、何かできることは?」
組み立て式の簡易テーブルを組み終えて、焚き火の準備をしているノア。当然薪などは荒野に落ちているはずもなく、自前の着火剤で火をつけている。
装甲車に空調設備は皆無なので、夜はだいぶ室温が下がる。
軍用食を作るためとは言え、火にあたれるのはありがたい。
「じゃあ食器をお願い。君とインネの分だけでいいよ。僕らはそれを齧るから」
火打石で手早く着火を済ませたノアはすでにクロノスの用意した軍用食を火にかけている。あごで指したそれは大体の栄養素を含んだ携帯食。味はお世辞にも美味しいとはいえないが、手軽に済ませられるのでアテナもよくお世話になっている。
「師匠達もこちらにすればよろしいのでは? 明日には貧民街に着くでしょう」
「隊長が『アンタレス』用に残しておきたいって。別に僕はなんでもいいよ」
「……しかし」
アテナは知っている。そうやってノアは毎度食事を適当に済ませるのだ。
昔から彼は細かいことを気にしない。任務で数日間食事を取らないことなどザラにあった。今は流石に改善しているだろうと思っていたが、そんなことはなかったらしい。クロノスは一体何を教えていたのか甚だ疑問ではあるが、今問い詰めても大した成果は得られまい。
「いいえ、師匠達にも同じものを食べてもらいます。少しはまともなものを食べてください」
「……はは、わかったよ」
面倒くさそうに苦笑いをすると、肩をすくめて頷いた。少々その態度は不服だが、口うるさいのは事実だ。だが、アテナが見ている時ぐらいいましなものを口にして欲しい。
それに、インネにもよくない。あんな食事らしくない食事を見せられやしない。
世話にはなっているが、あれが食事かと言われれば正直アテナは賛同できないのだから。
本来なら手料理の一つでも作りたかったが、いかんせんここは戦場。追手がいつ現れるやもわからない時に、ゆっくり調理をするわけにもいかない。
だからこそ抵抗として、軍用食にしてほしい。
「それで師匠、皇帝の動きはどう見ますか?」
作業をしながら、他の三人がいては憚られたことを問う。元『七核』という立場、隠すほどでもないにしろ、皇帝の動向はあらかた想像がつく。
しかし、それも依然として推測に過ぎない。決定打に欠ける推理を全員に共有するほどアテナは腐ってはいない。
「わからない。次、誰が投入されてもおかしくないけど、少なくとも『七核』だ」
もっともな話だ。時期『七核』候補と言われていた『嵐』が敗北し、すでに戦力としてはかなりの打撃を受けている。その上で被害を最小限に止めたいのならば、帝国の最高戦力である『七核』の投入は避けられない事実だろう。
「順当に行けば『梟』でしょうが……」
「あの人と君は戦わせたくないな。そのときは僕が出る」
『梟』帝国最強の狙撃手として『七核』まで上り詰めた実力者。一切姿を見せることなくターゲットを仕
留め切るその技量にはノアやクロノスも一目置いているほどだ。
彼のいる戦場は、あまりにも静かになりすぎることでも有名。少しでも息を漏らせば、仕留められると恐れられている。
「……キーブス殿にはお世話になりました。ですが、敵になったとて心配ありません」
正義を唄う一人として、彼もまた同じような考えの人だった。アテナは、『七核』という立場の上、皇帝の意向こそ正義だと信じていた。が、それもノアの前には霞む。
自分を律するためとして、私兵の名を『正義の使者』とした。が、結局ノアについてきているため、何かを語れる立場ではない。しかし『七核』になったことだって、ノアを追ってのことだった。その背中に辿り着きたくて得た地位。彼がそこにいないというのなら、その名前に意味はない。
「強襲作戦をよく任されていました。私が囮となって彼が仕留める。やりやすい戦術でした」
「……『梟』昇位試験の時僕が唯一手こずった人だ」
『梟』という男は、帝国最強の一人として称されることに一切の意義が浮かばないような実力者。その彼がなぜ五位などという中途半端な地位についているかは、彼の戦術が関係している。狙撃手は基本的に接敵をしない。背後に回られでもすれば一貫の終わり。そういう意味では『七核』のうちで最も肉弾戦に弱い兵だ。
故に五位に収まっているが、そんな些事は意味がない程にその狙撃技術は群を抜いている。
「だからこそ警戒は必要だ。ただ……」
「ただ?」
「本当に順当にくればの話だ。僕らのような中近に特化した戦闘員を始末するには最適だとは思う。け
ど、ここまで僕らに余裕を与えるとも思えない」
明らかに泳がされている。それはアテナも感じているところだ。
最適解といえど、それはあくまで相性の話に過ぎない。ノアが弾を避け続け、『梟』接近すれば彼は抵抗の余地はない。
何故にノアが二位だったかを考えればそれは明白。事態を迅速かつ内密に収束させるのならばやはり『英雄』を使うことが何より妥当だろう。
アテナといえど『英雄』に勝る自信はない。実質的にその二番手であるノアでも不安が残る。
「いや、予測が難しいからこそ慎重になっている?」
「……そうだとするのでしたら、一体誰が……」
「そこまでは僕らが予測できることじゃない。来るのなら、倒せばいい」
実に頼もしい、『烏』と呼ばれることに納得のいく心構え。
とはいえ、ある種強引なその考えは、アテナの心に複雑な色を落とす。彼が戦うのなら、絶対安心と言っていいほどに信頼している。弟子としても女としても、彼の評価は揺るがないだろう。
しかし、彼にこれ以上戦ってほしくないというジレンマ地味た考えがあるのもまた事実。最近の彼は――と言っても再会してまもないが――とても苦しそうに戦闘をする。アテナの知っている彼ならば、無表情に、そこに一切の感慨もなく武器を振るう。
何が彼を変えたのか、或いは彼が実弾を撃てなくなったことに関係しているのか。
直接聞きたい。だが、それはあまりにも無粋。
結局、全てはアテナのエゴであり、彼が向かう先に何ら影響を与えることはできない。彼は、いつも一人で進んでしまう。
「援護はします。師匠だけに戦わせられません」
「……少しは弟子らしくしてくれてもいいんだけど」
「弟子と思っていらしたんですか!?︎」
「……嫌かい?」
「いえ……いつも否定されるので」
「はっは、ついにノアが折れたか」
いつから聞いていたのか、クロノスが割って入ってきた。聞かれてまずいことではないが、それでも一瞬身体が強張る。
元『七核』にして、一位だった男。彼もまた関係者ではある。が、『アンタレス』の実態がわからない今、余計な警戒を与える必要もない。
「……それにしても、デカくなったモンだな。昔は二人ものこんなだったってのに」
自身の膝ほどに手のひらを落として、昔の二人を思い出す。確かに、ここまでしっかりと顔を合わせるのも久しぶりかもしれない。
ノアもアテナも早々に出世してしまったため、独立してから三人揃うこともなかった。
彼からしてみれば、娘と息子が成人したぐらいの思いなのかもしれない。
「アテナ嬢は美人になったな、こいつは相変わらず無愛想だが」
わしゃわしゃと二人と頭を撫でる。鬱陶しそうにノアが顔を歪めるが、アテナは不思議と悪い気はしなかった。ノアの前で髪が乱れるのは勘弁してほしいが。
「どうせインネ程ではないですよ。師匠は大変魅力的ですが」
皮肉っぽく不貞腐れる。どうせお世辞なのだから、何も愚痴らなくてもいいのだが、どうにもうまく制御できない。
「別に、アテナは可愛い……と思うけど」
「…………は?」
「ごめん、馴れ馴れしかったか」
「いや…………え……?」
突如、思考が真っ白になる。顔が熱い、目の前の見知った顔と、世界の境界が曖昧になる。鼓動が早い、全身が沸騰しそうだ。
「あ……あり……ありがとう……ございま……す?」
呂律も頭も回らなくなって、アテナはとりあえず礼を口にする。
「え、アテナ!?︎」
「えぅ…………」
様子がおかしいことに今更気づいたノアがアテナの肩を掴む。それが余計に逆効果になって、アテナは思考が停止した。




