神に抗いし者
というのが小一時間前の話になる。現在ノアはドニの店を離れ、固い座席の上、鉄の匂いに包まれていた。絶え間なく聞こえる駆動音が、頼もしいのか古臭いのかどちらともつかない印象を加速させる。
「で、遊撃部隊の隊長が旧式のチャリオットⅥ型しか手に入れられなかったんですか?」
「旧式つったってまだまだ現役だろうが! それともなんだぁ? 廃品置き場の奴のがよかったか!? あんな重いだけの機関銃搭載車で逃げられるかよ」
「一応は覗いたんですね」
これが最善だと言わんばかりの剣幕。とはいえ、この装甲車の実績は折り紙付きだ。装甲の厚さも申し分なく、下手な銃撃、砲撃ではビクともしない。内部はその無骨な外見とは少し異なり、案外快適な広さを確保している。個人スペースはないが、折り畳み式のベッドなども用意されているため、中で寝泊まりをすることも可能だ。
火器当の武装は対戦車用の機関銃が左右に二門装備されているが、弾薬などの物資は一切ないため無用の長物となっている。なぜ弾薬を持ってこなかったとクロノスやドニを責めたいところだがそうもいかない。銃などの弾丸ならば何本かマガジンを拝借することもできただろうが、7.5mmの弾丸など気軽に持ち出せるものでもないため責めるのはお門違いだ。
「師匠、仕方ないですよ。いま城内の警戒はかなり強くなっています。恐らく、インネが逃げたことによるものでしょうが、あの中でコレを持ちだしたのです。正直、驚愕ですが」
確かに、アテナは先ほどまで帝国の一兵だった。それならば軍の状況もある程度は知りえていて当然だ。そもそも、『七核』という立場、よりわかりやすいだろう。
そう考えれば、警戒の強まった中、装甲車一台持ち出したクロノスの功績は大きい。
「まあ、隊長なりの努力の結果なら、何も言いませんが」
正直、ノアもクロノスを責められる立場にはない。最初の『正義の使者』戦では危うい所を助けられ、その二度目では余計な心配をかけた。結果的には『鳰』を倒し、アテナを仲間に引き入れることができたが、それは彼女の意思あってのことだ。
いらない脳内反省を済ませたノアは終始無言のインネをちらと見る。不安そうに俯いている彼女。完全ではないにしろ、一時的に敵の脅威は去ったというのに一体どうしたのか。
「インネ……?」
「……あ、ノア」
顔を上げたインネが真っ直ぐノアを見つめる。何か言いたげなその視線に、なるべく優しく言葉を促す。
「なにかあった?」
「……その、あの女の人は?」
「女の人?」
一瞬、アテナのことかと視線を向けるが、大体年齢が近いアテナにその表現はないだろう。いや、これはノアが勝ってに思っているだけではあるが、遠くて一、二歳なのは確かだろう。そうしてようやっとインネの言う人物に思い当たる。
「『鳰』……フォリエラのこと?」
「そう。あの人、どうしたのかと思って」
「ドニ爺の店の地下。まだ生きてるけど、その先は知らない。運よく残りの『玩具兵』が見つければよし、見つからなければ……」
本来ならばこういった質問をされた時、嘘でもなんでも、インネが安心すべき内容を伝えるのが正しいだろう。余計な情報を与えて不安がらせるのもいただけない。
しかし、ノア・クヴァルムという少年に至っては、そんな一般的な配慮、それ自体が抜け落ちていた。実際、ここで曖昧なことを口走ったところでインネの疑問は真には解消されないため、この場合に限っては或いは正解だったかもしれないが。
そもそも、本来『鳰』と『烏』という帝国の頂点同士の衝突が起き、その上でどちらも死亡していないということ自体、相当に異様な結果である。帝国史で、『七核』同士が昇位試験以外で戦闘をするという事例は皆無と言っていい。理由として、『七核』とはその実力と共に、皇帝への絶対的な忠誠がなければそもそも選出対象になる事すらない。
本質的な忠誠心がなかったにも関わらずノアが『七核』という座に収まれた理由は、単純に、「忠誠は無くとも裏切りはしない」という、結局の所表面上は同じという理由だ。『鳰』のフォリエラのような一見自由奔放、怖いものなしと見える彼女ですら、皇帝に意見することは無い。
それを踏まえた上で、『鳰』が死んでいないという事実は、主にその決着を付けたノア自身に問題がある。故に、その息の音を止められることもなく、縛られた『鳰』は今も地下室にて床に頬ずりをさせられている。
「よかった。まだ生きてるのね」
安堵に胸を撫でおろすインネ。同時に暗い表情がなくなったその顔には、僅かな微笑すら零れていた。
「君を捕らえようとしたのに?」
「そうだけど……なんていうか、私のせいで死んでほしくない」
「姫様は人が良すぎます。……軍人の生死など、気にされることではありません」
インネの慈悲ともいえるそれに感銘を受けたようなドニは、その瞳を潤ませながらも、一拍後には面を改めてその考えを否定した。
軍人の死。
それは尊ばれるべきものなのか、哀しまれるべきなのか、往々にして意見が分かれる話である。
皇帝の剣として、戦場で散るのはこの上ない名誉と語る将校も居れば、死しては皇帝を守ることはできないとその限りを尽くして生き延びようとする兵士もいる。
帝国などという仰々しい名称ではあるが、忠誠心以外の思想はおおむね統一されていないのがまたこの帝国の帝国足らしめん所でもある。
軍人としてその命を皇帝へと捧げ、祖国への勝利につなげる。ある意味で、それは正しいと誰もが言うだろう。しかし、一方でそれを否定する声もある。
そのどちらかと、ノアが聞かれれば、それは沈黙を以て回答とする。
故に、今しがたのドニの言葉を、インネには強いと正す言葉は持てなかった。
「それで、皇帝の目論見はわかっているんでしょうか?」
運転席のクロノスに、ノアが疑問を投げかける。ひらひらと片手を離して振って見せるクロノス。
「詳細は分からねえ。だが、およその見当はついてる。嬢ちゃんの力での世界支配だ。ったく、まだ飽きねえのかって話だ」
「……それは帝国としては当然では?」
機軍帝国ブレン。周囲の国々を支配し、その資源を独占供給するために帝国という形をとっている。無論、他国との貿易も少なからず行ってはいるものの、関税等をかけて最終的な利益は帝国に転ぶ。とはいえ、それは帝国として当然であり、支配、と言えどその殆どの地域には自治を認めている比較的緩い統治だ。
それは全て皇帝の意向であるため、その思惑を計ることはできないが、その圧倒的な軍事力を求め、自ら支配下に置かれる国も多い。
故に、世界支配などという目標は、ある意味では当然のことでもある。
それの何が問題なのか、本質的な所をノアは理解できなかった。
「違う。戦争で勝ちまくろうって話じゃない。力を使って無理くり一つにする。そういうやり方だ」
「力……?」
「力だ。洗脳とも言うべきかの」
曖昧な回答に顔を顰めるノアに、ドニが深々と頷く。
「『祈憶姫』の力は、記憶に干渉すると聞いておる。じゃから、奪われてはならない」
「私に、そんなことが……?」
「忘れておられるのでしたら、酷な話でしたな。ですから、一つ昔話をしましょう」
◇◇◇
まだ、帝国が王国だった頃、人々は賢王の下、平和に暮らしていた。発展した技術により、王国は人類史で最も栄えていたと述べても過言ではなかった。
その結晶として、王族が手にした力。人々を束ね、導き、生かす力。
それが、『覗ける記憶』だった。
人々の記憶を覗き、受け入れ、よりよい国にしていく、そういう力だった。
当時の賢王は、その力を十全に使い、民の意見を積極的に受け入れていた。衝突があれば王自ら赴き、真剣に向き合った。
人々の記憶を覗く力。それはすなわち、人々の過去を知る力。
人の善性の奥深く、深層心理ともいえる部分で、人々は何を想い、何を信じ、何を恨むのか、それすらも理解し得てしまうということ。力を行使する者が、次第に記憶に押しつぶされていくのは時間の問題だった。
いつしか王の家臣が国政を執り、悪政が敷かれ、国は衰退していく。当然、人々の不満は溜まり、また押しつぶされ、ついには革命の兆候が表れる。
そうして、今の政治に納得できない王の弟が動き出す。共生などという生温いものではなく、力を以てする圧倒的支配。それを成すべく弟は力に手を加え、別の力へと作り替え、兄である王を処刑、その力を奪い取った。
王国が帝国へと形を変える。
逃げ伸びた王妃は当時身籠っていた子を世に送り出した後、この世を去る。
ハーツ王国と機軍帝国ブレンは記憶に振り回された国だった。




