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祈憶姫

 閑静な住宅街にひっそりと佇む工房。建て付けの悪い扉の前に、四人は立っていた。

 その扉を叩いたクロノスが口を開く。


「神に抗い据えるは姫君――」


 詩の一説のような言葉。それに応答して声が返る。


「――その名はアンタレス」


 頷いたクロノスが戸に手をかけ、脚を踏み入れる。


「手土産だ。女は好きだろう? ドニ爺」


 ドテ、と床に放り投げられる女。意識の無いそれは、ロープできつく縛り上げられている。


「ワシをあれら(『玩具兵』)と一緒にするな。……縛った女で遊ぶ趣味などないわ」


 名を呼ばれ、奥からやれやれと首を振りながら姿を現す老人。殆どが白髪に成り代わった頭に、技師が付けるゴーグルが乗っている。その手にはスパナが握られ、薄暗い()()の照明を鈍く反射している。

 彼が技師のように見えるのは、それは彼が銃鍛治だからだ。


「連れてきたぜ」

「こっちも整備は完璧だ」


 快活に笑うクロノス。それに応じるように、不敵に口の端を上げたのは――


「――帝国一の銃鍛冶(ガンスミス)。ドニ殿」


 ドニ・バール。かつて『七核』のお抱えでもあった、帝国一の称を預かった男だった。


「……クロ坊。どういうわけか話してもらおうか?」


 彼の背景を語ったアテナを見やったドニが、警戒を隠さずにクロノスに訊く。

 当然だ、予定と大分違う客人。彼が聞いていたのは、ノアが味方に付くかもしれないということだけだった。


「安心してくれ、アテナ嬢も味方だ。ノアも」


 三人を背中に庇ったクロノスが、落ち着いた声色で道中の出来事を説明する。もとより疑う気の無かったドニは、すんなりと事情を理解した。


「じゃあ、お前さんがアテナか? でかくなったな!」

「ご無沙汰しております。ドニ殿」


 ニカっと、どこかクロノスを彷彿とさせる笑みを見せて、うんうんと頷く。形式礼をしたアテナに、まるで孫のような視線を向けている。

 実際、似たような関係だ。ノアとアテナ。共に『七核』であったころ、諸事情で彼、ドニが皇帝に用済みの烙印を押される以前、良くしてもらっていた。

 ノアもアテナも、彼によく武器の修繕を頼んでいたし、アテナに至っては、彼女オリジナルのマガジンホルスターは、提案はノアがしたものの、実現したのはドニだ。

 と、昔の記憶に耽っていると。


「……ノア坊、いいのか?」


 アテナとの再会を済ませたドニが、申し訳なさそうにノアを伺う。どうやら、ドニはクロノスが隠して――否、話さなかったことを知っているらしい。


「はい。隊長に言われただけじゃなくて、僕自身が決めたことです」


 既に、ノアは『七核』ではない。軍に何ら思い入れがあるわけでもない。それに、本気で戻る気になる事があっても、彼らの意見など聞かずに、単身で戻れるだけの実力はある。アテナもついてくるだろう。

 とはいえ、もうノアにその気はない。ノアが銃を撃てなくなった要因。そして、インネを追う軍。ノアを取り巻く状況が、それだけはないと警鐘を鳴らす。

 それに、恐らく彼らがこれから語るであろう、話を聞いてからでも遅くはない。


「……。ノア坊にゃあ隠せんか。クロ坊、嘘が下手だな」


 そんなノアの目を見てか、ドニはため息を吐きながらクロノスを見やった。


「まあ、そうだな。なら、それと一緒に、ほら、嬢ちゃん」


 お手上げ、と両手を上げて降参すると、インネをドニの前に立たせた。

 先ほどから会話の意味が掴めずにいた彼女が、いきなりその中心に据えられて戸惑う。


「あの……?」

「――クロ坊、するとこの娘が……?」

「ああ、インネだ」


 氷のような青銀の髪がきらりと輝き、白いワンピースがそれを映えさせる。小首を傾げた彼女は、不安げにドニを見つめる。その一連を見収めて、ドニがばっと膝間づいた。


「――お目に掛かれて光栄の限り。ドニ・バールでございます。()、インネルナ・ヘルシャ」

「え……?」

「は……?」


 インネ、ノア、共にそれぞれの声を漏らして、自身の耳を疑った。


「姫……? 私が……?」


 困惑の隠せないインネは、眉を顰めてノアを振り返る。しかし、同様の反応しかできないノアは、インネに何も応えてやることはできなかった。


「ドニ爺、まだ嬢ちゃんにもノアにも話してないんだ。早まるな」


 焦ったクロノスが顎で立つように促す。しぶしぶといった様子で、ドニは腰を持ち上げる。


「なんだ、まだだったのか。アテナは知っているようだな?」

「ええ、大まかなことは陛下……皇帝から直々に」

「なら、ワシらが話すより早い。頼む」

「わかりました。大師匠とドニ殿は皇帝の事情等は不明でしょうから、それも含めて、簡潔に嚙み砕いて話します」


 一度深く息を吸ったアテナ。ノアをちらりと見て、語り出す。


「まず、『祈憶姫(きおくひめ)』――インネは、既に滅びた帝国の前身。旧ハーツ王国の忘れ形見、王族の血を引く、正統な後継者です」

「は……?」

「……え?」


 ノアとインネが、それぞれの一音を発した後、言葉を失う。インネはそもそもが理解できていないのか、アテナを見つめて先ほどの言葉の意味を確かめるように硬直している。ノアも、正直飲み込めなかった。

 だが、それだけで終わるノアではない。先刻の衝撃を一旦捨て置き、得た情報を以て状況を把握する。その程度、できなければ『七核』足りえない。


「……皇帝は、旧国の血筋が邪魔だから、排除したい。そういうこと?」


 ジェローム・ヘルシャ・ブレン十三世。機軍帝国ブレイン現皇帝には、有名な過去がある。それは、皇帝自身以外の親族を、もろとも投獄、処刑したことだ。それにより、皇妃を持たない現状、皇族は皇帝一人になっている。

 彼が何故、そこまでの蛮行に及んだかは明らかにはなっていないが、帝国民では後継問題を複雑化させないことが一番有力だと考えられている。

 インネを追う理由も、それと似たようなことだろうか。

 しかし、それはアテナによって否定される。


「いえ師匠。事はそう単純ではありません。皇帝は彼女そのものには興味はない。あるのは、彼女の『祈憶姫』としての力だけです」


 インネの胸元を見つめたアテナが、首を横に振る。当のインネは、やはり何もわかってはいなかった。

 しかし、それはノアも同じだ。自身の推理が否定され、それ以上何も知りえない。気になるのは、度々話題に上がる『祈憶姫』という単語だけだが、果たして、それが全ての鍵になるのか。


「アテナ、姫様――彼女が『祈憶姫』であるのは確かなのか? 疑うわけではないが、あまりにも……」


 あまりにも無知。続く言葉をつぐんだドニが、疑念を払えずにインネを見やる。


「それは、これから大師匠が確認なさるのかと」

「アテナ嬢、その呼び方なんとかならねえか?」


 大層な敬称に頭を掻いたクロノスが、呆れ気味に苦笑する。


「師匠の師匠ですから。それとも隊長とお呼びした方が?」

「それ、コイツにもやめろって言ってんだけどな、もう俺の隊にゃ属しちゃねえんだ」


 やれやれと首を振りながら、ノアに視線を送る。その無言の抗議を無視して、ノアはずいと前に出る。


「正直、まったく話が掴めません。インネが『祈憶姫』? ……彼女が記憶を失っていることと関係があるんですか?」

「あ……?」


 茶化したクロノスを待てずに、たまった疑問をぶつける。本来ならすぐに答えたであろうクロノス。しかし、その口は何か発しようと開いたまま、動かなかった。


「――師匠、今、なんと言いました?」


 目を見開いたアテナが、今しがたのノアの発言を確かめる。眉を寄せた彼女に、ノアは頷く。


「インネは記憶喪失だ。自分の名前ぐらいしか覚えてない。そうだよね?」

「ええ、それぐらいしか。思い出そうとすると、頭が……」


 申し訳なさそうに俯く。だが、彼女が責任を感じる必要はない。それは周囲も同じらしく、慌てたクロノスが慰めるように両手を振る。


「いやいや、嬢ちゃんは悪くねえ。ただ、驚いちまっただけだ。けど、そうだな。そう言われた方が、納得はできる」


 今までのインネの言動を振り返るようにクロノスは腕を組んで顎に手を当てる。それに賛同したアテナが鼻頭を抑える。


「それで、ああも疎通が聞かなかったのですか。正直、『祈憶姫』と呼べば、反応くらいあると思っていたので」


 恐らく、ノア達を襲った時のことだろう。状況からして大よその見当はつくものの、予備知識のないノアには確証はなかったし、インネも自分のことだとは思っていなかった筈だ。


「インネ、あなた、(ギアハート)を持ってない? 歯車のついた紅い……ペンダントのような」

「これ……?」


 唐突に話を変えられて、戸惑ったインネ、しかしすぐに思い当たり自分の胸元からソレを引っ張りだす。

 インネの小さな肩、その中心に下がったのは、金色の歯車に覆われた赤い宝石だった。薄暗い店内でなおその輝きを曇らせることのないそれ。自然と人工の奇妙な調和が、これ以上ない美しさを具現化させている。眩いそれに片目を瞑りながら、アテナは頷いた。


「やはり、インネが持っていましたか」


 ノアも一度見たそれ。だが、ノア以外も周知の存在のようでさした衝撃もなく見守っていた。


「嬢ちゃんが持ってるなら、殆ど間違いねえな。ミネルヴァもよくやってくれた」


 おそらく女性の名が呼ばれ、インネが肩を震わせた。しかし、その先に彼女の口から何かが紡がれることは無い。


「どうした、嬢ちゃん?」


 クロノスが気に掛けるも、肩を抱きよせながら眉を顰めたインネは首を横に振る。


「なんでもないです……ただ、何か……」

「ミネルヴァの記憶もねえのか」


 少しばかり覇気の薄れた声でクロノスはため息を吐く。それにどこか愛おしさのようなものが滲んでいた気がして、ノアは視線を向けた。


「ああそうか。ミネルヴァは俺たちの仲間だ。今は連絡がつかないが……嬢ちゃんが抜け出せたってことは……多分平気さ」


 自身なさげに無理やり前向きな言葉を絞りだす。が、やはり得意でないことはするべきではない。現に、ドニが背中を叩いて励ます。


「お前が暗くなってどうする、クロ坊。なに、賢い嬢さんだ、うまくやってるさ」


 一度、今度は深くため息を吐いたクロノスが、首を振って下げた視線を上げ直す。その先に捉えたノアを見つめる。


「ノア、嬢ちゃん。それにアテナ、話さなきゃならねえことがある」


 唐突に、纏う空気を換えたクロノスが順繰りに三人の顔を見て、最後にノアに向き直る。言外に、「待たせたな」と謝る。確かに、脱線しすぎた。と言えども、インネの話がってでは、脱線と咎めることはできない。

 思慮に耽ったノアを伺って、クロノスは口を開く。


「俺たちはこれから、()()()に行く」

「は? 隊長? インネを逃がすんじゃないんですか⁉」


 想定していた内容とのあまりの差に、ノアは声を大にする。訳が分からない。インネが王族の末裔だと聞かせ、その上で皇帝に狙われるというのなら、そんな場所で道草を食っている暇などない。一刻も早く、帝国を出るべきだ。そう話したからこそ、ドニから足を得に来たのではなかったか。


「まあ聞け、ちゃんと理由がある」


 吠えるノアを窘めてクロノスはアテナに視線を向ける。


「師匠、聞いておきましょう。ここからは私も知りません」


 弟子に諭され、黙るしかなくなる。だが、そうはいってもノアの指摘は間違ってはいないはずだ。そう思うからこそ、アテナも「聞いておく」と思慮の余地を残した。


「嬢ちゃんが皇帝様に追われてる理由ってのは、王族だからってだけじゃねえ。それはアテナ嬢はよくわかってるだろうが、とにかく簡単な話じゃねえんだ」

「『祈憶姫』その力と、行使に必要な鍵を狙っとる。その両方を、姫様が持っておられる」


 そう誇らしげにドニに語られ、しかしノアは納得できない。インネが力を持っているのなら、なおさら逃げるべきだ。自分がインネなら当然のごとくそうする。


「違う、逃げちゃぁいつか捕まる。お前も知ってる通り、『七核』は甘くねえ。特に、『隼』はな」


 ゆるゆると首を横に振ったクロノス、ノアの思考を察して先じて道を塞ぐ。いや、別にノアは何が何でも反論したいわけではない。納得ができないだけだ。

 よりにもよって、貧民街などという、問題だらけの場所に赴くその理由が欲しい。


「……それはそうですが。ちゃんと、納得できるんでしょうね?」


 英雄を引き合いに出され、ため息を吐くしかないノアは、腰の銃に触れながら苛立ちを治める。「もちろんだ」とでも言うように口の端を上げて見せたクロノスは、しかしまたノアの不満を加速させるセリフを吐く。


「まあ、細けえことは後でだ。今は時間がねえからな」


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