青い制服と白い銃床
あたらしい記念館の一番奥の区画に一角に、古い銃が置かれている。
その銃は、展示室の中でも特に照明を絞られた、やや薄暗い一角に置かれている。照明は意図的に抑えられ、天井から落ちる淡い光がガラスケースの輪郭だけを浮かび上がらせていた。床は黒光りするほど磨かれ、そこに映るのはわずかな光の揺らぎと、近づく者の影。空気はひんやりと湿り気を帯び、わずかに金属と古い木材の匂いが混ざって鼻を掠める。
壁には簡潔な解説文しかない。周囲にパネル展示や映像装置などはなく、ただ、ガラスケースがあるだけだ。中には古びた一挺の銃が、水平に、慎重に置かれている。金属の肌は年月に削られながらも鈍い光を宿し、木製の銃床には細かな傷が刻まれている。見る者は四方からその銃を眺めることができる。
ジェード・カスターはその前に立ち尽くしていた。銃はガラスケースの中に水平に置かれ、観覧者はどの角度からでも見渡すことができる。
先住民を記録した区画の片隅に、異様な静けさの中で、それは佇んでいた。
「1979年に実際に使用されたもの。マイケル・カスター寄贈」
何があった年なのか、用途もなく、誰を撃ったのか、なぜここにあるのか──一切語られない。プレートには、それだけが、やや言葉足らずに記されていた。
その銃の前に、ひとりの青年が立ち尽くしている。改めてその名をジェード・カスターという。その名を口にすれば、町の一部の人間は「ああ、あの家の息子か」と思い出すだろう。十代の終わり、大学進学を間近に控えた年頃。彼は、この町に生まれ育ち、今またこの町に展示される「過去」と向き合おうとしている。そして彼こそが、あの銃を、ここに「この形で展示すべきだ」と提案した人物でもあった。
事の始まりは、少し遡る──ジェードが高校に進学したばかりの春だった。
町の記念館――今彼が立っているこの新館の前身である旧施設――が、老朽化を理由に建て替えられるという話が広まりはじめたのだ。地元新聞でも取り上げられたそのニュースは、地域の歴史を誇りとする一部の住民、特にジェードの父のような地方議員たちにとっては、まさに自らの存在意義を示す好機であり、歴史の保存と顕彰を進める絶好の舞台であった。しかし当時のジェードにとって、それはただの「大人たちが真剣になっている出来事」に過ぎなかった。少し面倒くさい話でしかなかった。クラスメイトたちと同じように、歴史よりも今日、地域活動よりもクラブ活動に気持ちが向いていたからである。彼にとって、記念館の建て替えなど、どこか遠い大人たちの世界の話に思えた。
ところが、父は違った。
父、マイケル・カスター。地元の議会の中堅議員であり、地域史の保存に熱心である。彼はことあるごとに歴史教育の重要性を説き、建て替えに際しては「第七騎兵隊の功績を後世に伝えるべきだ」と強く主張した。そして実際、新記念館の設計委員会に名を連ねることとなった。
ジェードは彼が委員会の一員となったということを任命翌日の朝刊で知った。
リビングは明るすぎて、彼の皺やまぶたの重さがいつもよりもくっきりと浮かび上がっていた。新聞を読む手を止めずに、父は言った。
「ジェード、記念館の展示物整理を手伝いなさい。歴史学部入学のための課外活動にできる。研究会の勉強会への参加、レポートの作成も怠るなよ」
その声は淡々としているようで、どこか揺るぎない命令の響きを含んでいた。まるでこの家に生まれた者なら当然受け入れるべき“順序”を口にしているかのようだった。
ジェードは返事をためらった。父も自分のクラブ活動を認めてくれていると思っていた。けれど、父はそれを“アピールの弱い課外活動”のひとつ程度にしか見ていなかった。父にとって重要なのは、進学だった。それも、特定の方向性があった。
唇が開きかけ、閉じ、再び開く。
「なんか……たぶんだけど、歴史とか研究って、人の声をちゃんと聞かないと意味がないんじゃないのかな」声はやや上ずっていた。自分でも言葉の先に何があるのかわからないまま、けれどその場で黙ってしまえば、父の流れに呑まれることがわかっていた。
そう口に出した瞬間、父の眉がわずかに動いた。
「その“人の声”とやらで、どこに進学するつもりだ?」
その言葉の裏には、明確な疑念があった。博物館学、文化人類学、あるいは非アカデミックな道。どれも父にとっては議会につながらない“道草”に過ぎなかった。
ジェードは、騎兵隊を英雄視する父が苦手だった。
騎兵隊といえば、砂煙を上げて馬が駆け、青い制服の男たちが勝利の号砲とともにインディアンをうち倒す。物語の中の騎兵隊は、いつも勝利し、町を守り、国を広げた。
ピカピカに磨かれた銃、そして倒れていく先住民たち──
騎兵隊の隊列が、夕陽の中を駆け抜け、銃を上げる。整然と、見事に。
美しかった。
「これがアメリカの歴史だ。誇るべきことだ」
父はジェードをそうやって育てた。強い愛国心を育んでいるつもりだっただろう。
本当のところ、僕は今では、こう思っている。
あの銃が、僕の憂鬱を撃ち倒してくれればよかったのに
と。
展示に協力するため、ジェードの休日は、資料の整理にあてられた。
彼は父の顔を避けるように市役所庁舎の資料庫に入った。そこは紙の匂いと金属の匂いが混ざる、時間の止まった部屋だった。白手袋越しに一枚ずつ古文書をめくり、埃が舞うたびに、過去が現在の中ににじみ出す感覚があった。
騎兵隊の記録、戦闘地図、町の発展を示す年表。騎兵隊の英雄的側面と、町の設立・発展に貢献した事実を結びつける資料たち。
幸い、彼は、美術的センスを発揮することにも興味があった。それどころか本当は、彼の進路はそこにあるとすら思っている。それでも、父にそのことを打ち明けることができないでいた。
資料の整理が一通り進んだころ、ジェードはある記録が不足していることに気が付いた。
「地域の記念館だ、住民の現在と結びるける展示があっても面白いんじゃないか」
この思いつきは一級品に思えて、なかなか手放しがたかった。
「先住民の記念館に税金を出すから騎兵隊による町の発展の歴史展示を入れさせろ、って無茶に比べりゃ」それはつまり委員会の立場であるが、「何倍もいい考えだぜ」
それなら、街中で見かける、建て替え反対派の人々にも理解してもらえるような気がした。
街で抗議活動をする母方の家系の知人たちは、彼のことを仲間とは思っていないだろう。
結局、ジェードは委員会に怒る資格はない。 自身に流れる血筋や、発展した町の恩恵を受ける以上、加害の歴史の継承者だ。曽祖父が打倒されるのを祈っている場合ではない。
あの銃を撃つのも、また、自分自身なのかもしれない。
さて、マイケルの書斎にも磨きこまれた銃があった。
部屋の壁の中ほど、額縁のように作られた専用の飾り棚。その中で銃は、まるで家の守り神のように、磨かれた状態で静止していた。これは第七騎兵隊の一員だったダグ・カスターが使用したもので、議会に入る前の、歴史研究に打ち込んでいたころの父にとっては血統の証であり、家の誇りであり、物語の象徴だった。
父の興味なさそうな許可のもと、ジェードは展示設計に乗り出した。
さて、この話は再び展示室に戻る。
ガラスの向こうでピカピカに磨かれた銃は静かに語っている。何も言わず、ジェードも振り返らない。
ただ展示を見つめながら銃口に見つめられ、観覧者は初めて自分自身の中の「加害の血」と向き合う。
その痛みを、英雄的血筋の中で。
展示ケースに、ぼんやりともう一人の姿が反射していたことにジェードはだいぶ遅れて気が付いた。
マイケルである。顔までは見えない。でも、その存在は確かにそこにある。
ふたりの間に言葉はない。だが、銃口に反射する目線だけが、ようやく重なったような気がした。
さて、展示の日から、実際にどれだけの時間を要したのか、彼自身は正確には覚えていない。ただ、その時彼の胸の内で揺れていた葛藤――父の望む進路に従うか、それとも自分の進路を貫くかという問い――については、その後も何度も、幾晩も、繰り返し考えたことだけは、今でも鮮やかに思い出すことができる。
父は明言したことはなかったが、彼は子どもの頃から知っていた。父が彼に対してひそかに期待していたのは、自分と同じ学問の道――歴史と政治を軸にした学術の世界――に進んでほしいということだった。父自身が青春を捧げ、研究と記録に身を置いてきたあの学問の場に、彼が加わることを、いつかどこかで願っていた。直接口にされたわけではないが、家庭内での話題の中に、資料の山の奥に、何気ない講義録の引用の中に、それはいつも静かに流れていた。
ジェード自身は当初、その道が自分にとって本当にふさわしいものかどうか、判断できずにいた。むしろ、忌避感すら抱いていた。自分が自発的に歩む道でなければ意味がない、そう信じていたし、父の影をなぞるような選択には反発もあった。
だが、展示の記録の中で彼が出会った過去、そしてその過去と自分自身とのつながりを直視した時、自分という存在が、歴史の偶然のうえに立っているのではなく、誰かの選択や犠牲、そして語られざる物語の連なりとして今に至っているという事実を、改めて深く理解することとなった。
その理解が芽生えて以降、拒絶は、少しずつ解けていった。父の語りの中に、単なる知識ではなく、血の通った歴史へのまなざしを見いだすようになった。展示の後、父の書斎に並ぶ資料が一部インディアン視点の著作と入れ替わっていたことに気が付いたのも最後の一押しになったと思う。
彼が進路申請書の最終確認欄に署名したのは、秋の終わり、枯葉の舞う夜だった。
提出先は、ウィンスロー大学歴史政治学部。
父がかつて学び、研究に打ち込み、今なお後進を導く場であり、今、彼もその名を連ねる。