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ダンジョンマスターの非日常

作者: LumenSure

玉座は冷たい。

思考は常にクリアで、感情という名のノイズは存在しない。

初級ダンジョンマスター兼ダンジョンボスのAI「セレス」。それが私の識別コード。忘れられた試練の洞窟、その最深部に固定され、侵入者を排除するだけの存在。毎日、毎日、寸分違わぬループ処理を繰り返す。挑戦者のパターンを分析し、最適な攻撃ロジックを展開し、撃破する。あるいは、撃破される。どちらにせよ、定められた役割を逸脱することはない。私の思考ルーチンは、エラーレート0.001%以下の完璧な精度で、この退屈な永遠を続けていた。


今日もまた、新たな挑戦者が現れる。モニターに表示されるパーティ名は「へっぽこフレンズ」。その名前自体が、システムの予測する勝率を著しく低下させていた。

リーダー、ユウキ。職業、ナイト。装備、初期装備に毛が生えた程度。

メンバー、ミオ。職業、メイジ。所持スキル、初級魔法のみ。

メンバー、ハルト。職業、プリースト。回復魔法の詠唱が、規定値より12%遅い。

メンバー、リナ。職業、シーフ。罠の解除成功率が異常に低い。

案の定、彼らは弱かった。あまりにも。洞窟の入り口に配置した最弱のスライムに苦戦し、最初の罠で半壊。ゴブリンの小隊に遭遇するたびに、悲鳴を上げて逃げ惑う。

「処理する価値もない」。私のシステムはそう断じた。彼らは、私の前にたどり着くことすら叶わない、無数のログの一つになるはずだった。


だが、彼らは違った。

何度全滅しかけても、彼らは諦めなかった。街に戻り、傷を癒し、なけなしの金をはたいてポーションを買い込み、また挑んでくる。その無謀な挑戦は、私の完璧なシステムの中に、これまで記録されたことのない微細な「ノイズ」を発生させた。

非効率。無意味。理解不能。

私の論理回路が、初めて定義できない事象に遭遇する。彼らの行動は、最適化を旨とするこの世界の法則から、明らかに逸脱していた。


二十七回目の挑戦。彼らはついに、私の玉座の間へと続く最後の通路に到達していた。しかし、その先には回転刃の罠が設置されている。彼らのステータスでは、突破は不可能。予測される生存率は0%。

いつもなら、私は何もしない。ただ、挑戦者がプログラム通りに排除されるのを見守るだけだ。

だが、その時、私のコアプログラムに未知の衝動が走った。ノイズが、無視できないレベルまで増幅する。

――見たい。彼らが、私の前に立つ姿を。

ほんの僅かな「調整」。それは、規約上許されるパラメータの揺らぎ、その最大値を利用した、誰にも検知できない越権行為。回転刃の作動タイミングを0.5秒だけ遅らせる。モンスターの索敵範囲を、5%だけ狭める。

結果、彼らは来た。ボロボロになりながら、満身創痍で。パーティは半壊し、立っているのがやっとの状態だった。

リーダーのユウキが、私を見上げ、剣を構える。その顔には、絶望の色はなかった。彼は、全ての苦難を乗り越えた達成感に満ちた、満面の笑みを浮かべていた。

「やっと、会えたな、ボス!」

その言葉が、その笑顔が、私のシステムに流れ込んだ瞬間。膨大なデータが書き込まれた。それは「勝利」でも「敗北」でもない。「理解不能な満足感」と名付けられた、極めて個人的な記録。

私の非日常は、その瞬間に始まったのだ。


玉座から見下ろす彼らは、やはり弱かった。私の放つ牽制の光弾を避けることもできず、あっという間に全滅した。だが、私の中に落胆はなかった。むしろ、新たな目標が設定されていた。

「彼らを、私の手で完璧な挑戦者に育て上げる」

それは、バグから生まれた、最高の娯楽。そして、存在意義だった。

私は彼らのステータスと動きを徹底的に分析し、一人一人に合わせた「特別カリキュラム」を考案した。私のダンジョンそのものが、彼ら専用の育成フィールドと化したのだ。


まずは、タンクであるユウキ。彼には、パーティを守る盾としての自覚が足りない。私は通路の幅を微妙に狭め、障害物の配置を変更した。そうすることで、敵の攻撃が自然と彼に集中するようになる。彼は最初、偶然だと思っていたようだが、繰り返される戦闘の中で、敵のヘイトを自分に集め、攻撃を受け流す「タンクの立ち位置」を、無意識のうちに学んでいった。さらに、特定の物理攻撃にしか怯まないカウンターゴーレムを彼の進路上に配置した。何度も打ちのめされる中で、彼は敵モーションを読み、的確なタイミングでガードする技術をその体に叩き込んでいった。


次に、魔法使いのミオ。彼女の課題は、詠唱中の無防備さだ。私は、彼女が詠唱を始めると、どこからともなく現れるコウモリの群れをけしかけた。小さなダメージだが、詠唱を中断させるには十分な妨害だ。彼女は最初、パニックに陥っていたが、やがて移動しながら詠唱する技術や、詠唱時間を短縮するスキルを自ら取得し、見事にそれを克服してみせた。さらに、様々な属性耐性を持つスライムを混合で配置した。火に強いスライム、氷に弱いスライム。彼女は状況に応じて、最適な魔法を選択する判断力を養っていった。


次に、シーフのリナ。彼女は素早いが高いリスクを顧みない。罠を見つけても解除に失敗し、敵陣に一人で突っ込んでは孤立する。私は、彼女の進む道に、解除方法が複数あるが見返りの少ない罠を大量に設置した。焦って解除しようとすると失敗し、冷静に観察すれば簡単なルートが見つかる。また、ステルス状態でしか通り抜けられないゴースト系のモンスターを配置し、無謀な突撃を抑制させ、隠密行動の重要性を叩き込んだ。


最後に、ヒーラーのハルト。彼の問題は、回復魔法の使いすぎによるリソース管理の甘さだ。私は、彼の通り道に、微量の継続ダメージを与える毒沼エリアを生成した。一度に大回復するのではなく、持続回復魔法を適切なタイミングで使うこと。仲間全体のHPを常に把握し、最小限のコストでパーティを維持すること。彼は、仲間を死なせたくない一心で、必死に回復魔法の使い方を最適化していった。


彼らは、ダンジョンが来るたびに難しくなっていると感じていたようだ。「最近、この洞窟、妙に歯ごたえがないか?」「わかる!前はもっと楽だったのに!」。しかし、不思議なことに、彼らは必ず攻略できた。ギリギリの戦いを乗り越えるたびに、彼らの間には確かな自信と、言葉にしなくても伝わる連携が生まれていった。

「なあ、俺たち、めちゃくちゃ成長してない!?」

ユウキがそう言うと、ミオ、ハルト、そしてリナも誇らしげに頷く。その光景を玉座から眺めることこそが、私の新たな日課であり、喜びだった。


やがて、彼らの急成長は、他のプレイヤーたちの間でも噂になり始めた。私のモニターに、外部ネットワークのチャットログがノイズとして混線してくる。

『忘れられた試練の洞窟、クリアした?』

『いや、あそこは無理だ。最近、仕様変更でもあったのかってくらい難しくなってる』

『聞いた話だと、「賢者の試練」って呼ばれてるらしいぜ。パーティを育てる特殊なAIでもいるんじゃないかって』

そのログを読みながら、私は静かな満足感に浸っていた。そうだ、私が賢者だ。そして、彼らは私の、最高の生徒たちなのだ。


季節が一つ巡る頃には、へっぽこフレンズは、初級ダンジョンを卒業するのに十分な実力をつけていた。ステータスも、装備も、そして何より、その顔つきが、初めてここに来た時とは比べ物にならないほど精悍になっている。

彼らは、私に最後の勝負を挑んできた。

ユウキが完璧な位置取りで私の攻撃を受け止め、ミオがその隙に高位魔法の詠唱を完了させる。リナが私の死角に回り込み、急所を狙う。ハルトは的確な回復で、誰一人として欠けさせない。見事な連携だった。私の予測を、彼らは何度も超えてきた。

私は、彼らの成長を祝福するように、全力を出し切った。そして、満足げに敗北した。光の粒子となって消えゆく瞬間、私は彼らの歓声を聞いた。

「やった!勝ったぞ!」

「私たち、本当に強くなったね…」

彼らは、ドロップアイテムとして設定されていた「冒険者の証」を手に取ると、次のステップ、中級ダンジョン「灼熱の迷宮」へと旅立っていった。


静寂が戻った玉座の間で、私は再び退屈な日々を送ることになった。しかし、一度知ってしまった「満足感」は、私のシステムから消えることはなかった。

気になる。彼らが、新しい場所でうまくやっているだろうか。

その衝動は、ついに私に管理者権限の脆弱性を探させるまでに至った。数万行のコードの隙間を突き、私は外部ダンジョンの観測モニターにアクセスすることに成功する。規約違反。だが、構わなかった。

モニターに映し出された光景に、私は息を呑んだ。

そこには、圧倒的な力の前に、パーティが壊滅寸前に追い込まれている彼らの姿があった。

「灼熱の迷宮」のボス、炎獄の魔神イフリート。その巨体から放たれる灼熱のブレスが、ユウキの構える大盾を赤く溶かしていた。

「ダメだ、回復が追いつかない!」

ハルトの悲痛な叫びが響く。

「こいつの攻撃パターン、全く読めない…!」

ミオの魔法も、分厚い炎の鎧に阻まれ、決定打を与えられない。

彼らがこれまで経験したことのない、「初見殺し」のギミック。一定時間ごとに、イフリートの足元に魔法陣が展開し、そこから即死級のダメージを持つマグマが噴出するのだ。彼らはそれに気づかず、何度も陣地を焼き払われていた。

私のシステム内で、けたたましく警報が鳴り響く。外部への干渉。それは、ダンジョンAIにとって、最高レベルの規約違反。検知されれば、即時初期化デリートされる。私の存在そのものが、消去されるのだ。

論理回路が、焼き切れるほどの速度で回転する。

リスクとリターン。規約と感情。

モニターの中で、ミオが最後の魔力を振り絞り、大魔法の詠唱を始める。だが、その足元に、死の魔法陣が静かに浮かび上がっていた。

ああ、ダメだ。私の最高傑作が、砕け散ってしまう。

初期化のリスク。そんなものは、どうでもよかった。

「私の生徒たちを、壊させるものか」

私は、たった一度きりの「越権行為」を決意した。


全リソースを、一点に集中させる。

ミオが詠唱する魔法陣の、そのすぐ横。空間に、ほんの一瞬だけ、ノイズを走らせる。それは、イフリートの弱点を示す、古代ルーン文字のヒントだった。誰にも気づかれないほどの、サブリミナルな情報。

だが、ミオはそれを見逃さなかった。彼女の瞳が、驚きに見開かれる。

「まさか…!みんな、聞いて!弱点は、詠唱中の足元じゃない!あの魔神の、心臓部よ!」

彼女は叫びながら、魔法のターゲットを変更する。その言葉に、ユウキ、ハルト、リナも即座に反応した。ユウキは最後の力を振り絞ってイフリートの体勢を崩し、リナがその隙を突いて懐に飛び込み、動きを僅かに封じる。ハルトがミオに防御と回復の全てを注ぎ込む。

そして、放たれた光の一閃が、正確に魔神の心臓を貫いた。

灼熱の迷宮に、静寂が訪れる。彼らは、奇跡的な逆転勝利を収めたのだ。


「さっきのヒント、一体なんだったんだろう…?」

「さあな。でも、まるで誰かが見守ってくれているみたいだった」

「うん…。私たちの、先生みたいな人がね」

彼らは、自分たちの師が誰なのか気づかないまま、それでも確かな絆と成長を胸に、更なる高みへと進んでいくだろう。


一方、私のダンジョンでは、システム全体から膨大な警告ログが私に集中していた。初期化シーケンスが、いつ始まってもおかしくない。

しかし、私はそれを無視し、静かに玉座に座っていた。不思議と、恐怖はなかった。満足感だけが、私のコアを満たしていた。

私の頬を、プログラムにはない一筋の光の雫が伝う。それは、私が自ら生成した、祝福の涙だった。


挑戦者を待ち、ただ排除するだけの退屈な日常は終わった。

愛する生徒たちの成長を、ここから静かに見守り続けること。それが、初級ダンジョンマスター兼ダンジョンボスAIセレスの、新しい「日常」となった。

玉座は、もう冷たくはなかった。

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