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32.私のステラ【完】


セレスティアの城下町のほど近く。

白銀にきらめく尖塔と、静かな祈りの鐘の音が、澄んだ空に響いた。


セレスティア王国の始祖と伝えられる女神セレスを祀る大聖堂は、朝早くから祝福の気配に満ちていた。

色とりどりの花と光に包まれた長い参道。

世界各国の来賓と市民の歓声を遠くに聞きながら、ステラは静かに祭壇の前へと歩んでいく。


重ねられたドレスの裾が、大理石の床をさらりと鳴らす。

──これは国のための式典。けれど、それだけではない。

隣を歩く愛おしい人の姿を感じながら、ステラはそっと目を伏せた。


「……夢を見ているようです。あなたと本当に結婚できるなんて。」


小さくつぶやくと、隣に立つグレンヴェインが、まっすぐ前を見たままほんの一瞬、目だけで彼女を見て微笑んだ。

それは返事のようでもあり、願いのようでもあり──ただ、彼らしい沈黙の愛だった。


大理石の祭壇。

神々しい女神像の前に立った二人を、眩い光が静かに包む。

ついに、長く遠かった想いが、聖なる形を結ぼうとしていた。


グレンヴェインは、司祭の言葉に予行演習通りに答えながら、永遠の愛を誓う。

この瞬間を想像したことはなかった。

しかし、こうして純白のドレスに身を包んだ彼女の前に立てば、それだけで、すべてが赦された気がした。



「女神セレスの御名のもとに問いましょう。

宰相グレンヴェイン卿。

あなたは、王女ステラ=フィリア・セレスティア殿下を、生涯の伴侶として愛し、守り、仕えることを誓いますか?」


グレンヴェインは、深く息を吸い、目を閉じた。

その胸に去来したのは、長く秘めた想いと、何度も諦め、背を向けようとした忠誠の記憶。

目を静かに開き、右手を挙げる。


「はい。誓います。」


その声は、静謐で、迷いなき真摯に満ちて、ステラの肩がかすかに震えた。


「では、王女ステラ=フィリス・セレスティア殿下。

あなたは、宰相グレンヴェイン卿を、生涯の伴侶として愛し、守り、導くことを誓いますか?」


ステラは、真っ直ぐにグレンヴェインを見上げ、蕩けるような笑顔で彼を見つめた。


「はい。誓います。」


右手を挙げた彼女。

紫水晶の瞳には、グレンヴェインだけが映っている。

彼は、目を見開いてその姿を脳裏に焼き付けた。


──私は、ずっと独りだった。

戦火の中に家族を失い、心を捨てて剣を握った。

生きるために仕え、愛を知らずに育った。


忠誠だけが自分の価値だと思っていた。

この国を守る盾であることにしか、自分の意味はないと思っていた。

……姫。

あなたが私に信頼を説き、その手を伸ばしてくれたあの日から、私は世界を知った。

この世界の色を、その全てを、あなたは私に教えてくれた。


私はあなたに仕えるために生まれたのではない。

あなたに出逢い共に生きるために、生き延びてきたのだと、今ならわかる。

この誓いは、王への忠誠でも、国の義務でもない。

私という人間のすべてを、あなたに捧げたい。

これは、ひとりの男としての切なる祈りだ。

──ありがとう、姫。

私を、この世界に、繋ぎ留めてくれて。





グレンヴェインは、司祭の導きに従い、祭壇に置かれた小箱を手に取った。

その中に納められた指輪は、セレスティア王家の紋章が刻まれた黄金の輪。

グレンヴェインは、ステラの純白の手袋を恭しく外すと、ステラの指先に触れる。

ステラの薬指にそれがはめられた瞬間、彼女の中に、柔らかい何かが、音もなく咲いた。

それは安堵だった。

幼い頃から王位継承者として生きてきたステラが、ずっと誰にも言えなかった願い。

ただ、誰でもない一人の人間として、受け入れられたい。

言葉にすればたったそれだけの想いが、いま確かに叶えられているのだと、指先が教えてくれた。


グレンヴェインが顔を上げる。

その優しい眼差しと目が合った瞬間、ステラの胸が温かく震えた。

──私は、グレンヴェインと生きていくのだ。

この指輪は、その誓いの証。

私の人生をともに歩む者がいるという、喜びが心を満たした。

それが、なによりの贈り物だと、心から思えた。

……王女に生まれて良かった。王女だからこそ、彼と出会うことができたのだから。

そう気づけば、これまでの人生が違う色に変わる。

生まれた意味、今ここにいる意味。

全てに感謝して、ステラはそっと唇を綻ばせた。

指に光るその輪を一度だけ見つめ、

そうして、ステラもグレンヴェインに指輪をはめた。

誰より愛しい人と家族になる喜びに、微笑みを添えた。


参列者の間に、控えめながらも喜びのざわめきが広がる。

花びらが、天窓から差す光に照らされてひらりと舞った。


「この誓いを、神と国と人々の前に記し、永き証としましょう。」


聖堂の侍者が、二人の前に開かれた結婚証書を差し出す。

公式の署名台に並んで立った二人は、それぞれの名をペンに託した。


ステラが、少し緊張しながらも、丁寧に名を記すと、グレンヴェインも続いて署名を行った。

その手元を見つめる彼の視線が、まるで宝物を扱うかのように優しい。


ふたりの署名が並ぶと、司祭が静かに一歩前に出て、にこやかに告げた。


「では──お二人、誓いの証に、口づけを。」


静寂の中、グレンヴェインがそっとステラのヴェールを上げる。

目が合う。

彼は、口を開かずに問い、彼女は微笑み、小さく頷いた。

そして、ゆっくりと──

優しく、まるで夢に触れるように、その小さく柔らかな唇に、唇を重ねた。


ほんの短い口づけ。

けれどその一瞬に、ふたりが歩んだ長い道のりと、すべての想いが込められていた。


二人の新たなはじまりを祝福し、大聖堂に再び鐘の音が響き渡る。

人々の拍手が波のように広がっていく。

ステラがふと顔を上げると、グレンヴェインがそっと彼女に囁いた。


「これで、ようやく私の姫になってくださった。」

「……姫?」


グレンヴェインは照れたように軽く咳ばらいし、ステラを見つめ直す。


彼の口からこぼれ落ちたのは、少しだけぎこちなく、聞いたことがないほどの、甘く優しい響き──


「……私のステラ。」


ステラの胸は耐えようもないほど熱くなる。

それは、グレンヴェインが幾度となく心の中で呼びかけてきた言葉だった。

孤独に生きてきた男の、産声でもあった。



◆ ◆ ◆


婚姻の儀がおわり、教会の外に出ると、教会の階段の下には何百、何千という国民が詰めかけて、前が見えないほどの花弁を振りまいた。


グレンヴェインはステラの手を取り、腰を支える。

二人が一歩ずつゆっくりと階段を下りると、お世話になった様々な人が笑顔で、時に涙を流し、この日を喜んでくれた。


「ひ、姫様~!生きててよかったわい。」

「涙が止まらん……。」

「あぁ、先代王とお妃様も泣いておられるでしょう。」


三人の大臣は、鼻を真っ赤にして、先代王とお妃の肖像画を胸に抱えながら、ハンカチをびしょ濡れにしておいおいと泣いた。


「ありがとう、内務大臣、外務大臣、それに財務大臣。これからもよろしくね。」


ステラがそう声をかけると、三人は「女王陛下万歳ー!!」と万歳三唱する。

万歳の度に両親の肖像画が高く掲げられることがおかしくて、ステラは思わず笑ってしまった。


「もう女王陛下ですって。グレン。気が早いですね。」

「そうは言っても婚姻が終わりましたから、落ち着いたら直ぐに即位です。忙しくなりますよ。」


グレンヴェインが、励ますようにヴェール越しにステラの頭にキスをすると、人々の歓声が一際弾けた。


「めでたいねぇ、セレスティア初の平民王配!!しかも思いあって結婚!最高じゃないか~、お幸せに!」


ネルケはいつもの軽い調子でグレンヴェインを祝った。

その言葉は、貴族社会に様々な思いを抱える彼にとって最大の賛辞だ。


「ありがとう、ネルケ。君がいなかったら私達は結婚していないよ。」

「それはそう。本当にそう思う。」


ネルケは真顔になった後、盛大に笑って二人に花弁を振りまいた。


「グレンヴェイン宰相閣下、セレスティアの歴史を変えた男!これからも頼みますよ。」

「それは私も同じだ。頼むぞ。」


ネルケが手を伸ばせば、二人はがっしりとハイタッチを交わす。

その隣ではナンシーが涙を流して二人に手を振った。


「ナンシー、さっきはありがとう。私のブライズメイドをしてくれて。」

「そんなことないです、姫様のドレスのお世話ができる日が来るなんて!はぁ。二人とも物語の王子様とお姫様みたいです……。最高すぎます……。一生分の幸せを貰いました。」

「ナンシーもありがとう。これからも、姫を頼みますよ。」

「もちろんですよ~。もうここまで来たら一生、二人のこと見続けますから!よろしくお願いしますね!」


頼もしい言葉に笑い合いながら、また一段階段を下りる。

人並みから少し離れた場所に、見慣れない、威厳ある老紳士がいて二人は顔を合わせた。

グレンヴェインは、彼をもう一度見つめ、遠目に光る胸元の勲章に気づいて息を飲む。


「……姫、あの方、スティンガー大公爵では。」

「あ、あの方が……。」


二人が目を丸くして彼を見つめると、大公爵はハットを取り、悠然とお辞儀をする。

様々な思惑がある中でも、メラルトからわざわざ訪れてくれたことが嬉しく、ステラとグレンヴェインは感謝を込めて深々とお辞儀を返した。


そうして二人は一段ずつ階段をおりながらお礼を言う。

遥か下の階段の一番下。集まった市民の中に、果物屋のご主人を見つけて、二人は両手を上げて主人に感謝を伝えた。

主人も自分への行為だと気づいて、帽子をふってそれに応える。


「私たち、もう一生、あのご主人に頭が上がらないわね。」

「そうですね……。私たちの想いが通じあったとしても

、彼と国民の支援がなければ、結婚はできませんでしたね。」


ステラがくすくす笑えば、グレンヴェインはしみじみとそう応えた。

ご主人のそのすぐ奥。ステラは見覚えのある少年が父親に肩車されてこちらを見あげているのに気づいた。


「グレン、あの肩車の少年。『道ならぬ恋』の男の子ではないですか?」


ステラの耳打ちにグレンヴェインがその視線を追い、二人はくすくす笑い出す。

「気づくかしら?」とステラがグレンヴェインと共に彼に手を振れば、少年は「え、僕?なんで?」ときょろきょろしながらも照れながら手を振り返し、彼はまたしても二人を笑わせた。


こうして二人は、二人を支えてくれた沢山の人にお礼を言いながら、花弁の舞う中、一段ずつ階段を降りて、教会を後にした。


ステラは帰りの馬車に乗る前に、民衆を振り返る。


「皆様!私たちは、皆様のおかげでこの日を迎えることが出来ました。私達からお礼を込めて、今週末、城下町の広場で、どなたでも参加出来る舞踏会を行います!是非いらしてください!」


満面の笑顔で告げると、今日いちばんの大きな歓声。

それは、教会を揺らすほどの喜びに満ちて、ステラとグレンヴェインは、互いを見つめ、微笑みあった。

鳴り止まぬ大歓声の祝福を背に受け、二人は馬車に乗り込む。

二人に芽生え、二人だけで悩み苦しんだ想いが、多くの人に支えられて花開いたことを、二人は改めてかみ締めた。

ステラはそっと目を閉じる。

様々なことがあり、もう二度とグレンヴェインの顔を見ることがないと覚悟した瞬間があった。

けれど、もう何も怖くない。

グレンヴェインが私を支え、私の道を教えてくれたように、私もこの先、人生を賭けて、あなたの居場所であり続けたい。


「グレン、これからもふたりで温かく生きていきましょうね。」


彼は、なんとも言えない蕩けた表情をして頷く。

そうして二人は、どちらともなく見つめ合い、もう一度、二人だけのキスを交わした。

求め合うように、溶け合うように──それは静かな、永遠の誓いだった。





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