30.メラルトの顛末
グレンヴェインが城門を通り過ぎる頃には、城内にたくさんの市民が溢れていた。
門の前には、急遽城から持ち出したとおぼしき大きな衣装箱が無数に並び、たくさんの寄付金が山積みになっている。
彼が上を見上げれば、会議室のカーテンの隙間から、ステラが小さく手を振ってる姿に気づき、立ち止まって敬礼をした。
その様子に、きっと話は正しく伝わっているのだろう、と安堵する。
走り回った息を整えながら会議室に戻れば、ネルケがだらけて椅子に座り、残念そうな声を上げた。
「せっかく僕が一番かっこいい所を掻っ攫おうと思ったのになぁ。」
ネルケが円卓に文書をひとつ、ぽん、と差し出した。
「僕も宰相として、この国の一国民として働いてきましたよ。」
彼が差し出したのは、王侯貴族が用いる特別製の羊皮紙。
それだけでもただごとではないのに、末尾に記された署名と印章に、ステラとグレンヴェイン、大臣達の表情が凍りついた。
──メラルト大公爵、アデルハイト・スティンガー。
古くはメラルト王国の王族の血を引き、現政権では政争に敗れたとはいえ、いまだに強い影響力を持メラルト貴族界の長。
その彼は、こう記していた。
『本件の婚姻は、セレスティアへとの対等な発展を損ねる、社会的秩序を損ねる政略結婚であり、
セレスティア王国に対して、一方的に損害賠償を迫ることは、世界法から鑑みても不当な行いである。
よって本大公爵家は、セレスティア王国に対し、本婚約解消に伴い課される損害賠償金の全額を、無利子、返済無期限で融資する。
ただし、この資金は、賠償金の返済、またはセレスティアの対ダコール帝国国防費のみに活用範囲を制限する。』
その文字は達筆で整い、誇り高さが滲んでいた。
「……これは、どういうことですか?」
ステラがかすれた声で問うと、ネルケは片手で頬を掻いてみせた。
「婚約破棄の信書をメラルトに届けた後、僕……公爵に会いに行ったんだ。」
そのときのことを思い出すように、ネルケは深く息を吐いた。
「会ってすぐ、伯父さんに事情を説明して土下座した。
メラルトのせいで、セレスティアの姫がこんなに傷ついてるって。」
その声に、グレンヴェインがゆっくりと目を伏せた。
ステラも手を胸元に添え、ネルケの言葉を最後まで受け止めようとしていた。
「……僕の母親はメラルト公爵家の生まれなんだ。大公爵である伯父の年の離れた妹で、すごく可愛がられていたらしい。
それで、母親は、政略結婚してセレスティアに来たんだけど、……僕の父親や家との関係に本当に苦労して、結局、その苦しみに耐えられず命を落とした。僕がギムナジウムにいた頃だったかな。」
ステラはその話にはっと息を飲んだ。
『そうまでしても、国は前に進むしかないんです。──あなたが死んでしまうよりは、ずっと良いでしょう。』
あの時のネルケの言葉の真意に、今更、胸が痛んだ。
グレンヴェインは視線をネルケに注いだまま、ステラの肩を優しく抱き寄せた。
ネルケは眉を下げ、どこか遠くを見るように言葉を続けた。
「僕もこの件があるまで知らなかったけど、伯父さんは、母の婚姻にずっと反対していたらしい。
母が嫁ぐ前に毎日泣いていたのを知っていたのに、それでも止められなかった。そのことをずっと悔いていた、って。
この羊革紙を渡された時に、伯父さんに言われたんだ。
“妹──お前の母は、政略で命を落とした。なのにその妹の息子が、政略を正すために頭を下げに来た。……これが応えずにいられるか。これは援助ではない、償いだ。”って。
凄い気迫だったよ。」
ステラの目に、うっすらと涙がにじむ。
ネルケは、その悲しげな顔に眉を上げて、羊皮紙をとんとん、と指で叩いた。
「姫、そうは言ってもこれ、メラルト=セレスティア王国の重役に大公爵家の人間が一人も入ってなかった事の恨み返しだからね。
この縁談は、伯父さんを蹴落としたい連中の思惑だったらしいし、伯父さんとしては、してやったりなんじゃない?……貴族って、そういうもんだよね~。」
苦笑交じりにそう言いながら、ネルケはステラに紙を手渡した。
「一応、正式な文書だから。これで、賠償金の目処は、なんとかなるはずだよ。」
「……ありがとう、ネルケ。」
静かに、けれどはっきりとステラが頭を下げる。
ネルケは手を振って「勘弁して」と笑ったあと、
「あ、この無利子、返済無期限って言葉だけど。メラルト言葉では『返しても返さなくてもいい』ってことだから。メラルトはセレスティアみたいに真面目じゃないんだよね~、ははは。」
そうつけ加えてウインクした。
グレンヴェインは口の端で微笑み、黙ったまま、文書の署名を見つめていた。
それは、手の届かない世界の罪に静かに手を合わせるようでもあった。
「人の痛みは、時が経っても消えないのですね……。」
ステラがぽつりと漏らす。
ネルケは、その言葉に首を横に振った。
「消えないからこそ、こうして、次の痛みをなくすことができる。少なくとも、僕はそう思ってるよ。」
その言葉に、ステラは静かに頷いた。
窓の外では未だに市民の募金の列が絶えることなく続き、そのにぎやかな喧騒が会議室まで聞こえてくる。
王城には、穏やかな陽が差し込んでいた。
その後、婚約破棄の賠償を支援するセレスティア国民の活動は、世界各国で大きな話題となった。
さらにスティンガー大公爵が婚姻の内情や、メラルト王家の思惑を暴露したことで、世論の批判は一気にメラルト王室へと注がれることになった。
その結果、月日が流れても、メラルト王国から賠償金の請求書がセレスティアへ届くことは、ついに一度もなかった。
後日グレンヴェインは、風の噂でこう聞いた。
シセル王太子は、ステラを手に入れられなかったことを悔やみ、「僕の言う通り、もっと話を強引に進めれば、こうならなかった。無能者め。」そう激怒し、官僚たち全てを更迭してしまった、と。




