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02.初めての城下町①

任命式から数日後の休日。

ステラはグレンヴェインの部屋の扉を控えめに叩いた。


「私です。グレンヴェイン、いらっしゃいますか?」

「はい、お待ちください。」


扉が静かに開くと彼が顔を出す。

いつも通りの軍服に、きちんと整った焦げ茶の髪。琥珀色の瞳には相変わらず感情の色がない。


「あら。お休みの日も軍服なのね……。」


ステラは目を丸くして、軍服姿の彼をまじまじ見つめる。

その手には分厚い本が二冊。

『セレスティア王国の財政~産業発展と国家予算の歴史~』、もう一冊は『セレスティア王家の伝統』。

読書をあまりしないステラは、その分厚い本を見て、渋い目をした。


(休みの日までこんな難しい本を……真面目ですねぇ、グレンヴェインは。)


尊敬とも酔狂とも言い難い気持ちで見つめれば、その視線に気づいて、彼は業務的に状況を説明する。


「今日は自由にして良いとのことでしたので、本を読んでおりました。」

「勉強家ですね……。そういえば、もしよかったら城下町に一緒に行きませんか?せっかくのお休みだし。」


グレンヴェインの視線が緩やかに逸らされた。

静かな拒否を示すそれに、誘いを断られると思わなかったステラは、微かに動揺する。

思わず、言葉を重ねる。


「その、護衛も必要ですし、宰相として、この国の城下町のことも少し知ってほしいのです。」

「……承知いたしました。半刻後に馬車を城のエントランスに用意させます。」


ステラはほっとして彼に微笑んだが、グレンヴェインはその表情を見ることもなく、そのまま部屋を出て行ってしまった。




グレンヴェインが馬車に乗り込むと、先に乗ったステラの体が馬車ごと沈み込む。

王室の馬車は大型だが、それでも彼にはいささか窮屈そうで髪の先は天井につきそうだ。


「城下町まではここから三十分ほどです。今日は……市場を見学しましょうか。日頃の物価の視察は、財政施策や予算検討に役に立ちますからね。」

「承知いたしました。ステラ姫自ら私を案内頂けるなど、恐悦至極に存じます。」


場違いなほど硬い返事に、ステラは調子が狂う。

しかし、彼のその返事は先程よりかは微かな感情の気配があり、ステラは内心自信を持った。


「ふふふ。さっき、財政の本を読んでいたから、興味を持ってもらえるかな、と。」


隣に座るグレンヴェインを見上げて、少し得意げにはにかむ。

しかし、彼はステラの純粋な瞳を見ることを避けるように、視線を迷わせた。

どう反応したら良いか分からないと言いたげに、視線は窓の外に向けられる。

ステラはその反応に少しだけしょんぼりして、彼の視線を追った。

窓の外には、牧歌的な麦畑。

馬車道には、羊を連れた羊飼いと、それを追いかけて楽しそうに遊ぶ子どもの笑い声が響く。

一方、馬車の中は、馬車の軋むいやな音が時折鳴るだけで、別の世界のように静かだった。


「ねえ、グレンヴェイン。」


その沈黙に耐えかねて、ステラがぽつりと尋ねた。


「任命式の時に不思議だったのですが、あなたには苗字がないのでしょうか?」

「ございません。」


返された答えは取り付く島もなく、ステラは返事に困る。

彼は、居心地が悪そうに視線を逸らすと


「話によれば、七歳か八歳の頃に北の城塞に拾われたそうです。戦火で孤児になった、と推測されます。」

「……それから、ずっとあの北の城塞で?」

「はい。北の国境付近は、この辺りのように作物が育ちません。荒れ果てた大地と冷たい風と雪だけの世界です。

食べるために、要塞の中で様々な雑用をこなし、その過程で兵士になりました。」


淡々とした語り口には、懐かしさも痛みもない。

ステラは突然の告白に驚きながらも、いつか父王から聞いた話をふと思い出す。


「あの辺りは、先代の父が北の問題を収めるまで、大変だったと聞きました。

紛争が絶えず、多くの人が家を失い、亡くなったと。……あなたは、そこにいたのですね。」

「当時、私は子供でしたから、国がどのような状況であったのか知りません。ただ、食べるものがなく、毎日、雑草や雪を食べ、手足が切れるほど寒かったことだけは……よく覚えています。」


ステラは目を見開く。言葉にならなかった。

窓の外で戯れる子供と同じような歳の頃のグレンヴェインに思いを馳せる。

彼がどのように生き延びたかを思えば、沢山の人に愛され、何も知らずのびのびと育ってきた自分の人生にはじめて疑問を感じた。

自分は、どれほど周りに守られてきたのだろう。

その程度さえ分からない。


「成果を認められ、例外的に一般兵から将校に昇格する時、当時の将軍が自分の養子にならないかと提案してくれました。

苗字もない戦災孤児の将校では見栄えが悪いだろうと。

しかし、丁重に断りました。生まれた場所も、両親の顔や名前も分からないまま、そのことさえ消しされば、私でなくなるように感じたのです。」


ステラは、その過酷な話に瞬きも忘れて飲み込まれた。

無意識に握りしめた手の痛みに気づけば、ドレスのひだに隠して、そっとその手を緩める。

痛みを避けることが出来なかった幼少期のグレンヴェインを思うと、その仕草を彼に見られることにさえ、僅かな罪悪感を感じた。


「…...私に知らされていたグレンヴェインの経歴と、だいぶ違いますね。」

「それはそうでしょう。姫の側近が、北の城塞にいた戦災孤児の一般兵上がりであるなど言語道断です。」

「では、なぜ今それを教えてくれたの?」


静かな馬車の中に、車輪と、馬の蹄の音だけが響く。


「──姫。」


意志を持って呼ぶ声に、ステラは彼を見つめ、瞳を瞬かせる。

彼の表情は相変わらず冷淡だが、声はわずかに緊張し、白い革手袋の拳が固く握られてた。


「今まで北の城塞の生活しか知らない私が、こうして美しい姫の隣に座り、護衛を任されるなど夢にも思いませんでした。

……しかし、私は軍務以外の国政や上流階級の世界には疎い。この不自然さはどれだけ取り繕っても限界があります。

隠したところで、隠すことが、あなたの不信に繋がるでしょう。

ならば、今の話をお聞きいただいて、私が宰相、そしてあなたの護衛騎士に相応しくないというのであれば、私はそれを受け入れ早々に──」


俯いて押し黙るステラの様子に、彼は言葉を止める。「……姫?」と尋ねれば、ステラは静かに顔を上げる。

彼女の紫水晶の瞳を縁取る長いまつ毛が震えていた。


「はたして、そうでしょうか?」


思考し、答えを求めるように逡巡するステラの視線。

しばらくすると、狭い馬車の中で、彼女はグレンヴェインに体を向けた。

彼の告白を真摯に受け止めたいという、彼女なりの誠意だった。


「世界を知らないのは、私も同じです。グレンヴェインがどんな風に生きて、どれだけ大変な思いをしてここまでやってきたか、話を聞いても本当のところは、よく分かってない気がします……分からないのは、お互いに同じなのです。」

「……。」


「たぶん、大臣達がグレンヴェインを宰相として私の護衛騎士にしたのには、なにか理由があると思います。グレンヴェインが、謁見の間で私に忠誠を誓ってくれたように、私もまた、この国と国民の為に生きています。」


馬車が揺れて、ステラの体がよろける。

その細い肩をグレンヴェインが支えると、ステラは急に滔々と語り出した自分が恥ずかしくなり、照れて赤くなった。


「あ、支えてくれてありがとう。だから……その。お互い分からないこと沢山あるのは、普通だと思って。少しずつ二人で歩み寄って、分かりあえればいいかなって。幸い、グレンヴェインの任期はまだまだあります。焦らなくても良いと思うのです。」


グレンヴェインを見つめ、歯切れ悪くはにかむステラ。

その姿に、彼は驚いたようにかすかに目を見開いて、しばし黙っていた。

やがて、わずかに頷く。

彼はステラの言葉を、彼は何度も心の内でなぞっていた。

与えられた役割ではなく、「自分」を理解された気がして──だが、どう答えればよいのか、彼にはまだわからなかった。


「私は、命令され、その与えられた役割の中で生きてきました。ですから、今、なにを言えばよいのか。」


感情が見えない、冷淡な彼が覗かせた、初めての戸惑い。

その言葉にステラは安堵した。

戸惑いは、人を受け止めようとする、優しい人の心の漣だと思うからだ。


グレンヴェインの心には、それ故に不器用な色が宿り、静かな誓いと今まで感じたことの無い微かな動揺が去来する。

正直にいえば、彼は自分の出自を受け入れられた喜びよりも、彼女が望む「姫と共にあゆむ」という想像だにしなかった関係性に圧倒されて、思考が追いつかなかった。

しかし、北の城塞で内示を受けた日も、謁見の間での任命式の日さえも、なんの感慨もなかったグレンヴェインの心に、「宰相、ステラ=フィリア姫の護衛騎士」という自らに課せられた運命が、初めて、手触りのあるものとして感じられた瞬間だった。


馬車は、城下町に近づいていく。

外の喧騒が近づくほどに、グレンヴェインの胸の奥には、変わりく自分の静かな痛みと、ステラに対する言葉にできない感情が生まれようとしていた。

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