26.夕陽のステラ
大臣達とネルケと姫が執務室のソファで膝をつけ合わせる。
メイドが入れたお茶は既に冷え切り、置かれたクッキーには誰も手をつけない。
「つまり……婚約破棄をしたい、と。」
凛と背筋を伸ばすステラの前で、外務大臣は腕を組んで唸った。
「そうです。国を揺るがすことはわかっています。けれど……もう話を進めることは出来ません。彼と会う度に私の体調も悪くなっていきます……。無事結婚したとしても、両国に幸せな関係をもたらすのか甚だ疑問です。」
内務大臣が口を開く。
「姫の仰ることは私もわかる。お見合いの様子を見て思ったが、彼は向う見ずな野心家だ。肥沃な大地と美しい姫を手に入れたいのだろうが……それを手にしたあと、彼はこの国を大切にくれるのだろうか?」
ネルケは、一枚の紙をローテーブルに置く。
「……こういった小国同士の結婚が、『乗っ取り』になる例は過去にも多いですからね。
メラルトに赴任してる情報将校から、これが送られてきました。新しくできる、メラルト=セレスティア王国の役職リストの草案だそうです。
ちなみに、僕の新しい国での役職は『宰相補佐官』。副宰相でさえない。呆れますね。」
そのリストの最後の方に、書かれたネルケの名前を指さして、彼は鼻で笑った。
セレスティアの大臣は、その更にあとのほうに申し訳程度に記載されているだけ。
重役はすべてメラルトの人間で固められている。
ネルケは腕を組んで、空を見上げた。
「メラルトがここまで強く出られるのは、北の情勢──ダコール帝国とセレスティアの関係が不安定になっていることを、メラルトに利用されているせいなんですよね。この国の防衛費を増やせれば、もう少しメラルトとも対等な交渉ができるのですが……。」
「防衛費を確保する方法はありませんか?」
ネルケの話を受けてステラが財務大臣に尋ねた。
皆の視線が財務大臣に注がれ、彼は眉を下げて丸眼鏡を拭いて笑う。
「セレスティアでは商業、特に貿易港の開発や貿易交渉に積極的に投資しているのはご存知の通りですな。この姫の方針のおかげで国の貿易税収が爆発的に伸びました。
国民の税金が低いのもこのためです。
……今すぐこれを辞めれば、お金は出せますかのぅ。」
ステラは冷静な目で財務大臣を見つめる。
「つまり、防衛費を確保するために、港の開発や貿易支援をやめて、国民の税金を増やす、ということですか。」
「そうですじゃ。国民の生活は厳しいものになるでしょう。」
自分がメラルトと結婚したくない。ただそれだけの為に、全国民に貧しさを強いてよいのか。
その現実を突きつけられて、ステラは何も言えなくなる。
拳を握り唇をかみしめて俯くステラを見つめて、ネルケはこほんと咳をする。
「大体の意見と情報は出し切りましたね。では議決を取りましょう。議決はこの場にいる、姫、内務大臣、外務大臣、財務大臣、宰相の私の五人でとります。
……姫の婚約破棄に賛成のもの、挙手を願います。」
議長のネルケがそう告げると、すぐさまステラ以外の四人の手が上がる。
「はい。では、姫の婚約破棄は過半数を超えたため、可決とします。内務大臣、外務大臣。後で私と婚約破棄の信書について相談させてください。」
ネルケの議決をとる宣言から決定まで、わずか五秒。
やれやれ、長い会議だった、と執務室から出ていこうとする大臣達やネルケにについていけず、
「えっ、えっ?!」
「もしかして、婚約破棄の文面を見たいのですか?次の会議に参加されてもいいですよ。」
ネルケがそう言って肩をすくめると、内務大臣がその様子を見て「ほほほ。」と笑う。
「外務大臣、財務大臣。これは、わしらの大臣人生の中で、一世一代、最後の大仕事かもしれんの。」
「そうだの、内務大臣。天国に行った時、先代王とお妃様に自慢できるように、何としても姫をお守りせねばならんな。」
外務大臣のその言葉に、財務大臣も釣られて笑う。
「そうだのう。この老いぼれの働きで、目に入れても痛くない姫様の人生が良くなるなら、こんなに嬉しいことはないのう。」
ステラはその剣呑な周りの様子を見て、慌てた。
「えっ、でも。国民の生活を傾けるなんて……。」
「何を言ってるのです。それをどうするか、これから姫も一緒に考えるんですよ。もう、本当に頼みますよ!僕はグレンヴェインほど甘くないですからね。」
ネルケが朗らかに笑ってステラの肩に手を置いた。
「姫様。わしらは日頃どれほどこの国の為に尽くされているからこそ、姫様が、国のためにも、姫のためにもならない悲しい結婚をされることは耐えられないのです。それにこの一件は、姫にふさわしくない王配候補を選んだ、わしらの問題でもある。良いのですよ。」
内務大臣は孫でも見るように、目尻を下げる。
その温かさに、ステラは目に涙を貯めて深く頭を下げた。
「皆、ありがとう。……本当にありがとう。」
ステラの噛み締めるような言葉に、四人は、何も言わず、静かに頷く。
しわしわの大きな三つの手と、長い指の大きな手が、そっと姫の肩を撫でて慰めた。
◆ ◆ ◆
メラルトに婚約破棄を伝える信書が届けられたのは、その数日後だった。
信書を届ける使者がその場で処刑される懸念から、わざわざネルケが赴いて、王太子に直接、謁見の間で渡すことになった。
王太子の怒りは相当なもの。
その場で信書を破り捨てようとして、周りの従者に止められていた。
「いいのか、セレスティア!貿易交渉は破棄だぞ!あと今日からセレスティアに莫大な関税をかけるかならな!!」
唾を吐きながらネルケに食いかかる王太子。
ネルケは恭しく膝をつき、謁見の間のオリーブ色の絨毯を見つめる。
──メラルトの小麦は八割が、セレスティア産だったはず。そんなことしたら国民がパンを食べられなくなるけど大丈夫なのかな。もしかして、この王太子、関税が「輸入する側が払う」って知らないのかも……そんな人間が次の国王になるのか……。
ネルケは飄々とした様子で怒号が頭の上を抜けていくのを黙って耐える。
そして、ネルケはその後、数日間、親類の侯爵邸で過ごし、婚約破棄の賠償について記されたメラルト信書を預かってセレスティアへの帰路に着いた。
──人の噂は馬よりも早い。
ネルケが城に戻り、大臣達と賠償金の算段をする頃には、メラルト、セレスティア両国では、婚約破棄の話で持ちきりだった。
会議室の机には、メラルトからの信書と、情報将校が集めてきたメラルト、セレスティア両国の新聞。
それを囲んで大臣達とネルケ、ステラは覗き込む。
「……まぁ、予想通りの金額ですね。」
ネルケは信書の賠償額を一瞥すると、しれっとした様子で新聞をめくる。
「それよりも民衆の噂の広まりが早い方が心配だな。特にセレスティア側の反応がすごい。」
新聞の見出しには
「セレスティアとメラルト、世紀の結婚が破棄!」
「王家婚約破棄 莫大な賠償金は誰が払うのか?」
などといった文字が踊る。
「こんな賠償金……国家予算に匹敵します。」
ステラは震える手でその信書を手にした。
周りの温かさに押されて自信を持ったものの──やはりこれは皆を苦しめているだけなのだ。
そう痛感して、自分の愚かさに冷や汗が出た。
しかも、ここまで来てしまっては戻れない。
「まず、私の俸禄は一生なしとしましょう。他に私や王室の私財を出します。王家の土地や別荘なども売ります。それから……」
あまりの高額な賠償金に混乱しながらも、何とか頭を働かせて言葉を紡ぐ。
すると、窓の外から微かに人の声がする。
大臣達、ネルケと顔を見合せて、カーテンの隙間から外をのぞきこんだ。
遥か向こうの城門で、騒ぎが起きている。
「賠償金の件、どうする気なんだ!」
「ちゃんと払えるの?大丈夫なの?!」
「このままにしたら、国が潰れちまうだろうが!!」
「騒ぐな、立ち去らないと拘束するぞ!」
数人の国民が城門に向かって叫び、門兵と揉めている。
息を飲んでカーテンの隙間から気づかれないように見守ると、国民は威嚇されて追い返されていくのが遠目に見えた。
その様子に、一同は言葉を無くす。
沈黙の後、ネルケは空気を変えるように軽く告げた。
「……あとは、国債だね。」
「そんな。私の婚約破棄のために、借金をするなんて。この額では利子の返済だけでも国の財政を苦しめるでしょう。」
ステラは絞り出すように言った。
「そう言っても、姫。他に何か案はありますか?王家の私財を売っても限界があるでしょう。それに──」
ネルケはそこまでいいかけて息をつくと、聞いたこともない重い声で言葉を紡いだ。
「あなたが死んでしまうよりは、ずっと良いでしょう。今は、そういう会議をしているのです。」
その言葉に、ステラは息を飲む。
ネルケは静かに大臣一人一人と、最後にステラの瞳をまっすぐに見て、覚悟を問うように頷いた。
「そうじゃの……。」「うむ。」「その通りじゃ。」大臣たちの静かな納得の声に、ステラは返す言葉がなかった。
その後、一同は、大まかな賠償金支払いの予算組みをして、賠償金支払いのほとんどを賄う国債のことについては、明日話し合うことで解散した。
会議をするさなかにも、城門から門兵と小競り合いをする声が聞こえ、それは日が暮れる頃まで続いた。
「姫様!この先、この国をどうする気なの?!」
女性の微かな声が廊下越しに聞こえて、ステラは恐怖に震えた。
目を見開いて足に力を込める。
……どんな事があっても、諦めません。
ネルケの言う通り、私はシセル王太子と結婚したら、心か体が死んでいました。
私が生きるためには、婚約破棄は避けられなかった。
そのためなら、これから先、どんな困難も耐えていきます。
──この先、グレンヴェイン と一生会うことがなくても、私は彼と共に生きる、と。
私は誓ったのですから。
窓から差し込む夕陽が、ステラの紫水晶の瞳を燃えるような金色に染めあげる。
それは彼女の心にともる焔と、同じ色をしていた。




