23.別れ
それから婚姻の準備やグレンヴェインの出立の準備で城の日々は慌ただしく過ぎていった。
ステラの熱はそれ以降も下がらず、静かに窓辺を見るだけの日が増えた。
それは、グレンヴェインが北の城塞に旅立つ日になっても続いていた。
「グレン。もうお別れですね……。」
ショールを羽織り、城のエントランスによたよたと歩いてきたステラ。
その姿に、グレンヴェインは慌てて馬からおりて駆け寄った。
グレンヴェインを見送りに来ていたナンシーとネルケもステラに気づいて、少しだけ二人と距離を置く。
「姫、お体に障りますから、お見送りは大丈夫ですと申しましたのに。」
「でも、最後だから……その。」
あの日から、「寂しいです。」と言いたげな顔をするものの、グレンヴェインを思って言葉を飲み込むステラの姿が健気であり、辛くもあった。
事情を知っているネルケやナンシーには、ステラとのことをよく話し、何かあったらすぐ伝えて欲しいと告げたものの、やはり心配は尽きない。
ステラの淡い水色のショールを纏った細い肩。
それを抱きしめられたらどれだけの良いのだろうと思ったが、気持ちが残らないよう、あっさりとした別れの言葉を告げた。
「姫。これをお返しします。私の部屋の鍵です。……私があの部屋を使うことは、もうないでしょうから。」
手放しづらく、朝からずっと握りしめていた鍵。
それを、ステラの手に小さな真鍮の鍵をのける。
グレンヴェインの手の温かさが、鍵を通してステラの冷たい指に伝わった。
「部屋には、私の書籍があります。今まで二人で読書会をした時の本も置いてありますから、何か調べ物をしたくなったら、自由にお読みください。」
「……?あの本はグレンヴェインが持ってきたものでは無いの?北の城塞に持っていかないの?」
「はい、宰相になってこの城に来た時に持ち込んだものです。……けれど、私が姫に残せるものなど、あれくらいしかないですから。」
微かに眉を下げて、寂しげに微笑んだ。
ステラは黙ったまま大きな瞳で、彼と手のひらの鍵を交互に見つめる。
「はい……グレンヴェインが教えてくれたこと、大切にします。まだ読んでない本も読みますね。うさぎさんとくまさんが一緒なら、難しい本を読む時も、頑張れると思います。」
くすくす笑うと、何を言ってるのか分からない見送りのネルケとナンシーが不思議な顔をした。
ステラはグレンヴェインの黒い馬のたてがみを撫でると、大きな馬の顔に頬ずりをした。
「これからも、グレンを守ってあげてね。寒いところに戻っても頑張るのですよ。」
そのいつもの無邪気な姿を、グレンヴェインは瞬きもせず見つめた。
もう二度と会えないかもしれない、言葉を交わすことも無いかもしれない。
そう思えば、瞬きの一瞬さえも惜しかった。
その様子をネルケは横目で見ながら、わざとらしく咳払いをする。
「グレンヴェイン閣下。お別れのところお邪魔しますが。どうせまた帰ってくるのでしょう?」
軽口を叩くネルケに、グレンヴェインは静かに微笑むことしか出来ない。
「……ネルケ、ナンシーも元気で。二人にはとても助けられた。これからも、姫のことをよろしく頼むよ。」
二人は、任せなさい、と言いたげににやりと笑ってる頷いて、その二人の妙な軽さに、彼は救われる思いだった。
ふと振り返れば、門兵達が慌ただしく行き来している。
そろそろ時間だと覚悟を決めた。
グレンヴェインが、馬に跨り、颯爽と前を向けは、その姿は英雄のようでもある。
「……グレンが馬に乗ってる姿、余りみませんでしたね。とてもかっこいいです、もっと見ておけばよかった。」
「ありがとうございます。確かに姫といる時は、いつも馬車でしたからね。……馬に乗るたび、今のあなたの今の言葉を思い出すことにします。この先も、あなたに恥じない私であることを誓いましょう。」
「はい、グレンヴェイン。……あなたが北の城塞でも、世界のどこにいても、あなたの未来が、少しでも健やかで穏やかなものでありますように。私は祈り続けます。」
ステラは背筋を伸ばして、凛とした声で静かに告げた。真っ直ぐ琥珀色の瞳を見つめれば、それは二人が初めて出会った任命式を思い出させる。
短い間に二人の関係がこんなにも変わった人生の喜びと、こんなにも呆気ない破局を迎えたことの痛みが、静かにステラの胸を浸していた。
号令とともに城の正門が開く重い音がして、皆の意識をそちらに奪う。
そうして北の城塞に向かう一行は、ゆっくりと荷車や馬の隊列を作って城門から出ていく。
細い隊列となり、次第に遠ざかるそれが、グレンヴェインに出立を促す。
別れの瞬間、ステラとグレンヴェインは何も言葉を交わさなかった。
お互いに、穏やかに微笑みあった。
もうそれだけで十分だった。
ステラとネルケ、ナンシーは、グレンヴェインが見えなくなるまで手を振って見送る。
ステラは最後まで泣かなかった。
グレンヴェインが歩いた道を、いつまでも強い瞳で見つめていた。
生涯忘れぬよう、目に焼きつけるように。




