19.三通の信書
エントランスの扉が開くと、春風とともに、荷車いっぱいの箱が届いた。
白銀の刺繍の布や、大小様々な木箱。薄紙に包まれたリボン。
それも一つや二つではない。
グレンヴェインは眉をひそめて立ち止まる。
ちょうど剣の訓練を終えたばかりの汗を拭きながら、軍靴を鳴らして近づくと、通りすがりのメイドがぺこりと頭を下げた。
「姫様の新しいドレスでございます。」
「また、ですか。この前も届いたばかりなのに。」
「はい、また来週も届くと言っていましたよ。」
グレンヴェインは、忙しそうに箱を荷物を運ぶメイドの背中を見送った。
ステラは見かけによらず質素だ。
それはこの国の主とは思えぬほどで、ドレスも宝飾品も、公務に必要な必要最低限しか持っていない。
だから、品位を保つという意味でも、服飾品を買い求めることにグレンヴェインは賛成だった。
──ドレスをこんなにも買い求める『動機』を抜きに考えるなら。
ほどなくして、廊下の向こうから軽やかな足音が響く。
春色のリボンをなびかせてやってきたステラは、目を輝かせて荷物に駆け寄った。
「あら、グレン。剣の訓練ですか?お疲れ様です。」
うきうきと明るく挨拶をして彼の前を通り過ぎる。
エントランスに積み上がった箱を少しだけ開けると、ステラの周りに花が踊った。
「わぁ!すごく、かわいいです……。早く着てみたいです。」
「新しいドレスですか?」
「ふふふ、そうです。仮面の紳士様にいつお会いするか分からないですから。あと、来週は舞踏会用の服も届きます。これでいつどこで仮面の紳士にお会いしても安心です。」
無邪気にそう言って笑う彼女を、グレンヴェインはまじまじと見つめた。
巻かれた髪はつややかで、頬は春の桃のように滑らかでみずみずしい。
まつ毛の先には光が宿り、指先の爪は、透き通るような艶をまとっていた。
その視線に気づいたステラは、自慢げな顔をする。
「爪も綺麗にして頂きました。ふふ、似合いますか?」
桜貝のような爪先を彼の目の前にかざす。
その問いかけに、グレンヴェインはなぜかまっすぐ答えられなかった。
複雑と言うには軽い。
胸の奥に硬い小石を詰められたような心地。
嫉妬といえばそれまでだが、彼女のこの笑顔も、磨かれた爪も、美しい髪も、「自分に向けられたものではない」とはっきり告げられて、彼は、自分のステラへの思いが透明になっていく寒々しさを感じた。
捧げても届くことがない透明な思慕を、今すぐ口にしたい思いに駆られながら。
「えぇ、美しい爪ですね。緩やかな巻き髪も良くお似合いで、頬も柔らかな光に溢れています。新しいドレスも、姫をより一層輝かせています。いつにもまして魅力的ですよ。」
その細部に宿る努力を、私は全て気づいていますよ。誰よりも毎日あなたを見ているのですから。
そう言いたげに、いやに細かい感想を並べ過ぎた自分に気づいて、彼は誤魔化すように咳払いをした。
「グレンはよく見ていますね、仮面の紳士様も気づいてくれるでしょうか。」
ステラが手のひらを窓の日差しにかざす様子を、グレンヴェインは、ただ黙って見ていた。
(「私が仮面の紳士です。」と名乗ろうものなら、彼女の“純粋な恋”を汚すだろう。
恋した相手が、彼女を守るために日々を共にする護衛であり宰相だったなど、最大級の不敬だ。
──そして万が一、姫の恋が“自分”に向く様なことがあれば、姫は自分の身分と思いの間で苦しむはずだ。
到底、彼女には言える言葉などない。)
そう思うたび、グレンヴェインは自分が「知らぬふりをして隣に立つこと」しか許されていないと痛感する。
そんな思いを知ることもないステラは、箱を次々に開けては閉じて、目を輝かせていた。
ひらりひらりと舞う彼女のドレスの腰のリボンを見つめながら、グレンヴェインは彼女と自分の間には、手の届かぬ溝があることを思い知った。
「グレンは、恋をしたことはありますか?」
その子供のような問いに、廊下を歩く足がぴたりと止まった。
無垢な瞳に見つめられてグレンヴェインは目を逸らす。
春の風がカーテンを揺らし、差し込んだ光が彼女の髪を柔らかく透かしていた。
「……また、唐突ですね、姫。」
「ふふ、そうかもしれません。でも。なんだか、気になって。」
ステラは言いながら、自分の爪先を見て小さく笑った。
でもその笑みの奥に、かすかな迷いと寂しさがあった。
「私、仮面の紳士様を探しているけれど、これが恋なのか、よく分からないんです。ただ、いつもどこかにいる気がして探してしまう……思えば、胸が痛くなるような、嬉しくなるような、なんだか変な気持ちで。」
「……変な気持ち、ですか。」
「はい。私は仮面の紳士様に会いたいけれど、でも、会ったら言いたいことが言えない気がします。私のこと、見つめて欲しいけど、見つめられたら目を逸らしてしまう気がします。……こんなの、変ですよね?」
「……いえ。そのお気持ち、よく分かりますよ。」
グレンは静かに言った。
喉の奥が熱くなるのを抑えるように、目を伏せて。
「私も、ありますよ。恋をしたことが」
ステラの瞳がぱちりと瞬いた。
「えっ!本当ですか?どんな方に?!」
「……言えません。決して伝えてはいけない方ですので。」
「……?もしかして、ご結婚されている方?」
賛同しかねると言いたげな哀れみを向けられ、グレンヴェインは思わずむせた。
「ち、違います。私は軍人ですから、お相手との身分差や立場のことがあります──その方の未来を思えば、私が想いを告げても重荷にしかなりません。」
その声は微かに震えて、誤魔化すように廊下の外を見つめた。
ステラは黙って、その横顔を見つめる。
いつも任務に忠実で冷静な彼がそれほどの想いを誰かに抱いている──それが意外だった。
少しだけ胸がきゅっとなる。
グレンヴェインの心に触れた気がした。
「グレンにとって、とても大切な方なのですね。」
「そうです。でも、姫にとっての仮面の紳士もおなじでは?」
「……うーん。私は憧れに近いかも。そもそも、数時間お会いしただけで、もう彼は、私のことなど忘れているかもしれないし。」
「そうでしょうか?そんなことは無いと思いますよ。」
「?……なぜそう思うの?」
「姫のような素晴らしい方と過ごした時を忘れられる男は、この世にいないでしょう。例え仮面を被っていても。」
「ふふふっ、それって慰めですか?でも、ありがとう。」
グレンヴェインが妙に強く断言すれば、ステラには冗談にしか思えず、くすくすと笑った。
「……でも、彼が私をどう思ってても、ちゃんと“ありがとう”って伝えたいと、最近思うのです。あれが私の初めてだったから。素敵な経験をさせてくださったこと、ちゃんとお礼を言いたいんです。私の中で、とても大切な、きらきらした思い出としてずっと残ってます、って。」
グレンヴェインは、目を閉じた。
その言葉を、彼女の口から自分宛に聞くことは、決してないのだろう。
何も言わぬまま、そう、かみ締めた。
「……姫は、優しい方ですね。」
「いいえ、私は臆病なだけです。本当は──答えを聞くのが怖いのでしょう。好きですって言ったら断られるかもしれないけど、ありがとう、は断られないですから。」
ステラは眉を下げて困ったような顔でグレンヴェインをみつめた。
彼女の隅々まで磨かれた美しさの内側にある、脆いほどの繊細さ。
どうしようもなくそれに惹かれた。
風が、回廊をぬけてカーテンを揺らす。
二人の間を包むその静けさは、まるでひとつの結末を予感しているようだった。
「──姫。恋にうつつを抜かすのも結構ですが、恋愛結婚など考えているわけではありますまいな?ほほほ。」
廊下に響いた冷たい笑い声に、ステラがびくりと肩を揺らす。
振り返れば、書類の束を抱えた内務大臣は、二人を見ていた。
「おふたりとも十分ご存知かと思いますが、セレスティアは伴侶がいなければ、王として即位できません。
王と王妃が突然亡くなった混乱のせいで、姫には政務に集中頂いておりましたが……
本来であれば、一刻も早く、姫のご身分にふさわしいお相手を見つけて、女王陛下として戴冠頂くべきなのです。」
内務大臣は、「よいこらせ」と書類を抱え直して微笑む。
「姫に、これだけの国の為に心血を注いで頂きながら、未だに、『姫』とお呼びするのも、臣下としては忍びないと思わないかね?グレンヴェイン宰相。」
その言葉は、礼儀を守った口調ながら、遠慮はなかった。
まるでステラが、少女の夢を見ることに釘を刺すように……。
グレンヴェインは、その物言いに眉をひそめ、
「おっしゃる通りです、内務大臣。しかし、あまりにも突然ではありませんか。姫は今、隣国との貿易交渉など重大な公務を抱えていらっしゃる。これ以上、追い詰めるような言動はお控えいただきたい。」
グレンヴェインは、ステラを背後に隠すように立ち塞がる。
「あまりに突然」で困っているのは、誰でもない彼自身だと気づいていたからこそ、焦りに語気が強くなった。
「……姫の一生に関わることです。もう少し姫の意思も尊重されてはいかがでしょうか。」
内務大臣は、それに朗らかな笑いを返した。
全く相手にならないと言いたげな声が廊下に響く。
「軍人暮らしが長い宰相には、理解しづらいかもしれませんがの。王室、貴族社会の中での婚姻は、政治なのです。好き嫌いで判断するものではないですよ。」
黙ったままグレンヴェインの影に立つステラに、大臣は三枚の封筒を渡した。
「それは、姫と婚姻を望まれる方の信書です。私がふさわしいと思うお相手を絞りました。もしお人柄が気になるようでしたら、それぞれお城に来ていただければよい。」
内務大臣は、落ち着かせるようにグレンヴェインの背中を軽く二回叩くと、二人の間に立つ。
ステラを少し見上げ、目を細めた。
「──私達大臣にとって、あなた様は先代王からお預かりした大切な宝物です。
あなたが生まれた日、私達大臣も、泣いて喜びました……。時に厳しいことも言いますが、幸せを願ってるのも確かです。」
「……はい、ありがとう。内務大臣。」
ステラは俯いてその信書を見つめた。
ステラの爪先が信書にくい込んでいることに気づいた大臣は、そのしわしわの分厚い手で、ステラの頭を何度も優しく撫でた。
「大きくなりましたなぁ、姫様……。前は私が屈んで撫でていたのに、今はもう、私が手を上げて伸ばさないと届きませんわ。ほほほ。……もうしばらくしたら、手が届かなくなるかもしれませんの。」
大臣は少し寂しそうにそう告げて、廊下を通り過ぎていく。
そのよたよたと遠ざかる丸い背中。
それを恋を語り合った二人は、唇を結んで見送った。
ステラの手には、三通の信書と、重い無力感だけが残された。




