17.仮面舞踏会 その後①
仮面舞踏会も無事終わり、穏やかな日常が戻ってきたセレスティア城。
その執務室で、ステラは窓の外を見ていた。
「仮面の紳士様、またお会いしたい……。」
頬をバラ色に染め、うっとりと夢見るように呟いたその台詞は、今日だけでもう三回目。
隣に座るグレンヴェインの筆が、またか……と言いたげに止まる。
(あなたの仮面の紳士は、目の前で公務に励んでおりますよ。)
グレンヴェインがその言葉を飲み込んだのも三回目。
彼は、深いため息を着くと頭を抱えた。
(まさか、こんなことになるとは。──完全にやりすぎた。)
「まぁ。そのため息、もしかしてグレンも恋煩い……?
私も同じなのです。わたくし、恋をしました。一生に一度の恋なのです……。」
グレンヴェインは渋い顔でステラを見つめると、間髪入れずに「いえ、違います。」と答えた。
そもそもの発端は、仮面舞踏会。
グレンヴェインは、素性のわからぬ仮面の紳士としてステラの前に現れ、身分の違いから日頃は絶対に伝えられないステラへの愛を吐露した。
さらにいえば、彼女に熱烈なアプローチをし、ファーストキスまでも奪ってしまった。
高貴な彼女にふさわしい社交界の紳士を目指し、忙しい公務の合間を縫って血のにじむ猛特訓。──その成果が、コレである。
グレンヴェインの愛はあまりに深すぎて、ステラをあらぬ方向へ狂わせてしまった。
「本当に素敵な方だったのです。背が高くて、ダンスがとてもお上手で、声が優しくて低くて。良い香りで、なによりとっても情熱的で……はァ。」
「……姫に素敵なお相手が見つかって何よりです。
しかし、こうして姫を大切に守り、日々隣で尽くしている私からすれば、たった数時間踊ってキスしただけの男性に心囚われるなど──。」
そう言いかけて、彼は口を噤んだ。
自分自身に嫉妬する奇妙な感覚は、車酔いにも似ている。
「グレン。なぜ仮面の紳士様とキスしたことを知ってるのですか?」
「あぁ、いえ。仮面舞踏会ですから……それくらいあっただろうか、と。」
「そうなのです、本当に夢のようなキスで……はァ。」
思わず口が滑ったグレンヴェインだが、夢見心地のステラがそれに気にする事はない。
内心ほっとしながら、その場を取り繕って話を続けた。
「いかがでしたか?仮面舞踏会のキスのお味は。」
「ひ、秘密です……。」
ステラは、バルコニーの夢のようなキスを思い出し て、またぽーっと上の空になる。
一方のグレンヴェインも、予想外のカオスな状況に心が乱され、二人の作業生産性は、舞踏会以来、過去最低を記録中だ。
「そういえば、仮面舞踏会の日、グレンはどこにいたの?結局、探せなかったです。」
「予定通り、壁の華をしておりましたよ。後半は表に出ていましたが。」
「警備のお仕事などですか?」
「えぇ、概ねそのようなものです。」
「グレンの社交服姿も見たかったです……残念。」
(嘘はついてない。お嬢さん達に捕まり、そのあとは姫とバルコニーにいたのだから。)
グレンヴェインは、そう自分に言い聞かせる。
そこへ、執務室の扉がノックされる。入ってきたのはネルケだった。
「失礼致します、宰相。『先日の特命任務』の請求書をお持ちしました。」
軍人らしく仕事の場では礼節を保つ彼は、グレンヴェインの執務机の前で敬礼すると封筒に入った紙を差し出した。
『 特命任務 請求書
費目
任務遂行指導料 5,500,000
任務用備品 一式 9,550,000
戦術指導書 3点 25,000 』
机に置かれたのは、先日のダンスの特訓と社交服の請求書。
グレンヴェインのポケットマネーから払うことになっていたが、その請求額は予想の倍以上だ。
(このダンス指導料は高すぎないか?しかも恋愛小説の請求まで……。)
グレンヴェインは、そう言いかけて、隣にステラがいることを思い出す。
わざとらしく咳払いし、請求書の紙を指で弾いた。
「ネルケ中将、件の任務、本当にご苦労だった。しかしこの請求は、いささか高額ではないか?」
「いえ、宰相閣下。あの任務は失敗が許されず、かつ短期間での準備が必要でした。そして──」
ネルケは何かを訴えるように、舞踏会を思い出して、ぽーっと窓辺を見つめるステラに視線を向ける。
「 閣下には、ご期待以上の成果をもたらしたと自負しております。」
「……わかった。この請求書で受領しよう。」
グレンヴェインは眉をひそめ、仕方なさそうにサインすると「処理済」の箱に投げ入れる。
その様子に気づいたステラが、ネルケに話しかけたそうに近寄ってきた。
「ネルケ中将。中将はお仕事で色々な国の要人をご存知ですよね?この男性に見覚えはないですか……?」
ステラは、ネルケにそっと一枚の紙を見せる。
そのメモには「紺の仮面の紳士様 特徴メモ」とタイトルがかかれ、「背の高さ、髪の色、髪型、香り、声のトーン、ダンスの腕前」などの情報が項目ごとにびっしり書かれていた。
ネルケの視線が「おやおや、目の前に似た人が?」と言いたげにメモとグレンヴェインの顔を往復すれば、グレンヴェインは「ネルケ……!」と視線で威圧する。
二人のアイコンタクトに気づかないステラは、呑気に仮面の紳士を思い出し
「それにあの上品な身のこなし、貴族や王族の方かも。
ダンスが大変お上手ですから、きっと社交界で有名な方のはず!」
「なるほど、そのような紳士が。」
ネルケは彼女の熱心な話に、神妙な顔で頷く。
もちろん、演技でしかないが。
「……宰相閣下はこちらの紳士にお心当たりはないでしょうか?」
そう言って、ステラから受け取ったメモをわざとグレンヴェインに渡した。
想像以上にぎっちり書き込まれた熱量の高いメモに、彼は眩暈を覚える。
「そういえば、仮面の紳士様は本当に良い香りでした。同じ香水も探してるのです!また、あの香りに包まれて、彼の胸の中を思い出したい……。」
うっとりするステラに、ネルケは
「姫。よろしければ、私の部屋にいらっしゃいますか?貴族の嗜みとして、それなり香水を揃えております。お探しのものがあるかも……。」
彼はニヤニヤしながらグレンヴェインを見つめた。
なぜなら、グレンヴェインが舞踏会でつけていた香水は、ネルケの借り物だからだ。
(……き、気絶しそうだ。)
白目を剥くグレンヴェインの姿に、ネルケは必死に笑いを堪えた。




