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15.仮面舞踏会③

時は遡る。

仮面舞踏会のためのダンスレッスンも終盤に差しかかる頃、ネルケはグレンヴェインに数冊の本を渡した。

タイトルは『虹水晶の姫』『月影の公爵』『春の秘密 』

ペラペラとめくると恋愛小説。甘いロマンスを主題とした少女や若い女性が好む内容のようだ。


「いいか、グレンヴェイン。舞踏会までにこの本を隅から隅まで読むんだ。出来れば男性のセリフを覚えるくらいに。」

「……ネルケ、渡す相手を間違っていないか?疲れているのか?」


グレンヴェインは、困惑しつつため息をついた。

その冷めた眼差しを敏感に察したネルケは、声を張って反論する。


「僕はこれでも情報将校だぞ。いいか。人との距離を縮めるには相手の望みを知ることが重要だ。」

「それとこの本になんの関係が?」

「ふふん、実はこの本、セレスティアの若い女性やメイドたちの間で大人気の本なんだ。名作中の名作だぞ。しかも姫も愛読してるそうだ。」

「……つまり、女性の望みを知るために恋愛小説を読め、と。そこまでする必要があるだろうか?」


グレンヴェインは、本をめくるたびに溢れ出る夢見がちな展開に渋い顔をする。

それに痺れを切らしたネルケは、彼の肩にがしっ、と両手を置くと、仕事では見た事もない真剣な顔をした。


「言葉を選ばず言うぞ。

じゃあ君は、こんな大変な思いをして挑む仮面舞踏会で、お目当ての女性に口説き文句の一つも言わず、ただ踊って帰るつもりか?

北の城塞で、雪と岩と荒波に囲まれて育った君が、社交界の華みたいな淑女と何を話すんだ?

城塞の訓練と不味い飯の話で淑女が恋に落ちるとでも?」


うっ、と後ずさるグレンヴェインに、彼はさらに畳み掛けた。


「これは戦術書だ。仮面舞踏会という戦争の為の予習だ。よく学び行動した者だけが勝利を掴む。軍人ならわかるな?」


古臭い演説のようなネルケの話しぶりに思わず笑うグレンヴェインは、有難くその本を頂戴した。

ここまで言われては、なんの反論もできない。

彼は私室に戻ると、ページをめくった。

最初の印象通り、あまり興味を引かれない展開だったが


(確かに、これは姫が好きそうだ。彼女は夢見がちなところがあるからな。このシーンは、きっと好きだろう。)


姫を理解するため。

そう思えば読み進める指も軽くなる。


そうして、ダンスの特訓に励み、社交服を仕立て、社交界の会話を学んで迎えた、仮面舞踏会当日。


(仮面をした姫を探せるだろうか。楽しみにしていたから、新しいドレスを仕立てているに違いない。探せなかったら、ここまでの訓練が水の泡だ。)


ダンスホールに入る前、グレンヴェインはそう気を揉んだものの、群がる男たちの中心で輝くその姿を見て杞憂だったと気づいた。


胸元が開いた白いレースのドレスからのぞく、細い首筋や肩は流れるように美しく、しっとりとした白い胸元や二の腕はまるで真珠の輝き。

髪はまとめあげられ、緩く下ろされた顔周りの髪の毛が胸元で揺れる様子が艶かしい。


品位のため貞淑な服装を好む彼女にしては珍しいドレスに、グレンヴェインは仮面舞踏会という開放的な場を心から感謝した。

姫の前では極力隠している『自分の中の男』を否応なく感じた。


彼女に手を差し伸べ、ダンスの相手を願えば、緊張する彼女の指先に気づき、謁見の間で出会った日の初々しい思い出が蘇る。


なんとか緊張をやわげようと彼が言葉をかけると、その肩の力が抜け、いつもの穏やかな笑顔が戻る。

それに彼は心から安堵した。

彼女にかける言葉は、それは、まるで自分の口から出ているとは思えないほど甘く、こんな人間だっただろうかと、彼自身でさえ不思議な錯覚に陥る。

一方、自分の言葉では無いと思うほど、いつも押さえ込んでいる自分の本音がすらすら口を出て、新鮮な気持ちだった。


(苦心して押さえ込んでいる彼女への思いが昇華していくことが心地よい。

仕方なく読んだ本だったが、どんな文化にも触れれば学びがある──これが教養というものか。)


彼は内心、いたく感心した。

ステラとのダンスは初めてなのに、まるで何回も踊り慣れたような馴染みの良さがあり、彼は何度でも踊りたくなる。

天使とのダンスは、夢のようなひと時だった。


『貴方とのダンスは、とても軽やかで楽しくて。

このままずっと踊りたい……』


思い出される、花開くような彼女の言葉と美しい微笑み。嬉しそうな甘いため息。

グレンヴェインの言葉にひとつで、愛しい姫がいつも以上に嬉しそうにはにかみ、視線を逸らし、照れる姿は何物にも代えがたい。


(このまま攫って、永遠に自分だけのものにしたい……。)


グレンヴェインがそう思うほどの破壊力がそこにはあった。同時に、彼は、ネルケの厳しさとナンシーの献身に、これ以上なく感謝した。



グレンヴェインは、何人かの女性に囲まれたまま、心ここに在らずと言った様子でステラとのダンスを思い出していた。


(早く姫のところに行きたいが、なかなか上手く抜けられない。──ネルケが貸してくれた『戦術書』に、こういう時の逃げ方は書いてあっただろうか?気のない女性は、おおよそ無視されてたが、社交界でそれは出来ない。)


しばらく逃げるチャンスを伺いながら逡巡していると、空のグラスをふたつ持ったネルケがやってきた。

ステラとはぐれた時のために、彼女の見張りを頼んでおいて正解だったとグレンヴェインは安堵する。


『こんなところでいつまで遊んでいるんだ、お呼びだぞ。奥から二番目のバルコニーだ。』


それだけ告げて、強めに背中を押されると、グレンヴェインのいた場所にネルケがサッと入り込む。


『やぁ美しいお嬢さん方。私にも貴女達とお話の機会いただいても?あぁ、このドレス。最近人気のものですね。良くお似合いだ。』

『あの紺の仮面の紳士とお知り合いなのですか?』

『えぇよく知ってますよ。でも、彼の素顔は本当に人相が悪くて周りから冷徹人間って呼ばれてるんですよ、ハハハ。僕の方が絶対優しいし、オススメです。どうですか?宜しければ一曲お相手を──』


背後から言いたい放題の会話が聞こえてくる。


(これだけ世話になってたら仕方ないだろう……。)


グレンヴェインは、そう苦笑いしながら、バルコニーへと急いだ。



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