13.仮面舞踏会①
仮面舞踏会当日。
ステラが仮面舞踏会の会場に足を踏み入れると、ダンスホールは眩い光と華やかなざわめきに満ちていた。
シャンデリアの煌めきの下では、様々な衣装やドレスに身を包んだ人達が楽しそうに歓談している。
異国風のローブを纏った紳士、羽根扇子を揺らす貴婦人、手品を披露する道化師、奥では王室楽団が賓客の国の様々な楽曲を奏でていた。
そして何より、皆が仮面をつけているという幻想的な雰囲気が、ステラの胸をこれ以上なく高鳴らせる。
「わぁ、夢の中みたい。」
人並みをかき分けてホールの中央に進むと、横から仮面の女性に耳打ちされる。
「姫様、私です。ナンシーです!」
聞きなれた声に驚いて振り向くと、淡い黄色のドレスに身を包んだナンシーの姿。
仮面はドレスと同じレースとリボンで縁取られ、いつも二つ結びの髪の毛は丁寧に編み込まれている。
「えっ?!よく私だと分かりましたね。」
「何を言ってるのですか。姫のドレスを一緒に選んだでしょう?肩まで開いた白い総レースのドレス……う~ん、いつもの姫と違った感じで素敵です。」
「……それもそうでした。でもナンシー、なぜここに?それにそのドレスと仮面は……?」
城の使用人がどうやって社交の場へ?そう言いたげな表情を察して、ナンシーはその言葉にニマニマする。
「ふふふ、実はこの日のために、ちょっと秘密のアルバイトをしてたんです。もちろん、やましいことじゃありませんよ? お城の偉い方から頼まれて。
それで、その方が頑張ったご褒美に、とってもたくさんのバイト代とこの仮面舞踏会の招待状を下さったのです。ドレスも仮面も、そのバイト代で作りました~。」
ナンシーがくるっと一回転して自慢げにポーズをとれば、仮面の黄色のリボンがひらひら揺れて愛らしい。
「ふふふ、参加の理由がナンシーらしいです。それにとっても似合ってます!本当にすごく可愛い。」
「姫様にお褒めいただき光栄です。
……では、私はこの辺で。あっちでご飯を食べるのに忙しいので!」
ドレスを広げ、深々と優雅にお辞儀をすると、ターキーのバターソースまだあるかな?テリーヌも食べなくちゃ、とドレスのリボンを揺らして人混みの中に消えていく。
(ナンシー、お辞儀の仕方が様になってたわ。あの所作では誰もメイドだと思わないでしょう。どこで身につけたのかしら……?)
その姿を見送る間もなく、次々と仮面の男達がステラに近づく。
「可愛らしいお嬢様。私めに麗しい貴女と語り合うチャンスを……。」
「いやいや、私こそ。異国の話をお話しますよ。」
「麗しい方、私とご一曲願えませんか?」
男たちに取り囲まれたステラは、仮面越しで表情が読めず、怖くなって腰が引ける。
そろそろと誤魔化しながら逃げようとすると、ふいに入口の方でざわめきが起きた。
「まぁ、なんて素敵な紳士。」
「貴族?いや王族ですかな?」
「ねぇ、お傍に行ってお話してみましょうよ。」
人々の注目はひとつの方向に注がれ、頭一つ分背の高い男性の姿が、ちらりと見えた。
彼の歩みに合わせて周囲の人々がお辞儀をし、道が自然と開くのが見える。
彼は辺りを見回す。誰かを探すように。
彼の優雅な足音はざわめきの中でもよく響いた。
ようやく彼が人混みをぬけ、その姿が明らかになる瞬間、ステラは確かにその人と目が合うのを感じた。
仮面をしているから、目がしっかり合うわけなんてない、気のせいのはずなのに。
時が止まったように周囲の光が煌めく。
身動きが取れない。
それでもその人から目が離せず、レースの手袋に包まれた指が震えた。
その仮面の男が一歩、また一歩とステラに近づいてくる。
空気が静まり、時間が張り詰めていくようだった。
仮面越しでもはっきりと分かる、高貴な身のこなし。
すらりと背が高く、引き締まった体を濃紺の礼装に包み、その堂々とした優美な足取りは緊張感とほんの少しの危険な魅惑に満ちている。
紺の仮面の奥から放たれる彼の視線が、ステラを射抜く。
思わず息を呑んだ。
仮面の下、見えないはずなのに、彼の眼差しは、確かに自分だけを捉えている。
周囲の人々は自然と身を引き、まるで二人を舞台の上に誘うかのように見守る。
「……お初にお目にかかります、真珠のごとく気高きお方。」
深く低い、コントラバスのように響く声。
ステラは突然現れ、優雅に挨拶をする仮面の男に驚き、目をぱちぱちさせる。
その無垢な美しさに彼は口の端に微笑みが浮かべた。
ゆっくりと膝を折り、片手を胸に、もう一方の手を丁寧に差し出しす。
「もし許されるなら、一曲、ご一緒願えませんか?」
ステラは戸惑いながらも、その様子に不思議な既視感を覚えた。
(どなたでしょう……?この方に、跪かれたことがあるような──)
鼓動が早まる。この人が誰か、思い出せそうな気がするのに、名前が出てこない。
近いようで、遠い。
よく知っているようで、何ひとつ知らない。
不思議な感覚に心が惑わされる。
仮面の奥の瞳と見つめあったまま、お互いに言葉を忘れた時間が、ただ静かに、鮮明に流れる。
仮面舞踏会にいるのだと我に返るステラ。
彼に優雅に一礼し、そっと腕に手を添えた。
瞬間、指が微かに震える。
こんなにも舞踏会で緊張したことがあるだろうか。
多くの人が二人のダンスに注目している。
人に見らるのは慣れてるはずなのに……。
その好奇の視線が今日は痛かった。
楽曲が始まる前の妙にシンとした緊張感さえ、耳に刺さる。
(一曲目はなんでしょうか、ワルツ?ロンド?
どうしよう、ポルカだったら。動揺してつまづいたりしないかしら。
社交界は慣れているから、どんな曲でも動じたことはないのに。)
こんなこと思ったのは初めてで、彼に合わせてステップを踏みだせるか心細かった。
「緊張……なさってますか?」
上から降りそそぐ、気遣うような優しい声。
その低い声がステラの心を優しく撫でた。
「す。すこし……」
ぎこちなく微笑めば、仮面の紳士は、ステラを驚かせないようゆっくりと耳元に顔を近づけ、ことさらに甘く囁く。
「大丈夫ですよ。私が貴女を導きます。さぁ、肩の力を抜いて。」
耳をくすぐる蕩けるような声が、心を揺らす。
落ち着こうと深呼吸をすれば、彼が纏う深みのある香水に、くらくらした。
彼のために用意されたような上品なウッディノートに、ステラ思わず頬を寄せたくなる。
彼の方を見れず、支えられた手の先を見つめて、彼の進む方向を察しようとすれば、頭の上から「ふふ」と笑われる。
その笑みは慈しみと愛おしさに溢れたものだったがステラにはそれに気づく余裕さえなかった。
「真珠のように美しい貴女と二人だけの世界を感じられたら。」
彼がそう告げた瞬間、楽団が奏でた聞き覚えのあるその曲にステラは安堵して彼を頷く。
それを見て紳士は優しくステラの腰を支えると、リズムに寄り添いながら二人の一歩目を踏み出した。
「この曲、ご存知なのですか……?」
踊りながらも周囲とぶつからないよう注意を払い、ステラに目配せして呼吸を合わせる紳士の姿。
ステラはそのきめ細やかな気配りに安心する。
「これはセレスティア王家に代々伝わる『王家のための祝いのワルツ』です。
即位や婚礼の場で、王家のものが皆の祝福を受けて踊りを披露する曲ですよ。
……でも、今日は皆仮面を被ってるから、無礼講なのかも。」
クスクス笑うステラに、緊張がほぐれたことを察して紳士は
「そのような曲を貴女と踊れるなんて光栄です。それにセレスティアの伝統をよくご存知だ。」
「ええと、王家の方から聞いたことがあり……」
誤魔化すように視線を逸らす。
紳士は話しながらもステラのステップに優雅に合わせ、時に彼女の腰を支えて軽快にターンする。
腰がふわりと浮くようなその動きに
(この人、相当踊り慣れてます。セレスティアにいたら知らないわけがない。国外のお客様かしら……。)
ステラは、まじまじと彼の顔を見る。
紺色の仮面の上には、知的な額と流れる焦げ茶の髪。
仮面越しの瞳の色は分かりづらいが、整った輪郭としなやかな首筋は、彫刻のように美しい。
「美しい貴女に熱く見つめられて、夢のようです。でも、この曲が終わる前に私が溶けてしまうかと。」
「ご、ごめんなさい。ジロジロと……」
耳元で笑うように囁かれて、照れ笑いを返す。
ステラは優雅な音楽に浸りながら、流れる景色に目を細めた。
「貴方とのダンスは、とても軽やかで楽しくて。
このままずっと踊りたい……」
そう微笑むと、ステラの体は紳士に引かれ、その瞬間、二人の視線が情熱的に交わる。
気分が高揚し、ステラが天に向かって身を翻せば、その姿はまるで天使。
紳士はその軽やかな動きに寄り添い、ぴったりと歩調を合わせる。
息のあったダンスに周りから上がる感嘆。
それは二人の優雅な動きをさらに際立たせたる。
仮面の奥の紳士の瞳がステラを見つめる。
「こんなにも素晴らしい瞬間を貴女と迎えられるなんて。この舞踏、忘れることがないでしょう。
貴女にとっても──そうであれば良いのに。」
切なげなその声は、鮮やかな管弦楽の音に溶けていく。
彼の声色にステラが何かを感じれば、二人の瞳が甘く交わる。
息も止まる──一拍の静寂。
二人の心はさらに高まる。
「私たちの心が一つになってるように感じます。
このまま時が止まれば良いのに。」
紳士はそう告げると、自信を持ってリードを強め、ステラをしっかりと包み込む。
もう、二人の視界に周囲の視線は入らない。
ステラの手をしっかりと握り引き寄せ、優雅な動きに合わせて舞えば、ステラと彼の足取りはますます軽くなる。
「貴方のいう通りです。
私たちの心はいま、ひとつ。
心が重なり溶けていくようです。
二人だけで永遠の時の中に漂っているような──なんて幸せなことなのでしょう。」
ターンの終わり、突然、紳士に引き寄せられれば、吐息を感じるほど間近で見て目合う。
(キ、キスされるかと思いました……)
驚きながらも、ステラは流れていく景色の中に彼のことしか見えない自分を確かに感じた。
「もうすぐ、曲が終わりますね。」
紳士のつぶやきに、二人は名残惜しそうに互いの手を握りしめる。
この手を離したくないという紳士の熱がステラにも伝わる。
奏でる調べの最後を、二人で切なく見送る。
夢から醒めたようにうっとりと紳士を見つめるステラ。
その高揚して染まったバラ色の頬、弾む吐息に、仮面の上からでもわかる潤んだ瞳は、紳士の心を強く揺さぶる。
ステラは彼の前で優雅な白鳥のようにドレスを広げ、恭しくも深いお辞儀をする。
その輪舞曲は、幸福な余韻と共に、二人の心を静かに満たした。




