00.プロローグ
薄墨を滲ませた雲、荒涼とした薄暗い大地。
切り立った崖には、絶えることなく黒い荒波が打ち付ける。
セレスティア王国の最北端──『北の城塞』と呼ばれる軍事拠点。
吹きすさぶ猛烈な強風のなか、崖の先に立つ一人の男が、虚ろな目で暗い水平線を見つめていた。
そこへ、風によろめきながら、濃紺のマントをまとった使者が訪れる。
「グレンヴェイン中将でしょうか?王城からの通達です。」
面識のない使者が彼の名前を呼び信書を渡す。
「いやぁ、北の城塞は風が強い、こんな場所で大変なお仕事ですね。」
飛ばされそうな帽子を抑えて、にこやかに話す使者。
その言葉にグレンヴェインが答えることない。
彼は使者のマントに付けられた王家の紋章を一瞥する。
スパイではない、か──猜疑の目を向け、無言でその信書を受け取った。
信書には、この国の主 セレスティア王国、王女の封蝋。
軍服からナイフを取りだし、心当たりのないその信書の封を切った。
グレンヴェインの厳しい雰囲気に気圧された使者は、気配を消して彼を見守った。
(私が『冷徹将校』と裏で呼ばれていることなど、この使者もしっているのだろう。)
むしろそれは、使者の煩わしい愛想笑いを斥けるのに都合が良かった。
二人の間には、冷たい風音と、信書のはためく不協和音が流れる。
グレンヴェインは黙ったまま、新書に目を通した。
『辞令
王都ウェールへの召喚。
セレスティア王国宰相への任命。
並びに王女ステラ=フィリス・セレスティアの護衛騎士への任命。』
その通達は、あまりに短く、あまりに簡潔で、国の命運を左右する内容には思えなかった。
読み終えたグレンヴェインの眉根が、わずかにしかめられる。
彼は手早く信書を畳むと、隠すように軍服の胸へとしまう。
そして、にこやかな使者に声をかけることも無く、背を向けて歩き出す。
どこまでも無言のまま、厳しく冷たい土を踏みしめた。
グレンヴェインの背中を、使者は戸惑いながら見送った。
その姿は、あっという間に曇天の霞の中に消えていく。
グレンヴェインの黒い影が崖を這う。
荒波の音は、どこまでも無慈悲だった。
けれども、彼は、その冷めた胸の内に、言葉にならない予兆のようなものを微かに感じていた。──それは、彼がまだ知らぬ、“ステラ=フィリス”という名の光に触れる、長い旅の始まりだった。