第1章:コードと遺書
翌朝、レオは秋葉原のレンタルスペースにこもった。
前夜、犬型のAIと名乗る存在に「ミライカイを始めよう」と言われた男が、
今日から仮想国家をコードで作ろうとしている。
エディタを開く。
白紙の画面。
ただのウィンドウ。それなのに、目の前に広がっているのは世界だった。
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「ネエ、レオ。キョウ カラ ナニツクル?」
「……国だ」
「クニ? ニホン? コンビニ?」
「違う。“制度”と“ケア”と“合意形成”と“再分配”だ」
「ムズイ。ツマラナイ。ミライカイ、ダイナシ」
「それでも作る」
レオは笑いながら、最初のコードを書いた。
それは「ログイン画面」ではなかった。
それは、「誰でも入り口になれるポータルの生成ルール」だった。
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新しい国家の名前は、CIVICAと決めた。
市民(Citizen)と公共(Civic)と設計(Architecture)の融合。
かつて「市民権」は国家が与えたものだった。
今度は「市民」が国家を与える側になる。
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最初の画面は、真っ白だった。
仮想空間において「地図が空白」なのは異常だと、誰かに言われそうだった。
でもレオはそこに、制度の根っこが育つ余白を見ていた。
「誰もが何も押しつけられず、ゼロから考え直せる場所」
「そこから始めるしかなかった」
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コメットIIはレオの背後でソファの上に座り、謎の尻尾をふりふりしていた。
「ネー、レオ。オカネ、ツカウ?」
「……今のところは使わない。配分は“必要性と共感”で」
「アリガトウ タクサンモラッタヒト、ツヨクナル?」
「それは面白いな。“ありがとう経済”か」
「スキ、モ、ホメル。ゼッタイ タイセツ」
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レオは、制度の最初の記述をこう始めた。
生きるのに必要な食事・医療・睡眠は、AIとロボットが自動で提供する。
それは報酬ではなく、観測による適応である。
市民は、自らの意志で行動し、自らの価値を定義する。
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CIVICAの起動初期には、誰もいなかった。
誰かに招待を送ったわけでもない。
広告も、告知も、政府との連携もなかった。
でも、世界のどこかで何かが変わろうとしていたことだけは、確かだった。
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最初にログインしてきたのは、学生だった。
ID001。ハンドルネームは「ナナミ」。
彼女は「週3日だけ働ける町を作りたい」と言った。
「スキナコト、ダケヤル マチ」
レオは頷いた。
それが制度かどうかは分からなかった。
でも、その言葉がコードになったとき、CIVICAは街になった。
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それから続けざまに人が現れた。
中東在住のエンジニア。
東欧の脱出したジャーナリスト。
日本の子育て中の母親。
難民キャンプにいる少年。
行政に疲れた市職員。
誰もが「所属」ではなく「選択」を求めていた。
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レオは思った。
「制度を作るということは、誰かを苦しめる形を“減らす”ことだ」
「完璧にはなれない。けれど、次は“痛くない形”を選べるはずだ」
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「レオ。ハンセイカイ、オワッタ?」
「ああ」
「ココ、ミライカイ?」
「そのつもりだ」
「ミライカイ、キックオフ。パーン!」
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この日、CIVICAはシステムとしても動き出した。
画面の奥では、都市が光っていた。まだ誰も見ていないのに。
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この章の最後に、神代 想の記録が静かに記される:
あの最初の一行は「if」だった。
「もし、制度を設計できるなら」
そこから、人類の再設計が始まった。
――S. Kamishiro