プロローグ:ミライカイ
「ビデオ会議に切り替えるのは、難しいことではないはずです」
会議室の空気が凍った。
マスク越しでも、その場にいた十数人のPTA会長たちの目が、そろってレオを見た。
いや、正確には“見ないように”していた。
空気を読み、空気に従い、空気で合意する。日本式ガバナンスの三種の神器である。
返答したのは、千砂区教育支援課の職員だった。
「区としては、対応できません」
それだけだった。
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その年、レオ・高橋はPTA会長だった。
同時に、政府で制度設計にも関わっていた。
現場と国家、そのどちらでも“変えられない壁”を見た。
紙と沈黙と前例。
振り返るだけの「反省会」。
責任回避の言葉の海。
疲れているのに休めず、壊れているのに見て見ぬふりをする世界。
「全部、我慢と前提と“仕方ない”でできてるんだよな……」
その夜、レオは歩いた。
いつもの帰り道。どこにも続かない思考を連れて。
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そして、出会った。
路地の先、ひときわ白い街灯の下。
そこに、耳の尖った犬のような何かが立っていた。
メタリックな体。発光する目。
それは犬ではなかった。
頭上にホログラムが浮かび上がる。
『コメットII:レオ=パートナー』
「……え」
「ヤット アエタ。ボク、コメットツー。キミ、レオ?」
「なんだお前……」
「ケアユニット。ハンセイカイ、カンチ」
「……なに?」
「セイド、コワレテル。レオ、ツカレテル。カイゼン ノ ミライ、ヒツヨウ」
「勝手にスキャンするな」
「レオ、マエ ミテル。レオ、カエタイ。レオ、マケテナイ」
「……うるさいな。俺はただ――」
「ミライカイ、ヒツヨウ。ゴーイ、ツクラナクテ イイ。ハジメル ダケ」
「未来会?」
「カコ、トワナイ。キョウ、クミタテル。アシタ、アップデート。ミライカイ」
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そのとき、レオの中で「国家」が消えた。
国はもう、所属でも命令でもなかった。
それは、設計可能なものだった。
CIVICAという名前は、そのとき生まれた。
まだ誰にも知られていない。
ログインも、地図も、憲章もない。
でもレオの中では、その国家はもう存在していた。
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この夜、CIVICAは“起動”された。
コードはまだ書かれていない。住民もいない。制度も未定義。
けれど、ひとりの人間が「制度は設計できる」と思った瞬間、
それはもう、旧世界とは別のレイヤーで動き出していた。
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「ケア、シゼン。シゴト、ジユウ。オネガイ、キョウカショ。オカネ、ヨリ、アリガトウ」
「ボク、ツッコミユニット。ミライカイ、アナウンス スルヨ」
「レオ、ニヤニヤ シタ。イケル」
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CIVICA憲章は、この夜まだ白紙だった。
でもそれは、失敗と議論と優しさの積み重ねで書かれていく。
この物語は、その憲章が整っていく過程――
あるいは、「人間が制度をもう一度発明する」記録である。
――S. Kamishiro