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もうひとつの影⑶

「……くん」



 頭の中で、何か聞こえる。



「……梵くん」



 誰かが、僕の名を呼んでいる。

 早く目を開けなければ、ふわふわとした微睡(まどろみ)(うず)に消えてしまいそうだ。



「梵くん、起きて!」


 勢いよくハッと目を見開くと、白い天井を背景に、ぼんやりとした人の輪郭が覗いていた。視点が定まって来て、目の前にいるのが綺原さんだと認識出来た。

 周りは、薄いオレンジのロールカーテンで囲われている。どうやら、保健室のベッドで寝ていたようだ。

 胸が痛苦しい。排気ガスを吸ったように肺が重く感じる。


「大丈夫? 挨拶活動中に突然倒れたみたい。熱はないようだけど、ひどくうなされてたわ」

「うなされる?」

「変な夢でも見てるのかと思って、強制的に起こしたの」

「夢……か」


 また彼女の夢を見ていた。

 でも、頭の中だけで繰り広げられている幻想とは違う。

 実際に、僕は蓬と会っている。夢という異空間に、別の現実が存在するんだ。


「はっきりとした意識の中で見る夢。綺原さん、前にそう言ってたよね」

「あら、そんなこと言ったかしら」

「実は九十歳のお婆ちゃんがタイムリープしてる?」

「冗談よ、覚えてる。ちゃんと十七歳の女子高生ですから」

「それならよかった」


 少し唇を尖らせて、ベッドの傍に腰を下ろす綺原さんに、僕は質問を続ける。


「夢の中で現実が起こってる。知らない人なんだけど確かに存在してて、僕はその人と夢の中で会ってるんだ。実際に」

「梵くんって、結構ロマンチストなのね」

「寝ぼけてるわけじゃないよ。多分、綺原さんも同じような夢を見てるんじゃないかと思って」


 穏やかだった目が閉じられて、長いため息を吐くように彼女の瞳が開かれた。


「私のは、そんな素敵なものじゃない。現実よりもっと現実的な夢よ。見たくもない未来のね」

「未来?」

「とっても残酷でしょ? だって、好きな人が違う誰かといる光景を延々と見せられているんだもの」


 綺原さんって、好きな人がいたのか。そんなことを口に出来るはずもなく。


「現実でないと割り切れるほど、夢であってくれたらね」


 緩やかに口角を上げる仕草は、表情に乏しい彼女に似合わず無理をしているように感じた。

 なんとなく、その感情が分かる気がする。蓬と男性教師を背後から眺めていた僕が蘇って、煙のように消えていく。誰かを想っている時の顔に似ている。


「不思議な夢を見るようになったのは、ちょうどタイムリープが起こる前日。それか直前だと思う」

「同じね。私も夢から覚めたら時間が巻き戻っていた。それぞれの見ている夢と、何か関係があるのかしら」

「分からない。でも可能性はある。だから、これからノートかスマホに、夢の内容を記録として残しておけないかな」


 無意味なことかもしれないけど、役立つ時があるかもしれない。

 あきれたようなため息をこぼして、綺原さんは僕を見た。それも、少しムッとしたように。


「梵くんには、さっきの話が聞こえてなかったみたいね。今にでも抹消したいバッドエンドの映画を、シナリオにして手元に置いておけってことで合ってる?」

「ええっと……、ごめん。無理にとは言わないけど」


 スンとした顔をしているけど、声色は怒っている。彼女の地雷を踏んでしまったらしい。

 波風を立てないようにと、結局引いてしまう。僕の人生なんて、いつもこんな感じだ。


「あなたって、ほんとお人好し。あまり自分を抑え込んでばかりいると、そのうち心が悲鳴をあげるわよ」


 ツンとした態度で、綺原さんは保健室を出て行った。

 分かりづらいけど、今のは日記を付けてくれると受け取っていいのだろうか?

 クールな印象が定着している綺原さんだけど、どこか柔らかな声は、優しいピアノの音色を聴いているようだった。



 重い教室のドアを開けて気付いた。何十もの弁当箱の蓋が一斉(いっせい)に開かれた匂い。時計の時刻は、十二時半を示している。

 今は昼食の時間。挨拶活動中に倒れたのだとすると、少なくとも四時間以上は眠っていたことになる。

 登校した覚えはあるけど、今日は挨拶活動をした記憶がない。最近、夢と現実の境目が曖昧になっている。


「直江、大丈夫か?」

「ゆっくり休んだ方がいいよ」と、クラスメイトの心配する声が飛び交う。


「ありがとう。もう、平気だから」


 彼らの言葉に、胸を撫で下ろして席へ着いた。弁当を食べる頃合いを見計らって戻ったと思われたのでは、という気持ちが少なからずあったから。

 前の席に、綺原さんの姿はなかった。苗木(なえき)は、ちょうど購買から帰って来たようで、右手にパンを持って入って来た。


「直江、もういいのか? 眠り王みたいになってたんだろ?」

「変なネーミング付けるのやめてよ」

「いや、お前は王だよ。頭良いし、なんでも出来るからなぁ」

「僕は全てを卒なくこなす完璧な人間じゃないよ。それに全然、すごくないから」


 僕は何も出来ない。ただ、毎日を必死に生きているだけなんだ。周りに認めてもらいたくて、弱言に潰されないように、踏ん張っているだけ。


「生徒会長と部長ってゆう二足の草鞋(わらじ)を持つ者だぞ? それに、将来は歯科医師ときたら、なかなかいねぇよ」

「履くんじゃなくて、そこは持ってるんだ」


 思わず、プッと顔がほころびる。たまに難しいことを言い出したと思うと、覚え間違えている。そこが、苗木の良いところでもあるのだけど。


「まあ、細かいことは気にすんなよ」


 笑いながら、苗木が僕の机にパンをひとつ置いた。校内で一番人気のクリームパンだ。


 高校へ入学した頃を思い出した。新入生の挨拶をした僕は優等生と見られて、不良と呼ばれる上級生から目を付けられた。勉強ばかりしている頭の固い奴だと。

 校舎裏へ呼び出されて、「金をよこせ」と(たか)られた。家が歯科医院であると知られていたため、金を持っていると思われたのだろう。

 でも、僕の財布に入っていたのは三千円だった。


「おい、お前しけてんな。ほんとに歯医者の息子かよ」

「諭吉さま、別のとこに隠してんじゃねぇの?」

「探してみるか?」


 上級生たちは、ブレザーを触り始めた。自分よりがたいの大きな人間を相手にしていても、それほど怖くはなかった。死ぬほど殴ってもらえたら、入院出来るくらいに考えていたから。


「僕、そのお金渡すなんて言ってませんけど」

「お前、なに調子乗ってんの? 大人しく言うこと聞け……」


 手を振りかざされた時、偶然通りかかったのが同じクラスの苗木大祐(たいすけ)だ。


「何してんだ? お前、直江じゃん。直江、直江……えっと」

「梵だよ」

「そうそう、直江梵! 誰か探してたなぁ。ああ、生徒指導だ! もうすぐここに来るぞ」


 その声を聞いた彼らは、慌てて逃げて行った。

 どうして助けてくれたのか訪ねると、苗木はいつもながらの笑みを浮かべて。


「ここは俺の憩いの場だ。せっかくのクリームパンが不味くなる」

「ごめん」

「直江って、いつもそうやってとりあえず謝ってんの? お前悪くないのに、謝る必要ねぇよ」


 クリームパンを半分に分けて、僕へ差し出すと。


「これ上手いから食ってみ。嫌なこと飛ばされて、元気出るぞ」


 思わず吹き出してしまった。苗木は何が面白いのかと戸惑っていたけど、純粋に嬉しかった。成績や役割りでしか認めてもらえない僕を、名前も知らないただのクラスメイトとして助けてくれたことが。


「……うまい。すごく」

「だろ?」


 今まで食べた昼食の中で一番と言えるほどに、そのクリームパンが美味しかったことを覚えている。

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