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もうひとつの影⑵

 ふわっと身体が宙に浮いて、背中が落ちる。後ろに重心を置いていたため、屋上のコンクリートへ着地した。


「あなた正気? それとも死にたいの?」


 動揺した声の主は、綺原さんだ。普段はクールで冷静な彼女でも、さすがに取り乱す状況だったらしい。

 無意識だろうが、僕のカッターシャツの袖を掴んでいる。小刻みに震える指が、相当焦っていたことを物語っていた。


「どうして綺原さんがここにいるの?」

「そんなこと、どうでもいいじゃない。今は、あなたが飛び降りようとしていた事の方が問題でしょう?」

「違うんだ。いるはずのない綺原さんが、ここにいるという事実が問題なんだよ」


 一度目の時、彼女は屋上へ来ていなかった。

 だけど、今はこうして目の前にいる。


「意味が分からない。私は梵くんの後を付けていた菫先生を追って来ただけ」

「前は教室に戻った時、綺原さんは弓道場にいた」

「勘違いじゃないのかしら?」


 日南先生と屋上で初めて話したあと、生徒会を終えてから部活へ行った。遅刻したのは、僕だけだったと覚えている。

 綺原さんが、僕の記憶と違う意志を持って行動していることは間違いない。モコバーガーの件もそうだ。一度目は、一緒にご飯など食べていない。


 でも、この妙な違和感はなんだろう。食い違うはずの会話が、すんなり噛み合う感じ。


「じゃあ言わせてもらうけど、私は前も菫先生を追って屋上へ来た。何も違ったことはしてないつもりよ」



 ──予想通り。

 綺原さんの時間軸も、巻き戻っている。前と違う言動をしたり、タイムリープしていなければ理解しがたい話も受け入れられたわけだ。


「初めから違ってたんだ。僕と綺原さんが未来から来ていることに違いないけど、元々の世界は別だってこと」


 お互いの過去には、少しずつ誤差がある。どちらの記憶も正しいとすれば、今ここにいる僕らはAとBというそれぞれの世界線から、また別のXという過去に飛んで来た可能性がある。

「なるほどね」と、綺原さんは何かを考えるように口を閉じた。

 些細な選択が積み重なって、違う未来を作っていく。同じように感じる過去でも、少しずつ変化しているんだ。


「ところで、梵くんはいつからタイムリープしてるの?」

「八月二十一日。日南先生の葬儀から」

「菫先生の……葬儀?」


 目を丸くした綺原さんは、いつも出さないような高い声を上げた。少し驚いた様子で何度も瞬きをしている。


「違うの?」

「私は、九月十八日から。それから、菫先生は生きていた」

「そう、なのか。それならよかった」


 別の世界線では、日南菫は生存していたのか。そうなると、持病で亡くなったという理由が虚偽だったと考える方がしっくりくる。

 だけど、どうして……。ああ、分からない。


「でも葬儀はあった。梵くん……。九月十八日は、あなたの葬儀だったの」


 風の吹き付ける音が聴覚を奪うように、耳元を走り去って行った。空を飛ぶ鳥のさえずりが、効果音のように虚しく鳴っている。

 綺原さんの動かす唇だけが、ジリジリと脳裏に焼き付いていく。


 ──そうか、僕は死んだのか。



 ふわふわと浮くような気分から、ゆっくりと目を覚ました。太陽の眩しい日差しが、カーテンの隙間から覗いている。

 今日は、珍しく夢を見なかった。なくても困りはしないのに、何か物足りない妙な感覚だ。

 ベッドから起き上がった状態で、指をグッと握り、パッと開いてみる。ちゃんと自分の意思で動かす事が出来る。まだ僕は生きているのか。


 いつも通りに朝食を終え、歯を磨いて登校する。


『九月十八日は、あなたの葬儀だったの』


 昨日、綺原さんが話してくれたことは事実だろう。そのあとの話は、ほとんど覚えていない。

 自分が死んだ事実を告げられたというのに、ああそうかとしか感じられなかった。生きることに執着はないけど、そこまで何もないものか。


 誰もいない教室へ入り、頭の中を整理するためノートを開く。

 僕のいた世界線Aでは、八月二十一日に日南菫の葬儀が行われた。綺原さんのいた世界線Bでは日南菫は生きていて、九月十八日に僕の葬儀があり、現在いる世界線Xへ僕と綺原さんはタイムリープした。

 些細な選択肢によって未来が変わるのは分かるけど、この一ヶ月の間で何が起こったのか。


 彼女の死か、僕の死か。


 後ろからカタンと音がして、ふっと意識が戻る。


「何してるの?」


 振り返るより先に、すぐ隣に誰かが来た。聞き覚えのある透明感あふれる声は、確認しなくても蓬だと分かった。

 ノートを閉じた僕を覗き込むように、蓬はクスッと白い歯を見せる。


「今、何隠したの? もしかして、イケナイ悪いこと?」

「なんでもないよ。というか、どうして君がここにいるの?」

「君じゃなくて、よ・も・ぎ。だって、ここは私の教室だもん。梵くんこそ、クラス間違えたんじゃないの?」


 辺りを見渡してみる。同じような教室だけど、どこかしら違和感があった。知らない黒板の字、見慣れない掲示物と生徒の持ち物。

 ここは、どこだ?

 僕は、また夢を見ているのか?

 机の上にある筆記用具は自分のだけど、転がっている鉛筆は違う気がする。


 そういえば、小学生の時にキャップを付け損ねて、左手親指の付け根部分の膨らみに芯が刺さったことがある。激痛で涙をこらえながら、体育をしたことを思い出した。

 もし夢ならば、痛みを感じないのだろうか。

 アイスピックで氷を割るように、肩の位置から鉛筆を振りかざす。


 あれ、手が動かない。頭でイメージは出来ているのに、体が思うように反応しない。手に伝わる感触のリアルさに怖気(おじけ)ついたのか。

 上げている腕に、包み込むような手のひらが触れた。


「自分を傷つける行為はダメだよ。それに、すごく痛いよ? それ」


 耳元でささやくように、蓬は僕の手をそっと下ろす。


「夢でも痛いのかな」

「夢でも痛いよ。それに、私たちは不思議な夢の中に閉じ込められてるから。もしかしたら、起きたら本当に怪我してるかもしれないよ?」

「そうなのかな」


 手のひらを眺めながら、別に構わないと胸の中でつぶやく。

 いっそのこと、ベッドの上が血だらけにでもなっていたら、学歴と肩書にしか興味のない両親でも僕に関心の目を向けるのだろうか。


 教室がざわつき始めた。登校して来た生徒たちが、各々の席へ座っていく。

 やはりと言うか、見覚えのない顔ばかりだ。僕のことが見えていないのか、それとも見てない振りをしているのか。まるでここが映画館かのように、皆が知らぬ顔で通り過ぎて行く。

 流れに乗って、蓬も斜め前の席へ着いた。

 前のドアから担任と思われる男性教師が入って来る。二十代半ばくらいで、眼鏡姿の落ち着いた物腰の男。

 当然初めて見る顔だ。出席を取り出して、男子が順次に返事をしている。


 そろそろ、目を覚ましてもいい頃だろう。だけど、この現状から一向に抜け出せない。

 最初から、僕の意識は明瞭(めいりょう)としていた。

 おそらく、眠っている時間に見る夢とは違う。これは、夢と現実が織り混ざっている不透明な空間。

 自分の名が読み上げられて、反射的に小さく返事をする。蓬以外の人間からも、僕という存在は認識されているのか。

 不意打ち過ぎて、少し取り乱してしまった。机にぶつけた肘が、心なしかジンと痛む気がする。


 さすりながら、斜め前に座る彼女へ視線を飛ばした。相変わらず、鼻筋の通った綺麗な横顔だ。

 大きな目の下瞼が持ち上げられ、恍惚(こうこう)とした表情が色気を感じさせている。

 酔いしれるような眼差しが向かうのは、教壇の前に立つ担任と思しき男だ。たしか生徒から、皆川(みなかわ)先生と呼ばれていた。


 蓬は、あの皆川という教師に恋をしているのか?


 思ったとたんに、もやっとした黒い煙が胸の中に現れて、僕は意識を失った。

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