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君にさよなら⑸

 夏休みが終わり、二学期が始まった。日焼けした腕を見せびらかす男子や、彼氏が出来たと恋話に花を咲かせる女子。遠巻きに、青春とはあんな感じなんだろうと眺めていた。


「全くもって不思議ね。恋なんて、何が楽しいのかしら」


 前の席で頰杖を付きながら、綺原さんがため息をこぼす。


「綺原に乙女心ってやつはねぇのか?」

「あら、乙女じゃなくて悪かったわね。そうゆう苗木にはあるのかしら、男心ってもの」


 また言い合いが始まった。とばっちりを受けないように、知らないフリをして机に突っ伏す。


「そ、それって、もしかして、俺に告……」

「梵くん、ちょっといいかしら? 二人で話がしたいの」

「えっ、ああ……うん」


 苗木の話を最後まで聞かないで、綺原さんは僕の腕を引っ張り教室を出た。気の毒に思えて振り返るけど、遠退いて行く彼は浮かれた様子でなぜか楽しそうだ。

 胸の奥をチクリと刺された感覚になった。今の僕は、苗木を裏切っていることにならないか?

 後夜祭でのことを苗木に話すべきか悩んだが、できなかった。わざわざ言って、傷つけなくてもいい。

 綺原さんと僕は、ただの……友達なのだから。


 女子更衣室に連れられ、綺原さんがドアの内鍵を掛ける。こんな密室に二人でいたら、変な噂を立てられそうだ。苗木にも誤解を与えかねない。

 落ち着かないでいると、彼女は制服のポケットから何かを取り出した。透明の袋に入れられている多量の白い錠剤だ。


「何、これ?」

「この前、菫先生の部屋で見つけた睡眠薬と精神安定剤よ。あの後、話すタイミングがなくて私が持っていたけど、これはあなたに渡しておいた方がいいと思って」

「まさか、それ……」

「おそらく。憶測(おくそく)でしかないけど、これが原因だったんじゃないかと思って。お母様から聞いたことだけど、情緒が不安定な時期もあったみたい」


 日南菫は、薬の多量摂取で亡くなったのか? 

 だとしたら、何がそこまで彼女を追い詰めていたのか。そもそも、誤飲で死に至るのは昔の話じゃないのか?

 いくら思考を凝らしてみても、答えは出ない。この世界線では、すでに解決された問題なのだろうか。


「そんなに真剣な顔して、やっぱり菫先生のこと好きなのね」

「そういうわけじゃない。日南先生を助けたい気持ちは、綺原さんも一緒だったはずでしょ?」

「……そうね。でも、私は──」


 溜め込むような唇をして、彼女は小さく微笑む。


「どうしたの?」

「菫先生のことキライよ。前から、ずっと大キライ」

「何、言って……」

「あなたが命を落とした原因は、日南菫なのよ」


 袋を握る手に、じわりと汗が滲み出す。

 日南先生の死、ピアノ、未来を変えるために必死で、すっかり忘れていた。


 九月十六日、僕は死ぬ。気付けば、もう二週間ほどしかない。

 日南先生が原因って、何があったと言うんだ?

 それもまた、起こらない世界へ動いているのか?

 タイムリープをしたのは、八月二十一日。これから起こる未来を、僕は知らない。

 少し前まで、どうでもいいと思っていた。生きること死ぬことに執着がなくて、ただ呼吸をしている(うつわ)のようだった。


 だけど、誰かを思う淡い感情を知った。

 何かを共有し合って、協力する仲間を得た。笑い合うこと、闘うこと、必死にもがきながら歩く道は、生きていなければ知り得なかったものだ。

 今の僕は、まだ生きていたいと心が震えている。



 何事もなく数日が過ぎた。掲示板に貼られた体育祭までの日めくりカレンダーが、死へのカウントダウンに見える。

 昼食の弁当を食べながら、窓の外へ目をやる。視線の先には、今日も一人で木陰に腰を下ろす綺原さんがいる。

 一緒に食べようと僕らが誘っても、決して頷かない。彼女のこだわりなのかは知らないが、女心は未知数だ。


「そういえば、綺原って学校休んだことあったか?」


 綺原さんの席に座る苗木が、校庭を眺めながらつぶやく。飲むヨーグルトを片手に、何かを思い出す表情を浮かべている。


「はっきり覚えてないけど、一回か二回はあるんじゃないかな」


 風邪とか、と言いながら記憶を探る。欠席する印象はあまりないけど、急になんの話だろうと首を捻った。

 ハムスターのようにもぐもぐと口を動かしながら、苗木がまたぽつりと言う。


「学級写真にいなくてさ、あれ? って思ったことがあったんだよ。まあ、休んでたんだろうけど。どうだったっけなぁと思って」

「さすがに、その時はいた気がするけど」

「でも写ってなかったんだよ。あれから写真失くしちまったから、どうしようもねーんだけどさ」



 苗木の話は事実だった。

 家へ帰ってすぐ、写真の入ったファイルを確認した。遠い記憶には、どの場面にも落ち着いた表情をする綺原さんがいたのに、二年の学級写真、弓道の集合写真、体育祭、ゆめみ祭、全てに彼女の姿はなかった。


 一年の頃から、綺原さんの存在を知っていたはずだ。二年で同じクラスになった時、屋上で空を見ていた僕の前に現れて、声を掛けてくれたことがあった。


『みんなに愛想を振りまいて、疲れない?』

『それって、遠回しに僕が八方美人だって言ってる?』

『否定はしないわ』

『そこしないのか。なんでだろう。みんなから良く思われたいから……かな。なんでそんなこと聞くの? えっと、君の名前』

『綺原XXよ。なんでかって……』


 やっぱり、名前の部分だけ思い出せない。映像が曖昧(あいまい)になって、アルバムから写真が抜かれたように記憶が色褪(いろあ)せていく。

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