聖女死すとも
その翌日の事だった。
王都の大広場で一つの儀式が行われようとしていた。
それは旧時代に決別し、新時代の到来を告げる為に欠かせない、一種のけじめ。
設けられた台座の上に、三つの断頭台が並んでいる。そこには三人の姿もあった。
一人はアルミナ王国の“先王”アルバート五世。
一人はその妻にして王妃たるアクア・レイド。
そして最後の一人は、二人の娘にして王女たるサクナ・レイド。
「この者達は、聖女ミリアを不法にも貶め、あまつさえ殺害した罪により、アルミナ王ライア一世陛下の名において死罪に処す。ライア陛下の格別の慈愛により、聖女様と同じ断頭台を用いての苦しみの無い死を与えるものである」
執行官の大音声がけたたましく響き渡る。
すると、見物に訪れていた大群衆から、「殺せ」「殺せ」とシュプレヒコールが上がり出す。
その声に押されるように、玉座に腰を据えていたライアはゆっくりと立ち上がった。彼がサムズダウンさせた瞬間、断頭台は容赦なく牙を剥き、血に飢えた人々が待ちに待つイベントの幕が上がるのだ。
「た、助けて」
この期に及んで、そんな泣き言を吐き出したのはサクナである。
父であるアルバートは観念したように項垂れ、母たるアクアは迫りくる死を前に精神的崩壊を起こして失禁した挙句に気を失っている。そんなある意味で素直な二人に対して、サクナだけが未だに運命に抗う姿勢を崩していないのである。それだけ生に対して健気と言えるが、あるいは往生際が悪いとも言える。
「ねえ、助けて」
上目遣いで、露骨に男に媚びる感じ。
あるいは在りし日のミリアに擬態する事で、絆されたライアのお慈悲に縋ろうという姑息さが露骨だった。姉妹だけにそれっぽく振舞えば見た目は確かにミリアっぽいが、それ以外は正直どこも似ておらず、むしろサクナがミリアをどのように見ていたかが分かる気がして、ライアの怒りをいたずらに刺激しただけであった。
「助けて、か」
ライアは一息を置く。
「ミリアがお前に助けを求めた事があったかは知らんが、ミリアを虐め甚振っていたお前は、ミリアを助けようとは思わなかったのか。あるいは実の父や母に罵られていた姉を助けようとは思わなかったのか? それ以前に処刑されようとしていた姉を助けようとは思わなかったのか?」
「……」
「まあ、思わんわな。むしろお前が主犯だったと聞いている」
「ち、違うわっ!」
サクナは必死に訴える。
ライアは呆れたような顔で「何が違う?」と尋ね返した。
「わ、私が姉上を殺したなんて、……ぬ、濡れ衣よ……。そ、そうよ。父上が勝手にした事よ。私は関係ないわ。だってそうでしょ。私はただの王女なのよ。姉を殺せと決断して命令したのは王である父に決まっているわ。そう、そうよ。悪いのはそこにいる父よ。私は強いられたのよ」
「……そうだな」
苦笑するしかないとはまさにこの事だとライアは思った。
この期に及んで罪を父王に擦り付け、あまつさえ自分も被害者だと言い張るとは……。あるいはその厚顔さは見習うべきなのかもしれない。生き残る為にはあらゆる手を惜しまぬ彼女の醜態ぶりは、一周回っていっそ清々しい。
「お前はそんなに死にたくないのか?」
ライアの下問は続く。
サクナは必死にコクコクと何度も何度も頷いてみせた。
「ならば一つ選択肢を与えても良いが」
ニヤリと不敵に笑うライアを、サクナは暗闇の中に一筋の光明を見出した狂信者のような顔をして見つめている。
「俺が……余がお前に与える選択肢は二つだ。このまま首ちょんぱで潔く死ぬか、あるいは、目の前の群衆の中に降りて行き、彼らの間を通過して無事に王都の外に出られたら、もはや命はとらぬ」
「……こ、この中を?」
殺せ殺せと、壊れた人形の如く叫び続けている群衆を見て、サクナは思わず息を呑んだ。彼らの中を素通りして、無事で済む可能性は限りなく低い。怒りに滾る彼らによって嬲り殺しにされるのが関の山だろう。
「どうする。せめてもの餞別に剣の一本ぐらいは与えてやるぞ」
「……」
何万何十万という殺気立った民の群れを通るのに、剣一本貰ったところで何の役にも立たない。むしろそんなものを振りかざせば、彼らの怒りを煽って最悪の事態を招きやすくなるだけ。いっそ丸腰の方が相手を刺激しないし、何なら全裸にでもなれば、困惑も相まって、いっそう手を出し辛くなるだろう。あるいはそこまでやれば逃げられるかもしれない。
だがっ。
サクナは歯噛みした。
そんな屈辱を甘受する事など断じてできぬ。
自分はアルミナの王族。次期女王と目された女なのだ。
奴隷や娼婦の如く、惨めに生きる事などできるわけがない。
「フン、お前の覚悟もそんなものか」
葛藤している彼女を見て、ライアは嘲笑う。
「生き残る為ならどんな事でもするかと思えば、そういうわけでもない。そんな中途半端な覚悟で運命に抗えると思ったのか。大体、そんなちっぽけなプライドを抱えたままでこの世界を生きていけると思っているその根性が度し難い。かつてお前達によって王都を追われたミリアは、民の中に自ら分け入って、治療にあたったものだ。自ら貧民の膿を吸い取り、身体を拭き、看病に明け暮れた。お前にそれが出来るか? その程度の覚悟もない奴が、国が滅びた後も生き残りたいなどと安直な事を抜かすな。ここで死んでおいた方がお前にとっても良いのだ」
もはやライアはサクナが何を言おうと耳を貸さなかった。
淡々と腕を前に突き出し、横に突き出した親指を下に向ける。
王命が下ったのだ。
執行人は恭しく頭を垂れてから、任務に勤しむ。
まもなく刃が落とされた。
三人は悲鳴を上げる間もなく死んだ。
□ □ □ □
その日、王都アルナの空には、穏やかで晴れ晴れとした、それでいてどこか空虚な光景が広がっていた。アルナ市街は煌びやかに彩られ、主役たる青年の晴れ舞台を見届けるべく、好奇と興奮に駆られた民衆が次々と街に繰り出していた。
彼は偉大なる彼らの王。
アルミナ王ライア一世。
民衆革命によってその地位を得た彼の事を、人は“万民の王”とか“聖王”と呼ぶ。
今日はその偉大なる新王が正式に即位するのだ。
若き王の傍らには、本来あるべき人の姿がない。
だが彼を見る誰もが、彼の傍らに在るべき人の姿を見ていた。
近衛兵を従えたライアは、王都中を練り歩き、やがて王宮に入る。文武百官の敬礼を受け、正殿大広間の中枢に備え付けられた玉座の手前に歩み寄った彼は、その上に置かれた王冠を手に取って、自ら頭にかぶった。歴代の王が被った冠とは異なり、豪奢とは縁がない粗末な作りだが、それだけに“庶民の王”を印象付ける。
王冠を被ったライアは、意を決したように群臣の方に向き直る。
「ライア一世陛下、万歳っ!」
真っ先に声高に叫んだのは、ハクアだった。
ライアの妹的存在で、王族に準じる彼女こそ、第一声を上げるに相応しかったのだ。
彼女の声に続いて、文武の臣下達が次々と「陛下万歳!」の声を上げていく。
万歳三唱を受けながら、ライアは無言で玉座に腰を下ろす。
こうして名実共にライア一世の統治が幕を開け、エード王朝の歴史が正式に始まった。王権を得たライアが真っ先に手を付けた事は、王都にミリアの名を冠した教育機関を設け、治癒魔術を習得した医者の育成に勤めつつ、やはりミリアの名を冠した診療所を王国各地に設営して、医療体制の拡充を図った。王都や主要都市に上下水道を築いて衛生環境の改善を図ったり、貧民に食糧配給を行ったり、新田開発などに積極的に投資するなど国を蝕んできた慢性的貧困の解消にも取り組むなど、そもそも疫病が蔓延しない状況の確立にも力を注いだ。
かつてミリアは自ら治癒魔術を極め、それを民に施す事で、病に苦しむ民を手ずから救おうとした。その志は半ばで潰えたが、ライアは違う形で受け継いだのだ。彼は彼女から学んだ治癒魔術の技能を、彼女のように手ずから行使する事は遂になかったが、代わりに彼女から学んだ知識や技能を広く世界に開放し、そこから学んだ“医師”を各地の診療所に配する事で組織的に万民を救おうとしたわけである。
聖女死すとも聖王あり。
かくて“聖王”ライアと“聖女”ミリアを称える声は、国中に轟き、歴史に上にも深く刻まれる事になった。聖王ライアの下、“国民国家”と化したアルミナ王国はいよいよ加速度的に発展し、やがてはそれを持て余すように近隣諸国を飲み込んでいく事になるが、それはまた別のお話……。