新王誕生
「まだ後悔しているの? お姫様を助けられなかった事を」
「さあな」
苦笑を間に挟んでから、ライアは改まったようにこう言った。
「俺は確かに能無しさ。助けると言っておきながら助けられなかったのだからな。だがいつまでも女々しく後悔に打ちひしがれていても何も始まらんし、第一、戦士らしくねえ」
「フフ、戦士ね。ほんと、兄様は昔から変わらないわね」
ハクアは愉快そうにカラカラと笑う。これまで彼が「戦士になるんだ」と豪語するたび、誰もが笑い嘲る中で、唯一笑わず真剣に受け止めてくれた女が、今は笑っている。あるいは今であれば、かつて笑い嘲った者達は笑わないかもしれない。その逆を行くように無邪気に笑っている彼女に対し、ライアは不快感以上の安心感を覚えた。
「ねえ、兄様はこれからどうするの?」
おもむろにそう問うてくるハクアに、ライアは訝し気な視線を向ける。
「……これからって?」
「王様になるの?」
王都が陥落し、アルバート五世が失脚すれば、それはエグバート大王以来連綿と続いてきたレイド王朝の崩壊を意味する。当然それに代わり得る新王朝が樹立されなければ、アルミナ王国それ自体の滅亡となってしまう。目下、その最有力候補は、革命軍を率いるライアに他ならない。地方の庶民上がりだが、レイド王家の姫君にして聖女たるミリアの夫という事にしてしまえば、一応は王位継承の正統性も立つ。
「そうだな。戦士が王様になったって例もないわけじゃないからな」
「……そうね」
ハクアはどこか落ち着きを欠いている。
ライアが王様になるならば、妹的存在の彼女は王女に準じる存在という事になる。村娘として育った少女が、あれよという間に王女様となるわけで、子供の夢でもあり得ないような急展開に彼女が困惑するのも無理はないと、彼は他人事のように思った。だが彼の予想は少し外れていて、ハクアの悩みの根本は別のところにあった。
「王様になるなら、お妃……も迎えるわけだよね」
「……いきなりなんだよ」
ライアは首を傾げ、困ったように頭を掻いた。
「だ、だって、お世継ぎとか残さないといけないし」
「世継ぎって、気が早いな。俺はまだ十九歳だぞ」
「でも」
恥ずかしそうに顔を真っ赤にしている彼女を見て、ライアはしばし困惑していたが、やがて何かに気づいたようにパンと手を叩きながら言った。
「ああ、お前が王妃になりたいのか?」
「え、あ、い、いや」
そんなわけないと言おうとして、ハクアは言葉を失った。
「すまん。お前の気持ちは有難いが、今は受け入れる事はできんよ」
「……今は?」
ハクアの顔の上に、僅かながら喜色が浮かぶ。
「まあ、未来の事は誰にも分からんからな。俺の気が変わるという事がないとも言えん」
「……そ、そうだよね」
「期待はするな。今のところ俺は誰とも結婚する気はない。それに俺はミリアの婚約者にして夫という肩書で今の立場にある。それがいきなり別の女を妻として迎えたら、いかにもおかしいだろう」
ああだこうだと言っているが、要するにミリアの事が忘れられないだけだとハクアは心の中で思った。元々ライアは異性を含め、他人とのかかわりを極力抑え、ただひたすら鍛錬に明け暮れる日々を送ってきた。喧嘩をすればやたらと強く、必ず勝つのでいつしか子分も出来たが、それは彼の強さに惹かれた者達が勝手に子分を称して付き従い始めたからで、彼自身が望んだ事ではない。
そんな排他的な彼の心を見事に射止め、見事に取り込んだのがミリアだった。以来、ミリアの存在は死に別れたという悲劇的な現実に後押しされる形で、彼の心に深く刻まれてしまった。だからライアがミリアを気にして、彼女の為に独り身を貫こうとする気持ちはわからなくもないし、むしろそういう彼だからこそ、ハクアは気になるし、好きにもなってしまうのだった。
ただ、ミリアの立ち位置を自分が占める事が出来なかった事は、ハクアは今でも悔しくてたまらない。自分はミリアなんかよりよっぽど昔からの付き合いなのに。しかし、ライアにとってハクアはどこまでいっても“妹”でしかなく、幼い頃から形成された兄妹的関係がある種の壁となっていたから、彼女が幾ら望んでも、あるいはどう振舞ったところでミリアのような立ち位置を得る事は難しかったろうが。
「そういうわけだ。だがお前は俺の妹だ。血は繋がらずともな。だからお前が誰かと結婚して、子供を産んだなら、そいつを世継ぎとやらにしてもいいかもしれん」
人の気も知らず、ライアは好き勝手な事を言う。
あるいは恥ずかしさを隠す為の方便であったかもしれず、恐らくそうだと決めつけたハクアは、フンと鼻を鳴らしてから、こんな事を言った。
「勝手に決めないでよ。私が誰と結婚するかは私が決める事よ。私だって誰とも結婚しないかもしれないし」
貴方以外とは、という言葉を強引に飲み込んだハクアに対して、ライアはカラカラと愉快そうに笑った。
「そうかい。ま、それもいいさ。どのみち人生なんざ、何が起きるか誰にも分からん。一寸先は闇ってね。明日には気が変わっているかもしれんし、状況や環境自体が変わっているかもしれんが、そんな事をいちいち考えていたら気が滅入る。今最善だと思う道を歩めばいいのさ」
「……フフ、まあ、そうかもね」
僅か数ヶ月の間に農民の子から革命軍の盟主に、そして一国の王にまで駆け上がろうとしている男が言うのだから、重みが違う。人生とは、確かに何が起こるか分からない。一寸先は闇なのだ。
であれば、諦めなければ道が拓けるかもしれないという事である。
ならばこれからも頑張ってみようと、ハクアは心の中で密かに決意した。頑張り続けているうちに、ライアの中で何かが変わって、自分に振り向いてくれるようになるかもしれないのだから。
そんなハクアに、ライアは生暖かな視線を向けている。
□ □ □ □
王都アルナが陥落したのは、ライア軍がこれを取り囲んでから、僅か三日後の事であった。
ライア軍の呼びかけに応じる形で王都の市民が一斉に蜂起し、王宮に押し寄せた事がその要因である。十万を超えるアルナ市民に詰め寄られては、王宮に立て籠もる数千の兵士やそれを指揮する貴族達が日和ってしまったのも無理はない。より直接的には、アルバート王の身辺警護を担う近衛兵団の司令官が裏切って、王とアクア王妃の身柄を拘束し、王宮を囲む暴徒の群れに中に放り込んだ事にある。
市民達は国王夫妻を殺しこそしなかったが、代わりに身包みを剥がし、素っ裸にして王都を練り歩かせるなど、徹底的に辱めを与えたうえで、相変わらず王都を囲んだままでいるライア軍に降伏の証代わりに引き渡した。そのライアは国王夫妻を自ら引見して、復讐が遂に成った事を思う存分堪能していたが、思っていたほどにはすっきりせず、昂奮する事もなく、ただ空しさだけがこみ上げてきたので、そんな現実から目を背けるように全軍に対して王都入城を果たすように命じたのだった。
こうしてライア軍二十万は開かれた城門より一斉に市内に入っていった。
ライアもまた馬に跨り、衛兵を従えて、歓喜に包まれた市内を進む。
彼にとって、王都アルナの城門をくぐるのは、これが初めての事だった。見るもの聞くもの全てが新鮮であり、生粋の田舎者である彼を困惑させるに十分である。しかし、今の彼は単なる観光客ではない。数百年続いた王国王朝を打倒し、王都を支配下に置いた征服者なのだ。余りに田舎者っぽく振舞えば征服者の威厳にもかかわるわけで、ライアは改めて居住まいを正し、冷静を装う事に余念はなかった。
「ミリア様万歳!」
「聖女様万歳っ!」
市民達の歓声が飛び交う。
「ライア様万歳っ!」
「新たな王に万歳っ!」
そんな声もある。
ライアは笑顔を振りまき、手も振って、群衆の歓喜に応えた。
昂奮は益々ヒートアップして、王都中を飲み込んでいった。
ライアはハクア以下の側近や護衛兵と共に王宮に入り、その中枢たる“玉座の間”に歩を進めた。かつてレイド王家の当主達が腰を下ろし、文武百官に君臨した豪奢な椅子の上に、彼は当たり前のように居座る。正式な践祚や即位の儀式は後日改めて行うとしても、今の彼は誰の目にもこの国――アルミナ王国の新たなる王に他ならなかった。
「国王陛下万歳!」
待ち構えていた貴族達が次々と平伏していく。
「万歳、万歳、万々歳!」
ここに、アルミナ王国の新たな王たるライア一世が実質的に誕生した。
即ちアルミナ王国第二王朝たるエード王朝の歴史が幕を開けたのだ。




