重い期待
一連の情報に触れたライアは、眩暈がするほどの混乱と困惑と、何よりも怒りに打ち震えた。
どうして、なんで、という思いだけが化け物の如く膨らんでいく。
彼の怒りは、何もミリア処刑を命じたアルバート王や、唆したサクナ王女だけに向いていたわけではない。他ならぬ自分自身にも強烈な怒りが向いていた。
どうして自分はあの時強引にミリアを引き留めなかったのだろうか。
ミリアが去る事など、少し考えればわかったはず。
あるいは、彼女が去った後、どうしてもっと真剣に探さなかったのか。やりようはあったはずだ。探し出して強引に連れ戻していれば、こんな事にはならなかった。
女一人守れずして戦士たりえぬ、と豪語しておきながら、遂に守れなかった自分は、戦士失格。それ以前に男失格だ。
どうして、なんで。
後悔はいよいよ彼の心と精神を蝕んでいく。
かくて彼はらしくもなく何日も家に引き籠って、塞ぎ込んだ。
だがそうこうしている間にも、情勢は急激に動いていく。
敬愛すべき聖女が死んだ、それも父王や妹によって殺されたというショッキングな情報は瞬く間にアルミナ王国全土を駆け巡り、下級貴族や平民を激怒させたのだ。
事態は、アルバート王やサクナ王女が予期せぬ方向に動き始めていた。
彼らがミリアを殺したのは、ミリアが治癒魔術を通じて民を惑わし、信望を得て、急速に存在感を増しつつある状況に危惧を覚えたからで、要するに災いの芽を早めに摘んだつもりであった。それに加え、処刑を実質的に主導したサクナとしては自らの王位継承者としての立場を確固たるものとする為に、ライバルとなりうるミリアを消しておきたかったという事情もある。あるいはそれこそが今回の処刑の最大の動機といえたが、何にせよ彼らにとってミリア処刑は、己の立場を固め、守るうえで妙手のはずだった。
だが、ミリアの処刑は、彼らにとって思わぬ結果を招いてしまった。
即ち民の怒りである。
それは彼らの想定を超えて、国の屋台骨すら揺るがし始めた。
要するに彼らは“聖女”としてのミリアの影響力を見誤っていたのだ。
元々民衆は、アルバート王の悪政に不満を蓄積しており、それに火がつけば収拾がつかなくなる事は最初からわかり切っていた事だった。にもかかわらず彼らは処刑を強行した。油の中に火を投じたも同然の愚行であった。
輿論は沸騰し、各地では暴動も相次ぐようになった。
しかし、今のところは、聖女の死を嘆く声と、それを強行したサクナ王女を糾弾する声に留まり、王国を倒せとか、王を倒せという次元には達していなかった。要するに民は怒れども、その熱量は革命へと発展させるにはいささか不十分であったし、何よりも今一つ要素が足りなかったのだ。即ち民の怒りを糾合し、それを革命へと駆り立てるカリスマが欠けていた。
だが、この情勢に危惧を覚えたサクナが自ら暴動鎮圧に乗り出した事で、状況はいっそう悪化に向かい始める。サクナは加減をするという事を知らぬ女で、暴徒鎮圧までは良いとしても、関与した者を片っ端から皆殺しとし、更にその家族や縁者までも殺して回った事から、益々民の怒りを買ってしまったのだ。かくて暴動が暴動を招く事態となり、遂にサクナの手にも負えなくなっていった。
こうして革命の下準備は着実に整っていく。
後は沸騰する輿論を糾合し得るカリスマの登場を待つだけであった。
カリスマの登場を求める輿論は、とある青年を見出し、彼に対する注目と関心は日増しに高まっていく事になる。その青年とは、即ち、ライア・エード。聖女ミリアの“弟子”にして“恋人”と見做されている男だった。
□ □ □ □
ライアが自宅に引き籠っているうちに、彼の名前は民を救いうるカリスマとしてアルミナ国民の多くに認知されるに至っていた。
それは彼自身が求めた事ではない。
カリスマを求める輿論の暴走が招いた不思議な結果といえたが、こうも輿論が高まってしまうと、ライアがどう思おうともそれに抗う事は難しい。自責の念に駆られているライアとしては、放っておいてほしかったが、今やそれが許される状況ではなかった。
「兄様の気持ちは分かるけど、こうなっては腹を括るしかないわよ」
そう言うのは、幼馴染の少女ハクアである。
生まれた家が隣同士という縁で、幼い頃から見知った仲。お互い一人っ子という事もあって、ほとんど兄妹のように育ってきた。そんな彼女は、ミリアの死以来自室に引き籠ってしまったライアに接触できる唯一の存在だった。
「それに兄様はミリア様の復讐をしなくてもいいの?」
「……」
「兄様が立ち上がらないと、せっかくの機運も尻すぼみになってしまうわ。そうなったら得をするのはあの王女よ」
あの王女というのは、言うまでもなくサクナ・レイドの事である。
自分が立ち上がらねば、得をするのはサクナ。
それは確かにその通りなのだろうし、であればそんな事は断じて許せるわけがない。
そう思った時、ライアの中で何かがぷつんと切れ落ちた。
こんなところで引き籠っている場合ではない。ミリアの為にも、彼女を殺した奴らを血祭りに上げねばならないと思ったのだ。そしてそれが出来るのは自分だけ。
自分はミリアを守れなかった。
守ると豪語しながら、守れなかった無能。それが、人々がカリスマと見做す男の正体だ。
だが、だからこそ、せめてミリアの復讐ぐらいはこの手で果たすべきではないか。彼女の無念ぐらいはこの手で晴らすべきではないか。
それにミリアは、懸命に民の為に尽くし、遂にその身すらも捧げた。
だからこそ“聖女”と呼ばれている。
その想いは、他ならぬ自分こそが受け継ぐべきではないか。
彼女が民の為に尽くしたならば、
自分は民の為に戦おう。
それがミリアの為にもなる。
聖女死すとも、希望は消えぬ。
それを示す事こそ、ミリアが真に望む事ではないか。
……様々な思いが、彼の脳裏に生じては消え、また生じてくる。
もはやライアの意は固まった。
引き籠っている場合ではない。
立ち上がって、起き上がって、聖女の後を継ぐべきなのだ。
気づけば彼の足は外に向かっていた。
ハクアは嬉しげな顔をしてその後に続く。