想い昂り
ミリアにとって、ライアは理想的な“弟子”であった。
何しろこの男は、教えれば真綿が水を吸い込むが如くなんでも吸収するし、好奇心と探求心の赴くままに試行錯誤して、一教えれば十知るという有様だった。何かを教えた翌日には、その知識や技術を予期せぬ方向に発展させたうえで使いこなしてしまうライアは、師匠としては少し苦々しかったりもするのだが、それ以上に頼もしく、また彼女自身も学ばされる事も多くて、生粋の研究者としては嬉しさの方が勝ったのだった。
これまで王宮で迫害冷遇され、孤独に生きてきたミリアにとって、誰かとここまで密に関わるという事はその人生の中で初めての事だった。しかも相手は同世代の異性……、とくれば、形の上では師弟関係であっても、恋煩いを発症させてしまうのは自然であり、無理からぬ事と言えた。ライアにしたところで、排他的で保守的な農村で一人孤独に皆とは違う生き方を追求してきた生粋の変人であって、妹的存在のハクアを除けば母以外の異性とは接点など持たぬ筋金入りの童貞ボーイであったから、異性に対する興味や関心の高まりを恋心と勘違いしてしまいがちだった。かくて二人は両想いのような間柄となり、修行に勤しみつつも、その合間を縫って密かに愛を育んでいった。
「お前って、ほんと王女様らしくないよな」
ある時、ライアはぽつりと呟いた。
「いきなりどうしたの?」
「いやさ、お姫様なのに、こんな田舎で何か月も落ち着いているし、俺みたいなどこの馬の骨とも知れん男にも気さくに付き合ってくれるんだから」
「……そうね」
ミリアは一瞬の間を置き、「貴方がいるから」と小さく呟いてから、その言葉自体を誤魔化すように頭を掻きながら苦笑いしてみせた。
「まあ、王宮なんかよりは、ここの方がずっとマシだから」
生活水準はあれだけど、と続ける彼女に、ライアは「ハハハ」と笑った。
「そういえば、お前は王都から追放されたんだっけ」
どうしてそんな事になったんだと、ライアはいつになく興味津々な顔で問うた。彼が彼女の境遇や事情について自発的に聞いてきたのは今回が初めての事で、ミリアは驚いたものの、今更黙っているような事でもなく、自身のこれまで歩んできた人生や家族の事を洗いざらい説明していった。あるいはこれまで溜め込んできたあれやこれやを、一度全て思い切り吐き出してみたかっただけかもしれない。またライアならば、何をぶつけても全て受け止めてくれるだろうという妙な安心感もあった。
「へえ、そりゃまた酷い話だな」
ライアはいちいち一つ一つの事に反応を示したりはしない。
だがミリアにとってはそれで十分だった。
「だが安心しろ。少なくともこの村じゃ、お前にそんな扱いをする奴はいないよ。いたとしたらこの俺がとっちめてやる」
「そ。ありがと」
ライアはこの界隈では凄腕の喧嘩屋としても知られた存在である。幼い頃から愚直に強さだけを追い求めてきた彼は、その強さがどれほどのものかを確認する為に、喧嘩に興じていた事があったのだ。当然、ライアに勝てるような者はおらず、エード村や近隣の村々の悪ガキをとっちめているうちに、いつしか喧嘩屋ライアの異名を奉られるようになってしまったのだった。
「いっそ、この村に身を落ち着けてみたらどうだ?」
「……この村に?」
言葉の意味を測りかねて、ミリアはしばしきょとんとしている。
「俺が身請けしてやるよ。そうすればお前も晴れてこの村の住人だ」
ライアはあっけらかんと言ってのけた。
余りにも軽い物言いゆえにスルーしそうになるが、彼の口にした言葉は、なかなかにとんでもない事だった。ミリアはそれと気づいて、顔を真っ赤にした。
「な、なな、何を言い出すのよ。み、身請けって、貴方それ、意味わかって言ってる?」
「わかってるさ。お前を妻として迎えるって事だよ」
「……」
恥ずかしげもなく平然と言い放つライアを見て、ミリアは困り果ててしまった。
あるいは自分がおかしいのだろうか。それとも田舎では、ずけずけと軽い物言いで求婚するのが普通なのだろうか。いや、そもそも求婚とは……。
確かにライアの事は憎からず思っているし、何なら好意も抱いているが、結婚を話題に乗せるにはいささか急というか、踏むべき手順が幾つもすっ飛ばされている気がしなくもない。そもそも結婚するには、さすがに身分が違い過ぎる。今更身分の差を持ち出してああだこうだと言いたくはないが、それでも身分的格差を無視しての強行が悪手である事は彼女も重々承知していた。まず何よりあの父王アルバートが許すはずがない。いかに自分に愛想を尽かし、実質的に勘当したといっても、王族の権威を何よりも重視するあの人が、一応は王族に属する自分が下賤の者と結婚したと知れば、激昂するに違いないのである。激昂が自分にだけ向くのであれば、まだいい。だが、あの父王の事、確実にライアやエード村にも毒牙を向けるに違いない……。
「フフ、ありがと。考えておくわ」
ミリアはやんわりと断ったつもりであった。
「ああ、考えておいてくれ。だが、言っておくが別にこれは冗談なんかじゃないぞ。俺は割かし本気だ」
ライアはいつになく真剣な顔をして言う。
じっと、ミリアの顔を抹消面から凝視してくる彼に対して、彼女は無性に恥ずかしくなってきて、顔を真っ赤にした挙句、何も言えなくなってしまった。
「まあ、結婚はともかく、何かあれば俺を頼ってくれよ。俺はこれで結構頼りがいのある男なんだぜ。女一人守るぐらいは造作もない」
追い討ちをかけるように、ライアはそんな事を言う。
ミリアの動揺と困惑は頂点に達したが、全く悪くない気分だった。
「……女一人って言うけど、私はこれでも一応王女なのよ。果たして貴方の手に負えるかしら?」
何とか態勢を立て直し、反転攻勢。
だがライアは全く意に介した様子もなかった。
「別に関係ないさ。俺は戦士だ。王女であれ誰であれ女一人守れん男にそう名乗る資格があると思うか? 戦士たる者、好いた女を守る為なら、国であれ世界であれ、それが例え何であれ敵に回して勝つぐらいの気構えがなくしてどうするって話さ」
「……じゃあ、私が助けを求めたら、父上、……アルミナ王とも戦える?」
割と真剣に、ミリアは問うていた。
「戦えるさ。その時は革命でも何でも起こしてやるよ」
「……そう」
あっけらかんと言ってのけるライアに対して、ミリアはもはや何も言わなかった。しかし、この男ならば、その程度の事は本当にやってのけるかもしれない。そしてもし本当にそんな事が可能なら……、
夢は膨らむが、所詮、夢は夢。ライアという男の能力や可能性は認めつつも、そこまで楽観的には成り得ないミリアは、彼の好意や善意だけは有難く受け取りつつも、彼の為にもこの辺りが潮時だろうとも思った。これ以上この村に留まり続けると、本当にライアは暴走しかねず、そんな事になれば最悪の事態が生じかねない。そうなる前に自分はこの村を離れるべきなのだ。
「ねえ、キスしてみない?」
「は……」
唐突過ぎるミリアの言葉に、ライアは呆気に取られている。
そんな彼を見て、ミリアはハッとして我に返る。
「じょ、冗談よ。わ、忘れ……」
みなまで言い切る前に、ミリアの口は塞がれていた。
困惑している彼女の目の前に彼の顔がある。
一心不乱に唇を重ねようとしている彼の姿が、どことなく可愛らしく、あるいは愛おしく思えた。やがて盛り上がってきた空気に身を委ねるように、互いに無垢な姿を曝け出し、そして愛情恋情の赴くままに互いを貪り合った。それは二人にとって初めて愛を交わした日で、そして最後に会いを交わした日でもあった。
翌朝、ベッドの上ですやすやと眠るライアを残して、ミリア・レイドはエード村から姿を消した。
目が覚めてそれと気づいたライアは手下も動員して懸命に彼女を探し回ったが、その行方は杳として知れなかった。なおも諦めきれないでいる彼の下に、ミリアの消息がもたらされたのは、一ヶ月ほど後の事だった。
曰く、ミリアは死んだという。
父王アルバート五世の命令により処刑されたというのだ。
処刑をアルバート王に強く求めたのはサクナ王女であったという。彼女は自ら執行役すら買って出るほどで、実際にミリアをギロチンにかけたのはサクナだった。