聖女様の生まれた日
――彼女の名はミリア・レイドという。
アルミナ王国を治めるアルバート五世の第一王女である。生まれつき魔法の才覚に欠け、何をやらせても不器用で、機転が利くとも言い難い彼女は、父母から疎まれ、あるいは嫌われ、妹からも馬鹿にされるなど、惨めというか、過酷な人生を歩んできた。
とりわけ魔法が使えない事は、この魔法大国アルミナにおいては致命的な事だった。史上最強の魔法戦士と謳われた初代王“英雄王”エグバート以来、この国では古くから魔法が盛んで、特に見栄えの良い派手な戦闘魔法はお家芸と言ってもよいほどだった。それだけにエグバートの直系血族でありながらロクに魔法が使えないミリアは異質も異質であり、蔑まれてしまうのも無理からぬ事ではあった。……正確には魔法が使えないわけではなく、アルミナ人が好む攻撃的でド派手な大型魔法を不得手とするのであって、それ以外の小技的魔法、例えば治癒魔法などはむしろ得意であったりするのだが、そんなものは評価の対象にはならず、魔法が使えないというレッテルだけが独り歩きしてミリアの立場を最悪のどん底に突き落としているのだった。
「どうしてお前はこんな事も出来ないのだ」
「王家の恥め」
「サクナに出来る事がどうして貴女にはできないの?」
「少しは妹を見習え」
父や母は口を開けば、そんな事ばかり言った。
彼らがミリアを咎める時、あえて妹のサクナがいる時を選んだのは、ミリアに劣等感を植え付けるだけでなく、妹のサクナに優越感を抱かせて、彼女の更なる発奮を促す為であった。そのサクナは、“ロクデナシ”の姉と違って、魔法の腕前は幼少の頃から卓越し、王族として相応しいだけでなく、アルミナの女王とするに申し分なかったし、それ以外の点でも利発さが際立ち、父母からすれば理想的な自慢の娘だった。ゆえに父母の愛情は自然とサクナに傾斜し、その結果としてミリアに対する当たりがきつくなったという事情もある。
サクナは確かに優秀な娘だったが、彼女が何よりも得意としたのは、上の者に対して徹底的に猫を被る技術だった。だが一皮むけば、彼女ほどに残虐な女もいない。彼女は人を人とも思っておらず、特に格下の人間に対してはその傾向が顕著だった。彼女に仕える女官や近侍、衛兵は等しく心の病を得て“自発的”に辞めざるを得なくなる。だが心の病だけで済むならまだマシな方で、彼女の逆鱗に触れて拷問を受け、指を何本も失ったり、身体中に焼印を押されて一生消えない烙印を刻まれた挙句に追放された者も少なくない。それほど悪辣放埓傍若無人に振舞いながら、しかしその本性を上の人間には徹底的に隠し通したサクナは、稀代の詐欺師と見做す事も出来なくもなかった。
そんなサクナにとって不出来なミリアは格好の標的だった。だから彼女はミリアが大切にしている玩具を容赦なく奪い取って、壊してから返した。ある事ない事父母に告げ口してミリアの立場を必要以上に悪化させるなんて事は序の口……。極めつけはミリアが飼っていた猫を手ずから惨殺して、その首をミリアの部屋に投げ捨てた事だった。この時は、事が事だけに騒ぎが大きくなってしまい、さすがにミリアが自分の猫を殺すわけがないという先入観もあって、サクナにも嫌疑が向いたのだが、
「父上は、あんなおぞましい事を私がやったと仰るのですか」
と言っては、あからさまに嘘泣きまでやってのけ、
挙句の果てには、
「あれは姉上がやったのです。証人だっているのですよ」
ミリアに罪を擦り付けるという事までした。
御丁寧にミリア付の侍女を買収して証言者に仕立て上げたので、父母は疑う事もなくその虚言を信じ込み、ミリアを一方的に叱りつけたうえで「頭が冷えるまで」という名目で独房に閉じ込めてしまった。さすがにサクナもやり過ぎたと反省するかと思いきや、看守を抱き込んで、独房内のミリアに供される食事を腐敗したものに差し替えさせ、餓死に追い込もうとするなど執拗に追い討ちをかける有様だった。
これらの事は、サクナにとっては、ミリアよりも自分の方が上なのだという事を誇示し、次期女王の座を固める為に必要不可欠な儀式でしかなかった。あわよくばミリアが死んでくれれば、なおよいと思ってはいたが……。
結局ミリアは死なずに生き延びた。
ミリアの窮状を哀れんだ刑務官達が密かに食事を運んだからであり、そうこうしているうちにアルバート王が翻意して出所を命じたからである。そろそろ頭も冷えた頃合いだろう、というのがその理由だった。
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ともかくもミリアは九死に一生を得て、二度とこんな目に遭わぬ為に、徹底的に大人しく、従順に、目立たずに生きる事を心掛けるようになった。そんな彼女が没頭したのは、自室に閉じ籠っての治癒魔術の研究と鍛錬だった。元々治癒魔術は得意であったし、王国全体で軽視されている治癒魔術であれば、研究に耽っても目立ちはしないし、むしろ陰気で根暗な印象を抱かれていっそう軽視される事は必至であったから、好都合だったという事もある。
だからミリアは日夜研究に明け暮れ、
独学で技術と実力を磨いていった。
だが、自室でモルモット相手に研究に明け暮れているだけでは、どうしても飽き足りなくなってきた。
そこで彼女は、王都アルナの外れに薬院を設け、より本格的な研究に取り組みたいと父王アルバートに願い出た。アルバートは困惑したが、特に反対する事もなく許可した。アルバートは、この出来損ないの長女にすっかり愛想をつかしており、というか興味も関心もなくしており、彼女が何をしようと、何処に行こうと、どうでもよかったというのが偽らざる本心だった。
アルバート王の許可を得たミリアは嬉々として薬院の設営に取り組み、出来上がるや否や、王都の貧民相手に施術や投薬に明け暮れるようになった。
最初のうちは、新たな素材で研究が出来るとウキウキ気分で、良くも悪くも人体実験に興じるマッドサイエンティストでしかなかったが、病人や重傷者に治癒魔術を行使し、その結果として彼らが正常に回帰していく光景を見るうち、別の感情も芽生え出した。自分のした事で喜んでもらえる、その結果として自分の実力を認めてもらえる。そんな単純な事が嬉しくて仕方がなかったのだ。ミリアは昔から、誰かから認められたり褒められたりといった経験が致命的に欠如しており、患者からの勘気の声は干天の慈雨の如く彼女の全身に染み渡ったのである。
貧民から見ると、ミリアは“聖女”以外の何物でもなかった。
彼女はどんな病でも、あるいは怪我でも、一瞬のうちに治してしまう。
そのうえ、治療費などは取らないのだ。
これまで貧民は、病に罹ったり、怪我を負えば、自力で治すしかなく、治らなければ野垂れ死ぬだけであった。やむを得ず最愛の家族を見殺しにしてきた者も多い。だが今やミリアの薬院に患者を連れていき、彼女に診てもらえば、あっという間に全快してしまうわけである。
彼女を頼ったのは、何も貧民に限らなかった。
経済的に余裕があるとは言えない下級貴族も彼女を頼った。
大貴族であっても、尋常の医者では治療し得ない重病を抱えてしまった者は、藁にも縋る気持ちで彼女の下を訪れた。彼女はまんまと治してしまったので、大貴族達も彼女を“聖女”と見做し、あるいは彼女こそ次の女王に相応しいのではないかと思うようになった。