天使な私は『悪女』です。もしかして、いずれ破滅してしまうのでしょか?
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よろしくお願いいたします〜
『悪女』の定義は何だろう。
悪い女。
自分にとって都合の悪い女性だろうか。
真っ当に評価される正しき道から逸れた女性だろうか。
無愛想で冷たい印象がある顔つきの女性だろうか。
それとも、人々が”優しさ"と呼ぶものが目に見えない女性なのか。
「リーリネ様は美しい美貌だけでなく何においても完璧ですけれど、誰に対しても微笑まれませんし、お言葉も威圧感があって怖いですわ。庶民の間では『悪女』なる方が登場する小説が人気を博しているようですが、きっとリーリネ様のような方なのでしょうね」
そんなことを私の"お友達"は話していたけれど――
「ロエル様の方がもっと賞賛されるべきですのに、私不当に感じてしまいますわ」
彼女は間違っている。
それだけは断言できた。
その『悪女』とやらはきっと、他者を蹴落とすことで生まれた賞賛を有難く享受する者だろう。
私には過分だと控えめに振る舞うことで、更に評価を高めさせる人物。
だって、私がそうだから。
『悪女』なる存在を知らされた時に、それは正しく私のことだと思ってしまったのだ――
◇◇◇
私はどのくらい『悪女』なのか。
そんな疑問から、市井で人気の小説とやらを片っ端から読んでみた。
どの小説でも容姿の描写が明確にされていて、その大半が吊り目がちの瞳をもった目鼻立ちのはっきりとした美人だった。
髪は黒や銀髪で肌は白。
白い肌に黒髪というコントラストは、元の顔立ちをより凛々しく強調する。
銀の髪は色がない分無機質で冷たい印象を与えるから、どちらにしても『悪女』という言葉の意味を可視化させるのにぴったりなのかもしれない。
「私は――……」
湯浴みを終えて鏡の前に顔を映す自分を見つめる。
柔らかく垂れた眉。
大きな新緑の瞳は眦が少し下がっている。
二重で涙袋がぷっくりとしているから、顔のパーツの中で一番印象的だ。
すっきりと通った小鼻に、口角の上がったピンクの唇。
ふっくらとした頬は湯上がりということもあり赤く色づき、春の日差しののような金色の髪は空気を含んでふわふわと揺れている。
まるで天使だと、これまで出会ってきた大勢の者たちから褒められた容姿。
私自身、可愛らしい美少女だと何度も鏡に向かって思う。
小柄で華奢な体付きも相まって、同性の"お友達"でも「守ってあげたくなる」のだそう。
他にも『悪女』には高位貴族のお嬢様という設定も多かった。
生まれもっての身分と、付随する特権。
権力による格差は日常で露見する。
身分の高い者の発言は正しく、身分の低い者の発言は疑わしい。
例え間違ったことを話していても、それが自分より身分が高ければ正しくなる。同様に、例え正しいことを話しても、身分の高い者が疑いを向ければ誤りになる。
第三者は序列に沿って正誤を判断するのが世の常なのだ。
そうした、道理を無視した関係には誰だって辟易している。
小説の中の悪役は必ず成敗されるから、こうした小説が人気を博すのは自らの状況と重ね合わせて日頃の鬱憤を晴らせるからなのだろうか。
「私にとっての『悪女』は誰かしら?」
悪女にとっての悪女。
私よりも身分の高い女性で身近な者といったら、間違いなくリーリネ様だ。
私は侯爵令嬢で、彼女は公爵令嬢。
彼女の母親は現国王の妹だから、王族と公爵家の繋がりも深い。
私でさえ彼女の清廉された高貴な雰囲気を前にすると緊張してしまうから、私よりも身分の低い"お友達"が萎縮してしまうのは致し方ない。
それに、可哀想なことに小説で語られる『悪女』の容姿ともぴったり一致していた。
「――違うわね。あの方は『悪女』ではないわ。可哀想な方だもの」
彼女にあるのは、徹底された教養と身分と、他者よりも自分が優れているというプライド。
実際の彼女にそうした自信があるのか、私には知るよしもないけれど。
公爵令嬢としての振舞いを叩き込まれた彼女はプライドに満ち溢れて見える。
孤立してしまうほどの、人を寄せ付けないプライドだ。
「本当に可哀想」
どうしようもなく不器用なのだろう。
無口な彼女が言葉を発する時はいつも正論だった。
反論の余地さえない言葉を端的に告げるから、それが彼女なりの親切心とは受け取られない。
(私は偶然気づけたけど、それを誰にも話さなかった)
リーリネ様の言葉を「心ない」と悲観する"お友達"との会話は、わざと流した。
だって、彼女の評判が下がるにつれて私の評価が上がることを知っているから。
『悪女』にされた彼女によって、私は優しく慈しみの深い女性として他者の目に映ることになる。
鏡に映る美少女は物憂げなのに、口元はご満悦だ。
――コンコン、と扉を叩く音がなる。
「はい」と返事をすると、ゆっくりと扉が開いて一人の男性が姿を現した。
「ロエル。もう寝るところだった?」
夏の青空のような瞳に濃紺の明るい夜の髪。
私と似ているのは、冬の雪のように真っ白な肌くらい。
「――お義兄様、お帰りなさい。少し本を読んでから寝ようと思っていたところです」
低身長な両親とも似ていないスラリと高い体躯をもつ義兄。
横に並ぶと私の視線は義兄の胸元を見てしまうから、少し距離を空けて顔を上げる。
「そう。今日は早く仕事が終わってね。最近会えてなかったから、少し話せたらと思ったんだけど」
「嬉しいです、お義兄様」
私が義兄の首に両腕を回して抱きつくと、義兄は私を抱き上げる。
一人がけのソファへと義兄はそのまま腰掛けて、私も義兄に抱きついたまま離れなかった。
「メイドから聞いたよ。最近は大衆小説を好んで読んでるんだって?」
「はい。お友達から、最近人気になっている物語があるとお聞きしたので、気になりまして」
「庶民の生活を知ろうとすることは良いことだ。ロエルは偉いね」
(そういうつもりじゃないのだけれど)
私はただ『悪女』を知ろうとしただけ。
多くを語らずにいたら、私にとって都合良く解釈してくれる。
「誇らしいよ」と義兄が私の頭を優しく撫でてくれるから、私は喜んで受け入れた。
いつものことだ。
天真爛漫に笑って。
曖昧に微笑んで。
物憂げに視線を伏せて。
ほんの少し首を傾ける。
物言わずに視線を向けるだけでも良い。
良くも悪くも受け取れる曖昧な言動を選べば、私の容姿がプラスに働いて都合の良い誤解をしてくれる。
そうしたら私が幸せになれるのだと他でもない義兄が教えてくれたから、私は忠実に義兄の言う方法に従って生きてきた。
「学園はどう? 楽しい?」
「はい、とても。――ですが、少し気がかりなことがありまして」
(婚約者のいる高貴な殿方との仲を取り持たれてしまいそうで……)
婚約者が決まっていない私の為を思っての行動だとしても、婚約者のいる相手では逆効果だ。
「リーリネ・ロンザーム公爵令嬢に関する話かな?」
「お義兄様にはお見通しですのね」
曖昧に微笑んで、私は視線を伏せる。
夜の冷たくなった空気に冷えた髪を義兄が梳く。
髪を揺らすような義兄の撫で方が私は好き。
だから、リーリネ様の婚約者との距離の置き方に悩んでいると伝えるよりも義兄にもたれかかるのを優先した。
「大丈夫。ロエルが心配する必要はないよ」
赤子をあやすように優しい義兄は、私と二人きりの時により一層甘さを含む。
「ちょうどね、同盟国の王子が皇女殿下との婚姻をご所望なんだ。けれど皇女殿下は乗り気ではない。陛下は代わりの者を選ぶ方針のようだよ」
「まあ……」
話の繋がりが見えなくても、取り敢えず相槌を打つ。
皇女殿下はこの国にただ一人。
対等な立場のはずの王子は、望んだ皇女殿下よりも身分の低い者を寄越されたと憤慨しないだろうか。
(陛下に指名されては断れないから嫌な役回りだわ。お可哀想に)
自分だって選ばれる可能性はあるのに、私は他人事に憐れむ。
「皇太子殿下は公爵令嬢との不仲を隠しきれていないし、公爵令嬢は同年の令嬢方からの人望が得られていない。知識も能力も申し分ないけれど、人の支持を集める才がないのは痛手だからね。円満に婚約解消できるよう話を進めているようなんだ」
「だから大丈夫だよ」と義兄は繰り返す。
そうして私は話の繋がりを理解できた。
「まあ……なんと申したら良いのでしょう。あまりのことに言葉が出てきませんわ」
陛下は皇太子殿下との婚約を解消させた後、リーリネ様を同盟国の王子に嫁がせるつもりなのだろう。
同盟国とはいっても、国の規模が違う。
適当な理由をつけて属国にしたら良いのではと思ってしまうほどに、力関係は目に見えてる。
そんな国にこの国の皇太子妃になるべき方を送り出すのか。
彼女以上にその席に相応しい女人を私は知らないのに。
(あっ……私がいるのね)
知識も能力もそこそこだけれど、リーリネ様にはない人望がある。心優しそうな容姿のおかげで、私の為になるように多くの人が動いてくれる。
皇太子妃は所詮、皇太子殿下を飾り立てる装飾品だ。信念の強いリーリネ様よりも私の方が相応しいのかもしれない。
私が皇太子殿下に寄り添う姿は想像できたけれど、代わりに胸が傷んだ気がして手を当てる。
「――お義兄様もお関わりに?」
恐る恐る見上げると、義兄と目が合う。
私をずっと見つめてくれていたと分かる柔らかな眼差しに、胸の痛みは和らいだ。
「私は何も。時々口添えする程度だよ」
「大変ではございませんか?」
「多少はね。変な解釈をされては困るから気は張るかな」
「ではどうして……」
同盟国の王子からの要望に関しても、皇太子殿下とリーリネ様との婚約解消にしても、義兄が関与しなくて良いこと。
義兄の親切心からの口添えでも、王族が悪意からの言動と見做せばそうなってしまうのに。
だから私は問いかけた。
問いかけたけれど、続く言葉は分かってもいた。
「ロエルが今よりも幸せになれるからだよ」
義兄が私の義兄になってからずっと、聞き続けた台詞。
「皇太子殿下は学園でロエルのことを気にかけてくれているのだろう? よく聞いているよ」
「ええ。数日前にも殿下が"お友達"と一緒に、とお勉強会に招いてくださいましたわ」
私の"お友達"は皇太子殿下の友人と親戚だから、始めの頃は私がついでなのだと思っていた。
けれどタイミングを見計らっては私と皇太子殿下が二人で会話をするのが自然な空気がつくられるのだ。
"お友達"は私と接点をもつための仲介役らしいと気づくのは早かった。
二人きりではない状況にせよ、婚約者がいる皇太子殿下と度々二人で話していたら良からぬ誤解を招いてしまう。
リーリネ様に私が注意されては敵わないと心配だったから、気分良く思い出せる記憶ではない。
そんな感情が顔に出てしまったようだった。
「ロエルは皇太子殿下との婚約にはあまり興味がないかい?」
悲しげに声のトーンを落とした義兄を前に、いけない、と曖昧に微笑む。
「考えたことがありませんでしたわ。殿下とリーリネ様の婚約は生まれた時から決まっていたのですもの」
端的に言ってしまえば興味はない。
王太子殿下からのお誘いを迷惑に思ってしまうほどに。
だから首を触れなかったけれど、義兄を悲しませたくはなかったから中間の答えを選ぶ。
それを義兄は都合良く受けとってくれたらしい。
「私はあの日から思い描いていたよ」
当時を懐かしむように義兄が目を細めたから、私も記憶に残るあの日を思い浮かべる。
母は気鬱な様子でいたけれど、私は義兄が我が家にやってくるのをとても楽しみにしていた。
人数が増えることを想定していた子ども部屋に私しかいなかったから、ひとりきりが寂しかった。
だから私は血の繋がりがなくても、孤独を埋めてくれる義兄の訪れを待ち望んでいた。
一目見て好きになった。
私に向けてくれた笑顔が優しくて。
その笑顔を前にすると私の孤独は嘘だったかのように消え去った。
跡を継ぐ男児を産めず養子を迎えるしかなかった母はあからさまに歓迎していなかったけれど、今では我が子のように義兄を頼っている。
物語に出てくる強靭な勇者や麗しい王子様よりも、私は義兄が一番だった。
「皇太子妃になったロエルは、この上なく幸せそうな笑みを臣下に見せてくれるのだろうね。いずれ来る未来が私は待ち遠しいんだ」
そんな義兄が理想とする私の姿があるのなら。
「私も、です」
私は喜んで頷こう。
「私もとても待ち遠しいですわ。今でも充分幸せですけれど、今よりもっと、お義兄様の仰る幸せを感じてみたいですもの。私の知らない『幸せ』をもっと知りたいですわ」
義兄の枠に嵌めた幸せを感じることが、私の至高だから。
そうしたら、義兄が幸せそうに笑ってくれるから。
(その為にも、リーリネ様には落ちぶれてもらわないと)
義兄の話を聞く限り、何もしなくてもリーリネ様は今の立場を失うようだけれど、婚約解消に至る決定的な出来事があるとより順調に進むはず。
(折角お勉強したのだから、小説と似たような状況をつくってみるのはどうかしら?)
その先に待ち受けているのはリーリネ様の破滅だろうか。
それとも『悪女』である私の破滅だろうか。
自分の輝かしい将来をも天秤にかける私はとても可愛く映ったらしい。
「私の天使は今日も可愛いね」
義兄が幸せそうに笑っていた。