ゴミ
西園寺の家の玄関前で俺は待つことにした。
お母さんから家の中で待つように言われたが断った。
なぜなら自分の感情のコントロールがうまくできそうになかったからだ。
この三年間こんな事はなかった。感情をコントロールして淡々と過ごしていた。
西園寺の身体中にある傷跡。
西園寺は「あっ、ちょっと転んじゃって怪我しちゃったんだ。あはは、気にしないでよね!」言っていたが……。
「あれは人為的な傷だ」
大きく深呼吸をして心を落ち着かせる。
色々な可能性が考えられるが、直接西園寺から聞くしか無い。
と、その時玄関の扉が開く。
「ふ、ふん、お待たせ。……てか、顔見すぎじゃん! 馬鹿っ、恥ずかしいでしょ!」
涙の跡と目の下のクマが酷い。……それでも子供のときの西園寺の笑顔と一緒だった。
俺はあの笑顔が好きだ。
感情が薄い俺に温かい気持ちが湧いてくるからだ。
顔を赤くして恥ずかしがりながら微笑む笑顔。
「よし、行こう」
「ていうか、あんた今日から学校でいいの? なんか変な服だけどさ」
「まだ制服ができてない。学校には連絡してあるから通えるはずだ」
西園寺は首を傾げていた。
「あっそ、その変なスーツでいいなら行くわよ。付いてきなさいよ! てかデカくなったわね! あたしの身長越してんじゃないの!」
「西園寺は態度だけはでかいな」
「う、うっさいわよ!」
懐かしいやり取り。
……本当に帰ってこれてよかった。あとは西園寺の笑顔を曇らせないようにしないといけない。
***
高校の教室、俺が通っていた施設とは全く違う雰囲気。
本来なら来月から通う予定だったが、後見人にお願いして今日から通えるように調整した。
諸々の後始末は落ち着いてからでいい。
「ええっと、突然ですが転校生を紹介します。彼はこの地区の小学校に通っていたので知ってる人もいるかも知れませんね。二階堂くん、自己紹介よろしく」
この年代の子供にしては教室は落ち着いている。
それでも突然の転校生をネタに雑談をする生徒たち。
「うわぁ、超綺麗な顔してるわね」
「隼人くんよりもイケメン……」
「てか、なんでジャケットなの?」
「あれイブサローレンの限定ジャケットじゃね? 超高いやつだ!」
「じゃあうちらと同じ人種だね」
「とりまグループに囲うか」
一番後ろの席にいる西園寺は不安気な顔で周囲を伺っていた。
身体を机に押し付けて『なにか』を隠している。
微かに見えたのは、落書きであった。
「へ? 二階堂くん?」
俺は先生の声を無視して西園寺の元へと向かう。
クラスメイトたちは不思議そうな顔で俺を見つめていた。
大丈夫だ、怒りは隠せている。
……不思議なものだ。西園寺がいなかったら怒るなんて感情を知らなかった。西園寺と過ごしたから俺は普通の感情を理解できるようになったんだ。
それでも俺は他人とは違うと理解している。
うつむいている西園寺は俺に気がついていない。アホ毛が愛らしい。
俺は西園寺の肩を叩く。
「ふえ? け、健太……、や、二階堂くん、ど、どうしたの?」
「西園寺、いつも通りの口調で喋ってくれ。じゃないと寂しいだろ」
西園寺は困った顔をして周囲を見渡す。悪意の視線を敏感に感じ取っているんだ。
目立つと更に悪意が強くなる。
「あ、あのね、ここは学校だからさ……。その、学校以外だったら普通に喋るから……。お、お願い健太。じゃないとあんたまで……」
西園寺の脇の下をヒョイっと掴み上げる。
猫みたいに柔らかい身体が伸びて机が露わになる。
机には汚い落書きが油性マジックで書かれてあり、生ゴミの匂いがした。
「先生、この机は駄目だ。新しいのに変えていいか」
先生はバツの悪い顔でそっぽを向いた。なるほど、見て見ぬふりをするのか。
クラスメイトからは戸惑いの空気を感じられる。
一人の女子生徒が立ち上がった。
「せんせー、一時間目は二階堂君とレクリエーションでいいですか?」
「あ、ああ、構わないですよ。ではわたしはこれで……」
先生が足早に教室を出ていく。
クラスの空気が一変した。あの女子生徒がこのクラスのリーダー的存在か。
反応の無い生徒も数人いる。この感覚は無関心というものだ。
西園寺の身体の震えが俺の両手から伝わってくる。
俺の手から逃れて椅子に座る西園寺。机を見つめてうつむいている。
元凶はあの女か……。
女が俺と西園寺に喋りかけてきた。
「ねえ、二階堂君だっけ? あなたさ、私達のグループに入ってもいいよ。私は九段下雪。これからよろしくね!」
「そうだよ、そんな臭え女と仲良くすんなよ」
「貧乏な庶民はこの学校にふさわしくない」
「雪さんの言う事聞いてれば楽しい学校生活送れるよ!」
「てか、イケメンゲットじゃん!」
うつむいている西園寺がポツリとつぶやく。
「……健太、はは、あたしは大丈夫。あんたはみんなと仲良くして平和な学校生活送りなよ。日本に帰ってきただけでも、その、う、嬉しいから」
突然誰かの筆箱が飛んで来た。筆箱は大きな音を立てて床にぶち当たった。
九段下と名乗った女が他人の筆箱を投げつけたんだ。
西園寺の身体がびくんと跳ね上がる。
「ブスは黙ってなさいよ!」
俺はそれを見てどうしようもない気持ちになってしまった。
感情は抑えられる。そうやって訓練をしてきたんだ。あの地獄から抜け出したのもいち早く西園寺に会いたかったからだ。
震えている西園寺を抱きしめたかった。
これがどんな感情かわからない。
だけど――
「俺は子供の頃から西園寺の幼馴染だ。俺たちの邪魔をするやつは消えろ」
「ば、ばか! あんた何カッコつけてんのよ! 思春期終わってないの!」
「やっといつもの西園寺に戻ったな。よし、一緒に机を交換しに行こう」
「え、ちょ、手掴まないでよ!? は、恥ずかしいでしょ!」
「なんだ、いつもこうだったじゃないか」
「それは、その……」
汚い机を抱えて教室を出ようとすると、大きな人影が俺たちの前を遮る。
九段下が残念そうな声色でつぶやく。
「あら、せっかく友達になれると思ったのに……。そんな汚物を選ぶなんて……。はぁ、今はレクリエーションの時間よ。先生がいないからクラス委員長の私が仕切るの。狭間君、ちょっと遊んで(脅して)あげて頂戴」
「うっす!! あとでご褒美ください! ――てめえイケメンだからムカつくんだよ」
狭間と呼ばれた大男が俺の胸ぐらを掴み拳を振るい上げる。
「あ、あんたやめてよ! 健太はひ弱なんだから! 暴力振るうならあたしに――」
大丈夫だ、西園寺。もうそんな心配しなくていい。
俺の腹の底から黒い感情が浮かび上がる。抑えきれないそれは怒りというものだろう。
俺は狭間の心臓の位置に軽く手を当てて、瞬間的に押し込む――
「は……ぐ?」
狭間の巨体が地面へと倒れ込んだ。
俺は足で狭間の身体を蹴り押し、狭間は教室の机の勢い良く倒しながら九段下の足元まで滑っていった。
「おい、そんなところで寝てたら邪魔だ。……そこの女、自分のゴミは自分で片付けろ」
凍りつく教室の空気。
俺は西園寺の手を引いて教室を出るのであった――