第56話 獣人とは優生種か?
「――おらっ、連れて来たぜ三匹っ!」
クスタバルの言葉通り、洞窟の入り口を越えてディルクたちの元へ戻ってきた少年の後ろには、三つの影が追従していた。いや、追従というには、少々引き離され気味だろうか。クスタバルの走りは相当に俊敏だ。さすがは獣人と表現するべきか。
コボルトたちはどれも二足歩行を捨て去り、両腕も使って四足で地を駆けている。獣の闘争本能がそうさせるのか、すぐに戦闘に対処し、本気の走りに移る癖が付いているのだろう。あれでは武器など持てないはずだ。
防具の類を身に着けているようには見えない。極端に猫背なフォルムを灰色の剛毛が包み、ギラギラと光る瞳で獲物を見据えている。
確かに、そこまで下級のモンスターには見えない……というより、普通に強そうな生物すぎないか、と蓮は内心で冷や汗を垂らした。いや、勿論負ける気はしないが。
「いいね……じゃあ事前の取り決め通り、ニーナゼルさんとスカルセドナさん、前に出て対処してみてくれ」
コボルトを相手にしての実力チェックは、誰がどの順番で戦うか程度しか決められていない。そもそも、狙った数のコボルトのみを確実に引き寄せられると決まっている訳でもないため、柔軟な対応が求められる。
(三匹程度で出て来てくれたのは丁度いいだろうけど、その三匹がどれもクスタバルに向かってるのは……ちゃんと管理できるもんなのか?)
まだ出番が回ってこない蓮も、何かトラブルが発生した場合はすぐに動くつもりで観戦していた。獣を相手にするときは、対人間と違って言葉で挑発することも叶わないだろう。三人の動きをよく注視していると、
「――ヴォオッ……!!」
軽く前傾姿勢を取りながら、ニーナゼルが吠えたのだ。
まるで獰猛な狼のような鋭い威圧に、今までの彼女が見せていた怯えの色は見られなかった。戦いになると性格が変わるタイプ……まで行くかはまだ分からないが、引き締まっていると蓮は感じた。
ビリビリと振動する空気に、コボルトたちの視線がニーナゼルに引き付けられる。もしや同じイヌ系の波動を感じて……いや、関係ないだろう。コボルトたちは互いに目くばせするでもなく、一番ニーナゼルに近い側にいたコボルトがそちらに向けて飛び出し、残りの二体は変わらずクスタバルを追いかける。
(社会性のあるモンスターだから、ある程度の役割分担はできるってことか……)
ゴブリンより知性は低くとも、油断して掛かるのはやっぱり違うよな、と蓮は身を引き締めた。
恐らく、クスタバルがその気になれば向かってくる二体を同時に相手取る……もとい、片方を瞬殺することも可能だろう。だが、彼はしっかりと教官の要請通りスカルセドナに一体を押し付ける方法を模索しているのか、蓮たちの元に戻る前に大きく遠回りをするように走っていた。我がまま気質な少年かと思いきや、ルールを守る分別は身に付いているのか。スカルセドナがそちらに向けて走り出す。
蓮たちが固まっている場所と洞窟の中間あたりで……まず、ニーナゼルとコボルトが会敵する!
ニーナゼルが右手に握るのは、あまり見かけない意匠の紅い曲剣。先ほど目にしたアニマの遺剣とは違い、根本から先端までの太さはほぼ一定で、湾曲度合いもそれほど強くはない。中央に溝のようなものが掘られているようだ。
幅広なこともあり、かなり重量がありそうだが。……やはりさすがは獣人ということなのか、背が高い以外は特に腕がムキムキという訳でもない彼女は、軽々とそれを振るった。
ニーナゼルに向けて左前脚の爪を振るおうとしていたコボルトは、彼女が右手で内側へと振るう曲剣を避けるように、右へと跳んでいた。着地後、剣を振るい終わったニーナゼルに向け、大きな牙を見せながら突撃。頭を横に傾けている。胴体に噛みつくつもりか。
(あれを首に向けられたら普通に怖いな……まぁ、跳躍力はないって話だったから、大丈夫なんだろうけど……)
見ているだけなのが一番ハラハラする。そう実感する蓮の視線の先で、ニーナゼルは幅広の紅い曲剣を下向きにした。
もう止まれないコボルトは、ニーナゼルの胴体の前に現れた曲剣に噛みつかざるを得なくなった。がぎっ、と剣と牙が衝突した音が響く。ニーナゼルの身体は殆ど揺らがないが、コボルトも噛みついて終わりな訳がない。両の腕を振るい、彼女の胴体や肩を引き裂こうとする。
……その時にはもう、勝敗は殆ど決着していた。
コボルトの視界が回転する。ニーナゼルの後ろの地面に……曲剣に噛みついたままの状態で、後頭部を激突させられていた。
(……速ッ、しかも怪力すぎだろ……!?)
曲剣の重さに、コボルトの全体重が加わった状態で。
コボルトが腕を振り切るよりも前に、弧を描くように腕を振り、コボルトを思い切り地面へと叩きつけたのだ。あの無茶に見える動きに、脱臼の恐れはないのか。
振り上げていた両腕もだらりと垂れ下がった、脳震盪以上の深手を負っている様子のコボルト……その顎を右足で踏みつけ、硬直していたらしい口から曲剣を引き抜くと。
「とどめ、刺してもいいですよね……?」
ニーナゼルは、ディルクに向けて最終確認する余裕まで見せた。
「……あぁ、じゃあ……心臓を突いてもらえると助かるかな。綺麗な方が持って帰りやすいし。凄い、素晴らしいよニーナゼルさん」
ディルクは何度も頷きながらニーナゼルを褒めたたえた。高揚した様子だが、既に視線は残りの戦いへと向けられていた。さすがはプロか。
スカルセドナが投擲した石が、コボルトの一体の背中を捉えていた。衝撃を受けたコボルトは即座に振り返り、彼女へと駆けだした。
スカルセドナが背中から抜いた得物は……蓮の目には、木剣に見えた。黒樫の一種だろうか。
(え、マジ……?)
別に、木製の武器が実戦で一切使い物にならないほど弱いとは蓮も思わない。だが、重い割に切れ味というものが金属製のものに比べれば皆無で、わざわざ選ぶ必要性を感じない。
まぁ、今回に限れば相手が防具の類を身に着けていないコボルトなため、魔術師が持つイメージの杖などでもダメージは問題なく与えられるのだろうが。
両腕を振り上げて飛び掛かって来るコボルトに対し、スカルセドナは木剣を閃かせた。……果たして木剣は閃くのか? 特に太陽を受けて輝いたりはしないが。
コボルトの両腕の先にある鋭い爪は、それだけでひしゃげた。呻いた後、自らを鼓舞するように大口を開けて吠えながらスカルセドナに向きなおろうとしたところで、コボルトの口内には木剣が突き入れられていた。
(……まぁ、木製でも槍としての威力は抜群だよな)
むしろ、平べったい剣よりも円柱状で重量のある木剣だからこそ、突きの威力は高まっていると言える。先端を鋭く尖らせてあるようには見えなかったが、それでもコボルトの喉を抉り、向こう側に抜けたらしい。スカルセドナが右腕を横に振るうと、力を失ったコボルトの身体が木剣から抜け、吹き飛んでいった。
ニーナゼルに続いて、スカルセドナもまたパワー系すぎる。いや、勿論技術もあるのだが、よほどの怪力の持ち主でなければ再現できないだろう動きだ。
(スカルセドナさんもただの人間じゃないのか? ……そうだ、今この距離だったら“心眼”を使ってもバレないんじゃ……)
と思った蓮が“心眼”を発動させるより前に、スカルセドナがこちらに視線を向けていた。蓮は背筋が凍る思いだったが、まだ発動させていなかったので後ろめたいことはない……はずだ。そう自分に言い聞かせた。
スカルセドナは蓮……を見ていたのかは分からないがそちらから視線を外し、残ったコボルトと追いかけっこを繰り広げているクスタバルを見た。ここまで戦いをわざと長引かせることが可能な彼に、万に一つも助力は必要ないのだろうが。
「――きししっ、じゃあいよいよ、おれの実力を見せる時みてぇだな~!」
スカルセドナの戦いが終わるまで戦うな、などという指令は受けていなかったはずだが。クスタバルは妙な察しの良さがあるのか、それとも単純に自らの実力を誇示したい気持ちが強いだけか。コボルトと追いかけっこを続け、時には攻撃を躱し、翻弄するような動きで膠着状態を保っていた。
(自信ありげなだけあって、強いな。全くやり合いたいと思えない……)
蓮が見つめる先で黒タヌキ少年が振るっていたのは、鞘付きの黒い太刀。
当然、本気の攻撃であればそれを抜くのだろうが、コボルトに対して手加減していた彼は、鞘付きのままのそれを防御に使うに留まっていた。
左腰のあたりまで引き戻していたそれをぴたりと身体に付け、僅かに前傾姿勢を取る。鞘を握る左手と柄を握る右手が、音を立てて衝突するのではないかという勢いで腰のあたりで近づけられた……ように見えた。
蓮のいる位置からはコボルトの背中と、それに向かいこちらに顔を向けているクスタバルが映っている。
(――まさか、居合いをやるのか……!)
東洋人や清流人の一部が発展させたはずの技術を、ニンジャに憧れたみたいな恰好をした魔人が使うのか。……ニンジャが大きな太刀で居合いを使うイメージは蓮にはないのだが。しかし、クスタバルの構えは堂に入っていた。
「――シィッ!!」
裂帛の気合いと共にクスタバルの右腕が振り抜かれると……その終着点には、紅い刀身が制止していた。
(ニーナゼルの曲剣と同じ素材……か……?)
蓮がまじまじとその刀身を観察してしまう程に、決着は当たり前に付いていた。胴体を横薙ぎにされたコボルトは真っ二つにされ、クスタバルの側に向けて上半身が崩れ落ちていた。下半身の方は、膝が湾曲した体型であることもあり、人間が膝立ちしているような恰好で崩れずに止まっていた。
「……どーよ、このおれの居合い斬りはっ!! 大木も一太刀で斬り捨てる威力だぜっ!」
クスタバルの勝利宣言に、ディルクを始め観戦していた者たちは無言でぱちぱちと拍手を送っていた。
蓮もその中の一人だが、
(――いや、バケモンすぎるだろ! こいつに背中向けたくねーよ、正直……!!)
……“名有りの種族”の獣人が秘めるポテンシャルに、驚きと共に恐れを抱かずにはいられなかった。




