第47話 ロスのギルドハウス
王都の西側の大通り、アクア・ストリート。
その中ほどに居を構えるは、冒険者ギルドのロストアンゼルス支部。
かつて一人の建築家の主導の下、白い石材で統一された建物が立ち並ぶ王都において……薄いとはいえ暖色系であるカーキ色で塗装された外壁は中々に目を引く。近年では建物の色を塗り変えることを申請できる制度も作られたのだが、利用者はまだ少ないためだ。「白い街に住む」という習慣が、人々から中々消えていかないのかもしれなかった。
その建物はとても大きい。総面積は二万平方メートルを超えるほどで、なんちゃらドームで例えると〇・五個分に近しい。高さは十六メートルほどしかないため、遠く及ばないのだが……そんなことを気にする住人はいないだろう。というより、黄昏の時代にもなって「なんちゃらドームn個分」といった表現を覚えている生命体が、この星に何体残っているというのか。既に、元地球人である最古の龍、災害竜テンペストだけになっている可能性が高い。
一国の首都とはいえ、なぜここまで一つの建造物を大きく発展させたかと言えば……この建物は冒険者ギルドが利用するのみに留まらない、複合施設であることに起因する。それ故に……建物の正面に立てば、その上部に取り付けられた紋章群と、屋上で揺れる旗が容易に確認できる。
左から、盾の上に剣が重なるように描かれた紋章……これはメロアラントにあったものと同一で、傭兵ギルドのものだ。
中央には、白と青で上下に二分された上に、黄色で太陽を思わせる円が描かれた国旗がある。サンスタード帝国のものではあるが、円の中に鷲が描かれていない簡易的なものになっているのは、帝国が直接ここを支配している訳ではないということの表明かもしれない。
略式の帝国旗だけでは何を目的とした施設なのかは明記されたことにならないが、この王都の住人であれば誰しもが、ここが銀行としての機能を持っているのだということを知っている。凄腕の傭兵が寝泊りする区画が容易されたこの施設であれば、確かに、通貨や金庫を守る場所としてはこれ以上ないほどに相応しいと言えるだろう。
そして一番右に、中央に聳え立つ塔と、それを挟み込むように左側に懐中電灯のようなもの、右側には剣が描かれた……冒険者ギルドの紋章が掲げてある。未知の領域に探索に行くことを表現しているのだろう。
それは冒険者ギルドという組織が創設された際、その当初の目的が竜信仰の国ガイアに存在する世界最大の古代遺跡、≪土神の塔≫攻略だったことに由来している。
ガイア教団は冒険者ギルドが彼らの領域に立ち入ることを禁じはしなかったが、彼らのシンである地竜ガイアが眠る(という伝承が残っている)塔を、冒険者ギルドがいたずらに破壊したりすることがないよう、神官を同行させる決まりを作ることで、冒険に協力すると共に監視もしていた。
その名残か、冒険者ギルドが≪土神の塔≫攻略から手を引いた今でも、教団との間には繋がりが残っている。各国の冒険者ギルド支部には、ガイア教団から派遣された人員が多かれ少なかれ滞在しているものだ。
今の人間社会で「治癒術士」という言葉が出た場合、高確率で地属性の≪クラフトアークス≫を身に着けた、ガイア教団の信徒を指している。近年になって水竜メロアが目覚め、この世界の真実を語るまでは、ガイア教団の人間達も自分たちに宿っているものが≪クラフトアークス≫と呼ばれる類の異能力だとは知らなかったらしいが……。
その複合施設は、王都の住人からはギルドハウスと呼ばれていた。
まぁ、その日の用事によっては「銀行に行ってくるわ」と言う者もいるだろうが。
「……よしっ」
気合いを入れた後、両開きの扉を押し開け、中へと姿を消した蓮。
……その後ろで、延々と続いた早歩きを止め、軽く息をついている人影があった。
その影……早朝にマルク一行の引っ越しを手伝い、彼には当初「フォーゲルバイトさん」と呼ばれていた少女……ルカだ。
彼女は冒険者ギルドへと続く階段を上る前に、一度手すりに掴まって息を整えつつ。左手で顔周りに触れ、各種装備の状態を確認していく。
(両目を程よく隠すサングラスよし、普段と違う髪型よし、フードは……被ってる方が怪しいから外しててよし、一般人が持ってておかしくない武器……よし)
これは彼女の癖だった。脳内で装備構成を読み上げつつ、それぞれを手でぽんぽんと軽く叩いていく。かつて地球人にも「財布、定期、ケータイ……」と小さく呟きながら、それぞれが入ったポケットを軽く叩く癖をつけていた人物がいた。きっと通学途中に定期券の所持を忘れ、悔しい思いをした経験があったのだろう……。ルカがどうしてこの癖を付け始めたのかは不明だが。
(今入ってった白い髪のやつがレン・ジンメイね……やっと目的地が分かった。……んっとに、疲れさせやがって……どんだけ早歩きしてんのよ……)
怒りのパワーで早歩きをし続けた蓮。それを向かいの屋敷に住み込みまでして監視する任務を上から仰せつかっていた彼女は……本代家の旧邸を人が住める環境にするために大掃除している面々に断りを入れ、四十秒で支度してから飛び出した。
トレヴァス家から勢いよく歩き出した蓮の様子に、何かただならぬことが起きているのではないかと疑いを持ったためだ。
……何のことはない、蓮はただ冒険者ギルドに登録してもらうために外出しただけだったのだが……ルカにそれが分かるはずもない。
(メロアラントの連中は≪ヴァリアー≫に行くんじゃなかったの? なんでその日のうちにギルドハウスに……まさか、≪ヴァリアー≫の連中に大金を要求された訳でもないだろうし……)
ルカは愚鈍ではないが、さすがに正解を導き出すためのピースが足りな過ぎた。
その答えを求めるためにも……ルカは蓮が姿を消してからたっぷり三十秒以上待ったのちに階段を上り、扉へと向かった。万が一にも見失うことはないだろう。初めての来客が奥へと通される筈もない。受付で話しているか、順番待ちがあれば椅子に座っているのだろうから。
建物内に入ると、彼女の鼻腔に食欲をそそる香りが広がる。香辛料の類も感じられた。
(厨房でカレーでも作ってるみたいね)
銀行の機能を持つ建物で飲酒など許されている筈もないが、やはり傭兵が寝泊りすることを奨励している施設というだけあって、衣食住はどれも充実させようと努力しているらしい。
(あたしだったら、こんな食べ物の匂いが充満した場所で働きたくないけど……仕事中に食べることが許されてるとも思えないし)
綺麗どころが揃えられた受付嬢たちも、頭の中では(はやく飯食いてぇわ……この匂いなんとかしてシャットアウトしてくれねぇかしら……)などと考えているのだろうか。それを想像するとルカはクスっと笑いそうになったが、堪える。目立つ行動は極力避けるべきだからだ。
傭兵たちは癖として沁みついているのだろう、常に警戒しているという程緊張感は見られないが……入り口の扉が開かれれば、とりあえず一回は視線を向けてくる人物が多い。その彼らがすぐに視線を外したことから鑑みるに、今のルカは一般人に溶け込めているのだということが分かる。武力衝突を前提にした作戦行動中の……夜の闇に紛れて暗躍する際の恰好をしていては、こうはならなかっただろう。
サングラスを着用しているとだけ聞くと「顔を隠したい、後ろめたい者だから着けている」というイメージを持つ者もいるかもしれないが、彼女が今掛けているのは顔の造形がしっかりと判別できる、グレーのレンズをしたものだった。
(――いた)
蓮はルカから向かって右手側、冒険者ギルドの受付に立っていた。
冒険者ギルド側の待合スペースは閑散としており、蓮は待ち時間なく受付嬢と話すことが出来たようだ。
食事処は左側の傭兵ギルド方面に纏められているため、冒険者も傭兵と一緒になってそちらにいる場合が多いこともあるだろうが……そもそも、冒険者はあまりこの建物に留まることがない。今も街の外で活動している者が殆どだ。だからこそ彼らは冒険者になったのだろうが。
壁に貼られた掲示板の依頼書たちは、その殆ど全てにピンが止めてある。王都の冒険者活動が活発である証だ。もっとも、掲示板に貼られる依頼は急ぎのものが多いため、そこにあるものが依頼の全てではない。受付嬢に話せば、期限の長いより簡単なクエストも受注できるはずだ。
ルカは掲示板の前へと赴き、貼られた依頼書を眺めたのち、机からそのコピーを手に取って眺める……フリをしながら、受付嬢と蓮の会話に耳を澄ます。
「双剣使いさんっすかー? 双剣使いさんってすぐにチョーシ乗って問題行動を起こしたり、死んじゃったりする人が多いイメージなんすよねー。あーしがこないだ登録したげた人もモロそんな感じでぇー」
「あ、いや……大体の場合は、一本で戦ってますけど……」
蓮は早速、異国の受付嬢によってたじたじになっていた。
それもそのはず、その受付嬢は若者言葉を好んで使いそうな、わざわざ焼いていると思われる褐色めの肌色をしている……だけでなく。
その頭部に、純粋な人間ではあり得ない特徴を有しているためだ。
率直に言えば、魔人だった。
頭頂部のあたりから兎を思わせる獣耳が生え、横にぺたんと垂れている。その耳が垂れていることが、初対面の人間が目の前にいるにも関わらず警戒心を一切抱いていないことの現れであるならば……この魔人の女性は野生を捨て過ぎている。いや、魔人の女性が人間界でものんびりまったり暮らしていられるというなら、ここが良い街だという証明かもしれないが。
毛色はチェスナットと呼ばれる茶色系であり、褐色の肌と同系色なためよく似合っている。というより、肌の方を毛色に合わせた結果なのだろう。
よく焦げた肌色の顔には特に獣を思わせる要素はなく、兎耳以外は人間そのものな外見をしている。この手の魔人が備えた獣耳は、聴覚とはまた別の方法で気配を察知する魔力器官に過ぎず、それとは別に人間と同じような耳も持つ場合が多い(所謂四つ耳である)。頭蓋骨を見れば、獣耳の方には穴が空いていないことが分かる。
そんな受付嬢の胸元にある名札には、ララ・スアレスと書かれていた。種族名もはっきりしない≪名無しの魔人≫に見えるのだが、苗字持ちとは珍しい。
深緑を基調にした受付嬢用の制服は着崩されておらず、顔から受ける第一印象よりはきちっとした内面をしているのかもしれない。案外、高貴な出自だったりするのだろうか。言葉遣いはあれだが……。
蓮はララが人生で初めて出会う魔人ではないことを頭では理解しつつも、相手の兎耳から中々目が離せないらしかった。今まで出会ってきた魔人たち……ビルギッタ、アンリエル、ジェット、マリアンネ、セリカ、ヒルデ、ルギナ、リバイアの全員が、人間と変わらない外見をしていたためだろう。
(一回でいいからモフってみてぇ……獣耳って、軟骨と筋繊維が入ってんのかな?)
蓮がそう考えてしまうのも無理からぬことだった。勿論、初対面の受付嬢にそんなことを頼める筈もないが。
(いつかモフらせてもらいたいわね……)
盗み聞き、盗み見をしているルカもまた、同じことを考えていた。
どうやら、彼女に魔人を厭う感情はないらしい。
ルカは改めて食事処の方を眺める。
この建物内だけを見ても、五年前に比べれば随分と魔人の数が増えたものだ。
傭兵ギルドは帝国の影響力が強いため、わざわざ所属することを望む魔人は多くない。飲食を楽しんでいる者の中に混じる、イヌ科やネコ科などを思わせる獣耳を持つ魔人たちは、十中八九冒険者だろう。
というより、両ギルド側も、冒険者ギルドの方に魔人を集めようと誘導している雰囲気すら感じられる。見るからに「魔人です」といった風貌のララを受付嬢として起用しているのもその一つだ。
「主に一本で……戦う、と……そうなんすねー、ちょっとだけ安心したっす。盾は持たないんすか?」
「基本的には……その、速さで避ける感じですね。ガードが必要な時は、短剣で防いだりとか……」
盾を持たず、自慢のスピードで敵の攻撃を避ける。その戦闘スタイルを自分で説明していると「俺めっちゃ凄いやつでしょ」と自慢しているように思えて、蓮は居心地が悪そうだった。頬が少し紅潮している。……別に黒ギャルバニーに興奮している訳ではない。
ララはふんふんと頷きながら、手元の紙に蓮の情報をサラサラと記入しているようだ。外見の割に仕事が出来るタイプなのか。しかし、中々その手は止まらない。蓮が喋った内容以上のことを記載しているような雰囲気すらあった。「自信過剰の気配あり」などと、備考欄に書かれていなければいいのだが。
「なるほどなるほど。ギルドでは最初は誰でもFランクからスタートなんすけど、これはギルドの決まりとかを教わる最初の講習が終われば、自動的にすぐDランクに移るんで、ご安心くださいっす。別に劣等生だからとかじゃないんで」
「はい……」
自分が劣等生だと思ったことはないですよ、どうしたら即行でBランクまで駆け上がれますか、等……脳内で考えた台詞はいくつかあったが、どれも「チョーシこきのガキ」だと思われる可能性を高めるだけだと考え、蓮は自制した。偉い。
「んじゃあ、次はお決まりの……魔力測定っすねー」
「……!」
ついに来たか、かの有名な魔力測定が! と、蓮は受付カウンターに乗せられたものを少年の眼差しでまじまじと見つめる。まぁ、実際少年なのだから仕方ない。もし誰かに責任を押し付けるならば、蓮にサブカルを履修させた兄貴分であるエドガーが悪い。
――それは紫色をした小さな座布団のようなものに優しく乗せられた……透明な水晶玉だった。
蓮の両手では包み込めないほどのサイズ感を誇っている。
(ははぁ、水晶玉タイプね……)
しかし、それだけではまだ分からない。
よく漫画やライトノベルに登場するお約束アイテムではあるが……改めて考えてみると、いくつかの種類がある。
(色が付くタイプか、輝くタイプか、数字が浮かび上がるタイプか……)
数字が浮かび上がるタイプだと、その先の展開が非常に読みやすい。「〇〇《ゼロゼロ》」と表示されたことで周囲に失望されるが、実はその水晶では主人公の力を測り切れていないだけであり……実際の数値は「一〇〇〇」だったりするのが王道パターンだろう。
「これは妖狐の一族が生成した、触れた人とマナの親和性を調べる魔道具っす。もう、いつでも触れてもらって大丈夫っすよ」
「……えーと、これって場合によっては割れちゃって、弁償とかさせられるタイプのやつですか……?」
蓮が一応確認すると、ララは左手で口元を隠してくすくすと笑った。
それは、蓮の発言の意味がしっかり伝わったために他ならない。意外とこの手のサブカルに触れているものなのか。ララはオタクに優しい受付ギャルな可能性が出てきた。
「くくっ……測定不能でブッ壊れる……的なやつ? そんなん現実にあるなら見てみたいくらいっすよ。もし割れても、誉められこそすれ怒られることなんてないんで、ちゃっちゃと行きましょー」
(お、オレツエー系に引っ張られ過ぎたか……!)
蓮は、これからはオタク知識を持ち合わせていることをもう少し隠して生きようと……顔を赤くしながら思った。エドガー含む幼馴染だけの空間のノリでは駄目だ。
――盗み聞きしているルカも笑いそうになり、咳を数回することで誤魔化していた。
「は、はい。じゃあ……」
そうして、周囲に自分を観察している視線がいくつもあることには気づかぬまま……蓮は水晶玉へと手を伸ばした。




