ダチョウの頭が悪すぎる
モズという鳥には、早贄という習性がある。
捕らえた昆虫や小魚といった獲物を木の枝などの尖った場所へと突き刺し、放置する行為のことだ。
古くは餌が取れにくくなる冬場に向けた保存食だと考えられていたが、近年では繁殖期となる春頃により力強い鳴き声を上げ、メスに己をアピールするための栄養食なのではないかという説も提唱されている。
……今、ヴィンセントの両腕を根本から引き千切り、加えて背後から胸の中央を貫き縫い留めているそれらは、恐らくモズのそうした習性にあやかって名付けられた技なのだろう。
――≪ドーラの早贄≫。
ドーラが何を意味するのかは推察できないが、
(どうやら賭けには負けたみたいだね……)
と、ヴィンセントは力なく項垂れた。
ヴィンセントが振り下ろしたサーベルは……エルトリルの首へと触れることは叶わなかった。両腕はそれぞれエルトリルの後方へと落ち、血溜まりの上でぴちゃりと音を立てた。サーベルは柵にぶつかり、不快な金属音を立ててから横倒しになる。先ほど吹き飛ばされた手榴弾が爆発する音が、遠く、下方から響く。
背後から突如として出現し、今はヴィンセントの顔の左右(顎下にもあるが)に並ぶそれは……若草色に輝く、竹のようだった。鋭利に整えられた先端は、竹槍と表現するに相応しい。
身体に力が入らない。みっともなく足掻いてやろうかと右足で前方を蹴りつけてやろうとするも、対敵は既にヴィンセントの右側へと移動していた。虚しく空を蹴る右足に、ヴィンセントは無力感を噛みしめるしかなかった。
「がぁっ…………フーっ、フー…………っ…………」
若草色の≪クラフトアークス≫で構成された物質に貫かれ、今もそれがそこにあるせいだろう、ヴィンセントの失われた両腕は生えようとせず、むしろ傷口から発生する黒翼は、着々とエルトリルに吸い取られていく。
(……炎の魔術の燃料に使っただけで、最初に埋めた“攻撃の種”が使い切られたと考えてしまったことが、僕の敗因か……)
結構良い線行ったと思うんだけどなぁ、と。虚な目で眼前のエルトリルを眺めるヴィンセント。
エルトリルは獲物を前に舌舐めずりをするようなタイプではない。無駄な会話をすることはなく、静かに一歩下がると。
右手の杖を向けてホールドしていた炎の柱の先端を――ついにヴィンセントへと向ける。
(――ア、アアアアっ、アッ、ヤキ……焼キ鳥……ハハハハハっ、焼キ串、ダ…………マ、まルで…………か、かガガガかゲ、影ガッ…………影ガ焼カレル…………!!)
猛炎に巻かれ、ヴィンセントの思考は脳みそをシェイクされたように緩慢になる。
それはただの炎ではない。エルトリルによって光を強化する文言が盛り込まれたド魔術だ。
螺旋を描く様に屹立した赤い炎でヴィンセントの身体を黒焦げにしつつ、中心部より起こる白い光で、ヴィンセントから立ち上ろうとする黒翼をかき消した。
――つまり、ヴィンセントは常軌を逸した治癒能力を発揮できず、むしろ今までに取り込んできたそれら全てを失いかけているのだ!
ヴィンセントの身体から黒翼が失われると同時に、影に展開していた≪カームツェルノイア≫も解除される。隠されていた銃剣がごとりと音を立てて地面に転がる。エルトリルはそれを横目にすると、左足で蹴り飛ばした。
吸血鬼が扱う黒い力……影や闇と表現されることの多いそれを消し去るその力は、光属性とでも呼ぶべきものなのだろうか?
吸血鬼に対して有利に立てる種族も、光を司る龍も確認されていないこの時代では、それに答えを出すことは不可能なのだろうが。
これを受け続けた結果……どうなるのだろうか。ヴィンセントは黒翼を完全に失い、ただの人間へと戻るのだろうか?
それとも、時間こそ必要とするものの、能力を失う訳ではないのか。一度吸血鬼の血に適応して魔力器官へと変貌した心臓は、この後もしれっと、ゼロから黒翼を生成し始めるのかもしれない。
……だが、それを確かめる時間はない。
何故ならば、ヴィンセントは今からエルトリルによって止めを刺されるのだから。
「……………………」
最早物言わぬ屍となった……ように見えるヴィンセント。それでも、エルトリルは油断しない。
「死者を冒涜するような真似をすることを、赦したまえ」
その言葉はきっと、ヴィンセントへの謝罪ではなかったのだろう。
ヴィンセントの身体を串刺しにしていた竹槍が曲がり、伸び、突き刺した獲物を屋上から捨てようとするかの様に突き出した。
エルトリルはそこに向けて杖を伸ばしながら、
「それを爆破せよ」
炎の柱が、燃料としていた若草色に輝く根を断ち切り、浮かぶ。手のひらに収まるほどの大きさまで収縮したそれは、しかし威力まで弱まったという印象を全く抱かせないだろう。
煮えたぎる怒りを内包したかのような球体がヴィンセントへと向かう。エルトリルは既に、女子寮側の扉の向こうへと身を隠していた。
――轟音。
……十数秒後、再び屋上へと足を踏み入れたエルトリルは、周囲にヴィンセントの気配がないことを確認した。
確実に爆発四散し、飛び散ったパーツは校庭へと落下したのだろう。引き千切られた両腕は、今もエルトリルの足元にある。
類まれな強者たるエルトリルから見ても、ヴィンセントはただの人間ではないどころか、要注意クラスの難敵であった。
……それでもあの少年は、高位の吸血鬼ではない。
両腕を落とされ、≪クラフトアークス≫を奪われ。黒焦げにされ、全身をバラバラにして高所から撒き散らされた。
念には念を入れて殺し切ったと表現してもいい。伝承に残る吸血鬼の始祖でもなければ、その血筋を喰らった訳でもない少年が、これで生き返れるはずがない。
誰でもそう考える。むしろ、この世界に詳しい者ほど、ヴィンセントの死を確信しただろう。
……では、この後に起こったことは、どう表現するべきだろうか。
運命のいたずら……とでもしておこうか。
人生経験の成せる技と言うべきか。本来近接戦闘を苦手とする魔術師であるはずのエルトリルは、たった一人で稀代の戦士を下してのけた。
そして、この男の何より厄介な点は、慎重にして明敏だということだった。
(飛び散った遺体を確認する)
爆風に消えたヴィンセント……そもそも爆破する瞬間は見ていなかった相手の死を、現時点で百パーセントだと決めつけてしまう若さは、エルトリルには残っていない。
屋上の縁まで近寄り、ヴィンセントが落ちた先を見下ろすべく……歩き出そうとした、その刹那。
銃声――エルトリルの左のこめかみに、衝撃。
「……ぐッ……!?」
事前に施していた防御魔術が、僅か一撃で砕けかけている。
(狙撃……いや、射撃と言える距離から……ッ! ――やはり人間が作り出した魔道具は、侮れん……!!)
男子寮側の扉、開け放されたそこから少しだけ姿を覗かせ、こちらへと弾丸を放った者がいる。
このまま同じ箇所にもう一発貰ってしまえば、命を落とす可能性が非常に高い。そう直感したエルトリルは、左手でこめかみを庇いながら、右手の杖をそちらへと突き出す。
「下郎がっ!!」
まるで平静を失ったかのような大声を出したのは、わざとだ。激昂した風を装い、怒りのままに強烈な一撃を放つ……と、そう思わせるためのフェイク。
最も避けたかったのは、連続して弾丸を叩き込まれることだ。事前に準備をしていない時に不意を突かれることこそが、魔術師にとって最大の危険だと言えよう。
目算通り、謎の人物は奥へと引っ込んだ。何の攻撃も飛んでこないことを訝しむまでには、数秒の猶予があるだろう。エルトリルは己の周りに改めて若草色の≪クラフトアークス≫を撒き散らすと、女子寮側の扉へと走った。
銃器を操る新手へと、距離を詰めてしまうべきかとも考えた。だが、相手を追うよりも、裏で長い詠唱を済ませ、防御魔術を再展開することを優先した。それが、今日までエルトリルが生き残り続け、強者たる所以だったからだ。
それに、エルトリルは気づいていた。謎の新手は、男子両側に落ちていた大杖を持ち出し、少なくともエルトリルからは見えない場所へと移動させていた。
なんと目敏い敵なのだろうか。ヴィンセントの功績を引き継ごうとする、強者だと見るべきだ。
『……セドナ! いますぐここを離脱せよ! ……分かっていると思うが、二度とその名を名乗るでないぞ!!』
エルトリルはありったけの出力で、周囲へと念話を放った。まだ、彼には生き残っている仲間がいたのだ。
彼は元々、人間を舐めていたつもりはなかった。だが、こうして戦争を仕掛けてみれば。帝国の勢力には、想像以上に侮れない者が混じっていることが分かった。
防御魔術を新たにしながら、エルトリルは今日こそ生きて帰れないのかもしれないことを強く意識し、それでも恐れを抱くことはなかった。
ただ、小声で静かに詠唱し……新手を葬る為の力を、左手へと溜め始めていた……。
――そうして、新手の人間……ハーヴィー・ゲッテンズ教官は膠着状態を作り出し、状況が好転するまでの時間を稼ぐことに成功する。
一方。
両腕を遠く離れた場所に置き去りに、それ以外の全身もバラバラになって校庭へと落下していたヴィンセント。
初めての死を迎えたと言ってもいい状況だが、彼は生きていた。
このレベルの再生を行う(自分の意思ではないのだが)のも初めてだったが、意識は薄いながらも途切れていない。
(……生、ギて、る……あ、つ……い…………い……た……い…………)
黒焦げの頭部から、首、左胸までは大部分が人の形を保っている。心臓周りのパーツが奇跡的に、まだましな瀕死加減だったために、修復が早かったのだろうか。
否、そうではない。≪クラフトアークス≫を奪われ、光にかき消されたヴィンセントに、そんな治癒能力が残っているはずもない。
己の顎の下。地面に流れていた、赤い血。
本能による行動だったのか、それを舐めとって、即時的にエネルギー補給を成し遂げていた身体。
(あ、は…………あはは、はは…………)
一体、どれだけ自分は生き汚いというのだ。いや、それとも……これが運によるものだとすれば、この世界の創造主がヴィンセントにそう在れと命じているのか?
――ダチョウの頭が悪すぎるのは何のためか?
父親の声で脳内に響いた問いに、彼の口元は弧を描いていた。
(…………それ、は…………失敗を、忘れて。……次に……生きる、ためだ……)
ヴィンセントがこのような人格を形成するに至った道のりなどどうでもよく。
ダチョウたちが、己がなぜ走っているのかも分からずに走り続け、その何割かで実際に脅威から逃げおおせて種の存続という結果を出し続けているように。
ただ、彼はそう在る生命だから、そう振る舞うだけなのだ。
(……死ぬまで、は……誰、にも……否定……させない。……僕というダチョウは、絶滅するまで…………ヴィンセントなんだ…………!!)
視力は戻らない。聴力も頼りない。腕は……無かったが、僅かに生成できた黒翼を左腕の形に整え、それ一本で這い進む。
身体の大部分が残っていないおかげで、ギリギリ身体を前に進めることができた。だが、これをお読みの皆さんは……“全身バラバラダイエット”に挑戦することはおすすめしない。というより、危険ですので絶対に真似しないでください。
――目的地はそう遠くない。
分かるのだ。この血が流れて来る大元が、近くにあると。
『……セドナ! いますぐここを離脱せよ! ……分かっていると思うが、二度とその名を名乗るでないぞ!!』
何者かの念話が聴こえる。いや、何者かではない。エルトリルの念話だ。聴覚も馬鹿になっているが……念話は耳で聴いている訳ではないのだということを、ヴィンセントは過去最高に意識することになった。
(……まだ生き残ってるお仲間さんが、い……たのか……それ、とも。いる……と、仮定して。警告……してるのか)
不思議なことに、その念話に衝撃を受けたかのように。すぐ近くにいた何者かの気配が、急いで立ち去るような音と風を残し、掻き消えた。
(……まさか、そのセドナとやらが、僕の目の前にいた? いや、だとしたら……余計に意味が分からない。なぜ、僕に止めを刺さなかったのか……)
分からない。分からないまま、ヴィンセントの左手は、自分以外の肉に触れた。
(……………………ロビン、くん)
めちゃくちゃダチョウの生態を褒める回でした。
ヴィンセント(というより作者?)、動物に例えるの好きすぎじゃないか? ライオンだのバッファローだのガゼルだのモズだのダチョウだの。というか今回鳥の話題多くないか?
――作者の引き出しが動物すぎる。この無駄に文章量を増やし過ぎる素人小説家の名前はカジー・Kと言い、友達との通話ではバァチクソうるさいだけのサルと化します。
最初は全四話くらいでこの過去編をサクッとまとめるはずだったのに、どうしてこうなってしまったんでしょうね……。今回もお読みいただきありがとうございました。




