こっちが挑戦者だから
エルトリルが持つ一メートルを超える大杖は、先端が丸まったように膨らんでいる。巨木の枝の一部を切り出したものだと思われる。
今は全体に若葉色の≪クラフトアークス≫を纏い発光しているそれは、果たしてただの杖なのだろうか。
人類の生活圏外では、ある種の魔法生物とも言える不思議な植物、“霊樹”が生えているという報告もある。
ただでさえ植物を操るエルフなのだ。彼らが己の命を預けることを選んだ武器ならば、特殊な性質を持っていると考えて然るべきではないか。
(古の巨人族や、魔法鍛冶師が鍛えた魔法剣のような反則能力を持っていると考えて動こう……)
これが物語であれば、杖を破壊することで魔術師は無力化できるはずだ……などという甘い考えは捨てる。そもそも、杖がなくとも魔法を使える物語もある。
それどころか、あの大杖と打ち合った場合、ヴィンセントが持つロングソードの方が折れてしまう可能性すらある。
左の掌を相手に向け、自分の身体を守る盾のようにしながらエルトリルへと走るヴィンセント。その右手は変わらず後ろに引いたまま、ロングソードの突きを溜めている格好だ。
エルトリルは目を細め、大杖の頭が自らの胸に近づくように九十度傾けた後、それを外側へと振るった!
「――≪ドーラの早贄≫」
振るいながら紡がれた、その言葉の意味は分からない。
(ドーラノハヤニエ……遠距離攻撃? ――技名を発声したってことは、言葉で関連付けてイメージを保たなければ成功率が低いような、複雑な魔法か……)
ヴィンセントは即座に右へと跳んでいた。エルトリルが振るった杖が向かった方向とは逆、飛んでくる何かを回避しやすい方へ。
場合によっては、左手を駄目にしながらでもそれを弾くか、掴むことに挑戦しようとしていた。
しかし、それは遠距離攻撃では無かったようで。
エルトリルが立っていた周囲……着地の衝撃に抉られたコンクリートに向けて、若草色に輝く光の粒が大量に撒き散らされたのだ。
それだけ……などと楽観視していいはずがない。これはこの先に繋がる、重要な布石のはずなのだ。
植物使いが撒き散らす、光の粒。
(――違う、すぐに動くべきだった!)
ヴィンセントは、遠距離攻撃に対処しようと四秒も足を止めていた自分を叱った。彼は再び、ガゼルのように跳び、駆ける。
(あれはきっと、攻撃の“種”……)
恐らくエルトリルは、自らに有利な戦場を構築して戦うタイプなのだ。
撒かれたのは通常の植物の種か、霊樹の種か、はたまた≪クラフトアークス≫によって作られた疑似生命の種なのかは分からない。
だが、これだけは予想できる。遠からずにコンクリートを突き破る勢いで何らかの植物が生え、それがヴィンセントを襲うのだろうということは。
――生存を第一に考えるなら、一度逃亡し、場所を変えて戦うべきか。ヴィンセントは脳裏に浮かんだ案を一瞬で棄却していた。誰の目にも、ヴィンセントが走りを緩めたようには映らなかっただろう。周囲には、目撃者となり得るような生存者はいないが……。
(違う……どこで戦っても、どうせ一緒だ)
むしろ、楓が植えられている校庭や外縁の森で戦うより、この屋上が一番いい。そもそも、この人工物で固められた建物は、エルフに有利な地形ではないはずなのだ。だというのにここで戦いを始めたエルトリルの、絶対的な自信が感じられる。
何が植えられたとしても、生えてくる前に決着をつける。間に合わなければ負けだと割り切る。
それがベストだと判断したヴィンセントは、一直線に対敵へと距離を詰め……それが一メートルまで縮まっても尚……右手の剣を突きだそうとしない。
勢いを乗せて攻撃するのではないのか。攻撃を捨てているかのようなヴィンセントの動きに、エルトリルは目を見張る。
少年の狙いは読めぬまま、エルトリルは右手の大杖を逆さまに持ち直し、石突側を相手に向ける。
それは小さく軋むような音を立て、既に“石貫き”とでも言える、鋭い形へと変化していた。
ヴィンセントは己の左胸に向けて突き出されたそれを……身体をほんの少し右へとずらすことでギリギリ回避し、そのまま左の脇で大杖を挟む。
――外側を通った左腕を捻じるように下から回し、大杖をホールドするようにがっしりと掴んだ!
「――バカな」
エルトリルは驚きの声を抑えられなかった。
それがただの杖であれば、抑えつけたり、奪おうとするのも理解できる。だが、今は未知の≪クラフトアークス≫に包まれ、若草色に発光し続けているのだぞ、と。
どう考えても異種族にとっては毒になるだろうと分かるそれに、まさか自ら触れに来るなど。マンガで分かる○○シリーズの本を読んでも全く理解出来ない阿呆か?
大杖を力の限り握りしめ、鬼気迫る表情でヴィンセントは笑った。
「あはっ、思ったよりは硬くない……っ!」
強引すぎる方法ではあったが。この大杖と打ち合っても、ロングソードが即座に折れるようなことは無さそうだとヴィンセントは安心できた。
まるで、触れてはならない薬品に触れてしまったかのような。肌を焼くような痛みを感じつつ、ヴィンセントは左腕を自然治癒しようとする彼の≪クラフトアークス≫、黒翼の働きを抑えない。
結果、彼の左腕は……治らない。いや、治癒しようという働きはあり、少しばかりは回復したのだ。だが、すぐに新たなダメージに上書きされる……だけではない。
ヴィンセントの身体から湧きおこる黒翼が、名前も分からない若葉色の≪クラフトアークス≫に押し負け、エルトリルへと吸収されていく!
(――これ! 格上と戦うとこれがダメなんだ、≪クラフトアークス≫ってやつは……っ!)
人知を超えた魔法であり、世界の秘密に迫るとされる≪クラフトアークス≫だが、たとえ別種の属性の使い手同士であったとしても。能力の出力が勝る側が、劣る側を飲み込む現象が報告されている。それでも、同じ属性の使い手で力を奪い合う状況よりは、よっぽどましではあるのだが。
……つまり、弱者が強者を喰えるような能力ではないのだ。戦う前から、明確な格付けがされてしまっている。
こんなものにばかり頼っていては、戦闘技術の伴わないイキり野郎にしかなれないだろう……とは、ヴィンセントの考えである。
どちらかと言えば、こうした超常の魔法を打ち消す力を持つ魔法剣を振るう方が、彼には合っている。
超常の力を振るう魔人どもを、ただの人間と同じステージへ引きずり込み、武術で斬り殺すのだ。……そんな武器が手元にあれば、だが。
パルメ家に伝わる“竜狩りの武器”、銀色の魔槍には≪クラフトアークス≫の連結を断ち切る魔法が宿っているが、残念ながら未だ父親に認められていないヴィンセントが、現在それを所有しているはずもなく。
仮に所有していたとしても、彼が最も得意とするのは剣だ。達人の域に達していない槍を持ったところで、眼前の怪物に通用したかは怪しいところだろう。
ただ一つだけましだと言えるのは、若葉色の光がヴィンセントの身体まで這い上がり、飲み込まれてしまうことがないということだった。≪クラフトアークス≫の出力では向こうが間違いなく格上だが、吸い取られる速度も速くはない。
恐らく、ヴィンセントが父親に与えられて喰らってきた中位の吸血鬼と、そこまで格が違うという程ではないのだろう。エルトリルが放つプレッシャーは魔法の大きさではなく、ただ単に立ち振る舞いから滲み出る技量と、迷いのない殺気に由来しているのだ。
「貴公、やはり吸血鬼の力を持っているな……!」
左腕を侵食されながらも大杖を拘束しているヴィンセントに向け、エルトリルが左手を持ち上げ、伸ばす。
どうやら、戦う前からヴィンセントが吸血鬼特有の≪クラフトアークス≫を持っていると睨んでいたらしい。
(ま、吸血鬼の知り合いがいるんなら、仕方ない……)
ヴィンセントは大杖は離さぬまま、右足を大きく下げるように半身の構えを取り、己の胸の中央を目指すエルトリルの左腕への返答として、ついにロングソードを突き出した。
(あまり回復能力が高そうな種族じゃないみたいだけど、これに対応できるのかな……?)
彼にしてみれば、己の胸へと差し向けられた左腕は緩慢にすら見えた。近接職のスピードではない。
後衛を務めるはずの魔術師が一人でノコノコ前線に出てきて、戦士と向き合っていたのだとすれば滑稽だ。身の程を知れと言いたくなる。
しかし。
「かっ……っ!?」
――敵の大将は、そこまで甘くない。
(硬い…………っ)
さしものヴィンセントも、大杖が硬質ではなかったことに油断していたのか。それとも、騙されていたのか?
エルトリルの左の掌を食い破り、肘まで貫くつもりだったロングソードの切っ先は、先端を数センチしか埋めることが出来なかった。
(――本物の腕じゃなっ――)
からくりは不明だが、ヴィンセントはそこまで考えた。考えながら吹き飛ばされた。
――両腕がそうなのかは不明だが、少なくともエルトリルの左腕は生物の肉ではない。まさか森の種族ですといった風貌のエルフが、硬質の義手のようなものを身に着けているとは中々予想できないだろう。その外見は、普通の生身にしか見えないのだ。
ぱっ、と剣先を払われたかと思えば、エルトリルの左の指先がヴィンセントの胸をトンと叩いていた。それだけだった。
……たったそれだけで、少年の身体は面白い程に容易く、宙を舞っていた。
ロングソードは右手を離れてしまった。恐らく、取り返すことは叶わないだろう。
それでもいい。左手に握る大杖だけは、死んでも離さない。ヴィンセントはそれだけを意識していた。
(――これはさすがに魔術を使っている……ガっ……!)
衝撃に、一瞬だけ思考を断ち切られる。
男子寮側、屋上へと繋がる扉。屋上の物置から移動させたのだろう……バリケードだと思われる戸棚と、それを押さえていたのだろう男子生徒たちの遺体の山。
それらをクッションにして突っ込んだ形になったヴィンセントに、命の危険はない。いや、右半身の骨はいくつも折れていたのだが、数十秒で再生できるほどでしかなかった。
(離れれば黒翼は使っていいし、傷の治療は出来る。でも……)
――しかし、その数十秒が仇になるのが戦場だ。
ここまでの動きで確信した。やはり、エルトリルは遠距離戦を得意としている。
左腕の謎の硬さは気になるが、彼の反応速度を見るに、近接戦のエキスパートという訳ではない。
そんな相手が、こちらを吹き飛ばしてきた。そのまま距離を取っていれば、どうなるか?
「――命を喰らい湧き起これ、揺らめく炎熱よ柱となれ、我らが命を哀れに思うなら――、」
(――ほうら、長ったらしい詠唱が始まった!)
エルトリルは懐から新たに指揮棒のような極小の杖を取り出し、宙に何かを描くように振り回している。それと共に紡がれる言葉は即ち、魔術の詠唱に他ならない。
その足元から、ついに若草色に輝く植物のようなものが……巨大な松の木にも見えるものが生えてくる! 次第に枝分かれし、先端に刺々しいシルエットを形作っていく擬似生命。メキメキと音を立てて成長しそうなそれは、しかし≪クラフトアークス≫の特性によるものか無音である。だが、それを薪にして根本から起こった炎と、根を張られて亀裂が走ったのだろうコンクリート製の床が、不快な鳴き声を上げていた。
(このっ……森を愛する種族ですみたいな顔して、自分たちの弱点になりそうな炎を使ってくるとは……いや、実際自分の元の能力を燃料にしてるみたいだし、相性は良いのか……)
――この場から離れなければならない。だが、右足の再生が終わる前に無理に移動してしまえば、攻撃に繋げられなくなる。
魔術が飛んでくるギリギリまで回復を待つべきだ、と。ヴィンセントはそう判断する。
左側を見れば落ちている大杖が、彼に仄かな達成感をもたらしてくれた。それはまさに今――持ち主の手を離れたことが原因だろう――光を失うところだった。
相手の主力となる武器を奪えた。無力化は出来ずとも、攻撃力を削いだのは間違いないのではないか。もっとも、取り返されてしまえば水の泡だ。
どうにかして破壊するか、それが出来ずとも隠せればいいのだが。
長い詠唱から繰り出される大魔術ならば、そこにこの大杖を放り込めば破損したりはしないだろうか。
それか、≪カームツェルノイア≫の腕前をエルトリルに開示することにはなってしまうが、今ここで影の中に大杖を格納してしまうか……と、そこまで思案したところで。
「――喰らった命に報いたまえ、まだまだ足りぬ、猛りたまえ。眼前の敵が影になろうとも、光となって暴きたまえ――、」
エルトリルの詠唱は淀みなく、また焦りも無い。魔術師が誰にも守ってもらえない状況では、焦って早口になってしまいそうなものだが。
己の力量で剣士との間に距離を生み出してのけた彼は、短く区切りながらの言の葉をしっかりと周囲を漂う精霊に聴かせ、確実に大魔術を発動させる。
竜の時代における人間側の魔法・魔術への理解は正解からは程遠いため、ヴィンセントとしては「なんかめっちゃ大仰な文章を唱えてる。あれだけ自信たっぷりなんだから、さぞ強大な攻撃魔術が来るんだろうな」程度のフワッとした感想しか抱けない……普段であれば。
――だが、今回は聴き逃せない点があった。
(なん、だ……「眼前の敵が影になろうとも」……だって……?)
エルトリルは、吸血鬼由来の≪クラフトアークス≫、つまりは黒翼が持つ特殊形態……≪カームツェルノイア≫を用いることで、ヴィンセントが影に潜って攻撃を回避してくることを警戒しているのだ。そうとしか考えられない。
(自分自身の身体を影に入れたり出したりなんて、出来たことないって……)
ヴィンセントが父親に与えられて喰らってきたのは、最も高貴な血筋の姫でも、族長クラスでもない。本物の吸血鬼たちですら簡単には真似出来ないような特殊能力に、目覚めているはずもない。
(随分と知識に偏りがあるらしい……。吸血鬼の事情を熟知してる、ってほどでもないのかな……?)
それよりも気になるのは、恐らくは普段なら詠唱していないような、「影に潜られることへの対策」の文言が入っていただろうことだ。
(魔術って、必ず毎回決まった詠唱をするものじゃないのか……同じような魔術でも、相手への対策を盛り込めば、実際に結果が変わる……? ああ、気になる!)
言霊の力、というやつだろうか。エルトリルの眼前で立ち上る炎の柱は、中の方が白く輝き、あらゆる影を焼き尽くし……そうに見えた。
ヴィンセントは精霊の存在を知覚できず、魔術の理論も分からない。しかし、この時代の人間の中では唯一と言ってもいい程の気づきを得、真実へと近づいていた。
(まるで誰かに……世界に語りかけてるみたいじゃないか、魔術…………っ)
既に足の治癒は終わった。いつでも走り出せる。だがあの様子では、ヴィンセントですらも確実に焼き尽くされ、再生すら追いつかないビジョンが見える。もはやエルトリルの身の丈をも超えた、あの大火なら。
「――怒りを滾らせ、我が合図を待ち……かの敵を追わん!」
エルトリルの詠唱はその意思を最後までたっぷりと精霊に伝える。詠唱って凄いよな、いずれはガンにも効くようになる……かもしれない。何の話だ。
なんと、エルトリルが育てた炎の柱は、うねる様に猛り、薪に亀裂を入れるような音を立てつつも、即座にヴィンセントに向けて飛んでくることはなかった。
我が合図を待ち、という言葉の通り、溜めが終わった後は発射タイミングまで自由に選べるのだろう。その状態で動けないのであればまだいいが、更に移動したり、別な攻撃を重ねられるというなら反則が過ぎる。ゲームであれば修正必至だろう。
だが、これはゲームではない。ヴィンセントにとって都合の良いように世界が動いたりはしない。
エルトリルが右手に持つ杖は今も炎を指し示しているが、その左腕がロングコートの中へと突っ込まれた時点で、「次の攻撃が重ねられるに違いない」とヴィンセントは判断した。
(――動かなければ、何も変わらない……!!)
広範囲の爆発なら、むしろ近づいてやれば発動できないのではないか?
それに巻き込まれれば、エルトリル自身もただでは済まないのではないか。エルフという種族に火耐性など……あってくれるなよ。ヴィンセントは、再び賭けに出ることを選択する。
(認めよう、こっちの方が弱いことを)
だからこそ、
「――うがあああああああああああああああッ!!」
――ヴィンセントは、吠えた。
百パーセントの力を出し切る為に。あのヴィンセントが、美しさも冷静さもかなぐり捨て、≪静かなる破壊者≫の異名を知る者が見れば顎が外れるような咆哮を上げ、エルトリルへと疾駆する!
(こっちが挑戦者だから。どんなにみっともなくても、構わないさ……)
草食動物じみた跳躍は、一歩にして二メートル以上の距離を詰める。その両足が踏みしめた床には、漆黒の影がべっとりとこびり付いている。二歩、三歩と歩を進めた後にその場に残った影……≪カームツェルノイア≫から、ヴィンセントが蓄えていた伏兵が姿を現す。
一歩目の影から、手榴弾が。ヴィンセントはそれを後ろ手に、左手でキャッチした。影から引き出した時点で、そのピンは抜かれている。彼は影の中に収納したものをある程度操作できるのだ。
二歩目の影から、スピアが。同じように右手でそれを掴むや否や、ヴィンセントはエルトリルに向けてそれを投擲していた。
――エルトリルがロングコートから取り出した左手には、木製だと思われる短剣が握られている。近接戦における、エルフにとっての主力武器なのだろうか?
顔面に向けて迫り来るスピアに、エルトリルは左手の短剣を……ではなく、左手の甲を合わせて打ち払った。なんとも憎らしい、どれだけ左手の強度に自信があるというのか。それが精巧な義手なのだとすれば、是非とも帝国でも実現したいところだが……ヴィンセントは余計な考えを振り払うように、今度は手榴弾を放り投げる。彼我の距離は、既に四メートルもなかった。
爆発すれば、ヴィンセントも確実に巻き込まれるはずだが――エルトリルが突き出した短剣が若草色の光に包まれると、そこから伸びた光が手榴弾を優しく包む――その時点でヴィンセントは「どうせ無力化されるのだろう」と当たりをつけ、彼我の距離を一メートルまで詰める。
エルトリルは左手を外側へと振った。それに追従するように光に包まれた手榴弾は浮かび、腕が伸ばされ切った時点でエルトリルの支配から抜け出たように、屋上の縁を越えて落下していく――。
エルトリルの左手は外側へと伸ばされ、右手の杖は今も頭上で猛る炎へと向けられ、ホールドしている。
五歩目の影から飛び出したサーベルを、右手で掴むヴィンセント。
「――ぐるぅぁぁあぁああああああああッ!!」
(これを見ろ……この刃に集中しろ!!)
――これが最後のチャンスだ。ヴィンセントは両腕で持ち直した刃をこれ見よがしに大きく振り上げ、エルトリルがそれに対処する流れを生み出す。
ヴィンセントが最後に踏みしめた右足。エルトリルの左足を踏みつけようとしたようにも見えるそれを、エルトリルは左半身を後ろに下げることで回避。左腕を戻し、ヴィンセントへと輝く短剣を向けようとする……それを向けられてしまえば、今度はヴィンセントに光が取り付き、身体の制御を奪われてしまうのかもしれない。
それをさせたら、負ける。
(だから、させる訳にはいかないんだよ……!)
既に対敵が目を離していた、ヴィンセントの右足。その周辺を黒く染め上げていた影から、鎖が伸びる。
その鎖は、全てが漆黒に染まっていた。≪カームツェルノイア≫で染め上げられた鎖。それはつまり、放たれてからもヴィンセントの思い通りに動かせることを意味している。
それが巻き付いた部位にエルトリルが己の≪クラフトアークス≫を纏わせていれば、容易く上書きされて頓挫しただろう。
あるいは、ヴィンセントが鎖に≪カームツェルノイア≫を纏わせて動かす修練を全く積んでいなければ、こうはならなかっただろう。
サーベルの振り下ろしに対処するため、上へと持ち上げられかけていたエルトリルの左腕。
その肘に巻き付いた漆黒の鎖が、彼の動きを縫い留め、僅かにだが地面へと引き倒しかける。
剣士であるヴィンセントにとっては、それだけで充分だった。隙を晒した魔術師は、立て直すまでが遅すぎる。
(――感謝するよ、ロウバーネ……)
かつて帝都で出会った、同じ≪四騎士≫候補の少女。
吸血鬼の里を騙し、裏切った彼女が持ち出した技術。それを見よう見まねで再現してのけると。
――ヴィンセントはエルトリルの頸目掛けて、サーベルを斜めに振り下ろした。
(――これ! 格上と戦うとこれがダメなんだ、≪クラフトアークス≫ってやつは……っ!)
と、前作でも今作でも物語のカギを握っている≪クラフトアークス≫が、ヴィンセントにこき下ろされてしまいました。これだけに頼っていては弱くなってしまう、戦士を堕落させてしまう力……と言いきってしまうと、ヴィンセントに肩入れしすぎた思考かもしれませんが。
この混沌とした世界を生き残る為には、強力な≪クラフトアークス≫を身に着けたとしても慢心せず、これ以外の能力も鍛えておいた方が良いのは確かでしょう。聞いてるか、蓮? あと前作主人公。




