僕はいまこそ生きている
「うああ、ああっ……」
「モッ、モンスターがもう入って来てる!!」
「きゃあああああっ!!」
(叫んだって何も解決しないよ……)
電気羊の群れによる襲撃に気付いた際、優れた戦士であるヴィンセントの行動は、やはりというか素早かった。
彼の行動指針はその難儀な性格故に度々変動するが、人間側……というより、帝国側であることは間違いない。
(――他人を助ける……そのために敵を倒す。戦いを楽しみたい……でも、それにかまけていると救える人数が減る。効率化を求めるには、武器がいる……)
様々な事柄について瞬間的に思考を巡らせつつ、ヴィンセントは食堂を飛び出し、正面玄関を目指す。
その途中で立ち止まり、目の端に映ったものへと飛びつく。
『――生徒諸君、一切油断せず行動し――、ガッ!?』
そこにあったのは、特に重要な危険物が格納されているという、最も厳重に封鎖された武器庫。だが、ヴィンセントが一番に注目したのは、その中身ではなく。
(電撃を武器にするモンスター、電気羊。それの対策として考えられるのは……)
先程中断されてしまったマドリン教官の放送内容を吟味した結果、ヴィンセントが少ない準備時間で最善の策だと判断したものは。
ジャラリと音を立てた、扉の取っ手に絡みついている鎖。金属製のそれを左手で引っ張り、扉に触れている輪に向け、即座に右の掌底を打ち付ける。ガン、ガン、と。連続で、何度も。
猟奇的な光景だが、それを目撃する者はいないため問題はない。上階からは生徒たちの悲鳴が聴こえてくる。皆が我先にと、屋上に向けて避難しようとしているのだと思われる。
衝撃音が六度に渡って響いた後、輪の一つが扉の取っ手から離れた。ヴィンセントの掌底は骨折していたが、漆黒の≪クラフトアークス≫が手首を起点に音もなく沸き起こり、たちまち回復した。
その回復を待ちきることなく鎖を引き、終端とするべき位置を目算すると、再び右の掌底を打ち付ける。今度は五回で済んだ。
扉から分かたれた鎖を、ヴィンセントが左腕に巻き付けるのと、廊下の先からのっそりと巨体が姿を現したのは、ほぼほぼ同時だった。
(早速試すことになるとはね……)
ヴィンセントの姿を認め、猛る電気羊。駆けだしたその巨体が突き出す角は、黄金に輝いている。
電気羊の突進に、ヴィンセントは鎖を巻きつけた左腕を横向きに、上半身を守るように差し出しつつ。右足を上げ、電気羊の鼻先を抑えるように蹴りを置いた。
結果、電気羊の勢いは……即座には殺せない。ヴィンセントの右足は膝の辺りまで複雑骨折した。
――電気を纏った角は左腕の骨を粉々にしたが、それでも彼の腕は電気羊の角から離れない。
掴んでいるのではない、電気羊の両角と己の左腕を黒翼で縛り付けるようにして、強引に受け止め続けているのだ。
金属製の鎖は受けた電撃を全てその内部に留め、隣接したヴィンセントの衣服と肌以外を焼くことはなかった。突発的に考えた対策だが、上手く行ったと言えるだろう。
当然、もし彼が普通の人間であったなら、こんなものでは対策とは言えない。自らの不死性を理解していなければ不可能な受け止め方だった。
電気羊は、突進を受けた対敵が吹き飛ばないことに驚いたように、攻撃を受け止めたヴィンセントを十メートルほど後退させたあたりで動きを止めた。
「いっ……ぱつで、電力切れかぁ。なら、なんとかなりそうだね」
ヴィンセントは電気羊の角と己の左腕を連結させていた黒翼を解除すると、右の貫手で電気羊の顔面……左眼を抉った。
苦悶の鳴き声を上げ仰け反る電気羊。修復中のために思うように力を込められない左腕だったが、その先端で右眼も叩く。
視力を殆ど失った電気羊が暴れ、教室の扉に突っ込んで凹みを作るが、ヴィンセントはとどめを狙うことはせず、その傍らを走り抜けた。
既に、その全身の傷は癒えていた……かと言えばそんなことはなく、床を一歩踏みしめる度に右足は軋んだ。それでも、彼は拘泥しない。
(武器無しで大型の獣を仕留めるのは、あまりにも時間が掛かりすぎる)
角を曲がれば、正面玄関が見える。思ったよりも電気羊でごった返してはいない。
人間の気配を察知し、それが濃い方へ向かう習性があるのか……はたまた、そうした命令を受けているのか。
(裏口からも大量に入って来てそうだ。食堂の皆には悪いことをしたか……見捨てた形になってしまったかも)
しかし、それは考えても仕方のないことだ。武器を持たない状態では、さすがのヴィンセントでもモンスターの命を奪うことは難しい。あのまま食堂に残って防衛戦を挑んだとしても、救える生徒は多くなかっただろう。
(自室や屋上で上手いこと籠城して、勝手に生き残ってくれる子たちがいることに期待しよう。僕は、見つけた敵を殺すことで脅威を減らすのに徹する……それが最適解だ)
その場を占有することを狙うように、手持無沙汰とも言える様子で床を掻いていた電気羊の数は、五。
その全てがヴィンセントへと向き直り、即座に地面を蹴った!
既に光を失った角をこちらに差し向ける電気羊の突進……それを飛び上がることで躱し、壁を蹴り上げ、体勢を低くするように下駄箱の上へと乗り上げたヴィンセント。下駄箱の上で立ち上がれるほど、天井は高くない。
素早く周囲を見渡す。
――やはりだ。と彼は目を光らせる。電気羊たちの角が光を失っているのは、それだけ沢山の人間が既に犠牲になっているためだ。
電気羊たちの中に、血塗れになって頽れている警備兵たちがいる。その周囲に散乱しているのはサーベルと……あれは、銃剣か。
ヴィンセントやアシュリーの年齢では、基本的に銃剣の扱いを習う者はいない。生産できる数に限りがある、エリートのための武器故だ。しかし、ヴィンセントには使い方が分かる。ハワイで……はないが、帝都で親父に習ったことがあるのさ。
下駄箱へと突進する電気羊。その衝撃に足を取られる前に、ヴィンセントは跳躍する。転がるように受け身を取りつつ、銃剣を持ち上げる。既に安全装置が解除されているそれを電気羊たちに向け、発砲。
周囲には二体の電気羊の死骸が転がっていた。銃剣による射撃が有効であることの証左だった。
一、二、三……四発目を撃とうとしたところで残弾が無いことを知るや、即座にそれを投げ捨てた。
銃剣にも刃はあるが、内部の機構故に“引くように優しく斬る”ことが推奨される、繊細な武器だ。
もう一度弾丸を補充して必殺の武器として振るいたいのならば、今は力任せに振るって壊してしまう訳にはいかない。
……恐らく、銃剣を与えられた警備兵は隊長クラスだったのだろう。全六発の弾丸のうち三発を使い、二匹を仕留めていたのなら上々だ。
(残念だ。勤勉で強靭な戦士が一人、僕と手合わせする前に死んでしまったなんて……)
警備兵の死体の懐には予備の弾薬があるだろうが、それを取り出して装填する時間など、あるはずもない。
頭部に弾丸を受けて絶命した電気羊が二体。脇腹に弾丸を受けて倒れた個体は、しかしすぐに起き上がるだろう。
眼前に迫る、残り二匹の電気羊は――、
床に転がるサーベルを両手それぞれに拾い上げ、ヴィンセントは右へと跳ぶ。舞い踊るようなステップを踏み、左手に握るサーベルで一体の電気羊の首を撫で切る。落とすことこそ叶わなかったが、電気羊は地面に突っ伏すように崩れた。遠からず絶命するだろう。
後ろから姿を現した次の電気羊を飛び越えるように跳躍しつつ、右手のサーベルを首の後ろへと突き刺した。
絶命したとしても、電気羊の突進の勢いは消えない。深く突き刺さったサーベルごと身体を持っていかれそうになったので、ヴィンセントは右手のサーベルから手を離す。
そうして前に向き直ったところで、
――最後に残った電気羊がの突進が、ヴィンセントの胴体へと直撃した。
脇腹に弾丸を受けた個体だ。想定よりも立ち直るのが早い。さすが、モンスターは人間よりも覚悟が決まっている。
大して助走をつけられていなかったため、身体に大穴を空けられることは避けられたが……そのままヴィンセントを運ぶように突進は続き、彼の身体を火災報知器の非常ベルに突っ込ませた。
「ぐぼ……っ……」
ベルが作動することはなかった。その機構すら破壊され、ヴィンセントの肋骨は粉々に砕け、電気羊の両角も半ばから折れた。だが、恐らく電気羊の角には痛覚がない。
ろくに身動きが取れなくなったかと思われたヴィンセントだが……、
(――そうそう、これだよ)
本格化した命のやり取りに昂揚したように。衝撃で手放してしまうことのないよう、がっちりと左手に固定していたサーベルを逆手に持ち直し、電気羊の首へと突き刺した。
「あば、あ……っ、あは……はははっ……」
――僕はいま、いまこそ生きている。口の端から大量の血液を垂れ流しつつ、ヴィンセントは濁った嗤い声を上げた。




