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【3章終了後に修正予定】黄昏のイズランド  作者: カジー・K
第2章 悪路編 -サバイバルな道中と静かなる破壊者-
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第42話 ≪カームツェルノイア≫、それは劇薬

 大変お待たせ致しました。



 ――ワイバーンたちには、理解できない。


 なぜ絶対の捕食者であるはずの自分たちが、蹂躙される側に回っているのか。


 彼らは、()()()()によって暗示を掛けられた結果、このラ・アニマを現在進行形で襲撃している訳だが……当然というか、自分たちがそう仕向けられたことを認識できてはいない。


 ――この地には、彼らにとって質のいい獲物が存在する。


 そうした認識を植え付けられた状態で降り立った地で、次々と同胞の首が地面に転がっていく。


 異常事態だ。なぜただの人間ごときに、偉大なる竜種の末裔が屠られているのか。


 主に飛竜の丘と呼ばれるエリアに生息する大型の肉食動物、ワイバーン。


 それは元々、千年近く前に災害竜テンペストをルーツとして発祥した魔物であるが……現代を生きる人間はそれを知るはずもないため、ここでは割愛する。


 ワイバーンたちも動物としては知能が発達している方ではあるが、言語がない以上、親から子へ伝達できる知識には限りがある。


 彼らが自認する“高貴な身分”を証明するものとはすなわち、生まれてこの方他の生命体に脅かされたことのない、剛健な身体そのものだった。


 あらゆるモンスターが持つ爪や牙を弾き返してしまうはずの濡羽色の鱗。それに護られた首がバターのように切り裂かれてしまえば、瓦解するのは早かった。


「――ギュアアアアッ!!」


 怖気づき、嘶きながら一歩後ろへと下がろうとしたその右の翼脚に、白髪の少年が駆る“黒いもや”……黒翼(こくよく)が絡みつく。


 前傾姿勢で疾駆する蓮の、左手から放たれたものだった。蓮は即座にその黒翼に念を送り、物質を影に沈み込ませるための形態……吸血鬼特有の、≪カームツェルノイア≫へと変化させる。


 ビルギッタから盗んだ技術、“影縫い”である。


 自らの素早い動きを阻害しないため、即座に連結を解く。解いてしまった以上、遠からず空気に溶けるように消えてしまう程度の拘束手段ではあるが……今は、それでいい。時間は取らせない。


 新たに左手で黒翼をロープのように伸ばし、ワイバーンの首に巻き付くように付着させる。ワイバーンがそれを認識して身をよじろうとした時には既に、蓮は己の身体を引っ張り上げるように黒翼を収縮させていた。


「――シィッ!!」


 裂帛の気合いを乗せた呼気を吐き出しながら、蓮の身体は空中で回転。両の肩甲骨から噴きださせた黒翼の勢いが、その回転を補佐していた。右手に持つ長剣が、また一体のワイバーンの首を落とすことに成功する。


 元は一般に流通しているロングソードのはずだが、透明な水を刀身に纏うそれは、異常とも言える斬れ味を見せつける。


 達人が注視してみれば、蓮がそれを振るう瞬間のみ、刀身を覆う水が高速で振動していることが分かるだろう。


 鱗から肉、骨までを容易く断ち切ったそれは、決して血を吸うことなく、変わらぬ透明度を保っている。


 ワイバーンの首を落とした後、蓮の身体は三メートル近い高度からの自由落下となる。未だ回転の勢いも抜けぬ、剣を振り抜いた姿勢の人間が、無事に着地を決められるものか。


 ――問題ない。蓮の着地地点には、既に彼自身の影を拡大させたような闇が広がっていた。その上なら、多少無理がある姿勢だとしても、脚や腰の骨が砕けることはない。


 漆黒の地面に到達した蓮は両足からずぷりと()()()()、反発するエネルギーに押されるようにそこから飛び出した。


 地面に広がる闇のクッションは、衝撃の多くを殺していた。反則に近い落下ダメージ対策である。ゲームでも中々見ないレベル。何故か、水の上に着水するとどんな高度からでも一切ダメージを受けないゲームも多いが……(二〇二三年地球調べ)。


 この調子で、蓮は既に何匹ものワイバーンの首を落としていた。


(使えば使う程、分かる。……この能力、反則すぎるだろ)


 この力を与えられる前に、マリアンネから幾度も脅された理由が分かる。


 これは世界の理を変えてしまう、異物と見なされる類の能力だ。人の目がある場所で披露して良い代物ではない。


 着地を決めた後、すぐさま“心眼”を発動させ、天を始めとした周囲を見渡す蓮。


 残ったワイバーン……空を埋める巨体の数は……八体。その中に、一際大きい個体が一体存在することに、蓮は気づいている。群れのボスだろうか。


 既に襲撃を仕掛けてきた当初の半分を割っているワイバーンたちだが、戦闘中に怯えの色を見せる割には、ラ・アニマの攻略を諦めて逃亡するそぶりを見せない。暗示を掛けた何者かによって、逃亡を禁じられているのだろうか。


 それにしても、ワイバーンを処理するペースが速い。


 蓮は遠く、倒壊した建物の上を跳ねる、燃え盛る刀身の大太刀を手にした人物……セリカを視界の隅で捉えていた。


 まだ挨拶すらできていないためにその人物の名前すら存じ上げない蓮だが、テュラン城という砦で周囲の見張りに当たっていてくれたという、アニマの一人だろうとは推察できた。


 彼女と、ここからでは見えない残り二名のアニマの働きも手伝って、ワイバーンは迅速に処理されているのだ。


 ……いや、それだけではない。


 人の大きさでワイバーンをも震え上がらせる特大の戦力がまた一つ、戦場に姿を現そうとしていた。


 井戸端会議をする者などとうにいなくなったゴーストタウンではあるが、今回滞在することになった者たちにとっては大いに役立っていた井戸。


 その脇の地面に、黒い沼のようにも見える≪カームツェルノイア≫が出現していた。


 聖堂の窓からド派手に登場した蓮が大立ち回りを演じ注目を集めている間に、マリアンネが地を這わせたものだった。


 そこから、金色の髪をした少女が陽光に身を晒し、素早く周囲の状況を確認する。


 空を飛んで狩りをする生物は総じて視力が良い。ワイバーンはすぐさまその人物に気付き、一匹が井戸へと向けて急降下を開始した。


 金髪の少女……エリナは井戸の中に上半身を突っ込むようにして内部を確認し……己が持つ≪クラフトアークス≫、水翼(すいよく)を垂れ流した。そうすることで、そこに溜まった水を掌握しようとする。


 エリナを狙い、真上から井戸へと迫りくる一匹のワイバーン。蓮はいち早くそれに気づいた。エリナを邪魔させまいと、井戸へと走りつつ、上空へ向けて黒翼をぶち撒ける。


「――こっちを見やがれトカゲ野郎!」


 ワイバーンたちは、セリカや蓮という脅威に対しては明確に怯えを感じており、逃げ腰になっていた。それでも、新たに現れた人間がまだひ弱であることを期待し、そこから食い破らんと即座に行動に起こせるあたり、さすがは竜種と言ったところか。蓮としてはたまったものではないが。


 蓮が力任せにぶち撒けた黒翼は精度が悪く、空気の色を黒っぽく染める程度の意味しか得られなかった。目潰しを嫌うようにワイバーンは軌道を変えたが、井戸からほど近い地面へと強引に着陸した。


 振動に一瞬身動きを阻害される身体。大きく開かれるワイバーンの口。蓮は最初、ワイバーンが咆哮するものだと思い身構えた。しかし、その口腔に揺らめく空気を見ると、目の色を変えた。“心眼”を発動し、文字通り色の変化した瞳で、蓮はワイバーンの牙の先端が黒く染まっていることを認める。


(あの牙は……発火装置になってるのか――っ!?)


 体内で生成されたガスを吐き出し、その後に発火装置の役割を果たす牙を打ち合わせれば……何が起こるのかは想像に難くない。


「――エリナッ、炎が来るッ!!」


 咄嗟に叫んだために、いつもとは違う呼び方となっていた。その声がエリナに届くか届かないかのうちに、荒れ狂う炎が周囲に撒き散らされていた。


 指向性を持たせることは難しいのか、ただ単純にガスが燃焼を起こし、周囲に対し無差別にダメージを与える類のものだった。当然、それを扱うワイバーン自身には高い炎耐性があるのだろう。


(……迂闊だった。まさか炎を吐くタイプがいるなんて……)


 蓮はどうしようもなく、≪クローズドウォーター≫を生成して自らの身を覆うことしかできなかった。


 予めガスを吐き散らしてからの着火。より強大な竜種による、エネルギーを長時間に渡って吐き出し続ける……ドラゴンブレスと呼ばれるものに比べればよっぽどマシな部類ではあるが……人間の身体は熱に弱い。至近距離でこのガス爆発を受ければ、目や肺を始めとした身体機能の多くが害され、遠からず死を迎えることになるだろう。


「エリナァァァァッ!!」


 ワイバーンがいると思われる砂煙の中を“心眼”で見通そうとしながら、蓮はエリナの安否を祈るように叫んだ。しかし、“心眼”は見て認識したものの本質を暴く力であり、壁や砂煙といった障害物に対しては、殆ど意味をなさない。


 水のベールを脱ぎ捨てるように振り回し、蓮は前方の砂煙を地面に叩きつけるように寝かせた。消えた砂煙、そして蓮が支配を解いて捨てた水を突き破るように、状況を好機と見たワイバーンが体ごと突っ込んで来ていた。


 丸太のような、という表現を聞くことがあるが、ワイバーンの四肢は丸太よりもずっと太い。蓮は迫りくるワイバーンに対して咄嗟に黒翼を吹き付けるが……ワイバーンは両の前腕を切り拓くように振るい、これを強引に断ち切ってしまう。


 四足歩行も取れるが、二足歩行を取ることで両の翼脚を攻防一体の武器として振るうワイバーンは、まさにモンスターの頂点に近い戦闘能力を持っていると言える。


(――こいつ、他の個体より明らかに動きがいい……ッ)


 蓮は、それが他のワイバーンよりも一回り大きい個体であり、顔面には……右眼の上に大きな傷が走っていることを認めた。だが、それによって視力を失っている訳ではないらしい。


 恐らくだが、全ての個体が発火能力を持っている訳では無いのだろう。成長や、もしかすると修練によって身に付ける可能性があるのかもしれない。それを成し遂げたこの個体こそ……この群れのリーダーに他ならないのだろう。蓮はそう当たりをつけた。


 その他のワイバーンどもは未だ高空にて恐れをなしている。この群れのボスを倒すことができれば、一気に切り崩せるはずだ。


「来いよ……スカーフェイスッ」


 直感から来るシンプルなあだ名で対敵を呼ぶと、蓮は水を纏う長剣を前面で構え、揺らした。それは、アシュリーの戦い方を真似たものだった。


 自分が狙われているのであれば、冷静でいられる。仲間が危険に晒されるより、よっぽどいい。そのエリナの安否が確認できていないことが気がかりだが……。


 獰猛な足音。ワイバーンは巨大な左の翼脚を振りかぶり、蓮の頭蓋を狙うように真上から叩きつける。


 ヒグマに相対した地球人がなす術なく命を奪われてしまうのと同様、例え金竜ドールが完成させた永続魔術によって強化されたイズランドの人間であっても、自らの身の丈を軽々超える竜種の一撃をまともに受けてしまえば、即座に行動不能に陥ることは想像に難くない。


 だが、


(ヴィンセントよりは、ずっと怖くない)


 蓮が恐怖に震えることはなかった。


(これ、じゃない)


 それどころか、異常とも言えるほど冷静に、ワイバーンの一挙手一投足を観察できていた。


 蓮は素早く後ろへとステップする。スカーフェイスは両の後ろ脚で跳び、そのまま右の翼脚を、今度は内側へ向けて振るう。縦の攻撃が回避されたため、より当てやすいと思われる横の攻撃に切り替えたのだ。判断が早い。


 だが、それは蓮が待っているタイプの攻撃だった。


 蓮は先ほどよりもバックステップを緩くし、ギリギリの位置で横薙ぎの一撃を回避することを狙い……正直、完全に回避できるかは怪しい位置だった。それ故に、黒翼を身体の前面に纏うことで、もしもの際はクッションにする構えだった。


(同時に二種類の≪クラフトアークス≫を展開するのは……問題なくできるな)


 ヴィンセントとの戦闘の折、アンリも同時に黒と赤の≪クラフトアークス≫を大蛇のように伸ばして扱っていた。違う属性だからといって、必ずしも邪魔し合ってしまうという訳でもないのだろう。


 眼前で右へと駆け抜けていく巨大な鉤爪。その甲を裂くように長剣を刺し込む。大楯のように広げた黒翼に、長剣の刃だけを通せるよう部分的に隙間を開けたのだ。


 高速振動する水は、特別に体格のいいスカーフェイスの鱗だろうと抵抗なく侵入した。もとい、スカーフェイスが力任せに振るった腕の方が、刃があった場所を通り抜けていった。


 その膂力が凄まじいからこそ。スカーフェイスが痛みに喘ぎ、右の翼脚を引っ込めるまでの間に、ロングソードは翼の中ほどまでを二枚に下ろしていた。


「――ギュガラララッ!? ――ガッ……ギュアアッ!?」


 最早、二度と飛行には扱えないだろう右前脚を抱くように後ずさり、左前脚を振り回しながら叫び声を上げたスカーフェイス。


 さすがと言うべきか、激痛に苛まれながらも、スカーフェイスの行動指針に変更はない。その双眸に怒りを滾らせ、両の後ろ脚で地面を陥没させた。否、跳躍することが目的だった。


「ギャララララッ!!」


 蓮の真上まで躍り出た巨躯の目的は……蓮を飛び越えること、ではない。


(全身で押し潰すつもりか!)


 思わず長剣を天目掛けて振り上げていた蓮だが、これは悪手だと気づく。


 こちらにはスカーフェイスの鱗すら容易く貫ける長剣がある……が、例えそれで対敵に大ダメージを与えられたとしても、そのまま肉の塊に潰されてしまえば、蓮もまた息絶える。


 蓮は即座に、己に対し影を落とす巨体の下を潜り抜けようと思い直した。


 ――が、それは頓挫する。


 スカーフェイスは飛び上がりながら尻尾を股の下に通し、鞭のように振るう。


 この後に己自身の体で尻尾を潰してダメージを受けてしまうことに拘泥しない選択。


(――やられたっ、避けられねぇ……ッ)


 意表を突く攻撃方法は、蓮の得意とするものでもある。相手にそれをやられてしまったことに口惜しさを感じつつ、それでも蓮はまだ冷静に対処できている方だった。


 回避することは諦め、咄嗟に犠牲にできる部分を選ぶ。黒翼を吹き付ける用途ばかりに使い、武器を手にしていなかった左腕。それで顔面を庇うことで、なんとか首を持っていかれることは防いだ。


「ぐっ!」


 だが、左腕の骨が砕けたのを感じる。そればかりか、蓮の身体は後ろへとのけぞり、このままでは押し潰されてしまう!


「――マリアンネさんッ!!」


 そう叫びながら、己の肩甲骨からありったけの黒翼を放出した蓮。その時既に、スカーフェイスの巨体は地面に後ろ向きに倒れ込んだ蓮の、正に目と鼻の先まで迫っていた。一巻の終わりだ。そう見えた。


 その後に起こったことは、僅か〇・五秒にも満たない間に過ぎ去ったものである。


 太陽を嫌い、聖堂の窓から外の様子を窺っていた吸血鬼マリアンネ。彼女は一瞬にして霞のような黒翼を飛ばし蓮まで届ける。


 その時、蓮は自らがぶち撒けた黒翼とのリンクを切り、放棄していた。つまり、その出したばかりの黒翼は空気に溶けるように消える、もしくは一部が蓮の中に戻っていくはずだった。普通なら有り得ない、勿体なさすぎる無駄使いだ。


 だが、既にそこに黒翼が大量に蔓延しているならば。吸血鬼フェリス・マリアンネは、己が操る黒翼の一片でもそこに触れさせられれば、瞬間的に支配することができるのだ。


 蓮が地面に撒いた黒翼はたちまちマリアンネが支配する≪カームツェルノイア≫となり、蓮の身体をずぷりと沈み込ませる。スカーフェイスの胸部装甲が影へと沈み込む蓮の鼻へと接触し、骨折させる。蓮には激痛が走るが、この程度で生き延びられるなら、どうでもいい。


 間一髪、鼻の骨折以外に外傷を受けることなく、蓮は地面の染みのようにかき消え、スカーフェイスのプレス攻撃をやり過ごした。


 ――そして、この回避は防御行動に留まらない。


 自身の体重により尻尾を始めとした体の各所にダメージを負ったスカーフェイス。彼はそれでも、蓮さえ倒せていれば満足できただろう。圧倒的な質量を用い、獲物を潰した経験は以前にもある。彼にとって蓮は、既に間違いなく死んだはずの獲物となっていた。


 痛みと疲労感を和らげる達成感を感じつつ、スカーフェイスがおもむろに身を起こそうとした時……、


 ――マリアンネが操る≪カームツェルノイア≫が、スカーフェイスの体表を黒く染め上げていた。しかし、目潰しをされた訳でもなければ、それに気づくことすら難しい。


 例え太陽を背にしていたとしても、自らの脚の裏から背中に、そこから首へと移動した影があったとして、即座にそれに気付ける生物が、どれほど存在するだろうか。


 スカーフェイスには一切の重量を感じさせないまま、太い首の裏側で影が膨張し、中から人間の身体が現れる。


 ――影から天へと射出された蓮は、既に左腕と鼻の骨折から回復していた。


 蓮がマリアンネへと頼みたかったのは、絶望的な状況からの離脱。まさかそこから転じて、必殺のチャンスまでお膳立てしてもらえるなど、想像もしていなかった。今日初めて出会った相手なのだから、連携が上手く決まることの方が驚きでしかないはずなのだ。


 それでも。予想外だろうと、対応してみせる。


 蓮は再び左手の先から黒翼を伸ばし、スカーフェイスの首に巻き付けると。


(終わりだ……!!)


 言葉はいらない。


 不意打ちを決める際に、音は邪魔でしかない。


 己が身体の落下速度を、黒翼のロープを収縮させることで飛躍的に高めてから、黒翼を解除し。


 両手で握り直したロングソードを下向きに、スカーフェイスの首の後ろへと突き立てる!


「――ゴッ、ボ――――――――ッ!?」


 くぐもった鳴き声に、蓮は手応えを感じる。


 スカーフェイスの背中へと着地した蓮の両足には、多大な負荷が掛かりそうなものだが……。旅立ちに先んじて師匠から受け取った一級品のブーツのおかげで、事なきを得た。


 蓮が実戦においても相手が振るう刃を踏みつけてもいいようにと、功牙がどこかから手に入れてきた特注品だ。上着の下に忍ばせたドラゴンスケイルの薄鎧もそうだが、このブーツの性能も大概イカれている。


 果たして、その一撃を受け。


 ――スカーフェイスは死を覚悟したのだろうか?


 それとも、裏で糸を引く謎の存在による誘導か。


 蓮には、その眼球が紫色に輝いたように見えた。


「……コォォォォ――――……」


 蓮の耳にも聴こえるほどの音量で……再び、先ほどとは比較にならない程のガスを吐き出し始めているのか。


 蓮が着地で与えた衝撃によってスカーフェイスは地に伏し、地面まで首を串刺しにされている以上、ろくに身動きが取れない。


「コォォォォ――――――――――――――――…………」


 だが、大きく開けられた口と……蓮が串刺しにしている首の傷からも、先ほどと同じガスが漏れ出てきている!


(自棄になってる……のか? まずい……っ)


 どれほどの大爆発を狙っているのかは分からないが、まるで……周囲の全てを滅しようとしているようにも感じられる。自らもそれによって命を落とすことを厭わないかのような。


 串刺しにしている剣を引き抜くのはまずいだろう。火事場の馬鹿力で大暴れされたくないし、余計にガスが漏れ出てくる可能性すらある。蓮は自分の命を優先し、長剣を捨てる覚悟を決めた。


 市販品の武器だからこそ、回収することに固執し過ぎずにいられるのは長所だろう。伝説の宝剣を持ち帰ることに執心した結果、大爆発に巻き込まれて命を落としてしまった盗賊の物語を、蓮は昔絵本で読んだ記憶がある。先人の失敗に学ぶことは大切だ。その盗賊は創作された存在である可能性が高いが。


 蓮が舌打ちしながら大きく跳び退り、再び全身を水で覆おうとした時だった。


「――掌握、できました」


 蓮の耳には聞こえなかった、その小さな呟きと共に。


 井戸の上を覆っていた屋根が吹き飛んだ。それを為したのは、竜のような首を持つ、水の大蛇。


 青く輝き、八つの首をもつそれが、四方八方からスカーフェイスの体を蓮ごと包む。それでも、蓮が取り乱すことはなかった。


(この水がオレを傷つける訳がない……)


 ――この水の大蛇を操っているのは、間違いなくエリナなのだから。


 一つ一つの首がスカーフェイスの頭部の四倍はある。それ同士が巻き付くようにうねり、しかし水故にお互いの動きを邪魔し合うことはなく、すり抜けるようにして複雑な軌道を描く。


 蓮を包んで護り、遠くへ運ぼうとする首が一つ。


 ガスを吐き散らすスカーフェイスの体表を包むように変形した首が一つ。


 スカーフェイスの息の根を止めるために、その口に侵入していく首が一つ。まさかの溺死狙い。


(ちょ、エグすぎる殺し方だな……)


 残りの五つの首は天へと口を開き、そこから青く輝く水の光線を吐き出した。


 戦場を遠巻きに怯え惑っていた残り七匹のワイバーンが、次々とそれによって撃ち落されていく。


 蓮の腕くらいの太さを保つその青い光線は、表面から絶えず蒸気を上げ続けている。エリナが支配するそれは、圧力を掛けられた上に高速振動しており、その温度は二百度に近い。通常の気圧の元では水の沸点は百度近くとされているが、水の神の期待を一身に受ける少女は、そんな常識すらも打ち崩してみせる。


 その勢いと高温を持ってすれば、飛行のために薄く広く発達した翼膜に穴をあけることなど造作もない。


 落下していくワイバーンたちの元へ、燃え盛る大太刀を持った人物が跳んで向かうことを確認すると、水から優しく解放された蓮は、ようやく安堵の息をつくのだった。


(……確かに、≪カームツェルノイア≫はとんでもない隠密性能だ。でも、それにしても)


 長剣に纏わせていた水すら、いつの間にかエリナが操る水に統合され、消されてしまっている。


 ――エリナが操る≪クローズドウォーター≫、反則を超えた反則すぎるだろ。あの水に絡めとられて生き伸びられる奴、存在すんのか、と。


 神の御業にも思える幼馴染の能力に呆れを覚えながら、蓮は尻から地面に崩れるのだった。



 ――このサブタイトルで≪カームツェルノイア≫じゃなくて≪クローズドウォーター≫を褒め殺して締めくくるのマジ? いや、≪カームツェルノイア≫も有用すぎる能力であることは書いているつもりだけども。


 前にもどこかで書いた気がしますが、イズランドの世界観は「それぞれの属性に同じ数の弱点を設け、バランスを整えることを目指したゲーム世界」という訳ではないので、属性ごとにめちゃくちゃ格差があります。


 ぶっちゃけ、この世界における水属性はバランスブレイカー気味の強さです。だからこそ前作では水属性キャラを全然出さなかったのさ!(後付けでそれっぽいこと言ってる)


 残り2話ほどで第2章は終わる予定です。

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