第38話 レンドウの冒険
「ジンメイにはこれから、人前では決して大怪我を負わないように努めてもらうわ。もしもそれが明らかになった場合、アシュリー達と同じように、人間界を捨ててもらう必要すら出てくるかもしれないから……本当に、気を付けてね」
「…………はい、分かりました」
多種多様な脅しを受けながらも、蓮はその全てに同意した。
これだけの価値を持つ力を、与えたくもない相手に授けてくれたのだ。課された条件には完璧に応えることが、誠意だと思った。
もう一度剣士として戦場に戻れるなら。例え何を課されても、何を捨てても惜しくない、と。
蓮の右腕はガーランドと同様、その他の部分よりも少し色白ではあるが、旅に出る以前と同じようにそこにあり、思うままに動かすことが出来た。
(これでオレは、もう水の≪クラフトアークス≫の優れた使い手になることはない……)
全く後悔はしていない。別に、今まで使えていた水翼すらも使えなくなる訳ではないのだろうし。そもそも、蓮は自分が水竜メロアの後継者に成ろうなどと考えたことが無かった。
マリアンネによって与えられたプレッシャーは未だに抜けきっていないものの、念願の黒翼を手にし、右腕を取り戻した蓮の精神面は回復を見せていた。
その様子を見たマリアンネは頷き、最後に残った物語へと移行する。
「――それじゃあ、満を持してという感じかしら。ジンメイのお兄さんも出てくる、アニマの少年レンドウが、炎竜グロニクルと呼ばれるまでの物語よ」
マリアンネは、蓮のことをジンメイと呼ぶ。恐らく、レンドウとの混同を避けるためだろう。彼のことをレン、レン兄などと縮めて呼ぶ者は多い。
ちなみに、ビルギッタはレンドウのことを「レン兄」と呼ぶ派だが、その割に蓮のことも「蓮」とそのまま呼んでくれている。脳が柔らかいのかもしれない。
――サンスタード帝国との戦争に敗れ、吸血鬼を見捨てて、結界に守られた聖域であるラ・アニマへと逃げ込んだアニマたち。
彼らは聖域を訪れた際、有事の際以外は長き眠りについている、彼らが頂くシン。炎の初代龍ルノードを一度、目覚めさせていた。
そこでルノードは初めて、己が休眠中に無意識のうちに創り出してしまった、自らの複写体……つまりは、“龍の落とし子”たるレンドウの存在を知ったのだった。
ルノードは、レンドウには自らのコピーではなく、一人のアニマとして生きて行って欲しいと願い、そのために彼と周囲の者の記憶を操作した。
レンドウは既に、同年代どころか大人のアニマでも目を見張る程の≪クラフトアークス≫を扱えていたが、それはただ単に父親であるカイから高貴な血統を受け継いだためであるということにされた。
それによって、レンドウや周囲の者は「レンドウは戦争で負った怪我によって記憶を失ってしまったのだ」と勘違いすることになったという話だが……。現在ではそれらの記憶操作の影響は全て失われているため、忘れても構わない設定となっている。
他にその頃のアニマたちについて特筆すべき部分と言えば、子供たちは皆「自分たちは吸血鬼である」という認識を、大人たちによって植え付けられていた、ということだろう。
これも元はルノードによって行われた記憶操作であるが、こちらはアニマの族長シャラミドの願いによるものだ。
大人たちはこの記憶操作を受けておらず、当然自分たちがアニマだと認識している。その上で、子供たちには心から自分の種族を吸血鬼だと思わせ、また、外の人間たちに対しても「吸血鬼」というネームバリューのある種族を名乗ることで恐怖を抱かせ、自分たちの安全を確保しようと画策していた。
アニマよりも吸血鬼の方が古くからの伝承に残る存在であったため、それは確かに、殆どの勢力に対して有効な手段ではあったが。
反対に、一部の裏社会では既に「吸血鬼の肉は不老不死の力を持つ」などという噂が立っており、吸血鬼ハンターに狙われる原因になっていたことも否めない。
子供たちは、自然に記憶操作の影響が抜けるという年齢、成人を迎えるまでは里を出ないという掟の元、大切に育てられていたが。
食料である人間の血や、間に合わせとしての獣の肉を狩るために里の外まで出ていた大人が、そうした吸血鬼ハンターに襲われて命を落とすことは、そう珍しいことでは無かった。
種族の未来を憂いていたシャラミドの元に、無統治王国アラロマフ・ドールからの密使が現れたのは、そんな頃だった。
アラロマフ・ドールと言えば、かの戦争の際には帝国に対して金鎧兵と呼ばれる黄金のゴーレムを大量に貸し出していた国である。当然、敵として警戒するべき相手であるはずだった。
しかし、ドール国からの使者としてラ・アニマへと足を踏み入れた……踏み入れることができたのは、同じアニマの男だったのだ。
なんと、戦争の際にアニマでも吸血鬼でもなく、帝国の兵士の一部に引き抜かれていたアニマが存在したのだ。
名をアルフレートというその若いアニマは、アラロマフ・ドールにある治安維持組織≪ヴァリアー≫に幹部として所属していた。聞けば、≪ヴァリアー≫の副局長であるアドラスという男に、戦争以前から接触を受けていたらしい。
そうして、アニマと≪ヴァリアー≫は協定を結び、不思議な関係に落ち着くことになった。
≪ヴァリアー≫からは新鮮な人間の血液が提供され、対してアニマは、「ドール国内で人間を攻撃しない」という条件を負った。
誰しもが「え、アニマ側が負う条件、ヌルくね?」と思いそうなものだが、それには恐らく、アルフレートというアニマが≪ヴァリアー≫に対して多大な貢献をしていたことが関係していると思われる。
それ故に、シャラミドはアルフレートのことを「離反者、裏切者」などと扱うことはなく、離れた場所に住む我が子の一人のように想っていた。
そうして、アニマという種族が減り続けていた問題は、一旦は解決した。
その後、満を持してレンドウ少年を主人公とした物語が始まる。
――竜の時代九八〇年、四月。
戦争から八年が経過し、彼らがここでの暮らしにもすっかり慣れてきた頃だった。
レンドウの幼馴染であり、同じテュラン城に住む少女……シンクレアが、ある日空腹に耐えかね、掟を破って里の外に出てしまった。
それを追ったレンドウ少年が見たものは、クレアが人間たちによって返り討ちに遭い、拘束されている場面だった。
怒りに任せてその場に割り入ると、最初こそ不意を打ち、人間たちを圧倒した形になったものの。
彼らこそが治安維持組織≪ヴァリアー≫の隊員たちであり、優れた戦闘能力を発揮した白き魔人レイスによって、レンドウもまた無力化され、捕縛されることとなった。
(レイスさんって名前も、手紙で見たことあるな。確か、凄く優しい人……だったはずだ)
写真を見た訳ではないし、兄が手紙の中でいちいち知り合いの外見までを解説していた筈もないため、蓮はレイスの外見すら想像が付かなかったが。
――その後、アニマの族長シャラミドが≪ヴァリアー≫へと出頭し、今後についての話し合いが持たれた。
クレアはレンドウと同じく優れた才能を覗かせた少女であり、≪ヴァリアー≫側は贖罪をさせるためにも、彼女の身柄を欲しがった。余談だが、≪ヴァリアー≫にはマッドサイエンティストが沢山いる……という程では無かったが、人間に従順な魔人を無限に欲していたという事情がある。主に、研究サンプルとして。
レンドウはお偉方に対して食って掛かり、未だ意識の戻っていなかったクレアを庇うように、「俺を代わりにしろ」と吠えた。
「全く、そういうところがカッコよくて、女の子にモテたのよね。ふふっ」
と、かつてはレンドウと両想いだったというマリアンネは語った。
(マジでマリーのこのハートの強さ、どっから来てんダ……?)
ビルギッタは最早、内心呆れていた。
例え本人が気にしていなくとも、そうやって失恋話を蒸し返されると、周囲は気を使わざるを得なくて疲れるのだが。
レンドウは彼がアニマであることには気付けなかったが、その場には幹部としてアルフレートも同席していた。
アルフレートの後押しもあって、レンドウは望み通りクレアの身代わりになることが出来たのだった。彼のその勇気ある行動を、族長であるシャラミドも大層喜んでいたと、後にレイスは語ったらしい。
余談だが、もしこの時レンドウとクレアが二人とも≪ヴァリアー≫に籍を置くことになっていれば、今頃結ばれていたのはこの二人だったのかもしれない。いや、違った世界線を覗く方法など存在しないため、書いても仕方のないことではあるが。
レンドウは≪ヴァリアー≫の中でもレイスがリーダーを務める、魔人で構成された部隊に編成された。
そうして、少しずつエイリアの街に住む人々と仲を深めていったり、工業国家デルからやってきた機術士と出会ったり、家出少女を助けたりしながら、人間という種族への理解を深めていった。
任務中に地下空間であるアンダーリバーにて出会うことになった兎の魔人であるカーリーを、自分と同じように≪ヴァリアー≫に引き入れたり。彼女は後に、炎王になったレンドウの妻となった。
『カーリー・グランバニエさんって言うんですよね。苗字を持ってるっていうことは、高貴な生まれの方だったんです?』
千草の念話による質問に、ガーランドは「いや、」と小さく首を振る。
「元はただのカーリーだった。≪氷炎戦争≫の際のゴタゴタで、アンダーリバーに住んでいたカーリーの家族の行方が分からなくなっていてな」
アンダーリバーを通じて≪ヴァリアー≫の基地内部に潜入しようとしたアニマの部隊によって、そこに住んでいた住人は退去させられたのだという。危害は加えられていないという話なので、運が良ければ今も、この世界のどこかで生きている筈だが……。
「それで、レンドウの奴が炎の魔王とか呼ばれるようになって、このイェス大陸を追われたこともあってな。……カーリーの家族探しをしてやれない代わりにと、結婚を機にお互いに「グランバニエ」という苗字を付けることにしたんだ」
ガーランドの言葉の後に、マリアンネがうっとりした顔で、
「グランバニエとは、“オオウサギ”という意味。その名前を聴いたカーリーの家族に対して、「彼女は俺と一緒に幸せに生きてるから、心配すんなよ」というメッセージを送っているのね」
と解説した。
(あぁ、グランバニエって、そういう……)
蓮は全く気づいていなかった。
(そうだよな、アニマにして炎の魔王であるグロニクルに、兎の要素が元々存在する訳がない。奥さんの特徴から、新しく設けた苗字だったのか)
蓮が脳内でそう納得していると、
『キュンキュンしますね~……』
「好ましい人格の持ち主だということが伝わってきますね」
千草とエリナも、口に出して炎王を誉めそやした。それにより、蓮はちょっと嫉妬を覚えた。
――レンドウが≪ヴァリアー≫での生活に慣れてきた頃、彼らに大きな災いが降りかかった。
魔王軍……つまりは、聖レムリア十字騎士団による襲撃だった。それにより≪ヴァリアー≫が大きな打撃を受け、多大な死者を出すことになる。
その原因は、魔王ルヴェリスが病に伏せっていた隙を突くように、魔王軍を引っ掻き回していた幻竜。
また、魔王ルヴェリスの病そのものすら、幻竜によって掛けられた呪いであった可能性が高い。
幻竜によって操られた軍師ニルドリルの命令により、ジェット、ヴェルゼ、シュピーネルといった若いながらも優れた戦士たちが送り込まれ、≪ヴァリアー≫の隊員を蹂躙した。
その際、彼らが受けていた命令は「金竜ドールの憑依体を見つけ、捕縛して帰ること」。こうした状況を踏まえて、謎に包まれた幻竜の目的は「自分以外の全ての龍を害すること」なのではないかと推察されているが……本当のところは、未だ不明である。
「ちなみにこのジェットという奴が、この間会った、フレム・ル・ジェイって名乗ってた男だ」
「えっ!?」『――っ!?』
驚愕する蓮と千草。
「ガーランドさんもビルギッタさんも、ジェットさんと知り合いであるにも関わらず、私たちにそれを悟らせないようにしていたらしいですよ。……当然、相手のジェットさんもそうですね」
その事実を一足先に知っていたエリナが補足した。
「まぁ、そうした理由もこの後分かる」
というガーランドの言い訳を信じ、子供たちは素直に黙った。
「シュピーネルというのは私の親友でもあって、今はジェットの奥さんになった妖狐の子ね。ヴェルゼは……例外的に、ラ・アニマには向かわなかったアニマの少年よ」
マリアンネの解説。こちらも驚きの内容だった。
「帝国との戦争の後、魔王軍に所属したアニマってことですか?」
「ヴェルゼは私の下の妹……ローズと仲が良かったの。ローズはヴェルゼを失ったら不安定になりそうだったから……ヴェルゼは私たち吸血鬼と共に放浪の道を歩んでくれたのだけれど」
結局、吸血鬼の内乱によってローズは亡くなってしまい、ヴェルゼは失意のどん底に落ちることになった。
悲しい話だ。蓮は何も言えなかった。
その後、魔王ルヴェリスにマリアンネが養子にされた際、共に魔王城へと居住を移したヴェルゼ。
彼はジェットやシュピーネルと共に、コードネーム≪ジェノ≫として≪ヴァリアー≫へと攻撃を仕掛けた訳だが……。
結局、≪ヴァリアー≫の隊員たちや他ならぬレンドウの活躍に寄り、彼らは鎮圧された。
「そして重要なのが、この≪ヴァリアー襲撃事件≫の裏で起きていた出来事。劫火様……炎竜ルノードが、精神体を飛ばして≪ヴァリアー≫に潜入していたこと」
丁度そのタイミングでルノードが≪ヴァリアー≫を訪れていたのは、全くの偶然だろうということだが。
その頃ラ・アニマにて八年ぶりに目を覚ました炎竜ルノードは、レンドウの父であるカイより近況の報告を受け、アニマという種族の総数が二百を切りそうになるほど数を減らしていることを知り。
人間によってその肉が高値で取引されていることを知ると、怒り狂った。
ドラゴンの姿に変化することができる本体はラ・アニマの竜門に残したまま、己の精神だけを分離して≪ヴァリアー≫へと向かわせ、レンドウとアルフレートの様子を確認したルノード。
彼はアルフレートに接触し、その身体を憑依体にすることを同意させると。
アルフレートの身体を間借りした状態で、レンドウと、人間界を。
……そしてなにより、千年前には戦った相手でもある、魔王ルヴェリスの動向を把握しようと考えたのだった。
遅ればせながらフェリス・マリアンネ姫も≪ヴァリアー襲撃事件≫を知り、魔王城からお忍びでエイリアを訪れることになった。とんだおてんば姫である。ちゃんと護衛つけろ。
マリアンネは≪ヴァリアー≫の副局長アドラスと対談し、今回の攻撃は魔王ルヴェリスの意思ではないことを伝えた。
その後、人間と魔人による血で血を洗う闘争の時代を回避するため、≪ヴァリアー≫から魔王城へと使節団が送られることになった訳だが……。
まさに「行きはよいよい、帰りは怖い」。マリアンネにとっては帰路であったそれは、軍師ニルドリルをはじめとした、幻竜に操られた勢力との長い戦いの始まりだった。
これはレンドウとカーリーだけのものではあるが、アラロマフ・ドール首都のロストアンゼルスを通過する際には本代家との小競り合いが起き、結果レンドウは当主であるバティストに気に入られることになる。
この辺りで、レンドウはマリアンネから「あなたは吸血鬼ではなく、本当の種族はアニマなのよ」と説明を受ける。
次に、貿易国家アロンデイテルの港湾都市、エスビィポートを訪れた際の戦い。
一行が街に足を踏み入れてすぐ、突如として街中にモンスターが溢れ、人々を襲った。
「――ここの戦いでは、レンドウと共にお前の兄貴が戦っていたな」
というガーランドに、
「いや、それは知ってるんですよ。オレが知りたいのは、最終的に今、兄貴がどこでどうしてるかって話で」
と、蓮は半目になって返した。ガーランドは「それは最後の最後だ」とはぐらかしてきた。蓮は最早隠さずに舌打ちしてみせたが、ガーランドがそれに対して腹を立てた様子はない。中々良好な関係を築けているのかもしれない?
結局、エスビィポート襲撃を手引きしていたエイシッドという男はニルドリルに見捨てられ、アルフレートと、その身体を間借りしているルノードによって亡き者にされた。
リーダー格の一人であったフランシス、それから平隊員の平等院、アニマのヴェルゼが負傷のため一行を離脱し、エスビィポートに残ることになった。
『平等院さんって、清流人って感じの名前ですね』
「蛍光院領に同じ一族の人がいるかもな」
千草と蓮の会話を耳に挟みながら。
(……その辺りで、レンドウとマリアンネが大喧嘩していたような記憶があるが、それはスルーか)
とガーランドは思ったが。よく考えてみれば、ビルギッタやアンリは当時のその状況を知らない。自分さえ黙っていればその話が明るみに出ることはないか、と口を引き結んだ。
その後は、学徒の国エクリプスの大都市ミッドレーヴェルにて、一行に同行していたアザゼルという男が、≪ヴァリアー≫の研究員であるティス女史を伴って離脱したいと申し出た。
レンドウはエスビィポートの戦いでアザゼルに恩を感じていたため、その手助けをしたいと考える。
リーダーを務めていたアルフレートは「ただでさえフェリス・マリアンネを護るだけで手いっぱいだってのに、こいつらは」と苛立ちを見せたものの、最終的には「勝手にしろ」とそれを認めた。
ミッドレーヴェルの地下街にて、レンドウとアザゼルは≪ザツギシュ≫という魔道具を製造していた闇組織と戦った。
「ここには俺も加わった。その頃の俺は、怒り以外の感情が薄い……感情欠乏症と言われていてな。昔の経験から、魔人を強く憎んでいて……レンドウとの出会いも最悪だったんだが」
と、ガーランドがなんだか熱っぽく語り出した。
(今でもそこまで感情を露わにはしてなくないか?)
と蓮は思ったが。
「――だが、旅を通して、少なくともレンドウやカーリーのことは、見直して来ていたあたりだな」
「ガーランドさんは、純粋な帝国人でいらっしゃいますよね。どのような経緯で、≪ヴァリアー≫に所属することになったのですか?」
せっかくガーランドが饒舌になっているからか、エリナが気になっていたことを質問した。
「……この際だ、これからは俺のことはアシュリーと呼んでくれ。アシュリー・サンドフォード。それが俺の本名だ」
エリナは目を見開いた。
「サンドフォード。帝国の男爵家ですか?」
「領地も持たないような一代限りの男爵家に、その上、妾の子でな。貴族らしい生活なんてしたこともない。貴い身分だなんて、思ってくれるな」
自嘲気味に笑ったガーランド……いや、改め、アシュリーだった。
「大した身分を持たない子供たちが預けられる、帝国の育成機関があってな。≪ランドセル≫と言うんだが」
その育成機関の名前は、蓮たちにも聞き覚えがあった。
「ある日、そこが強力な魔人によって襲撃されてな。魔人憎しの気持ちが流行って、人間と魔人が共存し始めていたという、≪ヴァリアー≫を見てやりたくなったという訳だ。元々成績は良かったから、研究員として真っ当な手順で入ることができた」
高い身長にがっしりとした筋肉、まさに戦士としか言い様のない外見をしたアシュリーだが、実際は研究者気質なのだ。
大多数の人と同じように……蓮たちもそれを初めて聞くことになり、面食らった。
「≪ヴァリアー≫に所属する隊員の殆どは、過去を捨てて偽名……コードネームを名乗っていたがな。俺は後ろ暗いこともなかったから、ただ「アシュリー」と名乗っていた。……アッシュ・ガーランドは、「アシュリー」では≪レンドラン≫の一味だとバレているだろうから、傭兵になる時から名乗り始めた偽名だ」
「なるほど。……でも、ヴィンセントには素性がバレちゃってましたよね。「僕と同級生だったんだね」……とか、言われてましたし」
蓮の言葉に、アシュリーは頷いた。
「そうだな。そう甘い隠し方はしていなかった筈だが……帝国の調査力は侮れない、といったところだろうな」
(いや、アシュリーとアッシュはちょっと似てないか……?)
と蓮は思った。これに関しては結構言いたい欲があったが、頑張って堪えた。偉いぞ蓮。
『ヴィンセントに素性がばれちゃって、アシュリーさんのご家族は大丈夫なんですか?』
千草がそう問うと、アシュリーは鼻で笑った。
「それこそ、帝国の調査力なら。俺が心からあの家を嫌っていることも、あの家が俺をどうとも思っていないことも分かっているさ。俺が勝手に滅べと思っても、あの家はしぶとく生き残り続けるだろうな」
どうやら、本気で生まれた家が嫌いらしい。
妾の子だという話なので、酷い扱いを受けていたのかもしれない。
「俺の身の上話は、また後でいいだろう。このままじゃ、いつまで経ってもお前の兄貴の話にたどり着けないぞ?」
というアシュリーの軌道修正によって、話が本筋へと戻る。
レンドウやアシュリーの助けを受け、アザゼルが目的を達成していた頃。
きな臭い動きが感じられるミッドレーヴェルからは、早々に発つべきだ。そう判断したアルフレートは、レンドウらの帰還を待つことなく出発した。
そうして、魔王城までの道のりは、残すところ剣氷山脈を越えるだけ……となったところで。
本物の吸血鬼の里による歓待をやんわりと断り、歩みを進めた坑道の先で。
アルフレート達は、軍師ニルドリルによる襲撃を受けた。幸い、この時は坑道を崩落させることで、まともに戦うことなく逃げ切ることが出来たのだが……。
魔王軍にて大きな発言力を持った姫であり、≪ヴァリアー≫を訪れたことでニルドリルの悪事を証言できるマリアンネを逃がしてしまったことで、ニルドリルは後が無くなってしまった。
半ば自棄になった、と表現すればいいのか。しかし、それにしては用意周到に、ニルドリルは残ったレンドウ達もろとも吸血鬼の里を滅ぼし、“魔王”と称されるだけの圧倒的な力を手にする計画を立てた。
幻竜によってもたらされた知識か、ニルドリルはどこかに隠されていたはずのマリアンネの妹、アウルムを攫ってきていた。
その血肉を取り込むことで純血の吸血鬼の≪クラフトアークス≫を手に入れ、また禁術である≪同化≫を用い、多種多様な魔人から奪った魔法を操って暴れ回った。
「この戦いの際、吸血鬼の族長ヴィクターから“見通す眼”が奪われていたら、本当に、手が付けられない状況に陥っていたでしょうね」
思わず震えてしまった身体を、自らを抱くようにして抑えたマリアンネ。
しかし、“見通す眼”とやらは恐らく、蓮が持つ“心眼”と同種のもので。それに加えてマリアンネから純血の吸血鬼の≪クラフトアークス≫を受け取った今の蓮は、その“手が付けられない怪物”なのではないか。
(絶対に、力の使い方を間違えないようにしよう……)
誰かに操られて、いいように利用されてしまうなど以ての外だ。蓮はそれを強く意識した。
「レンドウだけでは勝利を収めることはできなかったでしょうけど。そこに、現代では氷の龍を引き継ぐことになった、氷竜ナージアが居合わせたことが幸いだったわね」
マリアンネは、その戦いの際にレンドウがサキュバスと契約して新たな力を得ていた話は省略していた。
(ベニーの話が出ないな)
と考えたのはアシュリー。
レンドウにとって不名誉なことだと思ったのだろうか。それか単純に、マリアンネはサキュバスが嫌いなのかもしれない。
アザゼルとティスはミッドレーヴェルを出る際に離脱しており、レンドウ一行の戦力低下は甚だしかったが。
吸血鬼の里には、現在の炎竜一派の一員、≪斧槍のクラウディオ≫の二つ名で恐れられる高名な戦士がいた。
彼を筆頭にした吸血鬼の戦士たちが、ニルドリルが召喚した爬虫類の怪物を引きつけていてくれたからこそ、レンドウとナージアはニルドリルに集中して戦うことが出来たのだ。
最終的に、ニルドリルを洗脳していた直接の原因であると思われる……邪悪な魔法剣はニルドリルの手を離れ、灼熱の龍脈へと沈められた。
正気に戻ったニルドリルだったが、洗脳されていた際に自らが犯してしまった罪の重さに耐えられず、衝動的に自殺してしまう。
レンドウはそれを止めようとしたのだが、丁度そこに現れたアニマたち……ラ・アニマを離れて活動していたエリート集団、≪黒騎士≫によって妨害されてしまう。
だが、そもそもその≪黒騎士≫たちによってニルドリル戦を密かに補助してもらっていた面もあるため、ニルドリルの身柄を確保できなかったことは大きな痛手ではあったが、一概に悪い面しかなかったと断ずることもできないのが難しいところだ。
しかしその後、多くの魔国領のヒト族にとっては、「ニルドリルの身柄を確保できていれば」という出来事が待っていた。
後から駆け付けた氷の初代龍、アイルバトスの背に乗って、レンドウたちもルナ・グラシリウス城へとたどり着いた後のこと。
騒動の首謀者であるニルドリルを提出できない以上は、「魔王ルヴェリスの首を以てして、人間界へのけじめとするしかない」との意向が、魔王へと伝えられた。
それを伝えたのは、他ならぬ≪ヴァリアー≫からの使節団であったアルフレートとレイス。温厚なレイスですら、「状況を鑑みるに、そうでもしなければ収まらないだろう」と判断してしまうほど、最悪な状況だった。
魔王ルヴェリスは自らの首を差し出すことを表明したが、それに強く反対する者が現れる。
――アルフレートの中に間借りしていた、炎の初代龍ルノードであった。
彼は「これ以上帝国とドールに餌をやるな」と言い、この先の未来を己が望む方向へと導くため、魔王ルヴェリスに向けて決闘を申し込む。
――ルノードが勝てば、ルヴェリスはルノードによる人間界への戦争に協力する。
――ルヴェリスが勝てば、ルノードは人間界への攻撃を一年遅らせる。
最強の龍にして“暴虐の炎王”と呼ばれた炎竜ルノードだが、アルフレートの身体を借りた憑依状態では満足にその力を振るえず、“竜狩りの槍”と思われる武器を振るう魔王ルヴェリスに敗れた。
アルフレートの身体を借りたまま、ルノードは一足先に一行を離脱し、ラ・アニマへと帰還した。それにしてもこの旅、リーダー格の人間がぽんぽん離脱しすぎである。平隊員の皆が困るじゃないか。
魔王ルヴェリスは、レンドウらに向けて世界の成り立ちに関する秘密を語った後、彼らをベルナティエル魔国連合の住人として受け入れる意思を表明した。
己の種族に関する真実を知り、ルーツである炎竜ルノードを目の当たりにしたレンドウは衝撃を受け、これからの身の振り方を考える必要があった。
本来ならば長い時間を掛けられるはずだったそれだが、状況が変わる。
エスビィポートに残っていたフランシス、平等院、ヴェルゼの三人が。
アロンデイテル政府の独断により、エスビィポート襲撃事件の責を負わされ、処刑されたというニュースが伝わってきたのだ。
そして、アルフレートの身体に間借りしていた故なのか。仲間たちの死、アニマの死に我を忘れたルノードは。
――本体を巨大な真紅のドラゴンへと変えると、一夜にしてアロンデイテルの首都、シルクレイズを青い炎で焼き尽くした。
魔王ルヴェリスとの約束を反故にし、全ての国家からルノード、そしてアニマという種族が恐れられることになった、最悪のデビュー戦であった。
最早取り返しがつかないほどにアニマの未来を狭めた、悪夢の日だった……。
この辺の設定、何度書いてても悲しい。可哀想なキャラが多すぎる。
レンドウ少年の冒険は、かなり省略されています。詳しくは前作「緋色のグロニクル」をどうぞ!




