第37話 ガイア、吸血鬼、アニマと悲しみの連鎖
「次に、十年前。この話は本筋からは少しずれるのだけれど、帝国と地竜ガイアの今の関係について、あなたたちも知っておくべきだと思うから」
マリアンネが次に話し始めたのは、彼女の仲間だという大生・グスターヴォという青年から聞いた物語。
(大生さん……これも、兄貴の手紙で見た名前だな)
蓮は、その名前に聞き覚えがあった。手紙で読んだだけなので、見覚えと言った方がいいのだろうか?
十年前、竜の時代九七六年。
その頃、サンスタード帝国は裏から冒険者ギルドを操り、≪土神の塔≫と呼ばれる、竜信仰の国ガイアに存在するダンジョンを攻略していた。
竜信仰の国ガイアという名の通り、そのダンジョンの奥深くには地竜ガイアが眠っているはずだと、国民の多くは信じていた。
冒険者ギルドによる、その墓を暴くような探索行為だ。冒険者ギルドと現地民の間には、さぞ軋轢が生まれていたことだろうが……それは主題から逸れるため割愛する。
攻略の指揮を執っていたのが、当時の冒険者ギルドのマスターであった、エサイアスという男。現在では、帝国における≪四騎士≫のリーダー格として名高い、“防壁の騎士”エサイアスだ。
その下で働いていたのがイデア・E・リアリディという女性。
そして、彼女に憧れを持ち、それを補佐していた大生・グスターヴォ。彼は孤児であり、大生という名前はイデアから、グスターヴォという名前はエサイアスから貰ったものだという。
イデアはその血にガイアの≪クラフトアークス≫を受け継ぐ一族の出身だったらしく、直系かは不明だが、とにかく生まれつきに念話を聴くことができる才能を持っていた。
残念ながら、周囲にはそれを分かち合える者は誰一人としていなかった。竜信仰の国の民たちからは、既に≪クラフトアークス≫が失われかかっていたのだ。これは、長らく水竜メロアが眠りについていた際の、清流人にも似たところがあるだろう。信仰が失われていなかっただけ、ましだと考えるべきかもしれない。
ある日、孤独感からイデアは暴走してしまい、仲間たちを出し抜くように地竜ガイアが眠る竜門を暴いた。
大生や、彼による話を聴いた魔王ルヴェリスの立てた推論では、「イデアは地竜ガイアの能力を引き継ぎ、それを世界にばら撒くことで全ての人間に≪クラフトアークス≫を与えようとしていた」という説が有力だ。確かに、それが望む通りに実行できたとしたなら、孤独を感じることはなくなったかもしれない。
だが、そこにいち早く駆け付けたエサイアスにとっては、イデアの思想は邪魔でしかなかった。
エサイアスと彼が真に所属していたサンスタード帝国にとっては、≪クラフトアークス≫は管理すべき能力。
下々の民に与えていいものではなかったためだ。
エサイアスはイデアに深手を負わせると、それを治療するためにと、地竜ガイアを半ば無理やりイデアへと乗り移らせた。
既に災害竜テンペストによって骨と皮だけの姿にされていたガイア(実際は、また別の雷竜にやられたと見られるが、それを知る者はこの場にはいない)は、乗り移った先のイデアが本体に変わったような、特殊な状態であるらしい。
エサイアス、イデアという名付け親二人を大生は斬ることができず、エサイアスがイデアを連れて国を去るのを見過ごすことしかできなかった。
そこで起きた出来事だけを記憶し、流れ着いたエイリアという地で、信頼する仲間にのみをそれを語ることになった……。まぁ、当時は龍という概念すら存在しなかったため、信じてもらうことは中々難しかったらしいが。
「――という感じね。帝国は十年前から、意識が混濁している状態の地竜ガイアを、手中に収めている状態にあるの」
マリアンネの語りを聴いて、エリナには納得できたことがあった。
「……なるほど。ヴィンセントは言っていました、「封印系の魔法を持つ者を集めて、血統を創ろうとしている」と……」
それに対し、ガーランドは苦虫を噛み潰したような顔をする。
「吐き気のする話だ。カーリーまで狙うとは……節操がなさ過ぎるというか、レンドウの怒りを買うことを恐れなさ過ぎるというか」
「帝国連中からすりゃー、レン兄がブチギレてイェス大陸まで攻め込んでくりゃ、めっけもんみてーなカンジなんだろーナ」
準備万端な状態で待ち構えていれば、炎竜一派如きイチコロだと。ビルギッタによれば、帝国はそう考えているらしい。それにしても、ビルギッタが炎竜グロニクルのことを「レン兄」と呼ぶと、一瞬自分のことかと思って蓮は反応しかけてしまう。
「既にそうした魔法を身に付けた魔人たちが帝国に集められていると考えるなら。……帝国の部隊が、地竜の力を使ってくる未来も、そう遠くないかもしれませんね」
と、アンリが憂鬱そうに言った。地竜ガイアの≪クラフトアークス≫は今まで戦争で活躍した記録がなく、謎に包まれている。新たに相手にする必要が出てくるとなれば、多くの心労を伴うだろう。
「次が、一番大事なところになるわ。多少、時代が前後するのだけれど……十六年前、≪翼同盟の街≫でのこと」
かつてサンスタード帝国の南、紛争地帯の中にあったという、吸血鬼とアニマが共に暮らした街だ。話を聴く蓮たちの真剣さも、一段と増した。いや、今までの話も、真剣に聞いていなかった訳ではないが。
十六年前、竜の時代九七〇年。
当時の吸血鬼とアニマは仲が良く、助け合いながら暮らしており。
純血の吸血鬼フェリス・マリアンネと、純粋なアニマであったレンドウ少年は、周囲も認めるベストカップルといった雰囲気であった。
「マ、マリー……自分でそれ言ってて、心抉られねーのカ……?」
「別に、今は気持ちに整理がついているもの。彼のことを好いていた過去は、私にとってそう悪いものではないわよ」
失恋の傷を気にしたビルギッタだったが、マリアンネは意外と平気そうだった。随分と心が強い女性だ。
ある時、街に一人の東陽人が迷い込んだ。純粋な帝国人の外見をした者でもなければ、当時の吸血鬼やアニマは人間を暖かく迎え入れる傾向にあった。
ロウバーネと名乗った灰色の髪の少女は、同年代の吸血鬼やアニマと交流し、一部の者とは意気投合していた。その光景は、とても尊いものだと大人たちは見守っていた。
しかし、十歳そこらの少女でしかないと思われていたロウバーネは、実際のところ、帝国によって送り込まれた諜報員……つまりは、スパイであった。
必ずしも吸血鬼やアニマを滅ぼそうと思って接触してきた訳では無かったのだろうということだが……ロウバーネは数週間に渡り街に滞在し、そこに住む人々を観察した。
そして、彼らが持つ力を目の当たりにして、「人間界は、これを受け入れる訳にはいかない。根絶やしにしなければならない民族だ」と判断した。
――判断、してしまった。
それが地獄の始まりだったのだと、マリアンネは語る。
サンスタード帝国皇帝、ギャラティ・ジ・オールドマンと、彼が率いた当時の≪四騎士≫。
現在は≪四騎士≫の更に上に君臨する公爵となっている、刺殺卿イービルモート。当時の呼ばれ方は“刺殺の騎士”イービルモート。
それから、“竜狩りの騎士”エーギル、“蒼鎧の騎士”メルケル、“虎眼の騎士”アレクシス。
そして、金竜ドールが作り出した黄金のゴーレム、金鎧兵の部隊。
メルケルのみ、アニマの族長シャラミドがかろうじて始末することが出来たが、吸血鬼の族長ヴィクターは皇帝オールドマンに敗走を余儀なくされ。
エーギルによって、夥しい数の死体が積み上げられた。エーギルの家に代々伝わるという“竜狩りの武器”は、吸血鬼やアニマが扱う≪クラフトアークス≫を打ち消し、まるで彼らが無能力者であるかのように引き裂いた。
当時は“竜狩りの力”が今ほど認知されておらず、龍の血に連なる者がその恐ろしさを実感する、最初の機会となったのだ。
大陸最強とも言える戦力に蹂躙され、吸血鬼とアニマは街を捨て、散り散りになって逃げるしかなかった。その多くは逃げきれずに殺害され、生き残った者もまた、分裂した。
それには、アニマ達が彼らにしか逃げこめなかった聖地……そう、蓮たちがたった今訪れているここ、ラ・アニマを選んだことが関係しているが。
そもそもの発端は戦争を仕掛けてきた帝国なため、吸血鬼とアニマが仲違いしたことも、帝国のせいだと言えるだろう。それを理由に吸血鬼がアニマを「いいよ、ゆるしてあげる」と、まるで未就学児のように簡単に許せるはずもないのだが。感情というものは、難しいものである。
そうしてロウバーネという少女はその後、戦争による功績も手伝ってか、現在の≪四騎士≫の一人として取り立てられている。“鎖の騎士”ロウバーネ。それが、彼女が全ての吸血鬼とアニマから憎しみを向けられる、始まりの物語であった。
マリアンネの両親もまた、その戦争の際に命を落としている。
「ロウバーネが吸血鬼とアニマを「危険だ、人とは相いれない存在だ」と判断した直接の切っ掛けは。……吸血鬼の族長、ヴィクター・スフレイベルの戦いを見たせいだと、私は思っているわ」
「ヴィンセントみたいに……。首を飛ばされても戦い続ける、みたいなのを披露しちゃったんですか」
マリアンネに対して問いかけた蓮。彼女は、ふっと笑みを浮かべる。
「まぁ、似たようなものね。それにヴィクターは、あなたと同じような眼も持っているから」
目を見張る蓮。
「それは……反則、でしょうね……」
エリナは驚き、そう感想を述べるのが精いっぱいだった。
ヴィンセントが見せた治癒能力に、蓮の“心眼”が合わされば、どれほどの脅威になるだろうか。
「それでも。ロウバーネが心底恐れてしまったヴィクターの力でさえも、この純血の身に流れるそれとは、比べ物にならないの」
だからこそ、この血を次代に残すことに懐疑的な吸血鬼が多かったのだと、マリアンネは言う。
帝国によって戦争を仕掛けられる以前、吸血鬼の多くは力を求めることをやめていた。
彼らは自らを創り出したと思われる龍との繋がりを持たず、それ故に何者をも信仰しない種族となっていた。己のルーツとなる能力への関心が薄れるのも、無理もないことだったのだろう。
似た種族であるアニマとの混血が進むことによって、元々の吸血鬼が持っていた力が薄まることは分かっていたものの。
近親婚を繰り返すことによる遺伝子の異常を防ぐことができる以上、アニマの血を取り入れることが奨励されたのは、もっともな話だった。
しかし、帝国によって攻撃を仕掛けられ、多くの同胞を失い。頼れる仲間であったはずのアニマにも見捨てられたことで、吸血鬼の中に新たな思想が芽生えた。
「これからは純血の吸血鬼の血統を守り、有事の際はそれを使って戦うべきなのだ」という思想だった。
それは、純血の吸血鬼にしてみれば「種馬のような扱いだ」と感じるものであり、マリアンネも嫌っていた。余談だが、「種馬」という概念はこの世界にもしっかりと根付いている。帝国二番目の大都市であるブレイノスアレイには、競馬場が存在するためだ。
その後、吸血鬼という種族の中で内乱が起こった。その結果、純血の吸血鬼の殆どが種族を見限り、逃げ出した。彼らのその後は不明である。
氷竜たちが住む山脈に間借りさせてもらうことになった吸血鬼たちは新たな里を得たが、そこに残っていた純血の吸血鬼は、既にフェリス・マリアンネのみとなっていた……。
マリアンネには、残された家族である、二人の妹がいたが。
下の妹であるローズが内乱に巻き込まれて亡くなってしまったことを受け、彼女は上の妹であるアウルムも死んだという偽装を行い、その存在を隠すことにした。
「……それを私たちに話してしまっては、隠していることにならないのでは……?」
心配そうにそう指摘したエリナだったが、
「結局そのあと、アウルムの存在はもうバレちゃったからいいのよ。今はもう一度、別の場所に隠れ住ませてるけど」
とマリアンネは言ってのけた。
剣氷山脈に出来た新たな吸血鬼の里からは、純血保持派の者は既に排除されていたため、それ以降はマリアンネの身が危険に晒されることが無くなったのは、不幸中の幸いだっただろう。
ただし、それを踏まえてもまだ、「彼女は唯一残った、純血の吸血鬼である」と特別視されることは多かったため、彼女にとって里は居心地のいい場所では無かった。
そうした事情もあって、先代魔王ルヴェリスは彼女を引き取ったのだ。マリアンネ自身もまた、魔王城で暮らす方が気が楽だった。
――これが、吸血鬼とアニマの同盟に亀裂が入り、マリアンネが家族の殆どを失うことになった物語だった。
「それで……レン・ジンメイ。あなたはここまでの話を聴いて、どう思ったのかしら?」
「えっ……?」
どう思った、とは。なんと答えればいいのか。それによって、血を貰えるかどうかが決まるのか。機嫌を取ればいいのか?
両想いだった少年とは分かたれ、戦争で両親を失い、内乱で妹を失い、最後に残った妹とは離れ離れの暮らしを余儀なくされたマリアンネ。
ここまで不幸をその身に背負う人物は、そう存在しないだろうと思えた。
「…………気の毒、だと…………」
かろうじて音にすることが出来たのは、それだけだった。蓮の首を、冷や汗が流れる。何を口にしても、顰蹙を買う気しかしなかった。
マリアンネは目を閉じ、静かに頷いた。
「まぁ、そうでしょうね」
――そうして、もう一度開けられた際の視線の厳しさに、蓮は震えあがった。
「でも、その境遇は、これからのあなたにも起こり得ることなのよ」
部屋の中の温度が、急激に下がったかの様だった。宝竜功牙が、蓮と千草を説教した時と同じ技だ、とエリナには分かった。
「――あなた、さっきの自分を覚えている? その血をオレにも寄こせ、それさえあればヴィンセントにも勝てる……と、浅ましくも欲をかき、身に余る力を渇望した自分を」
「えっ……と……」
浅ましいだと。身に余る力……に関しては、確かにそうかもしれないが。蓮は反論したい気持ちを抱えつつも、マリアンネが放つプレッシャーに気圧され、まともに口を動かすことができない。
いつの間にか、部屋中にマリアンネの操る≪クラフトアークス≫が薄く散布され、全員が支配下に置かれている。
エリナは自らの身に水翼を薄く纏うイメージを作り、それを打ち破ったが。
蓮も、千草も、ガーランドも、ビルギッタも、アンリですら、身動きが出来なかった。マリアンネの次の言葉を怯えながら待つだけの、叱られる子供のような状態だ。
(ヤッ……ベーな、コレ)
ビルギッタはそのプレッシャーを打ち消すことは出来ないものの、何かをされていることだけは理解していた。
「確かにこの、純血の吸血鬼の血に宿る力は凄まじい。でもこれは、あと少しでようやく、この世界から消えるところだったものなの」
千年以上の昔から存在した吸血鬼たちから、マリアンネの代まで。
ゆっくりと力を薄めてきたその血は、いずれ吸血鬼という名称を失うまでにアニマの中に埋没し、絶滅……とは少し違うが、姿を消すはずだったのだ。
種族の意思によって決められたその流れを、自然淘汰と言えるのかは分からないが。少なくとも、この世界のこの時代には、必要のない力のはずだった。
「でも、ここであなたがそれを手に入れて、人間界で思うままに振りかざしたら、世の中はどうなるかしら?」
「……………………」
そうか、それがガーランドと蓮の違いなのか、とエリナは脳内で頷いた。ガーランドはこれからイェス大陸を出て、帝国の手が届かない暗黒大陸へと逃亡する。そうして炎竜一派に合流すれば、マリアンネの血が流出する心配はない。
だが、蓮がこれからも人間界で活動するならば。……いや、しない筈がないのだ。蓮は歴史ある家に生まれた清流人であり、いつかメロアラントに帰ることが義務付けられているのだから。
「――なんだ、その不死とも言える治癒能力は、と。……「オレにも寄こせ、ワシにも寄こせ。その力があれば、自分はレン・ジンメイにも勝てる」……と。そう考える人間が数えきれないくらい出てくることは……想像できたかしら?」
――できないはずがない。それは、さっきまで激昂していた、神明蓮そのものなのだから。
「純血の吸血鬼の力を得たあなたは、人間界で大活躍するでしょうね。とってもいい気持ちになれると思うわよ、最初は。……でも、その力は人心を狂わせる。あなたの身柄を確保しようと、沢山の裏組織が動く。あなたは拘束されて、血を抜かれるだけの人形にされるかもしれない。あなたを捕らえられないことに焦った者が、あなたと親しい人物を狙うかもしれない。あなたの血を手に入れたことで組織された兵隊が、いつかどこかの国を滅ぼすかもしれない」
蓮は、雷に打たれたように硬直していた。
「……これは、そういう力なのよ。持っているだけで、責任が伴う力。これを手にした者が増えれば、何度でも。私が人生で経験したような、国や街、種族全てを巻き込んだ悲しい出来事が。何度でも、再発するのよ……」
心臓が早鐘を打っている。蓮は、一度目をギュッと瞑ってから開き、マリアンネの目を真っすぐに見た。
「――それでもあなたは、この血が欲しいのかしら……?」
相手を魅了するためのものでは無い。これは、妖艶さでは決してない。
ただただ、恐怖を呼び起こす微笑みだ。
マリアンネは、ただの一度も声を荒げてはいないというのに。
原初の力をその身に留め続けた、本物の吸血鬼に相対し。
蓮は、ただの人間として、歯をガチガチと震わせた。
……それでも、力への渇望は。やがてその口を動かした。
「――――――――はい」
それこそが人間だ。
それでこそ、人間なのか。
マリアンネは新しい時代の幕開けを予感しながら、息を吐いた。
マリアンネこわ。
前作では最終的にメインキャラになり損ねた準メインキャラという扱いだった彼女なので、こうして続編にて大物感を出せるのは感慨深いです。




