第30話 沈淪のラ・アニマ
本日は2話に渡って更新しています。第29話を先にどうぞ。
──吸血鬼と、アニマ。
似た特徴を持つ種族同士ではあるが、一般的にはアニマという種族の方が、吸血鬼よりも危険だとされている。
それは≪氷炎戦争≫により人間とアニマが血で血を洗う関係になってしまったことを抜きにして、能力面に目を向けても同じだ。
まず、吸血鬼という種族はルーツが不明である。
千年以上昔、竜の時代の始まり以前から存在することは確かな≪名有りの種族≫だが、かつての吸血鬼伝説に残るような不死性や変化能力は失われ、今となっては目立つ弱点ばかりが残っている。
太陽の光を浴び続けたり、流水の上を通ると体調を崩してしまったり、など。
それに比べ、炎の初代龍ルノードが吸血鬼の生体情報を元に創り出したというアニマは、それら弱点の全てを克服している。
そればかりか、覚醒した者は吸血鬼が元々持っていた黒い≪クラフトアークス≫に加えて赤い≪クラフトアークス≫までをも発現させ、それを燃焼させたり、他者が起こした炎すらも自在に操ってしまえるという。
そういった事情もあり、吸血鬼がアニマを羨んだり、恨みを抱いたりしてしまいやすい土壌が出来ていた訳だが……。
吸血鬼フェリス・マリアンネが見せたあの力は、それらの歴史を丸ごとひっくり返しかねない、と。エリナはそう感じた。
(私達全員を……つまり、物質や生命体を影の中に取り込み、長距離を移動させた……ということ?)
一瞬で、というには長い時間に渡って視界が暗闇に呑まれていたため、取り込んだ物体を遠くに移動させるには、相応の時間を要するのだとは思われるが。
(ビルギッタさんが扱う“影縫い”の上位互換……? 吸血鬼の能力の行き着く先は、これだというのでしょうか……?)
影に取り込まれた人物に、抵抗の手段はあるのか。抵抗した結果、壁や地面に埋まってしまってはむしろ絶体絶命の状況に陥りそうだ。いや、そもそも、術者側の意思で壁や地面に埋められてしまうのだとすれば?
影の中を移動させられると同時に、装備品や武器を奪われる可能性はあるのだろうか。もしあるのだとすれば、このフェリス・マリアンネという吸血鬼には、どんな人間も敵わないのではないか。
一応、今回に限ってみれば、影を伝って移動させられたらしい蓮のブーツはそのままであり、ベッドに倒れた彼に手を伸ばし、マリアンネ自らが汚れたブーツを脱がしていた。いや、ブーツ以外の全ても泥まみれであり、現在進行形でベッドは汚れていっているのだが。
人々が寝静まった夜の闇の中、フェリス・マリアンネ率いる軍勢が突如として城の内部に出現し、苦も無く兵士や城主の闇討ちを成し遂げ……一夜にして落城せしめる。エリナはそんな光景を幻視した。その能力がエリナの想像通りの使い方に耐えられるならば、マリアンネだけに限ってみれば、伝説上の吸血鬼の始祖すら超えているのではないか?
(恐ろしい)
意識を失った蓮の左手を握り続けたまま、半ば呆けたような状態で思考だけを巡らせていたエリナ。
助けを求めるように首を回すと、ようやくその場所が、広い一室であることに気付く。白を基調にした石造りの内装だが、床にはフローリングに似たものが張られている。
白いベッドが両端の壁際に、それぞれ五個ずつ並べられている。救護室なのだろうか。蓮が寝かされているのは、部屋の角にあたるベッドだった。エリナの中の常識においては珍しく、ベッドに寝かせられた人々の頭の向きは、部屋の中央に向けて揃えられている。
隣のベッドには、眠ったままの千草が、今まさに仰向けに寝かせられるところだった。どうやらアンリは、千草を背負ったままの状態で移動させられたらしい。千草を降ろしたことでようやく一息つけたのか、彼は長い息を吐きながら、その場に座り込んでしまった。
更に隣には、荒い息をつくガーランドが仰向けに寝かされている。その体勢でそこまで移動させられたというのであれば、やはりマリアンネは影の中で対象に深く干渉できるのだろう。
千草を背負って進み続けたアンリに、切り落とされた左腕の痛みに耐えながら一行を先導したガーランド。両者共に、限界だったのだろう。
「かなり発熱してル。冷やしてやった方が良さそうだネ……」
元から体力的に秀でていたと思われるビルギッタだけがしっかりと意識を保ち、ガーランドの額に手を当てていた。
彼女は他の面々を見渡し、自分を見つめているエリナに気付く。
「……ビビってる場合じゃないゼ、エリナ? テキパキ動かなきゃ。……マリー、この子の名前はエリナ・リヴィングストン」
「なるほど、この子が……」
マリーとは、マリアンネの愛称だろう。ビルギッタが代わりに自分の名前を教えたことで、長時間に渡ってマリアンネの名乗りを無視してしまっていたことにようやく気づけたエリナ。
(これでは駄目。何をやっているんですか、私……!)
内心で自分を叱咤し、エリナはマリアンネに向けて頭を下げ、非礼を詫びる。
「――失礼致しました、マリアンネさん」
「大丈夫よ、警戒されるのは当たり前だと思うから」
口元に手をやり、ふふっと優雅に笑ったマリアンネ。
外見年齢は二十代半ば辺りだろうか。緩やかにウェーブの掛かった濃い金色の髪を腰まで伸ばした、陶器のように白い肌を持つ女性。エリナも帝国貴種の血がそれなりに濃いため、肌の色は白い方ではあるが……徹底して太陽を避ける生活を送っていた訳でもないので、白い肌を持って生まれた割には、それなりに焼けている方だと言える。
それに比べると、マリアンネの肌色はまさに深窓の令嬢と表現するに相応しい。いや、肌色だけに限ってみれば、少し不健康そうにすら見える。それほどの白さだ。
すらりとした長身に豊満なバストを持っていることが、きっちりと着込まれた冒険者風の装いの上からでも容易に分かった。
全身が黒一色という訳ではないが、茶色を基調にしたその装いは、少しガーランドのものに似ている。ビルギッタほど軽装ではないので、淫靡な印象はないが。
(私が男性であれば、魔法的な力などに関係なく、魅了されていたのでしょうか……)
その紫紺の瞳と目を合わせていると、心の中に何かが潜り込んで来るような感覚がある。初対面で、それもお互いに自己紹介している段階で目を逸らすのは失礼だと理解していながらも、エリナは逃げたい気持ちと戦う必要があった。
「ちなみに、マリーは姫だからネ」
そこに、茶化すようにビルギッタが声を重ねるものだから、
「……マ、マリアンネ様……?」
エリナとしては、目をぱちくりさせた後に呼び方を訂正するしかなかった。もう、完全に目上のお姉さまに逆らえない妹分という雰囲気だった。千草に意識があれば、エリナのそんな珍しい姿に興奮したかもしれない。
だが、今までのエリナがどれだけ強い精神力を見せてきた人物だとしても。信頼する仲間たちが意識を失い、突如として高位の吸血鬼の前に引っ立てられれば、精神が不安定になっても仕方が無いだろう。
マリアンネは内心で(可愛い子ね……)と思いながらも、鎌首をもたげかけた嗜虐心を即座に沈め、ビルギッタを横目で見た。
「ビティ、お遊びはやめなさい」
「へーい」
マリアンネが即座に叱り、ビルギッタがおざなりな返答をして。
「私が姫として……先代魔王ルヴェリス様の養女として扱われていたのは昔の話だから、どうか気にしないで頂戴」
「……はい、分かりました」
相手が気さくな口調を心掛けていることを察し、こちらも必要以上に畏まる必要はないのだろうとエリナは判断した。もっとも、エリナは元々、誰に対しても丁寧語だが。
ビルギッタは無駄口を叩きながらも、窓際に設置された洗い場で濡らしたタオルを絞っており、それをガーランドの額に乗せた。
(水道が通っている? 放棄された街に見せかけて、機能はまだ生きているということでしょうか)
蛇口を捻れば即座に水が出る環境を見て、エリナは驚いていた。
「空白地帯に人間の街があったなんて、聞いたことがありません。それに、この街の寂れ方は、何十年も放置された、という程には見えませんし……」
鐘は錆びつき、道があっただろう場所には雑草が生い茂ってこそいたが。ほんの数年前までは何百人もの人々が暮らしていた場所。エリナの目には、そんな風に見えた。いや、そんなによく観察し切る以前に、この場所まで連れて来られてしまったのだが。
「――そ、確かに。今の人間の集落は、この辺りにはないだろネ。だけど、この空白地帯に隠れ住んでいた一族に……キミなら心当たりがあるんじゃナイ?」
ビルギッタの問いに、エリナは口元に手を添えて考える。疲れ切った脳の回転は、あまり芳しくなかったが。
「メロアラントの前身……水の初代龍、ゼーレナ様の民が暮らした村、ですか……?」
三百二十年以上の昔、幻竜との戦いに敗れた水竜ゼーレナが落ち延びたのもこの空白地帯で、そこでただの人間であった水竜メロアと海竜レメテシアは育ったのだという話だったが……。
残念ながら、それとは場所が大幅にずれている。同じ空白地帯であっても、そちらはもっと工業国家デルに寄っているのだ。また、そこまで高度な文明を持っていた訳でもなく、今は跡地すらも見つけられない可能性が高い。
「あー、そっちもあったカ。でも違うヨ」
ビルギッタは自らの額を、右の掌でぺちっと叩いた。
「となると…………」
エリナの脳裏に、火花のような天啓があった。
「…………ラ・アニマ。かつて炎竜ルノードが守護した土地、でしょうか」
「正解!」
ビルギッタは楽しそうに指をぱちんと弾き、人差し指をエリナに向けた。仲間たちがボロボロの状態で、よくもそこまで元気に振る舞えるものだ。
「≪氷炎戦争≫の後、この街からは炎竜ルノードの竜門による加護が完全に失われたから。レンが……こほん。あなたたちにとっては、炎竜グロニクルと言った方が分かり易いわね。グロニクルは生き残ったアニマ達を連れて、暗黒大陸へと移住したの」
マリアンネが分かりやすく説明してくれる。が、彼女が「レン」と口にした際にエリナの肩が震えたのは、マリアンネが考えるように(この人、炎竜グロニクルのことをやけに親し気に呼ぶなぁ)と思われたためではない。
単純に、幼馴染の男子の名前と、音が同じだったためだ。
ビルギッタはそれを理解しているため、にやりと笑みを浮かべる。
「ちなみにだけどマリー、そこで寝てる男の子もレン・ジンメイって名前だかラ」
「ええ……っと。それは……奇遇ね」
面倒、紛らわしいといった感想が第一に浮かんだのだろうと思われるが。
精一杯気を遣ってくれたと分かる、マリアンネの返答だった。
――炎の初代龍ルノードによって長らく守護されてきた隠れ里、ラ・アニマ。
裏山で取れる凝灰岩を主としたセメントに砂を加えた、モルタルを使った建造物が立ち並ぶその街は、今となってはかつての栄華は見る影もなく、ゴーストタウンと化している……ように、見える。
その中に混じって目を引く建造物は主に二つ。とても大きなレンガ造りの建物だろう。片方は、完成した後で外壁を白く塗りつぶされている。西端に鐘楼を備えた、シュレラム聖堂。里のシンであった炎竜ルノードの御神体を祀るために建てられたもので、炎竜ルノードの竜門へと繋がる、長大な地下道が存在する。今現在、内部にエリナたちがいる建物だ。
もう一つは、街の中央に聳える最も大きな城。街の外周に建てられた見張り台よりも更に遠くまでを見通せる、二つの尖塔を備えたテュラン城である。
かつては族長シャラミドとその一族の居城であったが、ラ・アニマが放棄されて以降は、内部の殆どの部屋には大量の埃が降り積もっている。
現在は炎竜一派とその外部協力者たちが「いつでも捨てていい程度の砦」として、雨風を防ぐために一時的に滞在することがあるくらいだった。
定住する者が居なくなった街ではあるが、今現在は例外だ。西側の尖塔の内部では、三人の女性が見張りに当たっている。
ケープつきの黒のロングコートで装いを揃えた、昼間では酷く目立ってしまう集団。
その全員が、アニマであった。
「これ、いつまで回せばいいんですかぁ~……」
と、疲弊をアピールする甘え声。
尖塔の内部の階段を通して、天辺まで延々と引かれたコード。その先端には手回しの発電機が取り付けられており、それを回して発電させることでテュラン城の電気室にあるコンデンサーに電気を蓄えられる。そこから、街中の建物に電力を供給することができるのだった。
さすがに、かつて街がまっとうに機能していた時代には、発電を人力に頼ってはいなかったが。
現在進行形で黒髪の少女が手回し発電に勤しんでいるのは、今回この街に滞在している間の電力を賄うためだった。
井戸水を汲み上げる際にも電力を利用しているため、シュレラム聖堂の内部にいる者たちが問題なく水を使えているのは、少女の努力の賜物だと言える。
黒髪の少女の名前はルギナ。
生まれ持っての髪色から染めることもなく、ボブカットにしている真面目系だ。もっとも、その髪型は本人が望んで選んだものではなく、悲しい事情が存在するのだが……。
周囲に存在する姉貴分たちに比べれば背が低く、平坦なスタイルをしていることが密かな悩みの十九歳だった。
「あんたが頑張ってたってことは、しっかりとアンリに伝えといてあげるわよ」
だから精々頑張りなさい、と半ばどうでも良さそうな調子で答えたのは、そよ風が吹き抜ける小窓に頬杖をついた女性。大腿部まで達しようかという長い赤髪を、右サイドで結んでいる。
名をヒルデ。かつてはアニマのエリート部隊≪黒騎士≫の一員として炎竜ルノードに仕えた、優れた戦士だ。年齢は二十四歳であるが、秘密にしていることが多い。若く見られたいのかもしれない。
アニマは通常、黒髪で黄玉の瞳を持つとされるが、彼女の目は赤みが強く、橙色と表現するに相応しい。
現在では炎竜一派に所属する特級指名手配犯として、≪しばき姫ヒルデ≫の異名を持つ。
「やったー! うお~、やるぞ~!!」
ヒルデの言葉にやる気を充電されたルギナが、発電の速度を速めた。
「でも、アンリには想い人がいたはずだけど……」
その勢いを無自覚に、しかし完全に殺しに掛かったのが三人目。灰色の長髪を、背中の辺りで柔らかく纏めている人物だ。
特注の鞘に納められた太刀を、腰には下げずに左手に抱え、ゆったりと壁に背中を預けている。
年齢は今年で二十七。本人は恋愛に対して興味がないのか相手がいないままだが、その柔和な美貌と、対照的にクールな性格は性別を問わず、多くの同族の憧れの的となっている。左の目元にある泣きぼくろがチャームポイントだ。
名はセリカ。ヒルデと同じく≪黒騎士≫出身の優れた戦士であり、現在は≪居合のセリカ≫の名で全ての法治国家において指名手配されている。
「ちょ、それは禁句じゃないですかぁ~。あーもうやる気なくなった! なくなったったらなくなった!」
ルギナは発電機を床に置くと、セリカの横を通って小窓に身を乗り上げた。衝動的に自殺をしようとしている訳もなく、他二人もそれを止める気配はなかった。ルギナは小窓に腰かけて、脚をブラブラとさせる。
万が一落下してしまったとしても、緋翼で翼を形作って滑空すれば問題ない。アニマたちにとっては、それは危険な行為ではなかった。
アンリエル・クラルティはアニマと吸血鬼のハーフであり、そのどちらの血筋も高貴なものである。その上、人当たりのいい人格に整った顔立ちも合わさって、両種族の少女から相当にモテている。
ルギナも例外に漏れずアンリに憧れを抱いている少女の一人だが、セリカとヒルデからしてみれば、その若さが少し眩しい。
「高所で姿を晒し続けるのは良くないわ。狙撃されるかもしれない」
落下の方は問題なくとも、別の意味では危険があるかもしれないと諫めるセリカ。
「敵は地面を歩いてくる訳ですし、そんな下の方から弓矢は届かないでしょ~」
「うわ、露骨にフラグを立てるのやめなさいよ、あんた。帝国の財力なら、最新鋭の銃器だっていう……スナイパーライフルとやらを持ち出して来ても不思議じゃないでしょ」
「…………さすがに、まだ帝国の連中がここに到着する段階ではない……でしょ~……」
「別に、尊い犠牲になりたいなら止めないわよ」
「……もどろ~っと」
能天気に足を揺らしていたルギナだが、ヒルデに脅されたことですごすごと塔の内部に戻ってきた。当然と言えば当然だが、命を落とすのは御免らしい。
「さて、≪四騎士≫の一人を撃退された帝国は、次に何を送り込んでくるのかしらね……」
そう零したヒルデがいる南側は、ガーランドたち一行が入ってきた方向とは真逆だ。だからこそ、彼女も気兼ねなく外に対して姿を晒せている訳だが。
ヴィンセントとの戦いが終わり、逃亡を始める際。アンリが緋翼から生成したカラスに括りつけて飛ばした手紙により、彼女たちはガーランドたちの事情を把握できていた。
それ故に、彼らがラ・アニマへと避難してくる前から、この場所で前もって出迎えの準備をすることが出来たのである。
「ヴィンセントが執着したのは、あくまでバーリ家の娘であるビルギッタと、炎竜一派のスパイだったアシュリーとの戦い。帝国陣営からしてみれば、メロアラントの子供たち自体には、そこまでの価値を設定していないはず」
「じゃあ、そもそも追っ手が存在しない可能性もあるってことですよね~」
淡々と纏めるセリカに、楽観的な言葉を被せるルギナ。
「だからって――、」
「はいはい、“油断は禁物よ”ですねっ!」
そんなルギナを戒めようとしたヒルデだったが、本人から「わかってますから」とばかりに潰された。特にその態度に関しては文句はないらしい。
「追加で≪四騎士≫クラスが来るとは思わないけど。敵を甘く見て、痛い思いをするのは二度と御免なのよ……」
胸中に蘇る苦い思い出を、噛み潰すような表情で。しばき姫はアラロマフ・ドール王国方面の地平線を睨んだ。
多くの同胞と、かつての神である炎竜ルノードが命を落とした街。現在ではゴーストタウンと化した、エイリアがある方角だった。
第25話でヴィンセントが口にしていた強者の内の二人、ヒルデとセリカが登場です。おまけにルギナ。ルギナは前作だとビルギッタと同じくちょい役でした。




