第28話 リアである
――ヴィンセントの元を去った後、男はヴィンセントと蓮たち一行が、まさに戦いを繰り広げた場所へとやってきていた。
しゃがみ込んだまま、散らばった荷物を軽く物色し、貴重品の類が残っていないことを確認する。
「ふゥん……」
大量の衣類が入ったままになっているキャリーバッグの口を閉じ、取っ手を引いて歩く。
転がされた食料袋の中に野菜が残っていることを知ると、無造作に手を突っ込んで、引き抜く。手に握られていたのはトマトだ。
「悪くねェな」
単体でも問題なく食べることが可能で、栄養価も高い上に水分量も多い野菜である。これを捨てていくとはいい御身分だな、などと考えつつ。
(まァ、水竜の勢力なら自分で水を生成出来るんだろォし、飲み水には困ンねェのか)
そのまま、赤い果実で口内を満たした。
まるで夜盗か盗賊のような振る舞いをする男に、呆れた調子の声が掛けられる。
『――――おまえは賊かなにかなのであるか……?』
甘ったるい響きをした、女性の声。男の脳内に直接響くその声は……念話だった。
地面にしゃがみ込んで荷物を物色していた男は、自分とアマリュウ川の間に出現していたその少女の姿に驚いた様子はなく、ゆっくりとトマトを嚥下した。
「――フゥ。……勿論違ェが? でも、野菜が捨てられてんのは素直に勿体ねェだろ」
少しひび割れたような、こちらは肉声で返した男。その男は、自らに施していた認識阻害の魔術を解除する。少女に対しては効力を発揮しない程度の強度でしかなかったため、その外見は既に正しく認識されていた。意味が無いと考え、魔術を解いたのだろう。
世界に対して晒された外見は……百八十センチを越える引き締まった体型に、聖レムリア十字騎士団の衣装を纏う青年。
蓮たち一行が出会って会話し、その後にヴィンセントによって出合い頭に殺されてしまったはずの人物……ジェイ。
だった、はずだ。
しかし、彼が口にする名前は以前とは別のもので。
「オレはフレム・ル・ジェット。先代魔王ルヴェリス様から龍の座を引き継いだ、二代目の“無形”の龍だ」
フードを上げ、黄緑色の長い前髪に隠された顔を、髪をかき上げることで見せつけるジェット。鋭い眼光が、少女を試すように細められる。
――無形とは、無属性と言い換えた方が分かり易いかもしれない。
龍……世界にとって重要な意味を持つ、あらゆる生物の上に立つ、上位存在。
無属性を司る個体は、他の龍に比べれば軽視されがちな歴史はあったが……それでも、龍は龍だ。人類最高峰の怪物とされるヴィンセントでも戦うことを諦めてしまったのは、当然とも言えた。
蓮たち一行に対しては強者のオーラと共に素性を隠し、ジェイという偽名を名乗ったジェットだったが……何か感じるものがあったのだろう。目の前に現れた少女に対しては、それらを開示していた。
ただならぬ存在感を放つ、褐色の肌をした少女。
レピアトラ風に見える丈の長い民族衣装に、薄い金色の長髪。角の類を隠しているのだろうか、何重にも巻きつけられた赤い布が、頭部の殆どと首を覆っている。
年若い少女を思わせる声に童顔を持ち合わせているが、女性にしては相当に背が高い。百八十に迫ると思われる。
右手には自らの頭部まである長さの、黄金色をした錫杖を持ち、地面に突きたてている。
一体どこの国に根差した者なのか、ちぐはぐにすぎる外見。
その赤い眼から発せられる圧に、
(絶対ェ勝てねェな……何百年生きてるんだコイツ……?)
ジェットは内心で舌を巻き、眼光を緩めた。何をしても、動じさせられる気がしない。敵意を見せるような真似は得策ではない。そう判断したのだ。
「……アンタは名乗っちゃくれねェのか?」
催促すると、少女……いや、女もまた圧を緩め、
『ふん。よかろう、ダ…………コホン』
言いかけた言葉を飲み込んだ。
『……………………リア、である。“雷霆”のリア、と。そう呼称するがよい』
「……いや、今の長すぎる沈黙はなんだよ。どう考えても偽名じゃねェか」
相手が格上であるという緊張感すら霧散させられてしまい、ジェットは呆れ声で突っ込んでしまった。
『……………………』
女は失敗したというように、左手で顔を覆っていた。恥ずかしがっているのかもしれない。
その様子に庇護欲を掻き立てられそうになっている自分に気付き、
(落ち着け、オレには嫁がいるだろ……惑わされるな)
とジェットは自らに念じた。
もしかすると、この女には生来、魅了の類の魔法が発動し続けているのかもしれない。吸血鬼を始めとした魔人でも発現する能力なのだ。龍なのであれば、この世界に存在する能力なら、どれを持っていようと不思議ではない。
(……最初に言いかけたダと繋げて、ダリア……が本名は、さすがに安直すぎるか?)
少なくとも、向こうが提示した名前以外で呼ぶべきではないだろう。ジェットは手元に残ったトマトのヘタを後ろへ投げ捨ててから、
「じゃあ、リアさんとやら。オレとアンタは初対面同士だが、とりあえず帝国陣営に敵対してる……っつゥ認識は間違ってねェ、ンだよな?」
念のために、と確認した。
『そうであるな』
「だったら、オレが取った行動は……アンタの望み通りだったかよ?」
ジェットが取った行動。それは、帝国の≪四騎士≫であるヴィンセントに対し、謎の豪雨と落雷の使い手をジェットだと誤認させたこと……である。……今のであるはリアの口調とはぜんぜん関係ないんだからね。
『……うむ、確かに……おまえの行動には助けられた。それは認めるのである』
リアは、これ以上ヴィンセントが蓮たち一行を追跡する意思を見せるならば、その意思が折れるまで、落雷によって縫い止め続けるつもりだった。
しかし、それだけでは「とてつもなく強い謎の龍が存在し、帝国に敵対する意思を見せた」と帝国の首脳陣に報告されてしまう。それこそが、不死の戦士が持つ厄介さなのである。
それに気づいて咄嗟に協力したのが、たまたまその様子を近くから見ていた、もう一体の龍であるジェットだった。
彼は自ら姿を現し、手持ちの力で再現できるだけの雷撃を発生させることで、見事に「自分こそが雷の龍である」と印象付けてみせたのである。……さすがにであるを頻発させすぎたな。
“雷の龍が蓮たち一行を護ろうとしている”ことこそ認識されてしまったが。ヴィンセントは既に、他の何体かの龍の実力を知る人物だ。ジェットを雷竜だと勘違いさせたまま帝国陣営に報告させることで、本物の雷竜が持つ力を帝国陣営に対して秘匿することが出来たという訳だ。
(オレの力の総量を百だとすりゃァ、コイツは軽く千はありそうだしな……)
五年前に龍として覚醒したばかりの新参者の自分など、リアが手にしたその錫杖が振るわれれば、一瞬にして戦闘不能に陥るのではないか、と。ジェットはそう思わされた。
リアからすれば、予め示し合わせていた訳でもないのに、気を利かせたジェットが助け舟を出してくれたような形となる。
よほど自分の外見や性格が生理的に無理などでなければ、いきなり攻撃されることはないだろう……とジェットは踏んでいたが。
果たして、リアと名乗る雷竜は、
『して、まさかボランティアで身代わりになった訳ではないのであろう?』
やはりというか、一定の感謝の念はあるようで。頼めば何らかの報酬を頂けそうな雰囲気を醸し出しておられた。
「まァ、帝国に一泡吹かせてやりてェのはお互い様だろォし、何も貰えなくても代わってやるつもりだったンけどよ。……そりゃそォとして、何か貰えるなら欲しいもんだけど」
ジェットはかき上げた前髪を払って元に戻しながら、正直に心情を吐露する。
「ぶっちゃけさァ、何かを言ってアンタを怒らせちまうのが一番怖ェワケ。一つ要求すンのにも、こっちはガクブルなんだよ」
見た目にはどの程度ガクブルなのかは伝わってこないが、彼は嘘を吐いている訳ではなかった。ただ、もしも戦いになったとすれば。絶対に勝てない相手だとしても、彼は最後まで諦めはしないだろう。
リアは声もなく身体を揺らした。笑っているのだ。
『ふ……それは失礼したな。では、与えるものはこちらで考えるのである……』
そう言うと、彼女は周囲を見渡し、ジェットの奥にある森を注視した。
(コイツ、本当は“である口調”以外もできるんじゃねェのか……?)
ジェットはなんとなくリアのキャラ造りに勘付いていたが、それを口に出して指摘しようとは思わなかった。
『ふむ……森の中に倒れている男……モーリスと言ったか。おまえが応急手当をしたのであるか?』
「ン? あ、あァ」
言われて、ジェットは目を見開いた。
(何であの男の名前まで知って……いや、ずっと戦いの様子を観察してたのか。まったく気づかなかったが……)
ジェットは隠蔽の魔術の元、蓮たち一行とヴィンセントの戦いをこっそりと見守っていた。が、まさか自分以外にもその様子を見守り、もしもの際は介入してでも助けようとしていた龍がいたなど。
長い年月を生きるリアが扱う隠蔽の魔術は、ジェットのそれとは格が違うのだと思われる。
「モーリスとかいうヤツァ……元々、レン・ジンメイは死なねェ程度にしか斬ってなかったみてェだけど、それでも放置され続けたらマズい。傷口だけはオレでも塞げたが、肩の中身が繋がってねェみてェでなァ」
表面上の傷は消せても、ジェットの実力では蓮によって断裂させられた腱板を元に戻せなかったらしい。
『では、リアがそれを治してやろう。それが礼ということで構わないであるな?』
「……あァ、そりゃありがてェハナシだ」
ジェットは少し思考を巡らせるが、元々格上の龍から何か残るものを掠め取ろうと考えていた訳でもない。向こうが提示したものをそのまま受け取っておけば、特に角が立つこともないだろう。
『決まりであるな』
ジェットの隣を通り過ぎ、森の中へと歩みを進めるリア。
その色素の薄い金髪から漂うフローラルな香りに、ともすれば魅了されてしまいそうだ、と。ジェットは強く顔をしかめた。
(いっそ自分の身体のどっかにナイフでも刺しておけば、そっちの痛みに意識を持っていかれることで、魅了の類は防げるっつゥハナシだが)
といっても、催眠や魅了に対する対策を、明確に敵対している訳でもない相手に対して行うのも良くないだろう。というか、傍目に見て相当やばいやつになってしまう。できれば最終手段にしたかった。
『……おまえのことは記憶している。五年前のあの日、炎竜グロニクルと共に、幻竜に挑みかかっていたであるな』
背の低い草を踏みしめながらの、リアの言葉。
「そういうアンタは、災害竜テンペストの隣で黙ってたヤツ……だよな?」
『うむ』
「災害竜テンペストは……メロアラントの勢力と同盟を結んでンのか? アンタは、レン・ジンメイ達にとっての絶対の味方……なのかよ?」
『ふん……そこまで甘い話があろうか』
「っつゥことは」
『リアはあくまで……メロアの個人的な友人に過ぎず、メロアラントの民を護る義務など持たぬのである』
「…………個人的、ねェ」
『故に、リアはエリナらの戦いを静観し、やつらを試したのである。わざわざ助け、未来に繋げる価値のある者なのかどうかを』
「そンで、アイツらは見事に御眼鏡に適ったってワケね……」
『……それに、だ。そう簡単に命を奪われる程、メロアが彼女らに掛けた加護は甘くない』
(つまりアシュリーとアンリにビルギッタは普通に殺されるところだったし、コイツはそれを見殺しにしてもいいと思ってたってことか)
雷竜リアは正義の権化でも、博愛主義者という訳でもない。ジェットはそれを認識し、やはり無条件に信頼するのは危険だろうと考える。
モーリスの目の前へとたどり着いた二人。リアは立ったまま、モーリスへと左の掌を差し向けた。直接触れずとも治療できるということか。
(……テンペストとリアにとっては、エリナ・リヴィングストンが一番重要なのか)
ジェットは、リアが蓮たち一行の中核をエリナだと見ていることに気付いていた。
確かに、龍たちの視点で見れば……水竜メロアの後を継ぎ、次代の龍になる可能性が高いエリナに注目するのは当然だろう。人の身でありながら、川を丸ごと持ち上げて使役するような振る舞いには、ジェットも驚いていた。
(オレは無意識に、レン・ジンメイを中心に見る癖がついちまってたが)
ジェットはかつての戦乱で蓮の兄を知っているが故に、その面影を感じる蓮に注目してしまいがちなのだろう。
リアの左手から、薄い黄色の光がふんわりと伸びる。それがモーリスの全身を包むと、彼の荒い呼吸が即座に静まった。まさか殺そうとしている筈がないため、恐ろしい程の速度で内部の傷が修復されているのだとジェットは判断した。
『して、そういうおまえはどうなのであるか。帝国に敵対し、エリナらを護ろうというその意思は……ベルナティエル魔国連合の総意であるか?』
「いや」
ジェットは穏やかに寝息を立てるモーリスを観察しながら、小さく首を横に振った。
「オレはオレの意思で動いてる。確かに、人としての身分は十字騎士団の客員騎士だが……龍としてのオレの行動は、族長の命令に縛られるもンじゃねェ」
族長とは、ジェットが婿入りした妖狐の一族。それを率いる魔王ナインテイルのことだ。彼にとっては、かつて孤児だった自分を拾ってくれた恩人でもある。
『そうであるか。……では、もしアシュリー・ガーランドとビルギッタ・バーリ、それにアンリエル・クラルティがあのまま本当に命を奪われる寸前に陥れば、おまえはどうしていた……?』
「知らねェ。気分だろォよ、そん時の。今回は本当にたまたま居合わせたってだけで、別にいつも昔の知り合いの居場所を巡って、御守りをしてるワケじゃねェんだ」
などと言いつつも、己の目に入る場所でかつての知り合いが命を奪われようとしていれば、この男は何を捨ててでも助けに入ってしまうのだろうが。
それでも、
「……ま、あのザコどもには、さっさと自分の身くれェは自分で守れるようになって欲しいと思ってンだ。だから、極力手を出したくはねェんだよ」
それもまた、今のジェットの本心だった。彼自身、いつか他の龍とやり合うことを考えれば、己の力を磨くことを第一に考えざるを得ない状況なのだ。
全ての戦場に自分が助けに行ける訳でもなし、かつての知り合い全てを護り続けて生きることなど、不可能だ。
(辛く厳しい外の世界に出ると自分で決めたんだ、アイツらも死ぬ覚悟くらいできてンだろ。……それが嫌だってンなら、ヴィンセントのクソヤローの言う通り、ずっとレンドウの元で守られてりゃ良かったってハナシだ)
年月と共に仲間を失うことには既に慣れているジェットだからこその、厳しい視点だった。
『かつての仲間の窮地すら静観できる精神性は評価するであるが……ならばなぜ、今度は見知らぬ青年を助けようなどと考える?』
リアは左手を下ろし、見知らぬ青年……既に治療が終わっていたモーリスについてを問うた。
「コイツは使える。大切なものを護るためなら、それ以外のものを捨てられる覚悟を持つ。……力だけを持ったバカを教育して使うより、元から使える頭をしたヤツに力を与えてやった方が楽だ。オレは、そういうヤツを集めてェんだよ」
『集める、とは……炎竜グロニクルの元に……であるか? おまえと炎王の関係は……』
「……お互いの友達を、殺し合った関係?」
『……………………』
ジェットの返答に、リアは目を見開く。藪蛇を避けるためにか、それ以上踏み込むことは避けた。
『この男は妻子を人質にされているという話であったが。そちらに関してはどうするつもりであるか』
リアが話題を変えると、ジェットはギラついた笑みを浮かべる。
「決まってる。オレが今から、コイツと一緒に大暴れしに行くんだよ。家族を助け出して、邪魔する帝国兵どもはブッ殺して。それを共に済ませてこそ、コイツとオレは血の兄弟になれる」
内乱が絶えないベルナティエル魔国連合の過酷な環境で育った故だろうか、ジェットはかなり尖った思想を持っているらしい。既に成人しているはずだが、年甲斐もなく、粗暴で野蛮だ。
(――だが、嫌いではない)
リアもまた、かつては憎しみを糧に戦い続けた災害竜テンペストを見て育った龍であり、それに対する理解があった。
『これからもリアの振りを続けるのであるか?』
「まァ、いつかまた礼をしてもらえるっつゥなら、雷竜もどきの戦い方をしてやらねェことも、ねェな」
『ふっ……。ならば、無理のない範囲で努力してみるがいいのである……』
言うと、リアは人の姿をしたまま、一息に飛び去った。その脚が地を蹴ったかと思えば、その姿は既に空へと消えていた。その跳躍力の割に、地面が抉れていないことが不思議だった。
(レンたちを追ったのか……)
またエラいバケモンに守護されたもんだな、と思いながら。
無形の龍は、己が勢力に勧誘する予定の青年が目覚めるのを待つのだった。
後方彼氏面ドラゴンと後方彼女面ドラゴンの密談回でした。モーリスは助かりそうでよかったね。まぁ、蓮はモーリスが助かったことを知らないため、これからもモヤモヤし続けるんですけど。
次回からは主人公の蓮へとカメラが戻ります。




