第27話 雷鳴
この世界において“不死”と呼ばれるものの不死性には、いくつかの種類がある。
例えば、数百年以上に渡って生き続けているもの。
例えば、あらゆる攻撃を無効化し、傷一つつけられないもの。
例えば、何度殺されようと、元通りに復活するもの。……等々。
ヴィンセント・E・パルメは、三番目にあたる存在だった。
喰らいに喰らった吸血鬼やアニマの肉に由来する力だと、ガーランドやビルギッタは推察していたが……。
それら両種族と比べてもあまりにも速すぎるその回復速度は、何らかの上位存在による介入を疑いたくなるほどのものだ。
――例えるならば、龍など。
彼が所属するサンスタード帝国が現在、地と幻の属性を司る二体の龍の力を利用できる環境にあるのだとすれば、彼のような怪物が生まれることも非現実的ではないのだろう。
死んでいる最中、ヴィンセントの意識は頭部、心臓のどちらに宿っているという訳でもない。
世界のどこかを無為に漂っているような、そんな感覚を彼は復活後にようやく覚える。
蓮に首を飛ばされた際には、即座に首の断面同士を緋翼で繋げていたため、意識を失うことなく身体を動かし続けることができたのだが。
今回はビルギッタによって念入りに身体を分割されており、それぞれをガーランドが遠く離れた場所へと配置した。
川に流されたのが頭部と心臓。それ以外の断片である腕や足、胴体は森の中にそれぞれ距離を置いて捨てられている。右足の太腿など、既に通りがかったムーンベアの母子に喰われたものもあった。
では、バラバラにされたヴィンセントは今回、どのように復活するというのだろうか。
――人に魂などというものは存在しない世界ではあるが、その手のものが宿っていると信じられやすい、脳や心臓から復活する?
――それとも、最も質量の大きい断片から復活する?
――はたまた、ムーンベアの身体を突き破り、その内から現れるのだろうか?
死してそう時間が経っていなかったり、身体の損傷が少なかったりした場合。不死の生物は最も大きい断片を起点に、周囲の断片を魔法の類で引き寄せて復活することが多い。
出来るだけありもので復活を済ませた方が、効率的だから……なのだろうと思われる。思われるが、それを本人が意識して決めている訳ではない以上、やはり不死性は多用であり、外野がそれに関しての結論を出すことは難しい。
ヴィンセントの身体の断片たちは、最初は確かにお互いを引き寄せようとしていた。目に見えないほどの≪クラフトアークス≫の粒子を振りまき、お互いの位置を把握し合った。
自分たちが離れすぎていること、いくつかは現在進行形で距離を伸ばし続けていることを知ったのだろうか。やがてお互いを引き寄せようとする働きは弱まり。
どの断片がもっとも再創造にコストが掛かるかを吟味するように、一度活動を停止した。
この時点で、一時間が経過していた。
結局、ヴィンセント本人ではない何かが選んだのは、川底の流木に引っかかっていた心臓だった。ビルギッタによって念入りに引き裂かれたそれは、今は小魚に群がられていた。
突如として熱を持つ心臓。動き出したそれに、小魚の群れは逃げ去った。
血が、肉が生成され、胴体が形成される。川の底でありながらも、生成されたばかりの血が外に流れていくことはない。
決まった形を目指すように、その身体はうねり、大の字に伸び。十秒も経つ頃には、傷一つないヴィンセントの肉体が、そっくりそのまま生成されていた。
彼の肉を食べたムーンベアの胃袋には変わらずそれがあり、森の中には今も断片が転がり続けている。
言わば、この世界にある彼の肉体のパーツは、心臓を除いて一つ増えたような形となった。
竜と魔法のファンタジー世界であれ、何の対価もなしに物質を創造できるほど甘くはない。目には見えない、この世界のどこかに貯蓄された彼の力の残存量は、確かに削られたはずではあるが。
(――ゴボッ……水の中かぁ)
ヴィンセントは一糸纏わぬ姿になっても尚、余裕の態度を崩さないままだった。
口を塞ぎ、背中から緋翼を噴き出させ、勢いよく身体を跳ね上げる。川から飛び出し、先ほども通った道に着地する。
引き締まった肉体。細身の長身を惜しげもなく世界へと晒すが、それに驚く生命体は存在しなかった。
彼が周囲を見渡せば……周辺に血の痕はなく、臭いもしなかった。
「……随分と流されたみたいだね」
ここは、蓮たち一行と戦った場所ではない。
(彼らと戦った場所と、旅人を殺した場所の中間くらいか)
ヴィンセントは太陽の位置から、既に蓮たちに二時間近くの距離を稼がれてしまっていることを察する。
(指輪がないから馬も呼べないし。これは追いつくのにも骨が折れるなぁ。全裸で追いついてもさすがに返り討ちに合うだけだろうし、最低でも武器は必要だ……)
蓮たちと戦った場所まで到達すれば、衣類を含んだ彼らの荷物が放置されていることや、ヴィンセントが使い捨てた槍が幾つか、森の中に転がされていることにも気づけただろう。
だが、そこに到達する前からその可能性に思い至れるほど、ヴィンセントは超人的な思考能力を有してはいなかった。そういった分野に関しては、千草の方が優れていると言える。
それでも、今となっては蓮たちに追いつける可能性が低いと知りつつも。ヴィンセントは与えられた任務を放棄しようとは考えなかった。
戦闘を最大限楽しむために瞬殺することを避け、手加減を始めてしまうような人格をしてこそいるが。彼も帝国に属する騎士の一人であり、国に対する忠誠心が皆無という訳でもないようだった。
(とりあえず徒歩で戦った場所まで戻って、状況を検分しようか。もしかしたら、彼らのルートを推察できるかもしれないし)
ヴィンセントは、既に蓮たちが元々予定していたであろうルートを外れ、追手を撒くための策を実行しているという確信があった。
(ゆっくりしていれば、後方部隊が追いついて来るだろうし)
ガーランドが予想した通り、ヴィンセントの後ろには追加の人員が控えていた。
今回は何より速度を重視し、ヴィンセントと彼にのみ扱える馬、それから森林地帯でターゲットを追うスキルを持つ元レンジャー、モーリスのみで先んじて出発した訳だが……。
(最終的には僕だけでどうにでもなると思っていたんだけど。まさか、本当に負けちゃうとはね)
次は二槍流を見せてもいいかもしれない、と。ヴィンセントは口元に笑みを浮かべながら、緩やかに追跡の一歩を踏み出す。
ここから更に一時間近く消費してしまうだろうが、やがてヴィンセントが遺棄された衣類を発見し、バラバラにされた己の肉体から馬を召喚できる指輪を取り戻し。
再び蓮たち一行を追跡できる準備を整えてしまう。そうした未来が約束された……ように見えた。
――宙を、水が滴る。
ヴィンセントは、それが己の頬を打つや、すぐに右の掌を上にして持ち上げていた。
「…………雨?」
彼の言葉を肯定するかのように、雨は急激に勢いを増していく。ゲリラ豪雨と呼ばれる類のものだろうか。だが、しかし。
(雨はしばらく降らない予報が出ていたはずだけど……?)
帝国とメロアラントの予報士が、揃って誤った予報を出してしまったのか。
それとも、何らかの敵性体による魔術・魔法か?
自らの耐久性に絶対の自信を持つヴィンセントは、決して焦ることなく、それでもいくつかの可能性を考慮しつつ、周囲を観察する。
――ザアザア、ザアザアと。
豪雨はまるでヴィンセントを中心にしたように降り注ぐ。土砂降りの真っただ中では、遠くの空を見ても雨の切れ目は判断がつかない。彼はその雨が己を中心としていることに気付けない。
雨以外の音がかき消された世界で、刺客による不意打ちを防ぐことは至難の業だろう。
それでも、一撃目を喰らってから反撃すればいい。そう楽観的に考えるヴィンセントの頭上で、天が光った。
大気を震わす轟音が鳴り響き、ヴィンセントの身体を、衝撃が貫いた。
(…………雷、かぁ)
そう彼が思考できたのは、落雷によって半壊した身体が修復されてからのことだった。
この間、ニ十分。頭部から肩までが粉々に粉砕されるほどの特大の落雷だったため、修復には時間が掛かっていた。
雨に濡れ、ぬかるんだ地面に右頬を預けているヴィンセント。衝撃を受け、そのままうつ伏せに倒れていたことを自覚する。
(ただ単に運が悪かった……は、ないか)
ごろりと寝返りを打ち、灰色の空を見上げる。
「これは、今も僕を監視している誰かがやっていることなのかな?」
何者かに呼びかけるように、虚空に問いかけるヴィンセント。目や口に雨が打ち付けるが、問題はない。彼の肉体は緋翼を纏い、熱を発していた。
まだ修復し切っていない内部を癒すと共に、雨をシャットアウトし、体温を保つ。
それに、今も自分を狙っている者がいるとするならば、それに対する防御手段としての役割も期待していた。
――返事はない。
「……よし、じゃあ気を取り直して。蓮くんたちを殺しに行こうかな」
――稲光。
瞬間、ヴィンセントの身体目掛けて落雷が連続した。頭部と両足が消失し、彼の胴体は森の近くまで吹き飛ばされた。
その後、三十分が経過。
「……はいはい、分かりましたよ。今日の所は、蓮くんたちを追うのはやめるよ。――僕の負けだ!」
一番に頭部を再生させたヴィンセントは、開口一番そう宣言した。
すると、どういうことか。急に雨脚は弱まり、雲の切れ間から光が差し込む。現在、午後二時過ぎくらいだろうか。
そのあまりの変わり身の早さに、ヴィンセントは声を上げて笑ってしまった。
「あは、あははははっ……分かり易いくらいに彼らの守護者の仕業じゃないか。むしろ、隠すつもりなんて無いのかな?」
焦げ付いた両足は、未だ再生していない。満足に身動きの取れない状態で、ヴィンセントは後ろに何者かの気配を察知する。
(雨が降っている間は気づけなかっただけで、ずっとそこにいた……のかな)
目線を上げれば、フードを目深に被り、顔を隠した人物が大木にもたれ掛かるようにして立っていた。そのフード付きの上着は、血を吸って赤に染まっている。
「……上には上がいるって、よォく理解したかァ? 分かったらさっさと国に逃げ帰るんだな、ブルーブラッド」
掠れた響きを持つ、若い男の声。
彼がヴィンセントを呼んだのであろうブルーブラッドとは、多くの場合は帝国貴種を意味する。
静脈が見えるほど透けた肌を持つ……純然たる帝国人が長らく誇りにしてきた肌の色を現す言葉。
……であると共に、「あの冷酷な奴らには人の血が通っていないのだ」と揶揄する、他国の人間が扱う蔑称の側面も持つ。今回は、間違いなく後者だろう。男の言葉の中に、帝国人に対する憎しみの色が窺えた。
ヴィンセントは苦笑いしながら、
「……僕より上の存在なんて、もうこの世界に殆どいないじゃないか。……きみは……もしかしなくても、雷の龍……かな?」
「……………………」
返答はなかった。ただ、男は無言で左手を軽く持ち上げる。その中に、パリパリと電気が弾けた。かと思えば、男が背中を預けていた大木が光を放ち、一瞬後には黒焦げになっていた。男が左の掌を振ると、大木は不気味な音を立てて軋み、反対側へと倒れた。ヴィンセントは、それを返答として受け取った。
「逃げ帰れと言われたって、あいにくまだ両足が再生できていないからねぇ……」
言いながらも、消滅させられたヴィンセントの足の断面では肉が蠢き、緋翼が踊る。そう遠くない内に再生し、歩けるようになるだろう。
「……きみは、僕が殺した筈の旅人……? きみが本当に龍なら、僕を殺しきることもできそうなものだけど……どうして見逃すのかな」
「……答えるかよ。自分で考えろ、バァーカ」
男はそう吐き捨てると身を翻し、森の中へと姿を消した。
ヴィンセントは両足の再生を待ちながら、ぼんやりと考える。
(これは……認識阻害を掛けられていたみたいだね)
フードで隠されていたとはいえ、男の声、髪の色の印象まで全く残っていない。残っているのは性別と、血に塗れたフードを被っていたことくらいだった。そうなると、性別が本当に男性だったのかすら疑わしい。
(わざわざ姿を現した理由はなんなのか……僕は何かを仕掛けられたのか?)
仰向けに倒れたまま、右手で頭部をさすったヴィンセント。
しかし、自分よりも上位の存在と戦った経験などまるでなく、彼にしては珍しく、混乱状態に陥っていた。それにしては、常人からは落ち着き過ぎているように見えるだろうが。
(――仕方ない、一度帰って上に判断を仰ぐ。それが最適解としか思えない)
謎の男に言われるがままに行動することこそが最善ということに、釈然としない気持ちを抱きつつも。
ヴィンセントは両足の治癒が終わり次第、来た道を戻ることを決めたのだった。
何者かが戦後処理をしてくれているパートです。
※現実世界における「ブルーブラッド」という言葉には、侮蔑の意味はないはずです。




