第21話 ビルギッタ先生のサバイバル講座
お久しぶりです、随分と投稿が遅れてしまい申し訳ありません。結局、第20話から第21話投稿までに6ヶ月も掛かってしまいました!
これ以上遅らせるのも嫌なので、一旦前作と同じように完成した部分から投稿していくスタイルに戻します。この方が自分の尻をぶっ叩けて、執筆ペースが速まるはず。
(第2章 イメージイラスト)
「ん~っ! とっても甘いですっ!」
メロアラントの蛍光院領から旅に出て、二日目の夜。
川沿いで張ったテントの脇、満天の星空の下で、曙千草が嬉しい悲鳴を上げた。
彼女の手には、鍋の中に溜められていたハチミツを掬ったばかりのスプーンが握られている。たった今、半分ほど飲み込んだようだ。
「千草ちゃん、私にも……」
「はい、あーん」
待ちきれないという様子でせがむ姉貴分、エリナ・リヴィングストンに向けて、千草はスプーンの先を即座に差し出した。
同時に添えられた文言から、そのままどうぞという意思が万人に理解できる状況だった。
親しい女子同士であるし、特に間接キスに対する躊躇いはないということだろうか。エリナは気にした風もなく、すんなりとスプーンを咥えた。貴族の所作としては、かなり不相応であると神明蓮は感じたが。よそ様に見られている状況でもないから、いいのか。
「ふぅ~……っ」
ハチミツの味に、陶然とした吐息を漏らしたエリナ。
普段は冷静沈着で、ともすれば“感情が感じられない”などと形容される人物であったが、甘味の前ではそれも崩れ去るらしい。
(女子って本当に甘いものが好きだよな)
蓮は甘いものが嫌いではないが、なんとなく“避けて生きていった方がカッコいいもの”だと認識している。無駄に贅肉を付けたい戦士など存在する筈もない故、戦う男たちの間に「甘いものは悪!」という風潮が生まれるのは、さして不思議なことでもないだろう。
ハチミツが溜められている銀色の鍋の横には、同じく銀色のざるが転がっており、その中には砕かれたミツバチの巣が残っている。
先ほどまで鍋は火に掛けられ、可食部とそれ以外を選別する作業が行われていたのだ。
「ちゃちゃっと洗っちゃいますね」
ハチミツでベトベトになったざるを持ち上げた、荷物持ちのアンリ。彼はすぐ後ろへと数歩進み、川の中へとざるを浸けた。上等な洗い方とは言えないが、旅の途中であることを考えれば、自然による流水があるだけでも儲けものだろう。
「水ならオレたちでも生成できますし、こっちで洗った方が衛生的では?」と蓮が進言すると、アンリは「ありがとう。うん、それはそうなんだけどね」と笑いながらざるを擦る。
「≪クローズドウォーター≫の生成も無限に出来る訳ではないですし、私たちの力を温存させてくれているのでは?」
と、幼馴染三人の中でも一番“無限に近いだけの水を生成できそうな女”に指摘されたことで、蓮は笑ってしまった。千草も噴きだしていた。
――Sランク傭兵二人からなるクラン。≪黒妖犬≫の提示する安全なルートは、実に的確かつ高品質なものだった。
可能な限り、自然により生成された水辺に近いルートを取るくらいは、蓮でも思い至れるレベルではあるが。
彼らの場合は、より臨機応変に。狂暴なモンスターであるムーンベアが棲み着いているという泉は避け、一度森の深部方向へと舵を切ったかと思えばハチミツを採取し、それから川沿いのルートを取った。
二日目である今日の朝方にはハチミツ採取があり、昼前には川で魚を釣っているレピアータ人たちに接触すると、楽し気に談笑したのち、手持ちのミツバチの巣を半分以上、魚と交換してもらっていた。
蓮としては水竜メロアから聴いた昔話などの影響もあり、「そんな気軽にレピアータ人と交流して大丈夫なのか……? 災害竜テンペストを信仰しているかもしれない民族なんだろ?」と怯えたりもしたが。
黒備えの吸血鬼ビルギッタ・バーリ女史曰く、「レピアトラと他国の国境沿いで活動してるような連中には、そんなに怯える必要はないゼ~」とのこと。
遠目に見ただけだが、そのレピアータ人たちの外見には、特に目立った種族的特徴は見受けられなかった。清流人の青や水色の髪と比べれば、少し赤っぽい気はしたが。
ビルギッタからは凶戦士の香りがするし、黒備えの傭兵ガーランドからは寡黙な印象も受けていたのだが、どうやら両名共にコミュ強らしい。それが、この世界を効率よく生きていく上で重要なスキルということなのだろう。
学園では嫌われがちであった蓮としては、羨ましいことこの上ない。
師匠である宝竜功牙より「君たちは円滑な人間関係を築く努力を蔑ろにして、幼馴染コミュニティに篭りすぎだ」と指摘され、千草と共に泣かされたことは記憶に新しい。
(これからはオレを知らない人ばかりの場所で、人間関係をリセットできるんだ。……よし、オレも頑張るぞ!)
蓮が決意を新たにしながら、アユの塩焼きに被り付いたのが昼食のこと。
夕方にはビルギッタが、河原で拾った石を遠投することで一匹の鹿を気絶させた。
ガーランドは「捕りすぎだ、ビルギッタ。……まぁ、腐らせる訳にもいかないし、今日はこの辺りで切り上げて、野営するしかないか」と呆れた。
実際のところ、今回の旅程はそう厳しく時間に追われる類のものではない。旅の素人でも無理なく完遂できるようにと、一日あたり三十キロメートル前後のペースで歩を進める手筈になっている。
メロアラントの蛍光院領からレピアトラ領に出て、そこから竜信仰の国ガイアとの国境沿いに進めば、基本的にはアマリュウ川沿いのルートを取れる。
アラロマフ・ドール王国までの間に、どうしても二日間ほどは空白地帯を縦断する必要が出てくるが、十日も掛ければ余裕を持ってドールの首都であるロストアンゼルスに到着できる。
雨天に関しても、少なくとも一週間以内にはまず降らないだろうという予測がされていた故に、そこまで一日一日の進捗に拘る必要は無いのだった。
「いやァ、だってこの旅の途中で、鹿の捕まえ方も教えてやりたかったんだモン……毎日鹿に遭遇できるとは限らねぇダロ?」とは、ビルギッタによる言い訳だ。
「手本にさせたいなら、石投げじゃなく弓でも使ってやれ……」
というガーランドの突っ込みには、蓮たち三人も全力で頷かざるを得なかった。さすがに人の力で投げた石で、鹿が仕留められるとは思えない。吸血鬼特有の狩りの仕方を見せられても困るだけだ。いや、美味しい肉を食べさせてもらえること自体には困らないが。
気絶させた鹿を河原へ運ぶと、ビルギッタは今度こそお手本に、とばかりにダガーを抜き、鹿の心臓を突くことでトドメを刺した。トドメを刺す際に、鹿が断末魔の叫びを上げずに、静かに逝かせられると一番いいらしい。何が良いのかはいまいち分からないが、少なくとも人間側の精神衛生上はかなりいい。
(この人、オレたちが居なければ素手で心臓を貫いていたんじゃないか?)
と蓮は思った。
ガーランドも手伝って、手際よく不要な内臓を取り分けると、鹿は血抜きのためにと川へ浸けられた。不要な部分は、危険な獣の類をそちらに引き寄せる為の道具として、アンリが森の中に捨ててきてくれた。
「この鹿を狙って、川の中から肉食性のモンスターが出て来たりはしませんか?」と千草が訊くと、ガーランドは首を横に振った。
「この近辺にはワニの類はいないな。猛禽類どもは肉を狙ってくることもあるが、それも夕方以降であれば姿を見せん。それに、この鹿を丸ごと持ち上げて持っていけるような大きさの奴は、やはりこの辺りにはいない」
説明を受けている途中、蓮の脳裏には夜にこそ活動するフクロウの姿が思い浮かんでいたが、確かに、フクロウの類がわざわざ人間の近くまでやってきて、得物を横取りするイメージはなかった。
(正直ついていけない、真似できねぇよって部分もあるけど、やっぱりSランク傭兵って戦い以外の部分もすげぇ……!!)
河原の石を積み上げて作った即席のかまどの前に座り、切り分けられた鹿肉を焼く準備を手伝いながら。蓮はしみじみと思うのだった。
そうして夜は更け、満天の星空の下。
網の上では、鹿肉のチョップが美味しそうな音と匂いを上げながら、焼き目を付けている。
――石を投げることで鹿を気絶させたことに比べれば、ハチミツの採取方法に関しては、まだまともというか、人間に対してレクチャーする意思が感じられたと言える。
「まず、湿らせた木を容易シて」
朝方のこと。ビルギッタは松明用に用意されていた木の棒を一本、水が溜められたバケツに突っ込んだ状態で見せびらかしてきた。
その木が予め濡らされていなければ、松明として使うのだと頷けるが。
「ここに、燃えやすい布を巻きつけて……と。ンで、この柄が発火装置になってるダガーで、シャッ! とやるんだよん」
言うが早いか、ビルギッタの手が閃いたかと思えば、濡れた木に巻き付けられていた布の端に炎が灯る。
(えっ、火ってそんな簡単に点けられるもんなのか……?)
全く明るくない分野なので、蓮としては懐疑的ながらも、目の前で実演されたものを受け入れない訳にもいかないのだが。
その後、ビルギッタは懐から酒が入った瓶を取り出すと、松明へと振りかけた。その酒の強烈な匂いに、エリナは少し嫌な顔をしたが。聖職者としては、きつい酒には悪いイメージを抱いているのかもしれない。料理酒程度であれば、あまり気にならないのだろうが。
これだけプロ意識の高い≪黒妖犬≫なのだ、例え懐に度数の高いアルコールが入っているからといって、まさか依頼された護衛任務中に酒を飲む筈もあるまい。蓮としては、特に問題はないんじゃないかと思った。というか、ビルギッタという凶戦士系の女性が度数の強いアルコールを愛飲してるの、むしろ解釈一致すぎる。一切酒を飲まないとかだったら、そっちの方が逆に驚きだろう。
炎は勢いを増して燃え盛ったが、やがて濡れそぼった木に達したのか、音を立てて煙を上げた。
「この煙を上手く使いマース。あそこに……ミツバチの巣があるから、まずは登る必要があるワケ、だ、け、ど」
ビルギッタは煙を上げ続ける松明を口に咥えると、ひょいとシュロの木に飛びついてよじ登り始めた。
(凄いチクチクしそうだけど、痛くないのかな……)
痛そうな半面、古い皮からめくれ上がるように背を伸ばしていったシュロは、脚を引っかける場所には困らないのだろうか。彼女はスムーズに高度を上げて行くと、彼女の頭部よりも大きいミツバチの巣へと接近した。
巣に張り付いた大量のミツバチたちは、外敵に対して羽音を立てて威嚇すると言うが……外敵の存在を認識するよりも先に、煙という脅威にこそいち早く気づき、飛び去って行くようだった。
「へぇ~、ああやって採るんですね、蜂の巣って」千草は目を輝かせていた。
「いや、普通は防護服とか着るもんじゃないのか……? え、違う?」
ミツバチという生物が蓮が想像していたよりも危険でない種族なのか、それともビルギッタが規格外なために防護服が必要ないだけなのか。蓮はもうよく分からなくなってきた。
「毒性は強くないが、繰り返し刺されれば危険な状態になる場合もある。素人が手を出すなら、防護服があるに越したことはないだろう」
とガーランドが説明してくれたことで、やっぱそうですよね! と蓮は混乱状態を解除できた。今までの自分の常識が全く通用しない異世界に転移してしまったのかと思ったが、そんなことはなかったぜ!
ビルギッタは松明を咥えたまま、ダガーを器用に使ってミツバチの巣を切り取っていく。両足でガッチリとシュロの樹をホールドしているのか、両手での作業を実現していた。それも割と、人間業ではないような気もするが。
切り取ったそれを、腰に結び付けていた袋へと放り込んでいく。その作業が終わると、ビルギッタは「ン!」とくぐもった声を上げてから、袋を下へと落とした。
両手を挙げてそれを待ち構えていたガーランドが、問題なく袋を受け止める。無理して全てを一人で行おうとせず、仲間と協力して作業に当たるのは大切なことだ。
「……っと、ざっとこんなモンよ! お姉さん、手際いいダロ~?」
と得意げなビルギッタに、千草は「はいっ!」と笑顔で応じ、エリナも頷いた。
「巣の全部は取らないんスね?」という蓮の問いには、「ああやって三分の一も残しておけば、飛び去ったミツバチたちはまた戻って来て、巣を修復して使うんだよ。その方が、同じ場所で何度もハチミツが取れてお得でしょう?」と、アンリが答えてくれた。
なるほど、と頷きつつも、
(ちょっとミツバチが可哀そうすぎる気もするけど……)
と蓮は思った。
まぁ、人が効率的に生きる為には、他の生き物を多かれ少なかれ虐げる必要があることは当然なので、割り切るしかないのだが。
というか、そうした罪悪感も、ひとたび完成したハチミツを舐めれば、たちまち忘れられることだろう。良くも悪くも人間は単純だ。
「ちなみに、お姫様方はムシは平気なほうカイ?」
袋の中で、切り取った蜂の巣から零れた何かをつまみ上げ、こちらに提示したビルギッタ。さすがに配慮があるのか、女子たちの眼前にいきなり突き出して来るようなことはないらしい。
彼女の指につままれて身をくねらせているのは、ミツバチのハチノコだ。蓮としては、
(一匹なら別になんてことはないな。大量に蠢いているところは見たくないかもしれないけど)
という感じだった。
「昆虫型のモンスターは苦手ですが、小さなものであれば特には」
「食べろと言われるとちょっと……ってくらいですかね」
特に女子たちの悲鳴が上がる騒がしいシーンに発展することはなかった。エリナと千草には虫耐性がそこそこあるらしい。千草の答えを聞いて、蓮にも質問の意図するところが分かった。
「あ、飯の話だったんですか。オレは別に、美味しいなら食べられるタイプだと思いますけど」
「フーム……特別食べたいやつがいる訳でもないなら、アタシ達用じゃなくてもいっか」
(――え、オレの今の発言は無視!?)
もしかすると、ビルギッタは同じ女性に甘いタイプなのかもしれない、と蓮は思った。いや、男性に厳しいとも言い換えられるだろうか。
結局、ハチノコはレピアータ人との物々交換の際に全て使われることになったため、蓮が昆虫食に挑戦することにはならなかった。もっとも、ハチノコは昆虫食というにはかなりイージーな方ではあるが。
――そんなこんなで、知識や食料には困ることがないまま、問題なく続いていた旅路だった。
いつ何時モンスターに襲われても大丈夫なように……という想定だろう。蓮たちから言い出さなくとも、二時間に一度はトイレ休憩のための時間が設けられた。
夕食が終われば、アンリが抱える大量の荷物の中から、大きく広がる仕切りが飛び出してくる。
白い布製のそれの向こうで、今は千草とエリナが水浴びしている。ビルギッタは同じタイミングで水浴びに混ざることはなく、護衛として周囲に気を配っているらしい。
「――男女混合のクランじゃないところに護衛を頼んでいたら、今頃どうなってたかって思いますよ」
ぼんやりと焚火を眺めながら蓮が言った。食後ということもあって、少し眠気に襲われているらしい。
「そうだな。下々の傭兵がお姫様方の肌を見る訳にもいかん。旅が終わるまでの間は水浴びはゼロで、良くて濡らした布で身体を拭くくらいだったんじゃないか」
ガーランドの答えに、蓮は苦笑せざるを得ない。
「そりゃ、千草は絶対文句垂れてましたね……」
エリナだって、口には出さずともストレスを溜めることになっていただろう。元の華族としての生き方からの振れ幅があまりにも大きすぎる。
他ならぬ蓮自身、草むらで用を足すことにはまだあまり慣れていない。なんだか、自分が人間であることをやめ、獣になってしまったような気分になるのだ。
(オレって思ったより貴族寄りの思考だったのか。血なんかで手や服が汚れたことに動揺して、その隙を突かれる……なんてことは避けたいんだけど)
もっと野性的な、汚いものに対する耐性を上げる訓練をするべきか……と蓮は考える。次回あたりに鹿を仕留めることがあれば、自分も切り分け作業に参加させてもらうか。
「それでも、僕を含めたとしても三人しか護衛側がいないというのは、相当少ない方ですけどね」とアンリ。
地味に、自分も有事の際は戦う意思を表明するアンリ。特に戦える人間であることを隠すつもりはないらしい。
「ですよね。現に今は、裸の女子二人を守れるのはビルギッタさん一人な訳で……」
蓮が同調すると、ガーランドは鼻を鳴らした。
「ふっ。そのビルギッタが規格外すぎて、一人だけでもどうにでもなる……と考えてしまうが。さすがに身内びいきだったか」
「あ、いえ。他ならぬ師匠が≪黒妖犬≫のお二人に依頼すれば万全だと考えたんですから、オレはその判断を信じるだけです」
功牙の見立ては絶対だ。少なくとも、蓮が今まで見てきた師匠は、常に正しいと思える選択をしてくれていた。
それはそうと、とアンリが姿勢を正す。
「荷物持ちさえ雇えば、お二人でもやっていけるという自信は分かりましたけど。ガーランドさん的には、メンバーを増やすつもりはないんですか?」
「無いな。今のところ、護衛の手が足りないと思うほどの大人数からの依頼を受けたことはない。既に他の護衛チームが付いているところに、増援として呼ばれたことはあるが」
ハロルド・オールブライト総領事閣下も、≪黒妖犬≫に護衛を依頼したことがあると仰っていたな、と蓮は合点がいった。
「それに、近々傭兵稼業は終わりにしてもいい頃合いだと考えている」
「えっ」と驚きの声を発したのはアンリ。「……終わりにするというと、傭兵ギルドを脱退するってことですか?」
「ああ。ただ新規の依頼を受けることを停止しておくこともできるが、それでは帝国による有事の際の徴兵を避けられん。最悪の場合――、」
ガーランドは、懐から一枚のカードを取り出した。オレンジ色を基調にしたそれは、全面にうっすらと「S」の刻印が入っている。Sランク傭兵であることを示すギルドカードだろう。
「――こいつから居場所を照合されてしまうしな」
「……え、そのカードを持ってる限り、帝国の監視下にあるってことですか?」
蓮は急にそのギルドカードが恐ろしくなり、身を引いた。
「さすがに、常時居場所がバレ続けるという訳ではないと思うがな。もし帝国に敵対するようなことになれば、これを捨てて逃亡するのがベターだ」
いや、帝国と敵対する場合のマニュアルまで用意して貰わなくとも、と蓮は思わなくもなかった。
「何か他のことをやろうと思ったら、傭兵ギルドとはきっぱり縁を切っておいた方が安心ってことですね。……でも、せっかくSランクにまで上がったのに、勿体なくないですか?」
と蓮が訊くと、ガーランドは薄く笑みを浮かべた。
「ふっ。別に金に困ってはいないからな。今の世界情勢にも、随分と明るくなった」
「……じゃあ、ガーランドさんは傭兵をやめたら……その、昔の仲間たちを訪ねるんですか?」
アンリのぼかすような問いに、蓮は「あんまりオレに詳しく聞かせたくない話なのかもな」と思った。
蓮は、仕切りの向こう側で千草とエリナがお互いの身体を洗いあっている声を聴くことにした。いや、それもどうかと思うが。
「そうだな。昔に比べれば俺も腕を上げた筈だ。ようやく足手まといの汚名を返上できる」
「そんなに謙遜しなくても。既に人間とは思えないほどの戦力になれてると思いますよ」
アンリの口ぶりから察するに、ガーランドの昔の仲間たちとやらは、随分と人間離れした実力者揃いだったらしい。いや、本当にただの人間ではなく、魔人揃いだった可能性もあるが。
仕切りの向こう側では、どうやら千草とエリナは川から上がり、代わりにビルギッタが入水したらしい音が聴こえる。
(今の状態で何者かに女子側が襲撃されたとしたら、大丈夫なんだろうか。いや、ビルギッタさんは全裸でも気にせず戦いそうな気もするな……)
「……だといいがな。あの底知れない連中が、数年見ない間にまたどれだけ力を付けていることか」
ガーランドの口調は、昔の仲間に会うことを楽しみにしているのがよく分かる、言葉とは裏腹に楽し気なものだった。
「ふぅーっ、さっぱりしましたー!」
川の水で大体の汚れを落とした後、自分たちで生成した≪クローズドウォーター≫で改めて身体を洗い流す。
一般人の旅路よりもずっと衛生的なそれは、千草もお気に召したらしい。
「どんぐりで石鹸が作れるなんて、知りませんでした」
エリナも満足げな顔で、余った石鹸水が入った瓶を荷物置き場の隅に置いた。
昨日の夜、頑張ってどんぐりをすり潰した甲斐があったな……と蓮は思う。いや、蓮だけが押し付けられた訳ではなく、皆で協力したが。
「んじゃ、男どもも水浴びしてきなヨ」
濡れそぼった金の髪を犬のように振り回しながら、仕切りの向こうから姿を現したビルギッタ。男物にしか見えない黒いシャツを一枚身に付けただけのその姿は、青少年にとっては目に毒だ。というか、下はきちんと履いているのだろうか。
「おい、護衛対象がいるのにその恰好は……」さすがに見かねたのか、ガーランドが苦言を呈した。
「えー、夏だし、面倒ジャン。さっきまで着てた服も全部洗ったワケで、それが乾いてからまた着るのが一番効率いいってノ」
ビルギッタの理論に、はぁとため息をつくガーランド。それ以上口論する気は無いのか、少し苛立ったような様子のまま、タオルを手に取ってから川に向かう。
「蓮君も行って来ていいよ。僕が火を見てるから」
「あ、はい。お願いします」
焚火の管理をアンリに任せ、蓮もガーランドに続いて川に向かった。
ガーランドの身体は大層鍛えられており立派だったが、それ以上に傷だらけで、蓮はぎょっとした。
(自分もいつか、こんな風に傷だらけの身体になるんだろうか。いや、これはこれでカッコいいとは思うけど)
やっぱり自分も箱入りのお坊ちゃまだったんだな、と。何度となく認識を改めることになった二日目だった。
――そして、三日目の朝。
順調に旅のスタートを切った一行の前に、災厄が降りかかることになる日。
川沿いに歩き始めて、一時間が経過した頃。
流れた血によって、赤く染まる川。
積み重なったヘルハウンドの死骸の山。その頂点に座り込み、こちらを見降ろしている視線の主。
「――エリナ、千草、下がって」
蓮が二人を庇うように手を広げて、前に出る。
それよりも更に前に出たガーランドが、
「川沿いを占拠する行為は、あまり褒められたものじゃないな」
血塗れの人物を見上げた。
「俺はアッシュ・ガーランド。……お前は?」
「あァ……。オレは…………ジェイ」
掠れた響きを乗せた、若い男性の声。ジェイと名乗った男は、どうやら被っていたらしいフードを、ゆっくりと左手で持ち上げた。
「敵じゃねェさ」
血の色に染め上げられたフードの中から、ようやく本来の髪色が太陽の元に晒される。
黄緑色の髪は、清流人としてあり得ない色ではないが。その奥に揺れる黄金色の眼光に、蓮はぶるりと身を震わせた。
「……オマエらは、オレの敵じゃねェ」
この作者、YouTubeでサバイバル系のチャンネルばかり見てそう、と思える内容でしたね。
カメ五郎先生のチャンネル「ネイチャーポケット」とかオススメですよ。全人類、観よう!