神明
竜の時代六六九年。
文明が発展し切っていない時代に生まれた子供が、目が見えないことが判明したり、耳が聴こえないことが判明した場合、悲しまれこそすれど、最終的には捨てられてしまうことが大半だった。
親にもまた自分の人生があり、それを守るためには仕方のない側面もある。
ただ人間同士のみでの共同体であれば、それで終わりだろう。
しかし、そこで彼らにとってシンと仰ぐ強大な存在がある場合、どうなるか?
「どうか我らがシンよ、十に満たない命ではありますが、これを哀れに思うのであれば、どうか連れていってやってください」となる。
……つまり、半年に一度捧げている生贄とは関係なしに、シンにこの赤子を食べてもらい、その一部としてほしいと。
その命にも意味はあったのだと。
シンの一部となることで、報われるのだと。
親たちはそう信じ、救われたがったのだろう。
「……いや、だったら自分で食えやボケ!」
とは、目が見えないという触れ込みの赤子を連れ帰ったのちに、ゼーレナが零した内容だ。
「それは残酷ですよ。自分がお腹を痛めて産んだ赤ちゃんを食べるなんて、人間には耐えられないと思います」
ゼーレナの身の回りの世話を買って出ている少女が言った。
少女……当時十四歳のメロアは、ゼーレナの悩みには共に頭を悩ませる、頼もしい弟子であり、相棒だった。
「あいつらが食うのは、決まって祖父母か親世代なんだよな」
「それはそうですよ。例え亡骸であったとしても、赤ん坊を損壊させるために触れることは、自分の心を裂く行為でしょう」言いながら、メロアは藁で編まれた入れ物から、おくるみに包まれた赤子を取り上げた。藁籠の中には、空いた隙間を埋めるように沢山の花が敷き詰められていた。
ほとんどは雑草の花だったが……メロアにはそれが、村の子供たちが集めてきたものであろうことが分かった。
シンに捧げるものとして、決して豊かではない村が一丸となって、精一杯の飾り付けをしたのだと思うと……悲しみの中にも、希望を抱けた。
あの村の人たちには心が無いわけじゃない。少なくとも、この赤ちゃんのことを悼んでいる。
「……お、赤ん坊の扱いに慣れてんのか、おまえ?」
自慢じゃないが、おれは正しい持ち上げ方すら知らねーから、触れたらうっかり殺しちまいそうだ、と嘯く師に、本当に何一つ自慢になってないなと思いつつ。
「九歳の頃から、村では子供の世話を担当していましたから」
「そりゃ頼もしいな」
まず、ゼーレナは赤ん坊の状態を見た。女児であり、体が酷く小さい。産まれてくるのが早過ぎたのだろうか?
目が見えず、耳も聴こえないらしいことを知ると、その対策を考える。
確かに文明は地球に及ぶべくもないが、自分はこのイズランド(この当時、人間たちはイズランドをワールドと呼んでいたが)の管理者の一柱、水竜ゼーレナである。
まずは加護を与える。問題ない、成功だ。
たとえ耳を正常な人間のそれに変える手段が見つからずとも、念話によって意思の疎通が図れればいい。
次にゼーレナは、自らの眼球を複製し、それを縮小させてから赤ん坊の目に嵌め込み、癒した。
その際には当然、元から嵌っていた赤ん坊の眼球を摘出する必要はあったのだが、麻酔によって一切の苦痛は与えていなかったことをここに記す。
医学の心得がある訳でもなし、「視神経こそ≪クラフトアークス≫が含む自然治癒促進の力で勝手に繋がったみたいですけど、成長に応じて無理が出てくるのでは?」とはメロアも憂慮していた。
それにゼーレナは胸を叩いて、「そん時ゃまた新しい目玉を作ってやりゃーいい。そん時におれがもういなけりゃ、おまえが代わりにやればいい」とのたまった。
メロアはため息をつきながらも。実際、龍の位を引き継ぎ、姉である魔王レメテシアとの戦いが終わったあとに一度、その子供の眼球を補修した。
その後、その人間の子孫には、幸いにして大きな問題が受け継がれることはなかった。
むしろ逆に、異常なほどに優れた視力や、他の者には見えないものを視る能力を持つものが、時折現れていた。もっとも、水竜メロアは龍としては僅か二十二年の活動ののちに永い眠りについたため、最近までそのことを知らなかったのだが。
その一族は現在、神明という苗字を名乗っていた。
――神明とはすなわち、神の瞳を意味している。
【番外編1】 了
※現実世界の神明(しんめい、じんめい、しんみょう)姓にはそんな意味は無いはずなため注意。作者による創作です。